I have constipation. 1



無花果 ― イチジク ―

赤井秀一という男は昔から便秘症だ。子供の頃にお腹が痛いと緊急病院へ担ぎ込まれた挙げ句「便秘」だなんて言って深夜の病院で浣腸されることも何度もあった。
大人になるにつれそれはますます酷くなり、一週間に一度出ればいい方、そんな生活が当たり前になった。子供の頃は痛い痛いと泣いていた便秘だが、大人になると大したことはない。そもそも食べる量が人よりずっと少ないのだ。出なくても当然だろう。そんな風に開き直る程には赤井は便秘と長い付き合いになっていた。
ビュロウになり、スナイパーとして働くようになってからは、自分の便秘症は弱点ではなく、長所になった。どれだけ寒い日に外で長時間待機させられることがあったとしても便意の一つも感じない。それどころか、尿意も感じないのだ。最初は、万が一のことを考えてオムツなんてものを履いたりもしていたが、次第にそれもしなくなっていった。幼い時は随分と悩まされた自分のこの体質だが、これはこれで悪くはない、そう考えていた。
しかし、そんな赤井にいい顔をしなかったのはビュロウ専属のドクターだった。
ドクターは、「いつかとんでもないことになる。死因が便秘になりたくなければちゃんと排便をコントロールしろ」そう言って、俺に大量の下剤を処方した。ここはアメリカ。日本と違って薬も安くはない。しかし、「死因が便秘」という言葉はなかなかクルものがあった。流石に恥ずかしい。
そうして俺は下剤を飲みだした。しかし、出ない。最初に処方された薬ではまったく歯が立たず、次に出された薬も駄目、その次に出された薬も…。そうして、最後にはもはや錠剤ですらなくなり、液体状の薬を二十滴(普通は二滴でも充分効果は出るらしい)…なんてことをしても出なかった。受診の度に俺の便が出てないと聞くと、ドクターは真っ青な顔をして超音波で腹を診たり、レントゲンを撮ったり、真面目な顔をして腹に聴診器を当てたり、痛いくらいの力で腹をマッサージした。とにかく、ドクターは俺の便を出す為に必死だったのだ。
俺は、哀れに思った。この地球上に、俺のウンコについてここまで必死で考える男が存在することが申し訳ない気持ちだったのだ。この男にはおそらく妻も子もいるだろう。しかし、俺のウンコが出ない、それだけでまるで離婚届を突きつけられた男がするかのような深刻な顔をするのだ。この男は、俺のウンコについて考えることで、人生に於ける貴重な時間を消費しているのだ。そう考えると、本当にもう駄目だった。俺はこの男の為にもなんとしてでも定期的に便をださなければならない。そう考えるようになった。

そうして、ドクターと俺が頭を捻らせて考えた結果がイチジク浣腸だった。
浣腸をすると、さすがの俺もすぐに便が出るのだ。三日、最低でも四日間出なければ浣腸。そう言って、下剤の代わりに大量のイチジク浣腸を処方されるようになり、俺の家のトイレには「浣腸置き場」ができた。

ところ変わって、降谷は赤井に恋をしていた。さっきまで赤井のウンコの話をしていたと言うのにいきなり「降谷は恋をしている」なんて言われても混乱するかもしれないが、事実だから仕方がない。降谷は恋をしていたのだ。とんでもなく便秘症な赤井という男に。
降谷はゲイだった。そして、バリバリのタチだった。しかし、降谷は赤井が過去に女性と交際していたのを知っている、つまり、赤井がノーマルであることを知っていた。
だが、降谷はどうしても赤井が好きだった。赤井を抱きたかった。そんな下心をひたかくして、降谷は赤井と友人として距離を詰めていった。何度も食事に誘い、同じ時を共有する度に降谷は赤井のことを色々知った。好きな食べ物、嫌いな食べ物、子供の頃の話…そして、好みの女の話。赤井のことを知れば知るほど赤井はノーマルで、そして、家族に愛された男だった。いつか可愛い嫁をもらい、子供を授かり、赤井家の皆に囲まれて幸せに笑う子供を持つ父になる――そんな姿が似合う男だった。
しかし降谷は諦めきれない。赤井を手に入れたい。赤井を抱きたい。降谷の欲は収まることなく、日々大きくなっていった。
そんなとき、ひょんなことで降谷は赤井の部屋に呼ばれた。愛する男の家に行く。相手にそんなつもりがないことは分かっていても、期待するのが男だろう。
降谷は万が一…万が一のことを考えて色々と用意をして行った。万が一、赤井とそういう雰囲気になれたら…おそらく赤井はバックバージン。痛くないように、恥ずかしくないように、洗浄からほぐすところまで、できるだけ優しくしてやりたい。降谷はただ遊びに行くには随分と大きな鞄に、己の夢と野望をたっぷり入れて赤井の家のチャイムを鳴らしたのだった。

赤井の家は、どこもかしこも赤井の匂いがした。クラクラしそうになるのをこらえ、目の前で「いいワインが手に入った」と嬉しそうに笑う赤井を押し倒しそうになるのをこらえ、降谷はただただ笑って楽しい時を過ごした。
緊張していたのか、どんどんと酒が進んだ降谷はトイレに行きたくなった。普段は食事中にあまりトイレなどとは言わないし、ましてや初めて足を踏み入れた恋する男の家でトイレを借りるというのはどうにも格好がつかないが、生理現象には勝てはしない。赤井にトイレの場所を尋ね、降谷はいそいそとトイレに向かった。そして、降谷がトイレに入ってすぐ目に飛び込んできたのは、自分が持ってきたのとまったく同じイチジク浣腸の山だった――。
降谷は混乱した。なぜ赤井の家にこんなにも大量のイチジク浣腸があるのか、と。それはまさに、今リビングにおいてある自分の鞄の中に入っているもの(夢)とメーカーまでまったく同じものだった。降谷の尿意はいつの間にかどこかにいってしまい、訳もわからないまま、もしかしたら自分の鞄の中に入っている希望(ローション)までもがどこかにあるのではないかとトイレの中をゴソゴソと探し回った。しかし、どうにもトイレットペーパーや芳香剤等と言ったトイレにあって然るべきものは見つけられてもローションまではないようだった。降谷は呆然としながらイチジク浣腸を一つ手に取った。にぎにぎとそれを握ると、袋のビニールがガサガサと音をたてた。

赤井はゲイ――しかもネコだった?
いや、でも、赤井は確かにノーマルのはずで…。混乱した降谷は、結局ズボンのベルトを外すこともせず、用も足さないままトイレを後にした。――その手の中に、一つのイチジク浣腸を持って。

赤井はイチジク浣腸を持ってリビングに帰って来た降谷の姿を見て驚いた。これは…と戸惑いながらそれを差し出す降谷に、ここの家に客人が来ることなんてなかった為気にしていなかったが、それは客に見せるには相応しくないものであることに漸く思い至った。そして、それが便秘には無関係な一般人(?)には見慣れない、不思議なものであるのではないかと考えた。
「これは随分と恥ずかしいものを見せてしまったな」
「いや、これは…一体」
「ああ、よく使っているんだ」
「よく、使っているんですか? 」
「三、四日に一回は」
「そんなに!? 」
あまりにもオーバーリアクションな降谷を疑問に思った赤井は、降谷がこれを浣腸という便を出すものだとは知らないのではないかと考えた。頻繁に使うと言ってあんなに驚くくらいだ。何か危険な武器か何かだと思っているのかもしれない(確かに形だけ見たら爆発物に見え…なくも、ない? )。
「これは浣腸なんだ」
「浣腸…」
「ああ、汚い話だが、これを尻に入れ」
「誰に」
「ん? 」
「誰に…そんな」
「誰に? いつも自分でやるんだが」
「自分で!? 」

降谷は信じられなかった。あの赤井秀一ともあろう男が、抱かれる為の準備を自分一人ですると言うことが。
一体誰だ、そんな羨ましい野郎は。こんなにも極上の男が、自分に抱かれる為の準備を一人でする。自分に抱かれたいが為に、綺麗な身体で待っていてくれる…もはやそれは据え膳と言ってもいい。
しかし、降谷は今までそういう関係になった男で、自分で用意させておくのは俗に言うセフレだけだった。有り体に言えば「どうでもいい相手」にだけに、準備を自分ですることを求めてきた。逆に言うと、降谷が今まで愛したいと思った男とは、自分が一緒に準備を…そう、腸内洗浄からほぐすところまで、すべてを一緒にしてきた。それが本来受け入れるべき器官ではないところで自分を受け入れてくれる相手への誠意で、愛だと思っていたのだ。
しかし、さっき赤井はなんと言った? 自分で用意をしている、そう言ったか? 赤井にそんなことをさせる相手が誰かは知らないが、俺ならそいつよりも赤井を大切にしてみせる。俺なら赤井を誰よりも愛することができる。
ここの家に来るまでの降谷は赤井への恋心をひたすらに秘めていたが、トイレから帰って来てさっきの話を聞いた降谷は、もう恋心を隠す必要性を感じていなかった。
「赤井…俺ならもっと、上手くやってみせます」
「………ん? 」
「赤井がそんなことしなくても、俺が」

真剣な顔をしてそう言う降谷に、赤井の頭のなかはハテナでいっぱいになった。上手くやる? そんなことをしなくても?? つまり降谷はとてもいい強力な下剤か何かを知っているといことだろうか?
だが、赤井はイチジク浣腸にたどり着くまでにありとあらゆる下剤は試したのだ。普通の人なら三日三晩トイレから出られなくなる、なんていう下剤だって飲んだ(効かなかったが)。だと言うのに降谷は「もっと上手くできる」等と言うのだ。
そして考えた。降谷は日本の治安と平和を守る男。どこぞの組織が開発した、法外な下剤くらい入手できるのかもしれない(それほど強力な下剤をつくる組織があるかどうかは疑問だが)。しかし、赤井も自分の身がかわいい。いくら降谷に言われようと、そんな怪しげな薬を使うよりは、今のイチジク浣腸で充分定期的な排便ができているのだ。わざわざ危険な橋は渡りたくない。
「君の申し出はありがたいが、俺はこのままで充分だよ」
「そんな…もっと自分を大切にしてください」
「大切にしているさ。だからこそ自分でするんだ」
「そんなに…」
「ん? 」
「そこまでするほど、いいんですか…」
なぜか泣きそうに歯を食い縛る降谷を見て赤井は焦った。この男がこんなに不安げに眉をひそめるのなんて初めて見た。彼がバーボンだったときから、彼はいつも自信家で堂々としていた。なのに、こんな顔をするなんて。
赤井はひたすらに焦った。彼がこんな顔をするなんてただゴトではない、何とかしなければ。そう考えた結果、赤井の口から飛び出した言葉は――。
「なにも心配することはない。不安なら、やってるところを見てみるか? 」
ちなみに、この日赤井は既にワインをボトル半分は飲んでいた。

降谷は、レンジでイチジク浣腸を温めだした赤井を呆然と見ていた。自分で用意をしてまでも抱かれたい男がいると言ったと思ったら、その準備の様子を俺に見せるとは一体この男は何を考えているのだ、と。
ピー、と間抜けな音が鳴って赤井がレンジをあけると、そこには人肌に温まったイチジク浣腸がお行儀よく赤井の尻に入る準備を万端にして待っていた。…いや、それを温めていたのだからレンジを開けたら入っているのは当たり前だが…なんて、よく分からないことを考えている間に、赤井は慣れた手つきでそれを取り出して、スタスタとトイレに向かって歩いていった。
降谷は置いていかれないように赤井のあとを追いかけた。と言っても、たかだかマンションの一室。置いていかれるもなにもないのだが、降谷は赤井がどこに向かっているのか分からず、本気で置いていかれると思ったのだ。
必死で足を動かしてついたのは、先程自分が入っていたトイレだった。そこで赤井は、「こうして使うんだ」なんて言いながら、目にも止まらぬ早さでズボンを下ろし、便器に着席した。
シャツで隠れた股間が見えそうで見えずになんともセクシー。そんなことを思う暇もなかった。

赤井は便器に座ると、いつもの手順で浣腸のビニールを開け、少し浣腸液をトイレの中に流し入れたあとで「よく見ていてくれよ」とそれを自分の尻に突っ込んだ。降谷は見つけきれなかったようだが、芳香剤の上にはスプレータイプの潤滑剤が入っている。粘膜から吸収するタイプの痛み止の効果もあるそれを浣腸の先にシュシュっとスプレーをすると、それは何の抵抗もなくスムーズに赤井の奥へと入っていった。
この時の赤井は、浣腸の安全性を降谷にプレゼンすることで頭が一杯だった。降谷は浣腸というのが危険なものだと認識しており、それを俺にやめさせたいらしい。だが、この浣腸はあのドクターが俺のウンコの為に何日も何日も頭を悩ませた結果たどり着いたものなのだ。それを「はいそうですか」と簡単にやめるわけにはいかない。自分が浣腸をし続けることが、自分ができるあの人のいいドクターへの唯一の恩返しなのだ。

見せつけるように浣腸液を尻の中に絞り出した赤井の、なんとも穏やかな顔に降谷は驚くほどになんの色気も感じなかった。抱きたいと思っていた男が目の前で腸内洗浄をしているという最高のプレイのはずなのだが、降谷にはもはやこれは医療行為にしか見えなかったのだ。そして降谷は考えた。赤井は、何度も一人ぼっちで自分でこれをしている内に、自分で自分の腸内洗浄をしなければならないという悲しい現実に対して、感情を圧し殺して耐える術を身につけてしまったのだ、と。
本来、愛する人と繋がるために行うはずのこの行為をここまで無感情に、淡々としなければならなくなった赤井のなんと哀れなことか。そして、赤井にそんなことをさせる相手のなんと腹立たしいことか。
目の前で赤井が、少し前にやったばかりだから上手く出ないが、いつもはもっと上手くできるんだ、なんて焦ったように言っているが、もはや降谷は目から涙が溢れそうになるのを抑えるのに必死だった。なぜコイツは上手く腸内洗浄ができないことを俺に対してこんなにも言い訳がましく説明してくるのだろう。きっと、過去にうまくそれができなくて、酷く責められたことでもあるのだろう。はらはらと降谷の瞳からは涙が溢れ続けた。
ああ、赤井、なんてかわいそうなおとこ。

赤井は焦った。昨日浣腸をしたばかりで上手くウンコが出ないせいで、降谷が泣いている。どうしたことか。しかし、赤井がどう頑張ってもいまはウンコが出せない。なぜなら昨日出したからだ。しかし降谷が泣いている。赤井の尻からは先程中に注入した浣腸液のみしか出てこないというのに、降谷の瞳からは止まることなく涙が出続けているのだ。
赤井は絶望した。この世界で、自分のウンコについて悩む哀れな男はあのドクターくらいなものだと思っていたのに、目の前にいる降谷にまで自分のウンコのことで頭を悩ませ、しかも泣かせてしまっていることに絶望した。
赤井はトイレに座り尻を丸出しにしたまま、トイレのドアにもたれ掛かってハラハラと泣く降谷をただただ見上げた。ああ、俺は彼の涙をぬぐいに行くことすらできないのか、と。
ふるやくん、赤井が消えるように呟いたその名前は、本人に聞こえたかどうか分からない。相変わらずはらはらと涙を流し続ける降谷に、赤井は辛抱たまらず急いでトイレットペーパーで尻を拭き、ズボンを上げた。そして、降谷のもとへ…駆けつける前に、エチケットとして水で手を清め、タオルでしっかりと水分をぬぐってから降谷の肩にポンと手をおいた。
「俺は大丈夫だから、ああ、そんなに泣かないでくれ。君に泣かれたらどうしていいかわからないよ」
「赤井、赤井」
「ああ、なんだい降谷君。一体俺はどうしたらいいんだ…」

目の前でオロオロする赤井を前に、降谷の口はなかなか開かなかった。なぜなら「そんなやつは止めて俺にしろ」なんて、赤井の想いを無視した言葉を言ってしまいそうになったからだ。
赤井が欲しい、抱きたい。しかし、赤井の覚悟と想いを無視したいわけではなのだ。それが例え、自分以外に向けられる恋慕だったとしても。
「赤井は、いま、幸せですか…」
降谷は声を絞って尋ねた。すると、赤井は一瞬キョトンとした顔をしたあと、ふわりと、それはそれは幸せそうな顔をして――。

赤井は考えた。思いがけない質問に少し驚きはしたが、この地球上に自分の健康のことを考えてここまで真剣になってくれる男が少なくとも二人いるということは、おそらくとんでもなく幸せなのだろう、と。自分ですら自分の健康についてなどあまり考えはしないのに、今目の前にいる降谷君なんて、こうして涙を流して自分を心配してくれているのだ。これを幸せと言わずなんと言うのだろう。
「――――ああ、幸せだよ。とても。」

降谷は負けを認めざるを得なかった。赤井秀一という男にこんな顔をさせられる男に、敵うわけがない。そう考えるには充分すぎるほどに穏やかな顔をした赤井を前に「俺にしておけ」なんて言っても関係を壊すだけで何も生まれないことは明白。
だが、降谷は諦めたわけではなかった。やはり、赤井をこのような扱う男には、赤井を任せてはおけない。今は無理でも、いずれ必ず奪ってみせる。そう決意した降谷の涙はいつの間にか止まっていた。
「すみません赤井。俺の前でこんなことをさせてしまって。」
「いや、分かってくれたならいいんだ」
「仕切り直しましょう。美味しいワイン、まだ残っているんでしょう?」
「ああ、勿論。そうだ、そういえばゴボウのサラダも買っていたんだ。繊維質でお腹にいいだろう? それも食べよう」
「はは、赤井が健康に気を使うなんて、なんだか不思議ですね」
「酒と煙草はやめられないが、それくらいは、な」
そう言って、二人は笑い合った。お互いにとんでもない勘違いをしていると気づく日は――しばらくやってこない。




赤茄子 ― トマト ―

もぞり、と赤井は捜査会議中に身じろぎした。質素な室内に並べられた安いパイプ椅子がギシリと音を立てたが、幸いこちらを振り向くような相手はいなかった。皆が揃って前方に映し出された事件の概要をまとめたパワーポイントに目を向けていて、強いて言うと隣に座っていたジョディが集中しろと言わんばかりの顔で俺のことを睨みつけてきたくらいだろうか。
集中、俺だってしたいさ。この犯人は俺が例の組織に潜入するより前から追っている事件のキーマンとなる男なのだ。折角できた日本警察とのパイプを最大限に有効活用して、ようやくヤツの手がかりが見つかったのだ。このチャンス、逃したくはない。
しかしながら、俺がこの会議に集中できないのにはのっぴきならない事情があるのだ。それは何かと言うと、簡単に言うと痛いのだ。俺の尻が。

話は一月ほど前に遡る。俺が、自分の家に降谷君を招いて年代物のワインでもてなしたあの日のことだ。
あの日、俺のミスでトイレに置いていたイチジク浣腸を彼に見られてしまい、それはもう心配された。日本ではイチジク浣腸になにか重篤な副作用でも報告されていて、使用を禁止されているのかと思う程の勢いで俺に詰め寄ってきた彼は、終始俺に何かを訴えるような目をしながら、納得がいかない、という顔をして帰っていった。
そして、その翌日からというもの、彼は無性に…いや、異常と言ってもいいだろう。俺の便通具合について気にしだしたのだ。
「昨日も浣腸したんですか? 」
「お尻はどうもないんですか? 体調は? 」
「え! 一昨日も浣腸言ってたのに昨日も!? ちょっと頻度が多すぎません? 」
俺の主治医も驚きという具合に俺の便通事情(浣腸事情? )について根掘り葉掘り聞いてくる彼に、俺は若干引いた。最初は純粋に心配してくれているのだろうと思っていたが、今となってはもはや彼が何をしたいのか分からない。俺の排便コントロールをこんなにも気にするなんて、母国のあのドクターが送り込んだNOCなのではないかとすら疑った程だ。
そして、その彼のしつこいまでの追及に疲れた俺は、結果的に浣腸をするのを一時的にやめた。浣腸をすることで彼が異常なまでに詰め寄ってくるというなら、いっそやらないでおいてやろう。浣腸さえしなければ彼はきっと満足するのだろう。もはやヤケクソとも言える気持ちだった。
案の定、彼は俺が浣腸しなかったと言った日は、ホッとしたような、安心したような嬉しそうな顔をした。
「…そうですか、昨日はしなかったんですね…」
そう言ってふわりと笑う彼に、俺はやはり日本ではそんなにも浣腸というものが危険視されていたのだと驚いたものだった。
そうして、俺が浣腸をしなくなって四日目。どうにも彼の様子がおかしくなった。
「今まであんなに毎日のようにしてたのに大丈夫なんですか? 」
「なにかあったんですか? 」
そう言っては、たよりなく眉をへの字に垂らして俺を問いただしてきた。浣腸をしたらしたで不満そうにするくせに、しなかったらしなかったでこうして心配するとは、一体彼が何をしたいのか分からなかった。
「君がするのをやめろと言ったのだろう」
意図の分からない彼の行動に振り回されるのが嫌で、少しムッとしながらそう言い返すと、彼は絶望と喜びが混じったような、何とも言えない顔をした。そして――。
「僕の、せいで、最近していないんですか…? 」
と、俺に聞こえるか聞こえないかと言う程の声量でぼそりと呟いたが、俺は彼のその呟きを無視した。

そうして、浣腸をしなくなって一週間と少したった頃、久しぶりに俺はもよおした。浣腸をしない代わりに、一応一番強いと言われている薬は飲み続けていたのでそのおかげだろう。一週間以上出てないとはいえ、浣腸をする前まではこれが普通の生活だったのだ。長い時は十日に一回、なんてこともあったくらいなので、一週間でもよおすというのは調子がいい方だった。だから俺は、何の感慨もなくトイレへ向かった。
―――そして、そこで事件が起こった。
一週間ぶりのそれは、今まで経験したことがないくらい硬かったのだ。それはもう、野球ボールか何かが俺の腸に入っているのではないかと思う程だった。ぐっ、といきんでも、出てこない。そう、だって俺の中には野球ボールが入っているのだから、物理的にあんなにも小さな穴をそんなにも硬くて大きいものが通り抜けられるわけがないのだ。
しかしながら、便秘症の俺にだって…いや、そんな俺だからこそ分かることがあった。それは、一度来た便意を逃すと、大変なことになる、と言うことだ。
次のチャンスはまた一週間後かもしれないし、もしかしたらもっと先かもしれない。それまでこのブツを身体に溜めておくと言うことは、それなりに腹が重くなるということだし、勿論健康にだっていいはずがない。だからこそ、俺はいまここでこの野球ボールと決着をつけなければならないのだ。
そうして、赤井とブツの戦いがカァンとゴングを鳴らして始まった。赤井は、日本の文明の利器、ウォッシュレットなるものを最大の出力で肛門にあててみたり(ドクターが言っていた、ここを刺激すると出やすくなるのだと)、身体を捻じって腸が動くように体操をしてみたり、腹をのの字にマッサージしたりして、ひたすらにそれを出す為にあらゆることをやった。
そして、赤井は勝利した。一人、トイレの中でブツに立ち向かっていた時間は、永遠とも思えるほどに長く、孤独だったが、赤井は勝利した。…しかし、この勝利は無傷では手に入れることができなかった。大きすぎるとも言えない代償を、赤井に深い爪跡を残したのだ―――切れ痔という、大きな傷を。

そんなこんなで赤井は生まれて初めて肛門から真っ赤な血を噴き出すという経験をした。確かにブツが飛び出た瞬間ピリッとした痛みが走ったとは思ったが、その後にトイレットペーパーについた大量の血を見てまさかここまでとはとギョッとしたものだ。
赤井の傷は思ったよりも、深く、そしてデリケートだった。少しの時間椅子に座っているだけでもそこはジクジクと痛みを訴え、血は流れていないはずなのに、まるでそこがパックリと開いて血を垂れ流しているかのような錯覚すらしてしまいそうだった。
毎日のシャワーでも、そこを洗う時はピリピリと一際大きな痛みが走った。そして、少しでも乱暴に扱うと、また血を噴き出すのだ。思春期の自分ですらこんなにも繊細じゃなかったぞ、なんて意味の分からないことを考えてしまう程には、その傷は赤井を悩ませた。
だからこそ、どれだけ大切な会議をしていても、今の様に長時間座っていると言うことが、今の赤井にはどうしても辛いことだった。赤井は、会議の資料に目を通すふりをして、部屋の前でこちらを向いて座っている金髪の男をこっそりと睨みつける。彼が余計なことを言わなければ、俺のケツの穴は今も元気なままだったに違いないのに、と。

長い会議が終わった。俺はようやく動けると、そっと椅子から立ち上がりぐぐっと伸びをした。全身に血が行きわたり、俺の繊細な尻にもジワリと温かな血流を感じて、一刻も早く傷が治ることを祈る。おお、可愛い可愛い俺の尻よ、たっぷり栄養を与えてやるから早く元通りの控えめなお前に戻っておくれ。
そんなことを考えながら会議室を出ようとすると――。
「あかい」
前から小走りで、この傷の元凶――もとい、降谷君がこちらにやってきて、俺を呼びとめた。その顔は、先程までの会議中の険しいものとは大違いの、ふにゃりと情けない顔をしていた。
「赤井、こちらを見ていましたが、何かありました? なんだが具合も良くなさそうですが…」
熱でもあるんですか? なんて言いながら、俺の額に手を伸ばしてくる彼の手を、一歩下がることで回避する。心配してくれるのはありがたいが、やはり、彼が余計なことを言わなければ、こんな傷を負わずにすんだかもしれないと思うと少しくらい八つ当たりしたい気持ちになっても仕方がないだろう。
「大丈夫だ」
「でも…なんだか様子がおかしいですよ…? 」
なかなか引き下がらない彼に、誰も気付かなかった俺のこの違和感に気付くことは流石探り屋だなと感心すると同時に、もしかすると、そこまで心配してくれているのだからちゃんともよおして便を出したことを言っておくべきかな? なんてことが頭によぎった。
「あか」
「すまない、本当になんでもないんだ。ただ、久しぶりにあれが出たんだ」
「でた? 」
「君が気にしていてくれていたあれさ」
そこまで言って、俺は初めてキョロキョロと周りを伺う。流石に、誰が聞いているか分からないこの場で大きな声で自分が浣腸をして便を出しているなんてことを言うには恥ずかしい。
周りに誰もいないのを確認すると、俺はまた彼に向き合って、そして、彼の顔に口を寄せて、できるだけ小さな声で彼にこう言った。
「今度は、浣腸をしないでもできたんだ」
「……え? 浣腸、せずに? 」
「ああ。…だが、恥ずかしい話、久しぶりだったもので少し切れてしまってな、ソレがどうにも気持ち悪くて」
「き、え、…切れた!? 」
折角俺がコソコソと話していたのに、急にヒートアップした彼に驚きながらも、俺は話を続ける。
「ああ、まあ、傷自体は大したことないんだろうが、こんなこと初めての経験だったからどうにも違和感がな」
「あ、当たり前ですよ! というか、そんな、そんな、酷かったんですか? 」
「ああ。昔はそれが当たり前だったんだが、今回は一際凄かったよ。おかげで苦労した」
「昔は…当たり前…」
「でも今はもう上手く付き合っているから、今度からはやっぱりちゃんと浣腸も使っ」
「あ、当たり前ですよ! 使わないとそんな…色んなリスクもあるし、病気だって」
「そうだな。ついついカッとなって何も考えずにそんなことをしてしまったけど、やはり感情に身を任せてもいいことなんてなにもないな」
そこまで話すと、部屋の外からジェイムズが俺を呼ぶ声が聞こえた。一応彼にもこうなった経緯も説明できたし、もうここには用はない。俺は、彼に一声かけて廊下に向かって歩き出した。

部屋の扉を出た時に、日本で売っている薬で、傷に良く効くものでも聞いておけばよかったな、なんて呑気に考えている俺はまだ知らない。
俺が最低の男に乱暴に抱かれた、なんて勘違いした彼が、存在すらしない俺の男を探すべく包囲網を巡らせる計画をしていることを―――。


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