熱くて暖かい



 まだ俺がバーボンと呼ばれていた頃、ついでに言うと、隣には似合わない髭をたくわえたスコッチがいて、反対の隣にはいけ好かない態度のライがいて…そんな頃、一度だけ3人でラーメンを食べに行ったことがあった。
 秋口の、急に冷えた寒い夜だったのをよく覚えている。早朝から組織の仕事だと召集をかけられて、前日の任務が終わってようやくベッドに入ろうとしていた俺は、着のみ着のままで飛び出したのだ。すると、笑えることにスコッチとライも、いかにも寝起きです、といったマヌケな顔をして集合場所にいるもんだから、お互いに寝癖なんかは見ないふりをして任務にかかったのだった。
 その日はコートすら着ていなかった。勿論、手袋やマフラーなんて気の効いたものも用意はしていなかった。任務終了の知らせを受けたのはすっかり日も暮れた時間で、薄着で走り回っていた俺達には辛過ぎる程の寒さが身を刺し、3人とも情けなく震えていたのだ。

「あーっ!寒い!もう無理っ!!」
「そんなこと言っても、まさか急にここまで寒くなるとは予想できないので仕方がないでしょう、スコッチ。」
「いや、もう寒さとかじゃねえよ、今日の呼び出し自体がなんだよ!あんなもん俺達じゃなくても良くね?明らかに嫌がらせじゃね!?お前もそう思うよな、ライ!」
「俺は与えられた任務をこなすだけだ。」
「んなこと言って、ライフル構えてる間ずっと文句言ってたの聞こえてたからな!」
「…」
「はぁ、もう終わったことはどうでもいいじゃないですか。さっさと帰ってシャワーでも浴びて寝ましょう。貴方達も家こちらの方なんですか?」
「今日はもうセーフハウスだ。とてもじゃないが今から帰るのはだるい。」
「…俺もセーフハウスのつもりだったんだけど、もしかしてそれって最近貰った米花町のとこ言ってる?」
「ここから一番近いのはそこだろう。」
「……バーボンは?」
「残念ながら僕もそこに戻るつもりでした。もう、いいでしょう、あそこなら3人くらい寝るスペースはあります。ただしシャワーは1番にもらいます。」
「えー!!ずりぃよ!俺1番にしてくれ!」
「では俺は2番だ。お前らで1番と3番を決めてくれ。」
「えーーー!!!」

 スコッチはいつも以上にハイテンションで、後で話を聞くと組織の仕事と本職とで3日間まともに寝ていない状態だったらしい。スコッチは、寒い、シャワーは1番に浴びたい、寒い、家に帰ったら温かい飯を食べたい、温泉に行きたい、寒い、南の国に行きたい、そうだ次の任務はハワイのにしてもらおう…と、ずっと1人で何かしらの言葉を発していた。俺とライは疲れきっていて、喋り続けるスコッチに返事をするのもだるいと、ひたすら無言で足を動かしてセーフハウスに向かっていたが、そんなのはお構い無しでペラペラと話をしていたのだから呆れるものだ。
 そして、突然スコッチが「あっ!!!」と大きな声を上げて立ち止まった。

「流石にうるさい…」
「いやっ!あれあれ!ラーメン食いにいこうぜ!」
「はぁ?」
「どうせ帰っても寒い部屋でしばらく暖房が効くの待ってなくちゃいけねえし、シャワーだってすぐ浴びれないんだから、あれ食って帰ろう!」
「俺は遠慮する。」
「またまた〜、こういうのは皆で食べるから旨いんだよ!強制連行だ!」
「うわっ、ちょっ、引っ張るな!」
「ほら、バーボンも行くぞ!!」
「………はぁ。」

 そうして入ったラーメン屋は、昔ながらの古めかしい真っ赤な屋根に「ラーメン」とだけ大きく書いてあるような所で、一歩足を踏み入れた瞬間油でべとついて床が滑るような店だった。大将と女将さんの夫婦経営で、食券なんてものもなく、壁に貼ってある手書きのメニューを見て直接注文するようだ。
 俺達3人がテーブル席につくと、愛想のいい女将さんが「寒い日にお疲れ様」なんて言いながらすぐに水を持って来てくれた。そして、その場でスコッチは迷うことなくチャーシューメンを頼み、俺は普通の醤油ラーメンを注文した。ライだけは、壁のメニューを見て少し迷っているような素振りを見せていたが、女将さんをあまり待たせるのは良くないとでも思ったのだろう。小さな声で、彼と同じ醤油ラーメンを、と伝えていた。
 スコッチは、なあ餃子も言ったら半分こしてくれた?ラーメンのあとでチャーハンも頼もうかな、あっあの人が食べてる唐揚げも美味そうじゃねえ?どうする?なんて、相変わらずペラペラと喋っていたが、店に入って暖かな場所に腰を落ち着けることができた俺もライも、ここまでくるとスコッチの話を聞いてやる余裕もできていた。そしてなにより、厨房から漂う良い香りに忘れていた空腹が猛烈に主張を始め、3人で相談して、ラーメンを持って来てくれた時に唐揚げとチャーハンを追加で注文することを決めた。

「はい、おまちどうさま。」

 そう言ってテーブルに並べられたラーメンは、透き通るようなスープにちぢれ麺で、ナルトや海苔、ネギ、そして美味そうな半熟玉子がトロリとして乗せられていた。スコッチのものだけは溢れる程にチャーシューが並べられていたが、俺はやっぱりこれにして正解だ。あまり同意してくれる人は少ないのだが、俺は結構ラーメンのメンマが好きなのだ。
 いただきまーす!という元気な声を聞きながら、俺もスープを一口飲む。一気に身体の中から温まり、思わずほぅと息をつき、腕まくりをする。スープは脂っこくなくて、余裕で飲み干してしまいそうな程にあっさりしていて旨い。箸を割って麺をすすっても、悪くない。飛び入りで入ったわりに当たりの店だったようだ。隣のスコッチも、ズルズルと男前な音をたてながら麺を口の中に運んでいた。
 そこで、ふと前を見ると、ライはまだラーメンに1口も手をつけずにいることに気がついた。どこに用意していたか分からないが、ゴムで長い髪を1つにまとめているようだ。なめらかな黒髪は、この店には似合わないほどに艶めいており、まとめようとする度に手に収まりきれなかった束がサラリとこぼれていた。それでも、慣れているのだろう。数回髪をかき上げてまとめると、それを器用にゴムで結び、耳の少し下で柔らかく団子にしたようだった。そして、ようやく割り箸を手にとって割るのだが、あれだけ器用に髪をまとめたのが嘘だったかのように、不器用に箸の上2cm程を斜めに割っていた。
 
「なあバーボン、ラーメンめっちゃ旨くね?ここに入って大正解だろ!」
「ああ、そうだな。」
「チャーシュー1ついる?」
「いらないですよ。」
「えっ、旨いよ?」
「僕のにも入ってたんで、遠慮します。」

 そして、ようやくラーメンの丼に手を伸ばしたライは、しばらく丼をぴったりと持って手を温めたあとでレンゲでスープをすくった。レンゲを口元に運ぶ男をぼんやりと見て、食事の動作がエロイってこういうことを言うんだろうなぁと思う。
 目の前のこの男だけが、この庶民的な大衆食堂で浮いているように感じる。どこがどうとは説明できない、雰囲気、なんて漠然としたものかもしれない。ただ、レンゲを運ぶ手つきだとか、口の開き方、レンゲの咥え方ひとつまで、どことなしに色気が漂っているような気がした。
 そこで、音もたてずにスープを飲み込んだライが俺に目線を合わせる。

「なんだ、さっきから。」
「いえ、髪が長いとこういうのも食べにくそうだなあと思って。」
「結んでしまえばそんなこともない。」

 あまりに見つめていたのか、ライにそれを指摘されて慌てて自分の麺をすする。
 ネギをからめて持ち上げた麺をズルズルと吸いこんでいると、学生時代に「お前は可愛い顔して食べ方が汚い」なんて言われたことをふと思い出した。その時は、旨いもんは旨いうちにさっさと食べてなにが悪いと思ったものだが、食べ方が汚いとはどういうことだろう。一口が大きすぎるのだろうか、それとも、もっと噛めということか。
 心なしか、いつもよりモグモグと多めに咀嚼して麺を飲み込むと、隣からはそんなことはお構いなしで丼を持ち上げてスープを飲むスコッチが目に入って、思わず笑ってしまう。
 そうだ、ライのせいで折角の旨いラーメンを小難しく食べる羽目になるところだった。箸を一旦置いて、俺も丼を持ち上げて男らしくスープを飲む。うん、温かい、旨い!
 ドンッと小気味いい音をたてて丼をテーブルに置くと、目の前には相変わらず上品に食べるライが…。

「おい。」
「なんだ。」
「その食べ方はなんだ…。」

 レンゲの上に一旦麺を乗せてから、その麺をすくい上げるようにして食べる姿に思わず声をかけてしまった。

「女子か!?」
「…女性がこういう食べ方をするかは知らんが、いいだろう、好きなように食べても。」
「いやいやいやいや!」

 そうして、やはり一旦持ち上げた麺をレンゲの上で休ませてから、ズルズルと吸い上げることもなく、箸で少しずつ麺を口の中に送り込みながら食べているライに、どうもイライラとしてしまう。
 男なら、日本人なら、麺はすすって食べてこそ旨いんだろう!今まで色気のある食べ方だなんて思っていたのが恥ずかしくらいにちまちまと麺を食べる男に、どうにも気持ちがもやもやする。

「…俺の食べ方が不快なら見なければいいだろう。」
「目に入るんですよ。ねえ、そんなにちまちま食べてたら麺のびちゃいません?」
「お喋りして手を止めている君よりはのびないんじゃないか。」
「俺はいいんです!これくらいの麺なら5口もあったら食べきれますからっ!」
「そ、それはそれで凄いな…。」

 そんなことを言っていると、女将さんが追加のものを持って来てくれた。真ん中に大皿の唐揚げを置いたあとで、3人にチャーハンを配る。どちらからも真っ白な湯気が立っており、とても旨そうだ。
 唐揚げに一番に手を伸ばしたのはスコッチで、それに続いて俺も1つ大きなものを取る。口にいれるとジワリと肉汁がこぼれてきて、揚げたてのそれは猛烈に旨い。

「あっつい!旨い!ほら、ライも遠慮せずに食えよ!」
「ああ。」

 そうして、左手をスッとのばして唐揚げを箸で挟むと、ライは小皿にそれを置いた。あんな使いにくそうに割れた箸を、よくもまあ上手く使うものだ。やはり箸の使い方だけ見ると、本当にコイツの所作は色っぽい(ちなみに俺はから揚げを運ぶだけで色気を感じる人間を生まれて初めて見た)。
 一旦小皿に置いたそれをまた改めて摘み上げると、口にそれを持っていき、大きな唐揚げを小さな口を開けて少しかじった。もきゅもきゅと音が聞こえてそうに咀嚼するライを見ると、またなんでコイツは食べ物を口に入れるまではあんなにも綺麗なのに、どうしてこう最後が残念なのかともやっとする。
 そして、自分はまたラーメンをズズッと思い切りすすって、唐揚げだって大きくかぶりついて、ついでにチャーハンもガツガツかきこむ。チャーハンなんて、できたてアツアツを思い切りかきこむから旨いのであって、アイツ見たいになかなか手をつけなかったら油も回るし旨さも半減だ。折角美味しく作ってくれたここの大将に謝れ。
 そう思う間にもライはレンゲの上にラーメンを休ませてからちびちびと麺を食べ、チャーハンもまずそうにレンゲでしっかり崩してから慎重に口に運ぶ。そこで、ふと気付く。

「もしかして、ライって猫舌なんですか?」
「…」
「えっ?バーボン知らなかったのか?ライ、コーヒーでもなんでも冷めてからしか飲まないじゃないか。」
「…放っておいてくれ。」

 そうして、バツが悪そうに眉間に皺をよせながら、相変わらず唐揚げを少しずつかじるライを見ると、不思議とさっきまでのイライラがどこかに飛んでいった。なんだ、食事の姿にすら色気があるなんて大層なことを思っていたが、コイツ、なかなか人間らしくて可愛いところがあるじゃないか。

「今度、僕があんかけチャーハン作ってあげますよ。」
「…遠慮する。何を仕込まれるか分かったものではないからな。」
「えーっ!バーボンのあんかけチャーハンは旨いぞ!俺にも作ってくれ!」



 そして今、僕が降谷として、そしてアイツが赤井として…紆余曲折があって一緒に生活している。
 拠点が日本とアメリカで遠く離れていることもあり、ずっと一緒にいれるわけではない。年に数日、アイツが日本に来たときにだけ一緒に住めるこの家で共に過ごす短い時間は、かつてバーボンとライとしてほとんどの時間行動を共にしていたあの時よりもよっぽど俺達の距離を縮めてくれているように感じる。
 今では俺は、赤井に入れるコーヒーは最初から少しぬるめにする。こうして一緒に鍋を食べる時には、あいつが小皿に取り分けて具材が冷めるのを待つ時間は、のんびりと2人で何気ない話をして待つことができる。もう、熱いものを冷ますその姿を見てイライラすることなどはないのだ。
 今日の鍋は塩ベースの鶏鍋で、〆はラーメンだ。あの時と同じように、俺はアツアツの麺を一気にすすり、赤井は小皿でそれを冷ました後、麺を少しずつ箸で口の中に送り込んでいた。

「なにニヤニヤしてるんだ?」
「いえ、相変わらず可愛い食べ方だなー、って。」
「……麺をすするのはどうも苦手なんだ。」

 熱い食べ物を冷ますのを待つ時間だって、ゆっくり麺を食べる時間だって、俺と赤井の大切な時間には変わりない。それに、赤井秀一ともあろう男がこうしてちびちび食事をとる情けない姿を知っているのは俺だけだという優越感は堪らない。
 食べ方1つにしても、決して弱味をみせない男。今なら分かるが、あのラーメンを一緒に食べた寒い日だって、コイツは麺をすすれないことを過剰なまでの猫舌というフェイクで覆い隠したのだ。勿論猫舌自体は嘘ではないだろうが、よく考えるともういい加減冷めているだろうものまでゆっくり食べていたのはやりすぎだ。概ね、諸星大という純日本人の男を演じる時に、麺をすすれないなんていう小さなことでボロを出さないようにしたのだろう。

「今度また、あんかけチャーハンも作ってあげますね。」
「…勘弁してくれ。」
 
 今目の前にいる赤井秀一という男の情けないところを見るためなら、どれだけの時間を費やしても惜しくはない。それが赤井が俺にだけ許してくれる、信頼の形なのだから。
 
「暖かくなったら、長野に蕎麦でも食べに行きましょうね。」
 
 未来の約束をすることにも、躊躇いはない。これから先、俺は赤井の色々な表情を見て、沢山の思い出を共有をしていくことになるのだろう。
 バーボンとライ、安室透と沖矢昴、そして降谷零と赤井秀一。その全ての時間が今の俺たちを作ってくれていると思うと、あの忙しく必死な日々もなかなか悪くなかったような気がしてくる。
 
「赤井、愛してます。」
「…俺もだ。」
 
  そして、鍋が終わったら、今日もまた同じベッドで抱きしめ合いながら眠りにつくのだ。

2018年1月18日
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