光に手を伸ばす
降谷は昔から人のモノがどうしようもなく魅力的に見える気性だった。
幼い頃、近所のお兄さんがもつミニカーが欲しくて欲しくて仕方がない時があった。羨ましい、格好いい、俺も欲しい。毎日のようにミニカーを見に行く俺に、優しいお兄さんはある日それを俺にくれた。しかし、俺のモノになった途端、急にそのミニカーに魅力がなくなってしまったのだ。そこで俺は唐突に理解した。俺は お兄さんの ミニカーが欲しかったのだ、と。
「今度はいつきてくれるの?」
「今度?もうこれっきりでしょう」
「っ!な、に…え?透くん、どういう」
「言った通りですよ」
「待って、やだ、やだっ!透くんッ!!」
旦那を捨ててきたのよ!もう帰れないわ!そう叫ぶ女の声を後ろに聞きながら、趣味の悪い安っぽい部屋の扉を閉めた。ああ、つい数時間前まではあんなに素敵な女性だったのにーー本当に残念だ。
ホテルを出て家に帰るべく足を進めると、俺の車に黒い服を着た男が寄りかかって立っているのに気付いた。
「おや、こんなところでどうしてんですか」
「まだこんなことをしているのか」
「貴方にどうこう言われる筋合いはありませんね」
「悪趣味だ。理解できんな」
「こんなところまで説教しに来たんですか?随分暇なんですね」
チッと大きな舌打ちが聞こえたと思うと、黒い男はーー赤井は歩いて何処かへ去っていった。俺はそれを見送ることもせず車のドアに手をかけると、そこにはほんのり赤井の体温が残っていた。
ばたん、とドアを閉めて運転席に乗り込むと、頭をゆっくりとハンドルに押し付けて下を向いた。
あの男も、手に入れてしまったら一気に面白味がなくなってしまうのだろうか。
家族に愛されて育ち、皆に慕われて、皆が頼りにするあの男がどうしても欲しい。アイツの全てを手に入れて、俺のモノにしたい。欲しい。だけど、こんなにも輝いて見えるアイツの光を無くしてしまうのは嫌だ。アイツは綺麗な存在でなければならない、アイツは眩しい男でなければならない、アイツの輝きを奪うことは許されることではない。
「…クソ…っ」
アイツが欲しい。だが、欲しくない。お願いだから俺のモノにならないで。俺を軽蔑したままでいてーー。
空を仰いでも、星1つ見えない曇り空だった。俺の願いを叶えてくれる星はないようだ。
それからも俺の悪癖とも言えるそれは直ることなく、相変わらず人のモノが輝いて見えた。
ある時、俺は日本に来ているFBIの女性が婚約したことを知った。捜査会議の堅苦しい部屋でワッと明るい声が聞こえたと思ったら、同僚に囲まれて、恥ずかしそうに婚約指輪をかかげる彼女がいたのだ。
幸せそうなその女の顔を見たとき、ああ、次はあの女だな。と俺は思った。そしてその途端に、彼女の回りがキラキラと輝いて見えて、彼女が欲しくて欲しくてたまらなくなった。
「ご婚約されたんですって?」
「Mr.フルヤ!やだ、貴方まで知ってるの?」
「あれだけ騒いでいたらね」
「Oh…」
申し訳なさそうにへにゃりと眉を垂れさせた彼女は、ポッと頬を赤く染めて困ったように、それでいてとびきり幸せそうに笑った。
ああ、これはいけない。
「お相手は日本の方で?」
「アメリカンよ。以前から付き合ってはいたのだけど、彼、私に会いたいからってわざわざ日本まで来てくれて」
「へぇ!それでプロポーズですか!…愛ですね」
「ふふ」
「おめでとうございます」
「ありがとう」
婚約したからって仕事の手は抜かないから心配しないで!なんて言う彼女に、頼りにしてますよ、なんて言いながらその場を離れた。
ああ、どうして人のモノというのはあんなにも幸せそうで、あんなにも旨そうなのだろうか。
彼女と別れて部屋を出ると、ふと、ここでは嗅ぐはずのない匂いが鼻をくすぐった。
「…ここは全館禁煙ですが」
「次はエマか?」
禁煙だと言うのに堂々と壁にもたれ掛かりながら煙を吐いた赤井から出た名前にコテンと首を傾げそうになって、彼女の名がエマと言うことに気付いた。
携帯灰皿に煙草を捨てた赤井は、そんな俺を見て今度はハァと大きなため息を吐いて腕を組んで壁に寄りかかった。
「…名前も知らないとは、呆れる」
「この前から何なんですか」
「…」
「チッ…大した用がないならもう行きますよ。それなりに忙しいので」
呆れる?こんな俺が卑しいか?汚らわしいか?俺を軽蔑するか??ならもう俺に近付かないでくれ!
何も言わずに俺を見つめる赤井から目を反らし、手に持っていた資料を抱え直した。このままここにいたら気が狂いそうだ。
赤井の前を通り過ぎようと足を進めるとーー。
ドン!
気付いたら、さっきまで赤井が寄り掛かっていた壁には俺が押さえつけられ、今までとは比べ物にならないほど近い距離に赤井の顔があった。
バラバラと手から落ちた資料が足元に広がったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
「な、にを」
「君は一体なにがしたいんだ」
「…貴方には関係ないでしょう」
「関係ない?ほぉー、そうか」
「離してくだ」
「なら言い方を変えよう。ーー君が欲しいものはなんだ」
ほしいもの
そんなの、目の前のこの男に決まっている。吸い込まれそうなグリーンの瞳で俺を見つめるこの男。筋肉質なゴツゴツした男らしい腕で俺を押さえつけるこの男。
赤井秀一だ。
「…貴方が、欲しい」
「ほぉ」
「でも、欲しくない」
「…」
「手に入れてしまったら、終わってしまう…」
そう、俺が赤井を手に入れたとしても、それはただの終わりの合図だ。
俺はこの赤井秀一という男の輝きを失わせたくはないのだ。
「終わる?」
「ええ、だから」
「君は少々俺のことを見くびっているようだ」
「は」
次の瞬間、俺の唇には赤井の熱いそれが重なっていた。いや、重なっていた、なんて生易しいものではない。まるで補食されているかのようなそれは、俺の思考と呼吸を奪った。
「俺の終わりを勝手に決めないでくれるかな?俺は誰にどうされても変わらない。それに、」
「それ、に?」
「誰が誰を手に入れるって?」
俺が君を手に入れるの間違いだろう。
そう言ってニヤリと笑う男を、俺は一生手に入れることができないだろう。
2018.9.7