男の浪漫と女の意地♀



「やぁだ、もうっ、どこ見てるの?」

 久しぶりにまとまった時間が取れたこともあり、夕方頃からずっと本を読み続けていた赤井に、突然そんな声が聞こえてきた。
 ふと顔を上げると、とっくの昔に真っ暗になっていたであろう部屋に、灰皿からこぼれ落ちそうに山積みにされた吸殻とすっかりぬるくなってしまった水滴まみれのグラス、そして、つけっぱなしになっていたテレビに映る、水着の上にフリフリのエプロンをつけた若い女がいた。
「…?」
 あの女は、あんなにも露出の多い格好で一体何を作る気なのだろう。油物をつくるには何もかもが丸出しで危ない…と言うか、水着で料理をする状況と言うものがよく分からない。ビーチでバーベキューか?とも思ったが、テレビの中の女がいるのはどう考えても家の台所でそういう感じでもない。
 長時間水分も取らずに本を読んでいた為かひりひりと渇く喉に、とりあえずグラスの中の氷が溶けたであろう水をゴクリと飲み干す。ふわりと鼻に抜けたバーボンの香りは最近のお気に入りだ。
 そして、水分をとって一気に働きだした頭で、赤井は唐突に理解した。

――ああ、これが噂の裸エプロンか。

 テレビの女は包丁を持って何かを切りだしたが、カメラがやたらとローアングルから女を見上げるようにお尻を映しては女もそれを分かってフリフリと尻を振って応えたり、エプロンの横から見える横乳をアップで写しては「もう、えっち」だなんて女が言っている。
 そして女はいやらしげに茄子や人参を手に持って、それを生のままベロリと舐めて―――赤井はテレビをきった。

 正直に言って馬鹿ばかしい。裸エプロンは男の夢だ、なんて言うやつもいるが、さっきのどこに男の夢が詰まっているのか分からない。
 そう思いつつも、赤井の目は台所に向けられていた。降谷が置いて帰っているエプロンがそこにはあるのだ。
 降谷と付き合いだして暫く、あまりにも自炊しない私を心配して彼が何度かここで料理をしてくれたことがあってその時に彼が買ってきたものだ。シンプルな無地の、彼と同じ透き通ったブルーのエプロンは、彼によく似合っていて私のお気に入りでもある。

 私にはよさがまったく分からないが、彼も所詮はただの男。裸エプロンに憧れたりしているのかもしれない。

 そう思った赤井は「グラスをシンクに置きに行くついでだ」と心の中で誰に届くわけでもない言い訳をしながら台所へ向かった。シンクのなかにグラスを置くだけ置いて、手にとったのはエプロンだ。
エプロンから、前に彼が作ってくれた餃子の匂いがふわりと漂ってきて思わず笑みが零れる。こんなにも綺麗なエプロンなのに匂いが餃子とは、可愛い見た目で意外と苛烈なこれの主人に似ている、なんて馬鹿なことを考えたのは、さっきまで読んでいた本がファンタジーだったからだろうか

 餃子の匂いがするそれを試しに自分にあててみる。勿論今の赤井はきちんと服を着ているわけだが、エプロンをつけた自分を見下ろすと、なんの障害もなく足の付け根が目に飛び込んできた。
「……」
 そのままエプロンを外さずに洗面所まで行って改めて自分の姿を鏡に映してみても、急に身体に凹凸ができるわけもない。くるくると身体を回してエプロンをつけた胸元を左右から見ても、先ほどテレビに映っていた女のように横乳なんてものは見えそうにない。…そもそも、自分には乳がない。
 ぺったんこのソコをじっと見下ろしていると、赤井はなんだか自分がテレビに映っていたいかにも頭が弱そうなあの女よりも女としての価値がないと言われているような気がしてきて非常に面白くなくなってきた。そして、むっ、とへの字に曲げた口をそのままに、赤井は思い切ってズボンを引き下げた。
 中からは少し前に買ったばかりの綺麗な黒いパンツが出てきた。それ自体は色気のイもないようなシンプルなデザインではあるが、しっかりと持ちあがったヒップにそこから伸びる長い脚、そして、きゅっと引き締まったウエストが露わになる。
 「私は胸よりも足で勝負しているんだ」と、赤井はまた心の中で誰に対してかよく分からない言い訳をしながら洗面所の流しにドンッと脚を持ち上げてふふん、と自慢げに笑う。エプロンで隠れた全面とは裏腹に、健康的で美しいボディラインがよく見えている側面とバックスタイルを確認して、赤井は再びふふん、と笑った。
 あの女には勝っているだろう。
 もはや何が勝ちで何が負けかは分からないが、今この場にいるのは赤井だけだ。つまり、赤井が勝ったと思えば赤井の勝ち。この勝負、試合をしている本人も審判もすべてが赤井なのだ。

 満足した赤井は、寝室に戻ろうと洗面台の電気を消した。思いがけず急なバトルを繰り広げることになったが、何事においても勝つというのは気分がいいものだ。
 赤井は脱いだズボンはそのまま手に持って、なんならズボンをクルクルと振り回しながらスキップでもしそうな勢いで廊下に出た。…そこで、浮かれている赤井はいくつかミスを犯した。
 一つは、つけたはずのない廊下の電気がついていることに気がつかなかったこと。もう一つは―――。

「あか、い…?」

 洗面所で必死になるあまり、赤井を起こさないようにとこっそり玄関を開けて入ってきた降谷の存在に気がついていなかったことだ。

「え、降谷く、ん」
「メール、送ったんですけど…あの、明日休みになったから家に行く、と」
「ああ…本を読んでいて、気がつかなかった、な」
「そうです、か。てっきりもう寝てるのかと、すみません、あの、急に」
「いや、いつ来てくれてもいいのだが」
「…」
「…」

 左手でズボンを振り回しながらパンツ一丁で、そしてなぜか彼のエプロンを身につけて浮かれながら家をうろつく女。
赤井は、今の自分の状況をそう判断し、そして頭に浮かんだたった一つの言葉に恐怖した。

離婚だ。

ちなみに言うと、赤井と降谷は結婚していない。そして、不完全とはいえ世の大半の男が夢見るであろう裸エプロンに近いことを自分がしていることも理解していない。赤井にとってこの状況は「変態的な行動をしているシーンを彼に見られた」以外の何物でもなかったのだ。

「あの赤井、あの」
「降谷君、君に選ばせてやろう」
「えっ!」

 人生に正解などない、そうは言っても、次に赤井が発すべき言葉には間違いなく正解があった。しかし、

「今すぐここで殴られて今の記憶を失うか、それとも、床に叩きつけられて記憶を失うか、どっちがいい?」
「は」

 次の瞬間、言葉の選択を間違えた赤井の足元には靴すら脱いでないままの降谷が転がっていたのだったが、降谷の記憶が飛んだかどうかは誰も知らない――。

2018.7.3
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