I have constipation. 2



西葫芦 ― ズッキーニ ―

 凄い、感動した。深夜二時もとうに過ぎた時間、赤井は自宅のトイレでまじまじと便器の中を見つめていた。凄い、こんな立派なもの、初めて見た。
 赤井が覗きこむそこにあったのは、つい今しがたまで赤井の腹の中にあったもの…つまり、ケツの穴から捻りだしたブツだった。今まで便秘に悩んでいた(まあ厳密に言うと別に悩んではいない)赤井が初めて見るほどに太くて大きなそれは、バナナと言うにはたくましく、人参と言うには凶暴で――。
「ズッキーニ…」
 赤井は、無意識のうちに先日スーパーで見た緑色の野菜の名前を口にしていた。赤井の尻から出てきたズッキーニは、便器の中で悠然と横たわり、貫禄すらあるように見えた。赤井は何故か流すのが勿体ない気がして、しばらくズッキーニを眺めていた。
 この感動を誰かと共有したい。しかし、今自宅にいるのは赤井ただ一人。まあ、誰かがいたからと言ってわざわざこんな深夜にトイレまで呼びつけて自分の排泄物を見せるのはどうかとは思いながらも、赤井はまだじっとズッキーニを眺めていた。
 どれくらいの時間そうしていただろうか。気が済んだ、というわけではないが、いつまでもトイレで突っ立っているわけにもいかないので、赤井はズッキーニに別れを告げて水を流してトイレから出た。
 洗面所で手を洗い、すっかり目覚めてしまった身体をリビングのソファに沈めた。どうせ目が覚めて寝れそうにないのなら、明日の仕事内容をもう一度チェックしておこうとテーブルの上にある資料をパラパラとめくる。
 明日は、降谷率いる日本の公安がずっと追っていた人物がニューヨーク行きの飛行機を手配しているという情報に基づいて、そいつを確保しに行くのだ。公安に目をつけられているような厄介者がアメリカに入国することも防げて、日本は日本でずっと追っていた人物を確保することができると言うことで、ウチにとっても日本にとっても大切な一日になる。
 そんな重要な案件の資料にペラペラと目を通しながらも、赤井は再び先程のズッキーニを思い出した。…それにしても立派だった。あんなに立派なブツが出るほどに食事もとった覚えもないのに、人間の身体とは不思議なものだ。あのブツは一体どこから来たのだろうか。そんなことを考えていると、資料の端に「降谷零」という、今ではすっかり見慣れた名前を見つけた。バーボン、安室透ときて降谷零。彼の本名を知るまでには大変な時間と労力がかかったものだが、今となってはこうして一緒に仕事をしているというのだから不思議なものだ。
 降谷のことを考えていると、さっきのあのズッキーニ、写真に撮って降谷に送れば、彼なら俺のこの感動を共有してくれるのではないか。そんなことを思った。面倒見の良い彼は、最近やたらと俺の排便について色々と心配してくれている。彼なら、あれを見せても怒らないんじゃないか。しかし、そんなことを思ってももう遅い。あのズッキーニは赤井の手でトイレに流してしまったのだから、もう二度と写真をとることなんてできない。
 そう考えると、自分がとても惜しいことをしたような気になってくる。あんなもの、人生で一度か二度出るかどうかというブツに違いない。いや、でも、便秘に悩まされない一般人ならば、もしかしたらあのズッキーニくらいのブツが毎日出ているのか…?
 赤井秀一はかなりの便秘症であると同時に、「謎」を謎のままにしておけない人物だった。
 気になる。一般人は毎日ケツからズッキーニを捻り出しているのか、それとも自分が出したあのズッキーニは世間一般的に見ても立派でたくましいものなのか、気になる。
だが、いくら仲のいい間柄であったとしても、急に「なあ、君のうんこのサイズはどれくらいだ? それは毎日出るか? 」なんて聞いてみろ。人間性を疑われ、変な顔をして見られるのがオチだ。
 …いや、まてよ。降谷君、降谷君は俺に毎日のように排便状況を確認しているではないか。そう考えると友人に排便状態を聞くのはそうおかしなことではないのかもしれな…いやいや、どう考えてもおかしいだろう。改めて思うが彼は一体どういうつもりで俺の排便事情を聞いてくるのだろう。
 そうして、赤井の夜は更けていった。明日の仕事の資料へ目を通しながら、考えることはあのズッキーニのことだけだ。

「では、各自持ち場についてください」
「はいっ! 」
 彼の号令一つで公安の皆が迅速に動くのは、いつ見ても圧巻だった。本当に降谷君はここの皆に慕われているようだ。
「…赤井? ぼうっと突っ立ってどうしたんですか? 」
まさかとは思いますけど持ち場がわからない、なんてふざけたことなんてぬかしませんよね? そう言って俺の目の前に来た彼は、俺よりほんの少しだけ低い所にあるブルーの瞳で俺を睨みつけた。
「まさか。分かっているさ」
「ならさっさと動いてください。もうそろそろアイツが空港に到着する時間ですよ」
「ああ、すまないな。――ついつい、君のことを考えていてぼうっとしてしまっていたよ」
 竹を割ったようにすっきりした性格の降谷君なら、毎日いい便が出るに違いない。赤井は、昨夜のズッキーニに思いを馳せながら降谷に返事をした。そして、いまから大切な作戦が始まることを思い返して、流石にぼうっとズッキーニのことを考えている場合ではないと持ち場に足を向けようと――。
「あ、赤井…俺のこと考えてたって」
 早く持ち場につけと言いに来た降谷君が、俺の移動を妨げるように右腕を握り締めてきた。

「君のことを考えていて」
 赤井は確かにそう言った。今から重要な作戦が始まると言う、どう考えても気を抜いてもいいタイミングではない今、俺のことを考えていたというのだ。赤井程の男が仕事を差し置いて俺のことを考えてしまう、とは…。
「一体、なんで俺のことなんて」
「ああ、いやすまない。特に大きな理由は無いんだが」
 大きな理由がないのに俺のことを考えていた。それは、俺の存在が赤井の中で「なんでもない時間に考えてしまう程」に大きくなっている証拠と言わずして何と言おうか。
「いえ、僕もそういう気持ちは分かります。でもまさか、赤井が僕のことをそういう風に考えてくれているとは予想外で」
「ああ、あのズッキーニが、あっ」
「ズッキーニ? 」
 俺の話から野菜の話になった。赤井の頭の中で今一体何が考えられているのだろうか。それはもしかして、俺の作った野菜が食べたいと、俺の手料理が食べたいということだろうか。
 うまく隠れているのか、赤井と付き合っているあの最低野郎の存在がいつまでたっても見つけられないとやきもきし、むしろそんな男を探す為に赤井との時間が短くなっている本末転倒感にイラついていたのだが、いつの間にか赤井と進展していたらしい。これが俗に言う、押してダメなら引いてみろというやつだろうか。
「あの、赤井、」
「降谷さんも赤井捜査官も早く持ち場についてくださいっ! 来ますよ! 」
「すまない! すまん、お喋りはまた今度にして持ち場にいこう降谷君っ」
「……ええ、お喋りはまた、僕の手料理を食べながら……」
「は? 」

「お邪魔するよ」
「どうぞ」
 あの日、何事もなく目的の人物を確保した俺は、その足で赤井を食事に誘った。手料理をふるまうとなると今日や明日という訳にはいかなかったが、俺は、きっちり一週間後の赤井の予定を確保することに成功した。それは、用意周到に犯人を確保する準備を進めていたあの作戦なんかよりよほど緊張する任務だった。
「…聞いてはいたが、見事なものだ」
 赤井がテーブルの上に並んだ料理を見て感嘆の声を上げた。それだけでも俺は心の中でガッツポーズを決めていた。もうこの際見つからない男のことなんて放っておいて、俺が直接赤井を落とせばいい。それだけの話だ。
 今日の料理は、赤井がこの前言っていたズッキーニをふんだんに使っている。ズッキーニのてんぷら、ズッキーニのグラタン、ズッキーニの炒め物、ラタトゥイユ…ズッキーニというとどうしても洋食ばかりになってしまって、本来俺が得意とする和食を作れなかったのは残念ではあるが仕方がない。和食はまた今度作ればいい。
 用意したワインは、この前赤井の家に行ったときに飲ませてもらったものから見ると少しだけランクが下がるが、あれ程のワインは手に入れる方が難しいということで赤井の家に呼んでもらったのだから、そればかりはどうしようもないだろう。しかし、少し辛めのこれは、今日のメニューを最高に引き立たせてくれる最高のものだ。あくまで今日のメインは食事なのだから、。
 食事が始まってからも、赤井は旨い旨いと言いながら次々に料理に手を伸ばしてくれ、どんどん酒も進んだ。赤井を口説こうと息巻いて作った料理だが、こうして気持ちよく幸せそうに食べている姿を見ると、口説くのは料理が終わってからでいいかと思わずほっこりしてしまう。
「ああ、君は本当に料理上手なんだな」
「ありがとうございます。そんなに旨そうに食べてくれたら僕も作り甲斐がありますよ。貴方の為に毎日でも作ってやりたいくらいだ」
「ははは、君も忙しいのにそこまでしてもらうわけにはいかないさ」

 食べきれないと思った程に沢山用意されていた料理がもうすぐ無くなると言った頃、赤井はようやく今日のメニューの全てにズッキーニが使われていたことに気付いた。ズッキーニ、食べている時に気付かなくて良かった。今の俺にとってズッキーニと言う言葉は、どうしてもブツと連想して考えてしまうからだ。
「いまさらだが、どうして今日はズッキーニづくしなんだ? 」
 沢山お裾分けでもされたのか? と俺が聞くと、降谷君は一瞬キョトンとした後で、少し顔を赤らめて小さく口を開いた。
「…貴方がこの前ズッキーニ、って言ってたので。好物なのかな、って」
 そう言ってモジモジしだした降谷君を見て、俺の口からは大きな笑い声が漏れた。なんとこの料理上手な男は、俺の好物ばかりを使った料理で俺をもてなそうとしてくれていたらしい。俺があの時呟いた「ズッキーニ」という言葉を、好物だと勘違いして。
「な、なにをそんなに笑うんですか…! 」
「ふふ、いや、すまない…だからズッキーニ…ふふっ」
「赤井! 」
 急に笑い出した俺に戸惑いながらも、どうも褒められているワケではないと察した彼が先程とは違った意味で顔を真っ赤にするのを見て、もう料理も食べ終わっているしズッキーニの本当の意味を教えてやってもいいだろうと口を開いた。(流石の俺も食事中に種明かしをするほど空気の読めない男ではない)
「ズッキーニは嫌いじゃないが、あの時その言葉を言ったのはな」
 ウンコのことを思い出していたんだ。そう言おうとした口を、俺は咄嗟に閉じた。流石に、食事中ではないにしろ、今の今まで振る舞ってもらい、旨い旨いと食べていたものに対して排泄物を思っていたというのもどうなのだろうか。
「あの言葉を使ったのは? 」
 期待に満ちた目で俺を見つめる降谷君を前にして、俺はもう一つ強くぎゅっと口を閉ざした。なんと、言えばいいものか――。

「あの言葉を使ったのは、あの…ずっと、君に相談していたことがあっただろう」
 なんとも言いにくそうに、そう言った赤井は今までの笑顔が嘘のように顔をうつむかせた。赤井が俺に相談していたことといえば、あの例の最低な男のことだけだ。赤井に自分で腸内洗浄をさせたと思ったら、それもさせずに酷く抱き赤井を傷つけてみたりする、あの、男のことだけだ。
「ズッキーニと、一体何の関係が…」
「いや、あの…そうだ、つかぬことを聞くが、君のはズッキーニより大きいか? 」
「俺のが、ズッキーニより…? 」
 それは、俺の俺、俺の息子…つまり俺のソレがズッキーニよりデカイかどうかということを聞かれているのだろうか。日本だけでなく、世界中で、古今東西ブツを野菜に例えるのはありふれた手段の一つであはる。だが、俺は、赤井がそんな俗物的な考えをすることに若干驚きを隠せなかった。
 俺のソレがズッキーニよりデカイか否か。正直に言って、分からない。赤井の思うズッキーニのサイズが分からないからだ。お前の思うズッキーニは、それは旬を迎えて大きく水々しく張りのあるものか、それとも時期外れの小さく控えめなものなのか。
 アメリカで売られているズッキーニの一般的なサイズも俺は知らない。一度だけ海外の友達に聞いたことがあるが、向こうのズッキーニと言うのは中に詰め物をして食べるような大きなものが多いらしい。それを考えたら、俺のソレはズッキーニよりは確実に小さ…控えめだろう。
 しかしながら、日本で一般的に売られているズッキーニなら…いや、日本のズッキーニだってサイズはSからLまで多様だ。そもそもズッキーニというものはキュウリと同じでほんの数時間収穫が遅れただけでみるみる大きくなっていてしまう野菜だ。直径十センチ、長さ四十センチなんてものもあれば、食べごろは長さ二十センチだなんて言われていることもある。
 …わからない。俺のソレが赤井の思うズッキーニより大きいかどうか、俺にはすぐに答えをだすことができない。
「…すまない、やはり、こんなこと聞くべきじゃなかったよな」
 忘れてくれ。そう言った赤井が何ともいえず切なく、寂しげで、俺は慌てて口を開く。
「俺のっ! ソレがズッキーニより大きいかどうかは置いておいて、どうして、そんなことを…」
「いやっ…いや、君に尋ねておいて、俺だけ言わないのもフェアじゃないな」
 そう言うと、赤井は何かを決心したかのように顔を上げた。その顔には、並々ならぬ決意が宿り、燃えるようなグリーンの瞳は真っ直ぐ俺を貫いているように見えた。
「実は、前、それくらいのが出たんだ。あまりに大きくて驚いてしまったのだが、一般的なサイズと言うものが分からなくて、ちょっと参考にしたくてね。こんなこと、君以外には聞けなくて、つい」

 前、それくらいのが出た。あまりに大きくて、驚いてしまった。
 俺は、赤井がさきほど言った言葉を脳内でもう一度繰り返し、噛み砕き、そして理解した。赤井のパートナーである最低男のソレは、赤井が驚くほどに大きく飛び出してくるらしい。
 なんてやつだ。俺は怒りで震えそうになった。そんなに大きなブツ…赤井のこの言い方だと、ヤツのズッキーニはアメリカンな特大サイズな物で間違いないだろう。そんな凶悪なモノを碌に慣らしもせず突っ込み、赤井を傷つける男…自分が思っていた以上に、最低だ、最悪だ。
 もうこの際赤井の気持ちなどを考えている場合ではない。無理やりにでも赤井を引き離さなければ、赤井がズタズタになってしまう。そんなのは、到底許されることではない。
「赤っ」
「で、どうなのだろう。君のは、ズッキーニよりも大きいか? それとも小さいか? 」
「…」
 小さい。ああそうだろう、きっと俺のソレは赤井の思うズッキーニよりも小さいに違いない。俺の名誉の為に言っておくが、決して俺のは小さい部類のモノではない。一般的な日本人サイズ。いや、日本人の中で言うと中の上、上の下くらいのサイズであるはずだ。
 だが、それはあくまで日本での話。俺の身体には日本人以外の血が流れているのは事実だが、俺は日本人なのだ。俺の愛する国、クールジャパン。日の丸、マウント富士…日本を愛し、日本に誇りを持っている俺のソレが日本サイズであることは、むしろ素晴らしいことなのだ。
 しかし、愛する男を前にして「俺のソレはズッキーニよりは小さいですね」なんて言ってみろ。「なんだ…そうなのか」なんてシュンとされでもしたらどうする。赤井を最低男から引き離すどころか、やはり俺は彼のズッキーニじゃないと満足できない、なんて思われたらどうする。余計に赤井とソイツを引き離す障害となってしまうではないか。
 考えろ、考えろ降谷零。お前の優秀な頭は、今この時、自分のズッキーニをどう説明すれば赤井に良い感じに伝わるか、それを考える為にあるのだ。
「ズッキーニよりは…その、ちょっとだけ小さいかもしれないですけど、俺のだって張りはあるし、その、それに…優しさだけは負けません! 」

 言いにくそうにそう言った降谷を見て、赤井は「ああ、やはり一般的にはズッキーニよりは小さいものなんだ」と、あの時水に流したズッキーニに思いを馳せた。しかし、降谷は最後に「優しさだけは負けません」と自信を持って言った。それはつまり、ズッキーニよりもサイズは小柄だが、一日に何度も出て、お腹に溜まることなく、肛門を傷つけることなくスルッとスムーズに排出できるということだろうか。
 なるほど、確かに今日振る舞われた食事を見ても、考えるまでもなく栄養豊富なものばかりだ。こんな食生活をしていたら、さぞかし排便もスムーズだろうし、俺のように便秘で苦しむということもないのだろう。
「…そうか、それは、いいな。はは、本当に君に毎日食事を作ってほしいくらいだよ」
 そう言った赤井は気付かなかった。先ほどまで死んだように濁っていた降谷の目にみるみる光が灯ったことに。




蒟蒻芋 ― コンニャクイモ ―

「えー、絶対嘘じゃん」
「マジで! 騙されたと思って食べてみてよ! 」
 平日の昼下がり、丁度昼休憩にでもなったのか、コンビニには若い女性の明るい声が響いた。目当ての煙草だけを買おうとレジに一直線に向かっていた赤井の前で楽しくお喋りをするその女性達の背中をすり抜けて店員に声を掛けようと口を開きかけた時、ピクリ、と赤井の動きが止まった。
「ほんとこれは良く効く! なにしても駄目だったけど、これ食べたらスッキリ出るようになったもん! 」
「ちょっ、アンタこんなところで大きい声で…」
「もー! ホントにオススメだから、買ってあげるから食べてみてよ! モノは試しだと思ってさ! ねっ! 」
 そう喋りながら女性が手に取ったソレを横目で確認すると、赤井はふらりとコンビニを一周し……その女性と同じものを手に取り、レジへ向かった。
「これと、いつもの煙草を一つ頼む」

 さて、赤井秀一だが、何度も言うがこの男はかなりの便秘症だ。数日に一回イチジク浣腸をすることでなんとか便を出すことができ、他の人が三日三晩苦しむ程強力な下剤なんかでは手も足もでないことは以前説明した通りだ。
 しかし、赤井だって薬や浣腸にばかり頼っているわけではない。自分なりに色々と努力をしているのだ。日本に来てからというもの、やたらとテレビや雑誌で「これでお通じが良くなりました! 」なんて特集が組まれている。赤井は、そういうものは逐一チェックしているのだ。
 ごぼう茶が良いと聞けばネットで取り寄せたし、ヨーグルトが良いと聞けば冷蔵庫の三分の一をヨーグルトで埋め尽くした。オリーブオイルをスプーン一杯、クソ不味いのを我慢しながら食べていた時もあったし、朝起きてすぐにキンキンに冷えた牛乳だって一気飲みしていた。
 だが、そんな民間療法は赤井秀一という男の前では手も足も出なかった。だからこそのイチジク浣腸であると言われればそれまでなのだが、赤井だって日々浣腸することは正直に言ってやめられるものならやめたいのだ。薬でもなんでもない、ただ何かを食べるだけでスムーズに便が出るというならそれに越したことは無い。
 そして、赤井は先程コンビニで買ってきた袋の中をガサガサと探った。煙草は買ってすぐにズボンのポケットに入れた。ついでに買ったコーヒーは帰ってくる道中に飲んだ。今この袋に入っているのは……蒟蒻で出来たゼリーただ一つだ。
 「ホントにこれはよく効く! 」と自信満々に叫んでいた女性の顔を思い出しながら、君のことを信じてみよう、と赤井は頭の中で呟いた。こんなものは所詮体質だ。医薬品でもないコレを食べて「便通が良くならなかった」、なんてクレームは言うつもりもないが、あの女性も言っていた通り、「モノは試し」だ。

「赤井、今日のランチ一緒にどうですか? 」
「ああ、すまない。今日はもう買ってきてしまったんだが」
「いえいえ、というか僕も持って来てたので丁度良かったです。向こうの休憩所で食べましょう」
「それなら」
 ちょっとロッカーからご飯取ってくるので先に行って場所取っててください、と言いながら駆けだした俺は、ロッカーに置いていたパンを二つ手にとって急いで赤井の元へ戻った。余談ながら、降谷のロッカーには赤井に何と言われてもいいように、賞味期限が長いパンが数個常備されている。この前、折角赤井が「君の作る飯が毎日食べたい」なんてプロポーズめいた言葉をかけてくれたというのに自分の手料理をアピールするチャンスを逃すのは惜しいが、それよりも赤井と喋る時間を確保する方がよほど有意義だろう。
「お待たせしました」
「いや、早かったな。丁度日当たりの良い席が開いていて良かったよ」
「本当だ。ありがとうございます。さっさと食べちゃいましょうか。飲み物だけでも何か買ってきましょうか? 」
「いや、大丈夫だ」
「そうですか」
 二人で一番窓際のテーブルに座ると、窓の無い会議室では感じることのできないポカポカした陽気が肌を温めて心地が良かった。暖房が効いているので相乗効果で若干暑いような気もしなくはないが、赤井がここを選んだのだから俺は特に文句もない。
「君、そんなパン二つで足りるのか? 」
「あー…今日はちょっと時間がなくて、コンビニで済ましちゃったんですよ。赤井こそ、それコンビニの袋じゃないですか」
「ああ、まあな。君と違って好んで自炊をするわけでもないから、すっかりコンビニの常連さ」
 ははは、と笑う赤井に、「それなら僕が貴方のランチを作ってきますよ」とでも言いたかったが、今俺の手にあるのは同じくコンビニのパンだ。しまった、やはりランチを捨てる覚悟を持ってでも何か作ってくるべきだったか、いや、だが食べ物を粗末にするのは俺の美学に反する…。
 ガサッと思い切り袋を開けて中のパンにかじりつくと、目の前で赤井がコンビニの袋から次々にモノを机に並べ出した。炭酸水、雑穀米のオニギリに、ゼリー…。
「なんだ? やっぱりそれだけじゃ足りないか? 」
 これも食べるといい、と差し出されそうになったオニギリを慌てて押し返しながら口を開く。
「いえいえ、そういうわけじゃないんですけど」
「…? 」
「いや、なんというか…どこぞのOLみたいなメニューだなって思って」
 そう、まさに、それなのだ。この屈強な男が食べるランチメニューとしては、あまりにも頼りなく、可愛らしいその料理の数々は、まるで常にダイエットをしている女性のようであまりにも意外だった。
たしか、ライの時は健康なんて言葉を知らないと言われた方が納得できるような食生活だったことは間違いない。酒と煙草があればいい、なんてどこかの安いフィクションにありそうな台詞を現実に言っている男がいることに衝撃を受けたことはよく覚えている。それに、この前まで赤井と一緒に食事に行っていた時には、こんなメニューをチョイスしていたわけでもなかった。どちらかと言うと肉食で、アメリカンらしく、とでも言えばいいのか、味の濃い、がっつりしたメニューを好んでいたように思う。
「もしかして、どこか具合が悪いんですか…? 」
「はは、いや、元気そのものさ」
「でもじゃあなんでそんなメニューなんですか? 」
 パキッと不器用に割った割り箸が手元の部分で大きく斜めに裂けたのを不満げに見つめた赤井が海藻サラダの蓋を開けながら優しく目もとを綻ばせた。――俺は、この顔を知っている。赤井がこの顔をする時は――。
「ふふ、実験中、とでも言っておこうか」
 憎き、あの男のことを考えている時だ。

 実験中。自分でもうまいこと言ったな、となぜだか誇らしくなって、俺は海藻サラダに箸を伸ばした。最初はこんな何の味もないようなものは気持ち悪いと思っていたが、食べ慣れるとこれはこれで悪くない。そう、今は実験中なのだ。色々な雑誌やテレビ、口コミでお腹に良いとされているものを片っ端から食べて、自分の体質に合うものを探っているのだ。
「実験…? 」
 少し変な顔をしながら俺の言った言葉の意味を考えている降谷君を見て思わずクスリと笑う。この男は、本当に表情が豊かになった。一緒に飯を食べるようになって、色々話すようになって…まあ、情けないことに俺の便通事情なんかについても相談に乗ってもらったりもしているわけだが、バーボンだった時のことを考えると、面白い程に色々な顔を見せてくれている。これは、俺に少しは心を開いてくれていると思っていいのだろうか。
「…赤井、何笑ってるんですか」
「ふふふ、いや、すまない。君が可愛らしくてな」
 クスクス笑う俺を、今度はじっとりと睨みつける彼にそんな軽口を飛ばすと、次はみるみるうちに彼の頬が真っ赤に染まっていった。
「実験、と言う程大したものではないのだが、オススメされたものを色々食べてみているんだ」
「おすすめ…」
「そう、例えばこのゼリー。これは、この前コンビニでとても良い、と聞いてな。それからずっと食べてみているんだ」
 君も一つ食べるか? そう差し出したゼリーは、先程のオニギリよりも物凄いスピードで押し返された。なんだ、そんなに遠慮することないのに。

 オススメされたものを食べているんだ、ということは、赤井があの最低男の味覚に合わせようとしているということだろう。そう考えると、差し出されたゼリーを受け取る気にはとてもじゃないがなれなかった。その男が旨いと思うものを自分も食べて、その男と一緒にいない時ですら男の存在を感じようとしている――ああ、やはり、赤井は今でもその男が好きなのか。
「俺の作った料理を食べたいって…」
「振る舞ってくれるなら俺はいつでも大歓迎さ、ただ、忙しい君はなかなかそんな時間もとれないだろうが」
「ハッ! 」
 そこまでその最低男を愛していると俺に言っておきながら、その舌が乾かない内に俺の手料理が食べたいと言う。ああ、なんて酷い男なんだろう。俺のことをどれだけ弄べばいいのだ。
「――降谷君? 」
「俺だって、…そんなに都合のいい男なわけじゃあないですよ」
 その最低男が埋めきらない寂しさを埋めるだけの男になんてなるつもりはないのだ、俺は、赤井の全てを俺で満たしたいのであって、二番目でいいから傍にいれたらいい、なんて馬鹿げたことを言うつもりはないのだ。
「なあ、赤井。俺はお前の本心がわからないよ」

 降谷君は一体何のことを言っているのだろう。赤井は、ここに来て降谷と自分の話がかみ合っていない可能性に思い至った。都合のいい男じゃない、と言うが、俺は降谷君を都合のいい男だなんて思ったこともなければ、都合よく振り回した覚えもない。むしろ、彼がコチラの都合よく動いてくれたらどれだけ楽だろう、と思う場面のほうがポンポン思い浮かぶくらいだ。
 では彼は一体何の話をしている。赤井は真剣に考えた、そして気付いた。自分と降谷が話す時、降谷は多くの時間を聞き役に徹していたことを、自分ばかりが話をしていたことを。
 人に話すには抵抗のある便通の話だって、なんだって彼にはした。彼がただ黙って、どんな話をしても真っ直ぐ話を聞いてくれるから、ついつい甘えて色々なことを話してしまったのだ。だが、彼の話というものを実はあまり聞いた事がない。まあ、職種的なこともあり彼がなんでも俺に話す、ということは難しいかもしれないが、それにしたって彼の話を聞いて無さすぎだ。
 じっと彼の顔を見ると、傷ついたかのように悲しみを宿した目がうつむいていた。これは、いけない。俺は決して、彼のことを傷つけたいわけではないのだ。日本でできた、大切な友人。こんなにも何でも喋ることができる、信頼できる相手はなかなか見つけることができない。だからこそ、失いたくない。俺にとって彼が大切な人であるように、彼にだって俺といると楽しいと思ってほしい。
「なあ、降谷君。俺達には、少しじっくりと話をする必要があると思うんだが…どうだろう」
「そう、ですね。この際だからはっきりしてしまいましょう」
 今日の夜、俺の家に来てください。彼のその言葉に俺は躊躇うことなく首を縦に振った。



林檎 ― リンゴ ―

「ねえ、あかい〜大丈夫ですか? 」
 ドンドン、とトイレのドアをけたたましく叩く男を、本当なら俺がこの手で殴り倒したい気分だった。なぜそれが実行できないのかというと、俺が今トイレから離れられない状態にあるからだ――つまりは、腹が痛いからだ。
 人生も、もう少しで四十年目にさしかかろうとしているこんな時に、まさかの初体験を…そう、俺が人生に於いて失う予定などなかったバックバージンとやらを喪失し、その上、今まであれだけ悩んでいた便秘が一気に解消されて下痢を経験するという二つの初体験を昨日の夜から今朝にかけての短時間で経験してしまったのだ。
 言うまでもなく、どちらも特に経験したいとは思っていなかった。特に前者においては経験したくはなかった。一生を知らないままで終えたかった。
「赤井? 本当に大丈夫ですか? 倒れたり」
「してないっ! 」
 ドアの向こうのこの男、昨夜俺がこの家に足を踏み入れたと思ったら、「俺じゃ、駄目ですか…」から始まり、ひたすら俺を口説きだした。当然最初は戸惑った。なぜなら、俺がこの部屋に来た目的は、降谷君とじっくり話合い、お互いが何か思い違いをしているようなことを解決し、そして、今後も良い友人関係を継続していく為だったのだから。
 玄関で後ろから俺を抱きしめたまま、泣いているのかとも思える程に弱々しい声で俺に愛を告げる彼に、俺は「ひとまず暖かい部屋に行こう。コーヒーでも淹れてくれないか」なんて言って、痛いくらいに抱きしめられていた拘束を解かせたのだが、その時に見た顔がやはり何ともいえず不安げで寂しげでギョッとしたものだ。
 それから、俺が頼んだ通りにコーヒーを淹れてくれた彼と俺は、ダイニングテーブルに向かい合って座った。大の大人が真面目な顔をして向き合って座っているのはなんだが面白い光景なような気もしたが、目の前で明らかに緊張して俺を見つめる彼にそんなことは言えるはずもなかった。

「俺は、貴方のことが好きなんです」
 俺がそう告げた時、赤井は何も言わずじっと黙って俺を見つめてきた。少し感情が高ぶりすぎてしまって、この部屋に入った瞬間赤井を抱きしめて色々言ってしまったが、きちんと俺の気持ちを伝えなくてはこの部屋に赤井を呼んだ意味がない。
「今まで散々殺すだなんだと言っていたのに調子がいいと思われるとは思いますが、俺は貴方が好きです。貴方といれば楽しいし、貴方がいないと物足りない。これからもずっと一緒にいたい…友人としてではなく、パートナーとして」
 俺のその言葉を聞くと、一瞬だけ赤井はゆらりと目を泳がせた。恐らく自分が恋人とのあれこれを相談していた俺にこんなことを言われるとは思っていなかったので、混乱しているのだろう。
「君の気持ちは、分かった」
「そう、ですか」
「…少し驚いたが、俺も今日この部屋に来たのは、君との間に生じている誤解を解いて、これからもずっと仲良くしたいと思ったからだ。君のことは、信頼しているし、大切な人だと思っている。俺も、君といれば楽しい。だが…なんにせよ、その、俺は友人としてしか君を見ていなくて…それに、」
「いいんです。分かってました」
 それに、俺にはもう愛する人がいるんだ。そんな言葉を赤井の口から聞くのが嫌で思わず言葉を途中で遮ってしまう。だがしかし、本当にそんなことは分かっていたんだ。赤井がいくら酷く扱われようと、傷つけられようと、それでも大切だと思える人がいるなんてことは、随分前から分かっていた。でも――。
「何度も諦めようと思いました。…でも、無理でした。俺のこの気持ちを伝えることで、貴方を困らせたいわけじゃない。貴方の気持ちを踏みにじりたいわけでもない。それでも、どうしても、諦めきれなかったんです」
「ふるやくん」
「陳腐な言葉ですけど、俺なら赤井を今よりもっと幸せにする自信があります。俺の傍にいたら退屈なんてさせる暇も与えません。俺は、貴方のことを誰よりも想い、大切にします――これだけは、伝えたくて」

 でも、この気持ちを伝えること自体がきっと貴方を困らせてしまうんでしょうけどね。なんて言いながら少しぬるくなったコーヒーを一口飲む降谷君を見て、俺はいままでの自分を後悔していた。散々彼には俺の情けないところを見せた。部屋のイチジク浣腸の山を見られるのを始めとして、浣腸している姿を直接見せてみたり(このことは未だになぜそんなことをしたのか思い出せない)、切れ痔になったことを彼のせいだと一方的に怒ってみたり、彼のウンコのサイズを聞きだしたことすらあった。本当に、心の底から申し訳ない。
 こんな俺のどこをどうして好意を持ってくれるようになったのかは本当に不明だが、好意を寄せる相手にシモの話ばかりされていた彼は一体どんな気持ちだったのだろう。俺だったら――そもそも自分のシモの話ばかりしている人間を好きになるとは思えないが、それが例えどれだけ好きな相手だったとしても、少し引いてしまうかもしれない。
 やはり、彼の気持ちをもっと前から真剣に、ちゃんと聞くべきだったのだ。
「君の気持ちは嬉しい。だが、少し考えさせてくれ」
「赤井…」
「君がそこまで俺のことを真剣に考えてくれているんだ。俺も、君のことを真剣に考えたい」
「…」
「少し、返事は待ってほし、…い……? 」
 ――おかしい。なんだ、急に身体が痺れてきて力が入りづらくなってきた。
思考はクリアなのだが、驚くほどにみるみる重くなる身体に、俺は力を振り絞って垂れた頭の目線だけを目の前の降谷に向けて、キッと睨みつけた。
「なにを、仕込んだ、」
「思ったより効きが悪かったですね。即効性のはずなんですけど」
「一体何故、」
「俺がこんなこと言っても、赤井の気持ちが動かないなんてことは百も承知なんです。お前の中で俺は、どうせアイツに勝てないんだ」
「アイ、ツ…? 」
「お前のことを碌に大切にもせず、傷つけるような最低な男のことなんて、俺が忘れさせてやりますよ」
「ち、ちょっと待て、一体なん、の」
「俺がどれだけ待ったと思っているんですか…もう、待てません」
「ふるっ」
「赤井、大切にします。全て俺に任せてください。貴方が経験したこと無いくらい、大切に愛して見せます。愛しているんです、赤井。他の男のところになんて帰したくない」
 そこまで言いきると、降谷君は力が入らず頭を上げるのですら必死な俺の傍まで寄ってきた。そして、俺は彼の右手に見慣れたモノがあることに気付く。
「そ、れ」
「これね。貴方はずっと一人でやっていたようですけど、俺はそんなことさせません。貴方にだけ辛い思いをさせるワケにはいかない。だから、綺麗に俺が全部やってあげますよ」
 ここまで来て、次に何をされるか分からないワケもない。彼は俺に、そのイチジク浣腸をブチ込もうとしようとしているのだ、そして、腸内を綺麗にしたら、彼のブツを俺のソコに――。
「嘘だろう」
「大切に、します」
 その台詞は、薬を盛って動きを封じた相手にだけは使わない方が良い。そうアドバイスをする前に、俺の唇は彼のそれで塞がれた。

「赤井、あの、怒ってます? 」
「逆に聞こう、なぜ俺が怒っていないと思った? 」
「すみませんでした」
 やってしまった。やってしまった、と言うにはあまりにも計画的な犯行であったことは否定しないが、――やってしまった。遂に、赤井を抱いてしまった。
 本当なら、ちゃんと気持ちを伝えて、恋人と別れさせて、俺が恋人という地位を手に入れて、何度かデートを重ねて、そして…と思っていたのだ。思っては、いたのだが、結果的にやってしまった。
 だって、言葉でいくら言ってもきっと赤井は今の最低男の元へ帰ってしまうと思ったのだ。恋人がいながら俺にプロポーズめいた言葉を伝えてきたくらいの男だ。それこそ、俺を二番目の男にする可能性だってあったに違いない。そう考えたら、もう身体に教え込むしかないと思った。真の意味で愛される喜びを知り、大切にされる心地良さを知れば、俺に振り向いてくれるかもしれない、そう思ったのだ。だが――。
「ぅう…っ、くそっ、もう一度トイレを借りるよ」
「ええ…ごゆっくり」
 チッと大きな舌打ちをしながら腹を抱えてトイレに向かう赤井の後姿を見て、俺はその後をついて行った。バタン、とトイレのドアを雑に閉めたのを確認して、俺はその閉められた扉にトンッと寄りかかった。
「赤井、つかぬことを聞きますが、毎回こんな感じなんですか? 」
「………」
「…赤井? 」
「…こんなことは初めてだよ」
 ドアの向こうから、くぐもった不機嫌そうな赤井の声が聞こえてきたとき、俺は苦しんでいる赤井にはとても見せられそうにない顔をしていた。口角が釣り上がるのが止められず、目元はだらしなく緩み――トイレの中の赤井には絶対に顔がみられないことが分かっていても、思わず両手で顔を覆ってその場にズルズルと座り込む。
 ――こんなことは、初めてだよ。
 赤井が言った言葉を頭の中でグルグルと考えると、つまり最低男は、赤井の中には自分を注いでいなかったということだ。それは――。
「俺が、赤井を一番奥まで犯したんだ――…」
 これじゃあどっちが最低男か分からないな、なんて思いつつも、愛する人の最深部まで初めて到達したのが自分であるという事実に少しくらい浮足立つのは許してほしいものだ。

「―――ぅ」
 ゴロゴロと腹が鳴り、一度浮かしかけた腰を再び便器に落ちつける。もう出すモノなど無いとは思うが、この肛門周辺の違和感に腹のゴロゴロ感はなんとも言えず不快で落ち着かない。
 百歩譲って、俺のことが好きだと、俺を世界で一番大切にすると熱烈に愛を告げたその直後にキスをするところまでは俺の寛大な心で許すことができる。しかし、その愛を告げた男に対して怪しげな薬を盛り、抵抗する力を奪い、ベッドに押し倒して中に出…ああ、もうあの時のことは忘れよう。
 一度は自分自身で降谷に浣腸の方法だなんだと言ってその姿を見せたことがあるからと言って、あんなに丁寧に浣腸液を入れられ、優しく腹をマッサージされることが恥ずかしくないわけがない。唯一の救いが、昨日自分で浣腸をしたばかりだったので、汚いものを彼に見せることがなかった、ということくらいだろうか。
 彼に優しくマッサージされたのも顔から火がでそうな程に恥ずかしかったが、その後に俗に言うお姫様抱っこで部屋まで運ばれ―――ああ、もう! 思い出させないでくれ! …そう、あの時は身体が痺れていたから感覚が麻痺していただけで、あんなところにあんなことをされたのに、嫌悪感どころか気持ちが良かった、なんてそんなまさか――。
「…」
 ゴロゴロとなる腹を抱えながら、俺はアメリカにいるあのドクターのことを思い出していた。あのドクターは元気だろうか。生まれたばかりの娘がいると言っていたが、もうその娘もそれなりに大きくなっているだろう。まだ父親のことを嫌わずに仲良くやってくれたらいいが――。俺は、次にあのドクターに会ったら必ずこう言ってやるんだ。「便秘に悩んでいる患者はいないかい? もしいたら、強力な薬を使わなくても、定期的にイチジク浣腸なんてしなくても、男のソレをケツの中にぶち込んでもらえば全て解決すると教えてやれ」と。

 さて、流石にそろそろ落ち着いたので、俺の可愛い可愛い尻を自分勝手に弄び、俺の初体験を二つも奪った男の元へ行こうではないか。赤井は、色んな意味で重い腰を便器から上げ、トイレのドアを開いた。
 そこには、俺をこんな目に合わせた元凶の男が何故かニヤニヤしながら立っており――。
「死ぬか? 」
「貴方を幸せにするまでは、死ねません。お腹の具合が良くなったのならとりあえず朝食でもとりましょう。林檎でも剥いてあげますよ」
 うさぎの形にしましょうね、なんてニヤける男に、キツイ一発を入れる権利が俺にはあると思うのだが、いかかだろう。
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