貴方と過ごす朝の香り



「僕、貴方の匂い好きじゃないんですよね。」
「ほー、さっきまでベッドを共にしていた相手に対して言うには、配慮に欠けた発言だな。」
「終わってすぐに煙草をふかす奴にだけは言われたくないですね。」
 
 キッチンに水を取りに行って寝室に戻ると、3日と守られることのなかった禁煙の約束を堂々とやぶった男が気だるげに待っていた。持って来たペットボトルを投げて寄越すと、コトもなさげに受け取った赤井は、サイドボードにさっさとそれを置いて、身体の奥深くまで煙草をいき渡らせるかのように大きく息をついた。
 この男とベッドを共にするようになってから、ふとした時になぜこんなことになったのだろうと考える。あんなにも、それこそ数年前までは本気で殺したいと思っていた相手が目の前で無防備に真っ裸でベッドに横たわっているなんて、とてもじゃないが正気の沙汰とは思えない事態だ。だが、今この瞬間にも、布団から出ているあいつの背中や腕を見てもう一度かぶりつきたくなると思うということは、そういうことなんだろう。大変誠に遺憾ながら、俺がアイツに惚れているということだ。
 アイツがこの部屋に出入りするようになってから、最初に持ち込まれたのが灰皿だった。このことからも禁煙なんてするつもりがないことが分かる。その次に増えたのが服、その次がグラス、その次が…。あっと言う間に赤井のセカンドハウスと化した俺の家だが、それを居心地がいいとすら思っている自分が本当に残念でならない。なぜ、よりによってコイツだったのか。
 
「さて、俺の匂いが嫌いとは?こいつのことか?」
「いや、煙草のことじゃないですよ。まぁそれも無いなら無い方がいいですけどね。」
「こればっかりは譲れないな。だが、これではないとしたら、なんだ?」
「貴方が使ってる香水ですよ。妙に清涼感があるミント系のやつ、鼻がスースーしてあんまり好きじゃないんですよね。」
「ああ。」
 
 男らしい匂いだと言われればそうかもしれないが、前からなんとなく嫌いだった。特に、今のように身体を密着させるとどうもツンと鼻につくような気がして苦手なのだ。
 
「ほー、じゃあ香水変えてみるかな。」
「は?なんかこだわりとかあるんじゃないんですか?」
「いや、学生の時に使い始めてそのままずっときているだけだから、自分の気に入るものがあればいくらでも変えるよ。丁度新調する時期でもあるしな。」
「ふうん、そんなもんですか。」
「君は、昔はなにかつけていたように思うが最近はつけていないな。」
「僕個人はね。香りも情報操作で使うくらいですかねぇ。」
 
 バーボンであった時のように、仮の自分を演じるときはそのイメージにあった香りを纏う。だから、バーボンと安室透でも匂いは変えていたし、バーボンとして働いている時でもターゲットの好みや状況に応じても使い分けていた。
 赤井は日本人じゃないから分からないかもしれないが、降谷として登庁するときに香水の匂いなんてさせてみろ、頭の固いお偉方は確実に顔をしかめるだろう。
 
 そんな話をしているうちに煙草を吸い終わった赤井は、ごろりと大の字になってベッドに倒れこんだ。
 
「おい、俺の場所は」
「君が随分可愛がってくれたから怠くて仕方ないんだよ。年寄りは労ってくれないと。」
「ほざけ。」
「どうせ君はもうこのまま起きるんだろう?朝食に味噌汁があると嬉しい。あさりのやつ。」

 そしてそのまま目を閉じて二度寝を決め込もうとしたやつに舌打ちを1つして、床に落としていたスウェットを羽織ってドスドスと、さも不機嫌ですと言ったように足音を立ててまたキッチンに戻る。
 あの野郎、一人暮らしの男の家にあさりが常備されているとは思うなよ!と冷蔵庫を開けると、昨日の昼から砂抜きをしているあさりがお行儀よく鎮座していて、それを見てまた大きくため息をついた。
 
 
 
 あさりと昆布で出汁をとった味噌汁に、白米、卵焼き、一昨日の残りの白菜と豚肉を煮たやつ。あんなナリで実は朝からしっかりと飯を食べるアイツには少ないかもしれない、と他に食べられるものがないかと戸棚の中をゴソゴソと漁る。すると、お土産にもらったウニとアワビの缶詰を発見した。手に取って賞味期限を確認すると、まだあと1年はいけるようだ。これは、日本酒に合いそうだとウキウキここに置いたまますっかり忘れていたな…。そこまで考えて、アイツの腹を満たす為だけにとっておきを開けると必要もないと考えるに至り、そのまま戸棚に戻す。
 そもそも、なんで当然のように俺が朝食の準備をして、いつの間にか揃っていたペアの茶碗や皿を甲斐甲斐しく並べないといけないんだ!とまた腹が立ってくる。だが、最初はアイツだって朝俺より早く起きて飯を作ろうと言う気概だってあったのだ。あの武骨な手で作る料理が思ったよりも美味しかったのと、朝から信じられないボリュームのものを用意されて笑ったのはいつの話だったか。まぁ、その後ずっと料理は俺が担当することになったのは、アイツが料理をしたあとのキッチンの荒れ様を見て激怒した俺が、この家で料理することを禁止したからだったのだが。…そう考えると、今卵をクルクル溶いているこの状況ですら自分が作り上げたものだということに気付いてしまって、また怒りが込み上げる。
 料理は愛情だと言うが、それならこの朝食は最低最悪の味がするだろう。とても食べられたもんじゃないに違いない。しかし、残念ながら実際に料理の味を決めるのは火加減と調味料の塩梅なので、今日のこの飯もアイツが満足する程度には旨くできあがるだろう。

 20分ほどかけて朝食を作り終えると、アイツを呼びに寝室へ向かう。働かざる者食うべからず。お茶を入れ、飯をよそってテーブルまで運ぶのは赤井の仕事だ。
 寝室の扉を開けると、うつ伏せになったアイツが片腕を布団から放り出して眠っていた。形のいい肩甲骨が浮き出ており、その少し下には昨夜の情事を思い出させるようなくっきりとした歯形がついていた。
 くそっ、いちいち様になる奴だ。
 俺の気配に気付いていないわけがないアイツが眠る俺のベッドに乗りあげて、腕の中に捉えるようにして覆い被さる。目を閉じたままのアイツの口角が持ち上がり、目尻が幸せそうに下がる。ふふ、とこらえきれない声が口から漏れ出てきたあたりで、背中に顔を寄せ、
 
 がぶり
 
「いっ…!」
 
 昨日の歯形をきっちりそのままなぞるように、強烈に、おもいっきり噛みつく。躊躇いはなかった。痛みで跳ね起きて、どこか不満げにこちらを睨むアイツをちらっと見おろすと、少し気分がスッキリする。
 ふふん、俺と違ってぐーたら惰眠を貪っているから痛い目みるんだ。
 
「朝食ができました。冷めないうちにさっさと食べますよ。」
 
 
 
 日本人でも珍しいくらいの正しい箸使いで卵焼きを摘まみ、音も立てずに味噌汁をすする赤井は、どこか満足気だ。当然のようにあさりの味噌汁が机の上に出ていることに、コイツは一度泣いて感謝すべきだと思うのは間違っていないはずだ。
 やはり少し足りなかったのか、早々に茶碗を空にした赤井は、おかわりのため席を立つ。俺の後ろを通りすぎるときに、ふわりとミントの香り。
 
「さすがに、そうも顔をしかめられるとショックなのだが…」
「だって嫌いなんですもん。」
 
 赤井が白米を大盛りにした茶碗を持って帰ってきながら、困ったように笑う。おい、それ今日の夕飯にも使えるように多目に炊いてるんだぞ。
 
「そもそも、なんで急に今になって言うんだ。そこまで嫌いな匂いをした奴とよく同じベッドで寝ていたもんだ。」
「確かにそう言われるとそうですね…おい、その玉子は俺の分だぞ。」
「それはすまない。」

 危うく食べられそうになった最後の一切れを口に放り込み、モグモグと咀嚼する。確かに、最近になって赤井の匂いが鼻につくようになったかもしれない。
 
「加齢臭でも出てきたんじゃないですか?」
「…………やめてくれ。笑えない冗談だ。」
「えっ、貴方も加齢臭とか気にするんですか?いいじゃないですか、加齢臭のする赤井秀一。なかなか笑える響きで。」
「どうやら君とは笑いのツボが少し違うようだ。」

 お上品なコイツとは違って、ずずっと音をたてて味噌汁をすすりながら、おかずが無くなって白米のみをむしゃむしゃ食べだした赤井を見る。ああ、やっぱり缶詰め出してやればよかったかな、いや、なんでコイツの為にそこまでしてやらないといけないんだ!ああ!もう!
 
 そこで、ふと3ヶ月ほど前に買ってまったく使ってない香水があるのを思い出した。バーボンとして一度使ったのだが、どうにも僕のイメージには合わないのでそれきりになっていたものだ。
 あれなら、ウッディな重厚感のある香りで、コイツの吸っている煙草の匂いとも愛称が良さそうだ。
 
 食事が終わるとコーヒーを入れるのがお決まりなのだが、今日は皿を運んで水に浸けるとさっさと寝室に引っ込みクローゼットの奥を探りに行く。いつもと違う僕の動きを不思議に思ったのか、赤井も同じように皿を浸けると寝室のドアにもたれかかって俺のようすを見ている。
 あれ、ここに置いたと思ったんだが…ああ、あった。
 これは、匂いもまあまあ好みだし、香水の瓶も綺麗なブラウンでなかなか気に入って買ったのだが、まぁこれでいいだろう。
 振り返って、ぼうっとしている赤井に近づいていくと、それをシュッと一吹し、投げて寄越す。
 
「ほー。」
「なかなかいいでしょう?それ、もし嫌いな香りじゃなかったら使っていいですよ。」
「いや、結構好きな匂いだな。本当にもらっても??」
「ええ、それなら貴方の加齢臭も少しはましになるんじゃないですか?」
「…それ、本当にやめてくれないか…」
 
 
 
 そして、赤井が食器を洗う間に俺がコーヒーを入れて朝の一時をのんびり過ごしていたのだが、妙に赤井が上機嫌だ。よっぽど香水が気に入ったのか、あれからシュッシュと3プッシュも香水をふりかけていた。まあ、すっかりミントの匂いはなりを潜めてたからいいのだが。
 今日は昼まではゆっくりして、それから映画でも借りに行くかなんて話をしていたのに、買い物に行こうだとか、ドライブでもいいだとか、不思議とやたらと出かけたがる。何か欲しいものがあるわけでも行きたいところがあるわけでもないのに。
 
「なんだ急に。」
「まぁ思いがけず君にプレゼントをもらったから浮かれているのかもしれないな。」
「プレゼントってほどじゃ…」
「いや、立派なプレゼントだよ。」
 
 使ってない香水を渡しただけでここまで喜んでくれるとは思わず、少し罪悪感が顔を出す。それならせめて、投げて寄越さずにしっかり箱にいれて渡してやれば良かっただとか、いっそちゃんと新しい物を用意してやった方がだとか、頭のなかでグルグル考える。
 そうだ、それなら今からあれを買った店に赤井を連れていって、ルームスプレーを買ってしっかりプレゼント用にリボンでもつけてやろうか。
 それを言うとまた嬉しそうに赤井は笑い、さっきの浮かれているという言葉に嘘がないのだと知る。あの赤井秀一が浮かれるなんて、こちらまで可笑しい気分だ。


  
 そろそろコーヒータイムも終わりにしようか、そんな時、寝室で赤井のスマホが着信を告げた。眉をしかめて口をへの字に曲げ、さっきまでの浮かれっぷりが嘘かのように機嫌が急降下した赤井の腰は重いようで、一向に立ち上がろうとしない。俺はまた可笑しくなって、寝室を指差しながら口パクで「でんわにでろ」と促す。しぶしぶと言った風にのっそりと立って、のろのろと足を進める赤井は、まるでだだをこねる子供のようだ。コナン君なんかがこの姿を見ると、さぞ驚くだろう。
 閉められたドアの向こう、寝室での会話はまったく聞き取ることはできないが、俺の予想が正しければアイツはむすーっとした顔でこの扉から出てくるだろう。
 
「……すまない、呼び出しをくらってしまった。」
 
 
 
 すぐ片付けて帰ってくる、なんて赤井は言いながら出かける準備をしているが、すぐ片付く用事なんかで休日のコイツに連絡が来るとは思えない。「期待せずに待ってます」と言うと、またむすっと膨れる。
 今日のコイツはいちいち可愛らしいところがある、とのそのそ着替えている赤井の背中を見て、こんなにガタイがいい男を可愛らしいと言える自分の美的センスを疑ったりもするが、もうどうしようもない。
 いつもの服に着替え、ニット帽をがぶると用意は終わりだ。恋人を1人残して休日出勤する羽目になった憐れな男だ、せめて玄関まで送りとどけてやろう。そう思いのろのろ歩く男の後ろを追っていき、靴を履くのを見ていると、赤井がクルリとこちらを向いた。もう仕事のスイッチが入ったのか、ただをこねた子供は卒業して赤井秀一らしい憎たらしい顔になっている。それを少し残念に思いながら、ねぎらいの言葉をかけてやるべく口を開こうとした。
 すると僕の口から言葉が漏れるその一瞬前に、赤井の左手が僕の首もとに延びてきた。一瞬、キスされるのかとぐっと身構えたが、予想に反して、赤井の唇は俺の頬を通り越して耳元に寄せられた。ふわり、とウッディないつもと違う香りが漂う。
 
「君の香りをまとって行ってくるよdarling。頑張って仕事をして帰ってきたら、今度は直接君の香りを俺に移して欲しい。」
 
 
 
 行ってきます、そう言って軽いリップ音をたてて頬にキスして出掛けていった男を見送って、パタンと閉まった玄関のドアをしばらく見つめる。
 そして今になって、ぼぼぼとまるで火がついたように顔が熱くなり、あーー!と叫びたい衝動をこらえて寝室のベッドに飛び込んで布団を被る。
 香水のプレゼントなんて、冷静に考えるとなんてことをしてしまったんだ!こんな、俺がアイツを大好きみたいな!そんな!!
 枕に顔を埋めてうぅと唸り悶えていると、そこからまたかすかなミントの香りがして、堪らなくなり枕を壁に叩きつけた。
 
 あー!もう!!帰ってきたら覚えてやがれ!!


 
 
 
※香水のプレゼント=貴方を独占したい

2017年12月29日
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