逆転オメガバース 3



 スコッチの死からしばらくして、ライも死んだとベルモットから聞かされたときは思わず腹を抱えて笑った。そんな俺を怪訝そうな顔をして見ていたベルモットの間抜け顔がまた笑えたのだが、それ以上笑ったらベルモットに何を言われるか分かったものではないので、生理的に溢れてきた涙をぬぐって姿勢を正した。
「嘘でしょう、あの男が死んだなんて」
「貴方がどう思おうと、あの男は死んだわ。キールが殺ったのよ」
「へぇ、なんでしたっけ、FBI、でしたか」
「ええ。信じられないって言うなら、ジンが証拠の映像を持っているそうだから見せてもらうのね」
「是非そうさせていただきましょう」
 ライが…赤井秀一が死んだなんて到底信じられそうにはない。だって、俺の中にあるどうしようもない熱が今こうしてベルモットと話をしている時ですら冷める様子がないのだ。これが、赤井の生きているという一番の証拠だろう。
 後日、ジンからデータを送ってもらい赤井が脳天を撃たれて死ぬ映像もしっかりと見たが、それはまるで良くできた観劇のようだった。ライが死に、車が燃えている真っ赤な炎が画面に映し出された時、椅子から立ち上がって大きな拍手を送りそうになったほどだ。
 赤井秀一、お前のようなやつがこんな所で死ぬわけがない。俺以外に、殺されていいはずがない。

 そして、次に俺が赤井の存在を確認したのは、アイツが訳のわからない大学院生に擬態している時だった。
 沖矢昴の存在を見つけ出した時、俺は震えた。赤井程の男がただの頭が良いだけのつまらない男になんてなれるわけがないのだ。あらゆる手段で沖矢昴の化けの皮を剥がしてやろうと策を練ったが、流石に簡単には尻尾を掴ませてはくれなかった。しかし、俺には確信があった。
 なぜなら、沖矢昴と対峙したころから、俺のヒートが酷くなったからだ。抑制剤の量はスコッチがまだ生きていた頃と比べて倍以上になっていた。抑制剤の副作用で丸一日ベッドの上、なんて日もあったくらいだ。それでも、数か月に一度、とんでもなく熱いヒートが起こった。
 ヒートが起こると、とにかく身体中がソワソワして落ち着かなかった。部屋の衣装ケースやクローゼットを根こそぎひっくり返してベッドに自分の服を積み重ねたこともあったが、求めているのはこれじゃないと本能が叫んだ。
 そんな時、俺は決まって工藤邸の前へ車を走らせた。勿論、ただ家の前にいるだけでは赤井の匂いが分かるわけでもないし、そう簡単に赤井がボロを出すとも考えていなかったが、少しでも赤井の傍にいたいと思ったのだ。
 抑制剤をラムネ菓子のようにぼりぼりと口に放りこみ、震える身体を自分の両の腕で抱きしめて運転席でただヒートが収まるまで耐えた。運転席の窓にゴン、と頭をぶつけてそのまま扉に寄りかかっては、赤井がいるであろう工藤邸の方を眺めた。
 ―――欲しい。
 ヒート中の俺は、もはやそれしか考えられなかった。あの男の全てが欲しい。俺から友を奪い、俺が欲しくて欲しくて堪らないモノを持っている赤井から、全てのモノを奪い、俺だけのモノにしたかった。ただ、俺の卑しい身体はヒートの度に、赤井を想う度にだらしなく尻を湿らせるが、俺が赤井に種を注いでもらうなんてまっぴらごめんだった。
 「人間は理性的な生き物で、本能を抑え込むことができる」とは一体誰の言葉だったか。なるほど、確かにそうだ。俺の身体はこれだけ赤井を欲していながらも、決してあの男には屈服しないと叫ぶのだ。それはもはや、執念と言ってもいいかもしれない。俺の中のその感情が、俺の生理現象を全て超越していた。
 ハァ、と熱い息を吐いて今日も身体を抱きしめて愛車の運転席で俺はきゅうと丸まっていた。身体の震えは収まってきた、あとは、いつもどおり薬が効くまでここで耐えるだけだ。
フロントガラスを激しい雨が降りつけ、遠くで雷鳴まで聞こえてきた。数メートル先の工藤邸の姿すらまともに見ることができないその雨は、徐々に激しさを増していたが、窓を激しく打ち付ける雨の音が、気が狂いそうになる俺をこの場に引きとめてくれているような気がして丁度いいような気がした。音が無い世界で自分の熱と一人で戦うのは、あまりにも孤独だ。
辛い時、頭をポンと叩いてくれる相手はもういない。怪我をしたとき優しく手当てしてくれる人も、強がって無理をしている時に怒りながらも手を引いてくれる人も、酒を飲んで一緒に馬鹿やれる奴も、もういない。この世界において俺は孤独だ、だが、生きている。生きているから、こんなにも苦しくて、辛くて、アイツが欲しい――。
目を閉じてそんなことを考えていると、ふと、急に雨の音が変わったことに気が付いた。
 コン、コン。
 うつむいていた顔を上げて音の鳴った方を見ると、夏の終わりとは言えまだまだ暑さが厳しいというのに、ハイネックですっぽり首を隠した沖矢昴が、窓の外に傘をさして立っていた。細い目で俺を見下ろす沖矢の真意は読みとれないが、俺は少しだけ窓を開ける。
「なにか御用ですか。こんな雨の中」
「それはこちらの台詞ですよ。こんな日に車の中にずっといるのでは倒れてしまいますよ」
「お気遣いありがとうございます。だけど、放っておいてください」
「…酷い顔だ、休んだ方がいい」
「誰かさんが素直に正体を現してくれたらゆっくりベッドで寝られるかもしれませんが…貴方のことを疑っている俺を心配してくれるなんて、沖矢さんは随分とお優しい」
「誰のことをお話されているかは分かりませんが…今夜だけは、家に入ってください。これから雨が酷くなるようです、ここでは危ない。貸せるベッドはありませんが、柔らかいソファとブランケットくらいは貸せますから」
「は」
 この男は一体何を言っているのだろうか。俺の耳がおかしくなければ、俺を自分の家に招くと言ったか。
「はは、俺を家に入れる、ですか。随分と舐められたものだ。一晩もあれば、どんなボンクラでも寝首の一つや二つ狙えるんですよ」
「生憎今日はレポートの締め切りに追われていて徹夜する予定なんです。呑気に寝ている間も、貴方に寝首をかかれる暇もありませんよ」
「ほぉー、学生さんは忙しいんですね」
「…無駄話はここまでにして、いい加減に家に入ってください。言ったでしょう、今日私は忙しいんです。違法駐車を警察に連絡する間も、具合の悪そうな貴方がこれから無事に家に辿りついたか心配する間もないんですよ」
 そう言った沖矢昴は、くるりと身を翻して工藤邸の方へ帰って行った。沖矢がいなくなったことで雨が直接窓に当たるようになり、開けている少しの隙間から車内へ吹き降ってきた。
 薬が効いてきたのか、いつの間にか身体の震えは治まっていた。ただし、沖矢昴と話をしたことで、体内でくすぶっていた熱が轟音をたてて燃える様が分かった。沖矢昴の香りは、赤井のあの煙たく男くさい香りとは全く違うものだ。声だって、アイツの脳を揺さぶるような色気のあるモノではなく、渋みのある落ちつく重低音だ。しかし、沖矢昴が近くに来れば来るほど、俺の本能がアイツは赤井秀一だと叫ぶ。
 俺は、エンジンを止めて車に置いていたビニール傘をさして外に出た。先ほどまで遠くで聞こえていた雷鳴がだんだん近づいて来ているのか音が大きくなっていた。なるほど、確かに今から雨が酷くなるのだろう。
 文字通り、嵐の夜になりそうだ。

 「おじゃまします」
 そう言って、以前来たのと同じ道を歩く。隅々まで手入れのいきとどいた調度品を横目にピカピカに磨かれたフローリングを歩き、リビングの扉を開けると、大きなテレビに上等そうなソファセットが目に飛び込んできた。
「座ってください、今、温かいコーヒーを用意しています。それとも、冷たい方が? 」
「温かいもので大丈夫です。ありがとうございます」
「少しお待ちを」
 キッチンへ向かう沖矢昴の後ろ姿を眺めながらソファに腰掛けると、予想以上に腰が沈み込み少しバランスを崩した。以前も同じ場所に座ったことがあるはずだが、あの時は気が付かなかったな、なんてことを考える。
 身体はまだ熱いが、かなり冷静に頭を働かせられることができるようになってきたのでぐるりと辺りを見回す。今はカメラが設置されていないようだ。まあ、今無いのに前回あったと言うことは、前回どれほどこちらの手の内を読まれていたかという話になってくるので深く考えないようにするが。
 間接照明で照らされた部屋に、外から雨がふきつける音と、キッチンから聞こえるカチャカチャと食器が鳴る音が響いていた。空ではピカピカとひっきりなしに雷が光り、雷鳴が腹の底に響いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 沖矢昴がテーブルに置いたコーヒーをすぐに一口飲む。その姿を見て、一瞬驚いたように動きを止めた沖矢昴は、すぐに何事もなかったように自分も目の前のソファに腰を下ろして同じようにコーヒーを飲んだ。
「…具合は、少しは良くなったようですね」
「ええ、おかげさまで」
「でも、外は見ての通り凄い雷雨だ。僕の住処でくつろげというのも無理な話かもしれませんが、少しはゆっくりしていってください」
 熱すぎるくらいのコーヒーを喉に流し込みホゥと息を吐く。沖矢昴は相変わらず何を考えているか分からない顔をして、俺の方をじっと見ていた。細めたその目の奥に、グリーンの瞳が隠されていると思うと、いますぐにでも乗りかかって無理やりにでも瞳をこじ開けてしまいたい衝動に駆られるが、ぐっと堪えて口を開く。
「沖矢さんどうしました。先ほどからじっと僕を見ていますが、僕が貴方の淹れたコーヒーを飲むことがそんなに意外でしたか? 」
「いえいえ、僕の淹れたコーヒーが安室さんのお口に合うか気になってしまって」
「美味しいですよ」
「ありがとうございます」
 バリバリバリィ! と外で雷が落ちた音がした。外の喧騒とは打って変わって、この部屋の静けさはどこか現実味がない。目の前にいる赤井秀一であるはずの男がまったく違う容姿をしていることも、あれだけ欲した男とこうして呑気にコーヒーを飲んでいるということも、全てが夢のようだ。
 ハイネックでしっかりと隠れた首元とは違い、腕まくりをして露わになっている前腕には筋が浮き出ていた。きっと、触るとがっしりと硬いのだろう。ああ、あの腕に手を滑らせたい。舌を這わせて味わいたい。あの男の全てを知りたい。
 ハァ、ハァ、とまた息が荒くなってくる。駄目だ―――やはり、あの男を前にして我慢が効かない。
「…安室さん、あなた、ヒートですか」
「は、」
「Ω、ですか」
 白々しい、知っているだろう。とは言わなかった。その代わり、息をするのも必死な身体でニヤリといやらしく微笑んでみせた。
「沖矢さんは、αですか」
「いえいえ、僕はβですよ。僕なんかがαなんて、とんでもない」
「僕なんか、ですか。まぁいいでしょう。僕がΩで、この体調不良がヒートだとしたら一体どうするというのですか? 」
「…どうもしませんよ」
「なら、どうしてわざわざ僕のバースを? 」
「…私の古い知り合いにもいたんですよ。強すぎるヒートのせいで数カ月に一度動けなる男が」
「へぇ。ちなみにご関係は」
「弟です」
 弟。赤井秀一の弟と言えば、羽田名人か。
 七冠をとるような名人がまさかΩだとは思わなかったが、今この状態で赤井が嘘をつくとは考えられない。Ωである彼が歴史に名を残す程の偉業を成し遂げたことに純粋に驚きながら、沖矢昴の話を聞く。
「弟は、生まれた時から俺より優秀でした。記憶力も理解力も飛びぬけていて、年下だというのに俺よりも難しい話を知っているなんてことはザラで、兄としては悔しい思いを沢山させられたものです」
「へぇ、沖矢さんが」
「ええ。弟は、本当に優秀だったんです」
 雨は止まることなく窓を叩きつけていた。空がひっきりなしに光り、ゴロゴロと腹に響くような雷鳴の音もだんだん大きくなっている。
「しかし、弟が高校生になってすぐに、バース検査でΩだと言うことが分かりました」
「…ええ」
「そうすると、今まで弟を気にかけてくれていた教師は失望したとでも言うように一気に弟から興味を失い、彼の友人達も弟がΩだと分かった瞬間、まるで汚らわしいものであるかのように離れていきました」
「…」
「それだけじゃない、離れていくならまだしも、弟を強姦しようと企んでいたような奴らもいたそうです」
「それは、大変でしたね」
「ええ」
「…でもなぜその話を俺に? 」
「そうですね…つまり、俺はバースというもので人間の価値や力量を図る人がこの世で一番嫌いだと言うことです」
「…そうですか」
 カップを持つ手がブルリと大きく震えてコーヒーが波うった。そうだ、俺だってバースなんてものは嫌いだ。大嫌いだ。バースで人を判断するやつは嫌いだ、αと言うだけで威張り散らす奴はもっと嫌いだ。でも、一番嫌いなのは――。
「沖矢さん」
 ドォン!!
 かなり近くで雷が落ちた音がして地面がびりびり揺れている、落雷の音とほぼ同時に家の電気が消え、部屋が真っ暗になり、――俺の下には沖矢昴の姿があった。
 テーブルを乗り越えて沖矢昴に掴みかかった俺は、ソファの上に沖矢昴を押し倒し、その腰の上に跨った。そして、ハァハァと荒い息を吐きながら胸ぐらを掴み上げ、ハイネックの根元をグイッと引っ張ると、服と一緒に沖矢の顔がソファから浮き上がった。
「沖矢さんが随分と立派な考えを持っていることも、弟さんが苦労されたこともわかりました。俺だってバースなんてものは大嫌いです」
「安室さ」
「でもね、この世で一番嫌いなのは、バースを嫌いながらもΩの本能に支配される自分自身なんです」
 沖矢昴の服を掴み上げると、真っ暗な部屋のなかで青白く首筋が浮かび上がった。沖矢の白い肌がぼんやりとは見えるが、そこに何があるのかは見えない。ソファに散らばる髪が薄いピンク色のような優しい色をしているのか、少し癖のある真っ黒な髪なのかも見えない。なにも、見えない。
「ご立派な沖矢さんに教えてあげますが、Ωの本能ってのは本当に厄介なんですよ。優秀な種が欲しくて欲しくて仕方がなくなる、そして、どうしようもなく不安になって誰かの匂いに包み込まれたくなる。守られたくなる」
 胸ぐらを掴み上げている手と反対側の手で沖矢昴の胸をつぅと撫でる。硬い胸板に手を這わすと、沖矢の身体がピクリと反応するのが分かったが、俺はそのまま手を下に下にのばした。
「安室さん、なにを」
 俺の手はヤツの腹を触り、臍をくるりと弄ってから更に下へと移動して行った。沖矢昴の身体を隅から隅まで触って、全てを俺のモノにしたかった。
「あむっ」
 俺の手が腰骨に到達したときに、指先に微かな熱を感じた。俺は本能のままにそちらに手を這わせて、手の平でそっと触れた。ここには、この男の熱を帯びたそこには優秀な種が入っている。Ωが欲しくて欲しくて堪らないソレがここにある。
 ぺロリと舌で唇を湿らせながら、左手でそこを包み込む。う、とうめき声のようなものが聞こえた気もしたが、雨と雷鳴の音にかき消されてそれが誰の声だったのかは分からない。
 俺はそこを少し強めの力で擦りつけたあと、躊躇い無くそこから手を離し、それの更に下に手を滑らせ、足の付け根を親指でなぞった。そして、ぐっと身体を倒して沖矢昴に覆い被るような姿勢になった。思い切り体重をかけているというのに苦しそうな声一つ出さない沖矢昴の、恐らくだれにも触られたことはないであろう後孔に指を伸ばして、そこをクルリと撫でるためだ。
「っ!? 」
 そこに触れられて沖矢昴は初めて焦ったように身体をバタつかせたが、もう遅い。完全俺がに上に乗っているこの姿勢からでは、どうやっても抜け出すことはできないだろう。
 俺は、沖矢昴の胸の上にゆっくりと顔を下ろし、スゥーと息を吸った。赤井秀一とは違う香りが肺まで入り込んでくると、それだけで俺の動機や震えがすっと落ちついた気がした。
 だが、足りない。匂いだけじゃ足りない。もっとこの男に包まれたい。このたくましい腕で抱きしめられたい…が、腕が動かせないように拘束してしまっているから無理だ。男の服を積み上げて巣籠りだってしたいが、そんなことをする時間すら待てない。今すぐこの男に包まれたい。この男の中に入りたい―――。
「ここなら」
 男の後孔をズボンの上から指でギリギリと押し込んだ。この中にならすぐ入れる、ここなら俺を受け入れてくれる、この男の誰にも侵されたことのない場所を犯すことができる。
 孔をグリグリと弄りながら、もう片方の手をズボンのボタンに手にかけた。思ってもいない場所を刺激されたからか、前の熱はすっかり冷めていたが、それでいい。
「Ωの巣作り…αの香りに包まれた安心できる場所でセックスをすると着床率があがることが原因の行為らしいですけど、ここなら、わざわざ巣なんて作らなくても、すぐに貴方の中に入って包まれることができますよね」
 俺に押し倒されていると言うのにろくな抵抗もしないこの男にイラつきながらも、ヤツのボタンを外して腰元を弛め、そのままズボンを引きずり下ろそうと少し身体を起こす。そう、俺はどうしてもこの男が欲しい、この男を征服したい、この男を自分のモノにしたい。
俺が男のズボンに手をかけたその瞬間、ピカリと外が一際眩しく光り、バリバリ! という轟音が響き渡った。あまりの音に思わず身体が跳ねて、動きが止まる。いや、動きが止まったのは雷の音のせいだけじゃなくて、どこからかピッと電子音が鳴ったような気がして――。

「君が求めているのは、この男か」

 ドォォォン――再び響き渡った、まるで、裏の庭に落ちたかのような爆音と共に聞こえた声は、果たして誰の声だったか。さっきまで聞いていた声だったか、それとも、過去に聞いた ――ずっと聞きたいと焦がれていた声だったか――。
 ハッとして身体を起こす。身体を起こして下を見ると、沖矢昴の瞳は開き、真っ直ぐ俺を見ていた。
 暗闇で何も見えない、その瞳の色も見えない。だが、沖矢昴が俺を真っすぐ見ていることだけは分かった。

そう、身体の下にいる男は、沖矢昴だ。赤井秀一ではない。
 
いくら俺が沖矢昴と赤井だと確信していても、証拠がない。このまま沖矢昴を求めてしまうと、それはΩの本能に負けてたまたまそこにいた男を襲っただけのΩに成り下がってしまうではないか。
 そもそも、俺がこの男、ライを、 ――赤井秀一―― を欲しいと思ったのはなぜだ?
 赤井が優秀な男だったから、じゃない。最高の種を持っていたから、でもない。
赤井秀一と言う男と、並んで歩きたいと思ったからだ。
優秀だからと、それをひけらかすこともしない。俺の考えの一歩も二歩も先を読んで一緒に任務をした時には俺をサポートしてくれたこともあった。Ωもαも関係なく、俺を信頼してくれていた。俺を認めていてくれた。
俺は、そんな赤井と、ただただ一緒にいたかったのだ。
 赤井は俺がなりたかった理想の男そのものだ。優秀で気高い、選ばれしα。だから、赤井にだけは負けたくなかった、赤井にだけはΩだからってだけで哀れだと思われたくなかった。同等の存在でいたかった、赤井を信じたかった、赤井なら俺の全てを受け入れてくれると、赤井なら――。
 ザァァアアアと雨が窓を叩く音がして、パッと電気が回復した。
 そして、明るくなった部屋で俺の下をみると、そこには不安げに眉をタレさせる…沖矢昴がいた。
「…沖矢さん、すみませんでした。やはり具合が良くないようなので今日は帰らせていただきます」
「……それが、いいかもしれないですね」
「沖矢さん…俺が求めているのは貴方では、ない」
「…そうですか」
「すみませんでした」
「………お帰りは、あちらです」
 乱れた服のまま廊下へ続くドアの方へチラリと視線をやった沖矢昴に、俺は身を起こして身体の上から降りた。ここにきてやっと自由を取り戻した沖矢昴は、さっと服を直し、手櫛で軽く髪を整えると、相変わらず何を考えているのか分からない顔をしてソファから立ち上がった。ああ、そうだ。俺が欲しいのはこんな男なんかじゃない。
 さっさとズボンのボタンを閉めた沖矢の姿を見届けてから、俺はそれ以上何も声をかけることなく玄関へと脚を進めた。
 工藤邸を出ると、雨は弱まっていた。雷鳴は遠くに去り、嵐は去って行ったようだ。そう、嵐は去った。Ωとしての俺が欲していた赤井は、子を産む為の種なんかじゃない。俺が自分のモノにしたいと焦がれた赤井は、決して俺に屈服して全てを捧げるような弱い男ではない。
そう、俺はΩとして赤井が欲しかったんじゃない。俺は、降谷零として、赤井秀一という一人の男が欲しかったのだ。

 俺が欲しいのは、赤井秀一という男と、その男と共に歩む未来だ。

 

 その後、赤井秀一の本当の姿を見たのは、沖矢昴に何度もいいようにされた工藤邸でのことだった。
 しゃがみこんでいる俺の上から眉間に銃を突き付けるその男を見た時、ゾクリと身体は震えたが、今までのように熱に侵されることはなかった。妙に頭は冷静で、出会うべくして出会った…とでも言えばいいのか、赤井と再会することは必然的で当然なことのように感じていた。ただ、その時が今だったというだけだ。
 この時の俺は、そこまで酷いヒートに苦しむことはなくなっていた。相変わらず抑制剤は手放せてはいなかったが、至って健康的な量を数日に一度飲む程度で十分抑制できていたし、前までのように赤井を思って気が狂うような夜を過ごすこともなかった。勿論、工藤邸の前に車を走らせることも無くなっており、空いた時間で自炊や家庭菜園を楽しむ余裕までできた程だった。
 赤井との再会は、黒ずくめの組織を壊滅に追い込む大きな一手となった。そこから始まった日本の公安とFBI、CIA、あの組織を追っている各国の捜査機関との連携に、工藤新一…江戸川コナンとの共闘。それらをもってして、俺達は遂に組織を壊滅させるに至った。
 そして、俺と赤井の奇妙にこじれた関係は、少しずつ、少しずつ、絡まった糸を一つずつ丁寧に外していくかのように、ゆっくりいい方へ向かって行った。
「…じゃあ、僕がΩだって言うのは最初から知っていたわけですね」
「ああ。まあ、君達が完全に組織の人間かそれとも同業者かは確信が持てなかったが、君達に会ったことは覚えていたからな」
「スコッチの貴方への懐き様に、今、ようやく納得が行きました」
 全てが終わって安室透がこの世界からいなくなった後、赤井と俺 ―降谷零― は時々ではあるが、こうして酒を一緒に飲むような関係になっていた。
 元々話は合うのだ。バーボンとライだった頃から一緒にいて居心地がいいと感じていたのは俺だけではなかったらしく、俺が一度食事に誘ってからは、どちらともなく次の約束をするようになっていた。
「一度、スコッチの墓参りに行きたいな…」
「いいんじゃないですか? 場所、教えましょうか」
「いや、どうせ行くなら君と一緒に行きたいんだ。俺達が一緒に来たら、スコッチのやつ。腰抜かすんじゃないか? 」
「はは、どうでしょうね。『だから言っただろう。ライは信用できるってな』って俺を小馬鹿にしたように笑われそうです」
「俺の知っているスコッチと、君の知っている景光君は少々違うようだ」
「アイツは意外と演技派でしかたらね。スコッチは、少し軽薄で、警戒心が強い男ってのがコンセプトとか言ってました」
「ほぉー…それでは、俺はまんまと彼に騙され続けていたというわけか」
 赤井の手が四杯目の日本酒にのびた。今日は俺のオススメの店に行くと言うことで、旨いおでんと日本酒の店に来ていた。
 こうして赤井と食事をするとき、俺はΩではなかったし、赤井はαではなかった。純粋に、会話と旨い飯を楽しむだけの二人の男だった。
ただ一つだけ、普通の男同士の食事と違う点があるとしたら――。
「で、今日この後の貴方の予定は? 」
「…まったく、君も懲りないなぁ」
「ええ、貴方が欲しくて堪らないのは変わっていないんですから。遠慮なく口説かせてもらいますよ」
「はは、そうか。今日もこの後の俺の予定はまっすぐ家に帰ることだ」
「なーんだ、残念。でも、次また食事に誘ったらご一緒してくれるんでしょう? 」
「勿論。君とのこの時間は最高に楽しいからな」
「脈はあると思うんだけどなぁ…」
 俺が、赤井秀一に恋をする、ただの一人の男だということだけだろうか。
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