降谷さんに穏やかな生活を満喫してほしい警備企画課の人たちの話



 赤井と降谷の関係は複雑だ。出会いは嘘だらけで、お互いの名前すら知らなかったが、仲間として仕事をしていた。しばらくすると、親友の男を殺された者と殺した者になり、関係性は悪化。そして、世界を欺いて姿を消した片方を、もう片方が探し求めて抹殺しようとした。抹殺は失敗に終わったものの、そこからも騙し合い探り合いの日々が続き、なんやかんやで共通の目的のために手を組み、なんやかんやで恋人としてお付き合いすることになった。いまここ。
 ‘なんやかんや’の中には、実はお互いファーストコンタクトから実力を認め合っていたとか、親友を殺した殺されたの真実が発覚しただとか、憎悪の気持ちがただの執着心に変わってしまっただとか、それはもう色々あるのだが、割愛。ただ、この2人が「ん?なんか…どう考えてもお互いに好き合ってね?」となった時の周囲の者たちの衝撃は計り知れないものがあった。
 恋人になった今だから言えることであるのだが、そう考えると、命をかけた峠でのカーチェイスも、世を騒がせた水族館大破事件も、なんなら潜入捜査を始めたことすら、この2人の素敵なラブメモリアルなように感じる。ついでに言うと、少女漫画やドラマのような胸キュン☆ラブメモリアルならばよかったのだが、この2人の場合は、アクション・犯罪・ミステリー・ラブメモリアルだったので、2人が顔を合わすたびに事件がおこり死人が出ていたし、首都高も炎上したし、観覧車も転がった。考えられない程の多大な被害が出ている。もっとお互いに素直になっていたら、あの鬼のような報告書と始末書の山を書かずに済んだのではないかと遠い目をしている互いの部下達も、被害者の一部であることは間違いないだろう。

 そんな、なんやかんやで恋人になった2人に対する周りの反応だが、同性だとか今までの確執を知っている割には、そんなに悪くなかった。というより、降谷の部下からすると、最初はそりゃもうすごい衝撃ではあったが、憎悪が執着に変わったあたりからの、本人は隠してはいるつもりの赤井大好きオーラが凄まじかった。その為、晴れて付き合えたと報告されたときには、皆が心から祝福できたのだ。赤井に関しては、降谷のことを気にかけているのは一目瞭然だったし、それが恋人という関係性に変わったのも自然の流れのように受け止められた。
 ただ、「お互いの思いが通じ合って良かったね!おめでとう!これからは、どうせ2人でデートとかしたら事件に巻き込まれるのも目に見えてるし、アラサ―らしく落ち着いて、できるだけ人の多い所にはいかないで、なんなら一日中部屋でのんびりイチャイチャしてればいいよ!!え?コナン君と一緒に3人で旅行する?だめだめ!絶対爆弾とか見つけて帰ってくることになるから!!」という本音を言える者はおらず、最近は無人島デートっていうのが流行っているらしいですよ、と遠回しに降谷に伝えた者が1人いただけだった。
 それも結局、「無人島面白そうだから2人で行ってみたんだけどさ、手配してた船の船長が道中で急に死んじゃってさぁ。え?あ、船は赤井が運転して帰ってきたんだけどな。んで、結局は船長の浮気相手の女が毒盛ってたって話だったんだけど、出頭しようってなったらその女包丁振り回して大変だったんだよ。まぁ1発で潰したけど。だから、折角すすめてくれて連休までもらってたのに無人島行けてないんだ。ごめんな。」という降谷の言葉で撃沈した。ちなみに、その旅先でコナン達少年探偵団とバッタリ出会っていたということは、少し後になって発覚した。

 もう無人島に行こうとしても事件が起こるなら、お部屋デートしかない。と、今度は流行りのボードゲームや、2人が好みそうなDVDを勧めた者がいた。赤井捜査官はアメリカ人だし、日本の映画には詳しくないんじゃないですかね?と。
 あらかじめ連絡が言っていたFBI側も、赤井に美味しい酒を持たせてくれるとのことだった。ちなみに、2人に穏やかで幸せなデートをしてもらうことは、日本の安寧の為だけでなく、赤井の機嫌の良し悪しで捜査の進行具合が変わるFBIにとっても重要事項だったので、自然と共同戦線を張ることとなった。世界的な犯罪組織を壊滅させたあとで、アラサ―男2人のデートを成功させるために尽力することになろうとは、少し前の自分たちには考えられないことだった。もう悲しくもない。


 2人がお部屋デートをした翌日、公安のデスクでは降谷の出勤を今か今かと待ち望んでいた。張り込みをしていた者によると、デート当日、事件にも事故にもコナン少年にも会うことなく、赤井は無事に降谷の住むマンションに入っている。そこからの1泊2日、2人がマンションからでてくることもなかったし、警視庁の無線にも大きな事件の通報は入ってきていない。つまり、十中八九お部屋デートは成功したと言っていいだろう。
 お部屋デートで起こりえる危険を想定したところ、前回の無人島のこともあり、一番危険なのは赤井が降谷の家にたどり着くまでだろうという結論に至った。その結果、現役FBI捜査官を尾行するという、潜入捜査よりも難易度の高い任務が割り当てられた者がいたわけだが、要は赤井とコナンを接触させなければいいだけの話だ。正直、赤井は尾行に気づいていた気配はあったが、特に害がないと判断されたのか放置してもらっていた。
 あの2人のことだから、部屋に入ってからも油断大敵だ。たまたまマンションの窓から見えた遠くの部屋の中で立てこもり事件が起こっていて赤井がライフルで撃ちぬく、という事態も想定できないことでもなかったが、そこまでくると自分たちの手には負えない。もう笑うしかない。赤井が降谷の部屋にいる間だけでいい、降谷の部屋から見える範囲内で馬鹿な犯罪が起きないことを祈るしかない。気をつけろよ名も分からぬ犯人よ…赤井はとんでもないところから狙ってくるぞ。だから馬鹿なことは考えるな…。
 自分たちの出来る限りのすべてをサポートし、実現したお部屋デートだ。降谷はまだ来ない。いつもは誰よりも早く出勤する降谷がまだ来ていないということは、反対に、デートがそれだけ盛りあがったことを意味するのだろう。離れがたくて玄関でイチャイチャしているのかもしれない。そんな、幸せそうな2人を想像しただけで、涙が流れでそうだった。ああ、やっと、やっと2人に平穏な日々が訪れたんですね――本当におめでとうございます降谷さん――。

 その時の和やかムード満載の公安事務所では、まさか始業時間の30秒前に、不機嫌全開で怪我まみれの降谷が扉を蹴破る勢いで出勤してくるとは、誰も夢にも思わなかった。

 降谷の姿をみて誰もが言葉を失った。つい先ほどまで、幸せオーラをまとった降谷の姿が見られるものだと思っていたのだが、どこからどう見ても幸せな男には見えないからだ。眉間の皺はもう二度と取れないのではないかと思うほど深く、右の頬はシップでは隠しきれない程に変色し、腫れあがっていた。も、もしかしたら出勤中に左側から何かが飛んできて降谷の右頬に直撃したのかもしれない…という願いは、降谷の「アノヤロー遠慮なしに殴りやがって」という呟きによって砕かれた。赤井だ。赤井にやられたんだ。
 皆の目が、降谷のマンションを見張っていた男に一斉に集められた。もしや、報告し忘れただけで、赤井はライフルを担ぎ防弾チョッキを着て、万全の戦闘態勢で降谷に会いにいったのではなかろうな―…もちろん、そんなわけはない。男はブンブンとちぎれんばかりに首を横に振っていた。男が見たのは、高級ワインを片手にご機嫌にマンションに入る赤井だけだったのだ。
 一体この1泊2日、降谷の家で何があったんだ。



 降谷は思い出していた。組織潜入時はトリプルフェイスなどと呼ばれ、3人の人格を自由に操っていた男だ。当然、プライベートを仕事に持ち込むなんてことはするはずもなかった。でもしかし、今回のコレは、どうあっても我慢ならないことであった。
 一昨日、つまり、赤井が降谷の家を訪ねて来た日、降谷はご機嫌に酒のつまみを作っていた。作るといっても、お取り寄せしたハムやチーズをいい感じに皿に並べたり、この日の為にと部下にもらった塩辛を出したりで、自分で作ったのはせいぜいタコのマリネくらいであったが、こういうのは雰囲気と盛りつけが9割だと、せっせと恋人をもてなす準備をしていたのだ。
 約束の時間の少し前に赤井は訪ねてきて、それらしいものが並べられたテーブルをみて、いつもは感情を表に出さない赤井がふわっと笑った。「君の手にかかればどんな食材も、たちまち一流になるんだな。」と。それから赤井の持ってきたワイン(とても上等で美味かった)や、家に用意していた赤井の好きなバーボンを飲みながら、DVDを3本観た。日本では有名な映画ばかりだったが、赤井は邦画に馴染みがなかったようで、どれも面白そうに観てくれていた。映画が終わるたび「あのシーンはこうだった」「あれは予想外の展開だった」などと2人で話をし、そして「まさか君とこんなに穏やかな時間を過ごす日が来るなんて夢にも思わなかった。愛しているよ、降谷君。」なんてことを、とろけきった瞳で言われた。あああ、正直堪んなかった。

 映画を観て、チェスをして、2人で皿洗いをして、また少し酒を飲んで、交代で風呂に入って…そこまでは良かった。問題はそこからだった。

 実は、俺と赤井は恋人になってからしばらく経つが、まだ身体を繋げてはいなかった。
 キスはした。恋人になった瞬間に、どちらからともなく唇を寄せ合ったのだ。だが、2人で過ごす時間があまりにも穏やかで、時がゆっくり流れるような気すらして、顔を合わせるだけで幸せだったし、夜を共にしても、隣り合って眠るだけでいい夢がみられたのだ。お互いに年も年だし、せっせとセックスをしなくても、十分に思いを通わすことができていた。
 だが、「そろそろ」という流れでもあった。本来ならば、この前の無人島(初の旅行だった)でそういうことになる予定だったが、旅行は中止になってしまった。つまり、今晩が僕らにとっての初夜になるということだ。

 降谷は、男同士でことに及ぶのは初めてだったが、相手が赤井ならどちらの役をしてもいいと考えていた。求められるなら応えたいし、受け入れてくれるなら愛したい。
 だが、降谷には以前からどうしても受け入れられないことがあった。とても好きで付き合っていた彼女であっても、一夜限りの女性であっても、降谷は自分の上に乗られるという姿勢を取られるのが、どうにも嫌だったのだ。それは女性の体格がどれだけ小柄でも、大柄でも、そういう問題ではなかった。自分の上で、快感に悶え揺れる女性をみると、なんだか自分がモノになったような、率直に言うと、相手のオナニーを見せつけられているような気分になって萎えるのだ。そして、そもそも、自分の胸に手をつき、床に拘束するような姿勢をとられることも苦手だった。自由を奪われたような気がして不快感が先にくるのだ。
 ただ、女性相手とは違い、男同士ならどこを使うかなんてことは知っていた。それに伴って、上に乗るとか乗らない云々よりも、今までにない体位でコトに及ぶのだろうことも分かっている。だけど、相手が赤井だから、赤井秀一という男ならば、自分はどんなことをされても大丈夫だと確信があった。

 でも、できたら…赤井が許してくれるなら…せめて最初は僕にトップをやらせてほしい。



 バンッ!と、ファイルを開く動作が乱暴になってしまって、大きな音が響いてしまった。部下の数人が音に驚いて肩を震わせており、少し申し訳ない気持ちになったが、次の瞬間には、また怒りの感情が頭のなかに渦巻いていた。
恐るべきは、ここまで激しい怒りにまとわれていても、1つ1つ確実に仕事をこなしていえる自分だったが、まぁそれはそれで人に迷惑をかけないってことでいいだろう。
 …とでも考えている降谷をみて、部下の方は大丈夫ではなかった。何があったか聞きたい。でも聞いたら確実に無事では済まない(メンタルが)。でも、僕が降谷さんに渡した塩辛は美味しく食べてもらうことができたのか心配だ。というより、決死の覚悟でFBIの尾行までして、彼が好みそうなDVDのリサーチまでした僕は、降谷さんに話を聞く権利があるのではないだろうか。
 降谷の雰囲気にのまれて恐怖で正常な判断能力を失っていた、と、後になって男が涙するのは置いておくとして、この一瞬、この男は間違いなく警察庁警備局警備企画課のヒーローになった。
「降谷さん、赤井さんとなにかあったんですか?」



 互いにシャワーを済ませ、2人並んでソファに座りウイスキーを飲んでいると、その時は唐突に訪れた。赤井がグラスをデスクに置き、降谷にキスをしかけてきたのだ。勿論、降谷はそれに応えた。だんだん深くなる口づけに、いつのまにか自分が持っていたグラスは赤井に奪われて、お行儀よくテーブルの上に持っていかれていた。こういうことをスマートにするから、男としてまだまだ赤井に勝てないなぁと素直に思う。
 そして、そのままスマートに赤井は降谷をゆっくりと押し倒した。そう押し倒したのだ。
 いままでキスでとろけていた降谷の思考が、一瞬にして現実に戻された。これは、やっぱり駄目かもしれない。がっちりとした赤井に上にのられると、今まで感じたことがないくらいの、恐怖にも近い感情がでてきたのだ。今自分がどれだけ暴れても赤井を押しのけることができない(実際暴れたら解放してくれるとは思うが、そういうことではない)。完全に自由を奪われた、自由どころか、自分の生死はいまこの男が握っているんだ。そんなことが頭の中を巡り、気を抜いたら震えがきそうなほどであった。でも大丈夫、赤井だ、赤井だから大丈夫だ。

 その異変に気付かない赤井ではなく、いままでのムードから急におとなしくなってしまった降谷に赤井は驚いた。
「大丈夫、か?俺はなにか気に障ることでもしてしまっただろうか?」
「いえ、すみません。大丈夫です、大丈夫なんで気にしないでください。」
「とても大丈夫には見えんよ。一体、君の中でなにがあったんだ?」
「ほんとうになにもないですよ。」
「俺が恋人のそんな姿を見て大丈夫ではないよ。どうか、君の思いを聞かせてはもらえないだろうか。」
 安心させるように、赤井は降谷の顔に何度も軽いキスをしながら、彼から言葉が出るのを待った―…。

 降谷は正直に言った。上に乗られるのは苦手であること、でも、赤井のことは信頼していること。トップでもボトムでも、どちらでも受け入れる覚悟があること。でも、できれば最初は自分にトップをやらせてほしいこと。全てを打ち明けた。
 それを赤井は「うん、うん。」と相槌を打ち、降谷が言葉に詰まるとキスの雨を降らし、サラリと髪をなで、全てを聞いてくれた。そして、「大丈夫だ、大切にする。」「君の嫌がることはしない。」と、優しく言ってくれた。

 降谷の上に乗ったまま。

 あれ?いや、君の嫌がることはしないって、まずこの体位が嫌なんだけど分かってないのかな?ん?あれ?赤井の手が僕の尻を優しくまさぐってるけど、いやまあ、そういうことするんだから別にいいんだけど、あれ、僕できたら最初はトップがしたいって言ったよな…いや、キスしてくれるのは嬉しいけど、いやっ、そうじゃなくて、あれ?
ついに赤井の手が降谷の下着に手をかけたところで、自分でも驚くほど低い声が出た。
「ちょっと話し合いましょうか。」



 男はすでに涙目だった。降谷の話を要約すると、つまりは夜にどちらが上をとるかで揉めたということだ。降谷に赤井と一緒に穏やかな生活をしてほしいと心から願ってはいたが、そんな話は聞きたくなかった。というか、こっちは、いい年した大人のデートまでお膳立てしているのだから、その辺は自分たちでなんとか上手くやってほしかった。
「あいつさ、恋人の可愛い我儘はなんでも受け入れます。みたいな顔してさ、結局は自分は譲る気がないんだよ。しかも、自分なら俺の不安もなにもかも包み込んでやれるっていう自信が垣間見えるって言うの?前から知ってたけど、ちょっと高慢だよな。」
「んで、そのこと言ったらあいつ何て言ったと思う?『俺は昔から3歩後ろを歩いてくれるような女が好きだ』って言いやがったんだ。いや俺は間違っても3歩後ろも歩かないし、そもそも女じゃないし。」
「ていうか、明美さんはそうかもしれないけど、スターリング捜査官は少なくともそんなタイプじゃないよな。ガンガンくる女と付き合ってたじゃねえか。」
「つうか、その『俺なら大丈夫』って自信があるってことは、過去にそういう経験があるってことじゃないか。男相手でも十分やれますってことだろ?誰だよ、誰としたんだよ。」
「そう考えたら、甲斐甲斐しく俺はトップでもボトムでもいいとか考えてたことが馬鹿らしくなってきて。俺の純情返せって思った時には殴りかかってた。」
 そして、深夜に日本の公安と米国のFBIが本気の喧嘩が始り、翌日は喧嘩によって無茶苦茶になった部屋の片づけを2人で黙々としていたというのだ。笑えない、まったく笑えない。
 デートの成功のためには、部屋に入ってからも注意が必要だとは思っていたが、赤井が遠くをスナイプするより厄介な問題が起こっていた。事件は遠くのマンションではなく、まさに降谷の部屋で起こっていた。

 降谷は話すだけ話すとスッキリしたのか、心ばかりか機嫌を持ち直していた。そして「ああ、お前の尾行な、赤井に気づかれるなんてまだまだ未熟だ。今度俺が特訓してやるよ。」というありがたいお言葉と共に、休憩のためコーヒーを入れに部屋を出て行った。
 降谷のいなくなった部屋には、なんとも言えない空気に包まれていた。つまり、降谷さんアレですよね。トップだボトムだとかより、赤井の過去の男や女に嫉妬して喧嘩ふっかけちゃったってことですよね。これってアレですよね、なんやかんや言ってるけど、世間では痴話喧嘩っていうやつですよね?
 

 降谷と赤井に穏やかな生活を満喫させることは無理かもしれない―…。この部屋にいる何人がそう思ったかは、誰にもわからない。

2017年8月31日
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