降谷零の姉♀



「またやってしまった…。」

 それなりに名の知れたブランドマークの入った袋を両手に抱え、降谷はクローゼットの前で大きなため息をついた。ここ最近の降谷の趣味はもっぱらショッピングだった。警察庁から駅へ向かう丸の内のビル群にある洒落たセレクトショップ。そこで毎日のようにウインドーショッピングを楽しみ、気にいったものがあれば即購入。公安に属するものとしてあまり良くないのは分かっていたが最近では馴染みの店までできてしまい、順調にポイントまで溜まってきている。ちなみに、今日買ったのは靴と薄い水色のニットだ。靴なんて、正直に言えばつい先週も買った。しかも、同じようなデザインのものを。しかし、今日見つけた靴は持っているものと少しだけ色が違っており、つま先に向かうにつれ黒から青にグラデーションしているのがとても綺麗で、一目で先月買ったズボンと絶対に合うと分かったのだ。衝動買いに近かったが、後悔はしていない。
 ガラガラとクローゼットの扉を開けると、もうスペースはいっぱいだった。1人暮らしにしては広めの収納スペースがある部屋を借りていたのだが、ここ最近はそのスペースも容量が足りなくなってきてしまった。もう少し広い部屋にでも引っ越すかと一瞬考えて、買い物をやめるという選択肢が出てこなかったことに苦笑いを1つ。いよいよ自分も馬鹿だと言わざるを得ない、こんな、自分では決して着ない女物の服のせいで引っ越しを考えるとは。

 ことの始まりは、仕事帰りに見た一般人のOLだった。セミフォーマルな装いで、まるで雑誌から飛び出てきたかのように適度にトレンドアイテムを使った見事なコーディネートで、今年流行っているらしいファーが所々にあしらわれたショートコートに、身体のラインが浮き出る膝丈のタイトスカートを着ていた。肌色のストッキングで脚はセクシーに艶が出ており、足首に巻きついたパンプスのストラップが妖艶な雰囲気に拍車をかけている。彼女が歩くと男も女も振り返り、間違いなくその場を魅了していたと言ってもいいだろう。化粧の仕方もちょっとした小物も凝っていて、自分が何をどうしたら一番魅力的に見えるかを知っている女だと思った。しかし、それ以上に「赤井秀一の方があの服をもっと着こなせるんじゃないか」という思考が降谷の頭を占めた。
 それからだ、街ゆく女を見ても、赤井ならあの人の服より信号待ちをしている人の服の方が似合うだとか、赤井ならあのコーディネートに黒の12cmヒールを合わせて最高にいい女になるとか、そういう思考しかできなくなったのは。そしてある時、仕事帰りにマネキンが着ていた黒のワンピースを見てまさに赤井の為に作られた服だと一目惚れをして、気付いた時には家に持ち帰っていた。
 そりゃあ、最初は何て馬鹿らしいことをしてしまったんだ、明日には返品に行こうと冷静に考える頭は残っていたのだ。しかし、1つ買ったらタガが外れるもので、あのワンピースにはこの上着で、あのストッキングでその靴でこのネックレス…と、あれよあれよと降谷の家には赤井秀一の服が増えていった。今では、各服に合わせた下着、しかも、いわゆる勝負下着といった男が喜ぶような下着ではなく、下着のラインがみえにくい色気のないベージュの補正下着や、もし万が一ブラの紐が見えても厭らしくなくコーディネートに見える見せブラなんてものまで揃っているので恐ろしい話だ。

 今日の戦利品である靴と先月買ったズボンは思った通りセットで売られていたかのようにぴったりとマッチし、それに合ったトップスは、少し清純すぎるかと思って悩みながら買った純白のものを合わせてみたら甘辛ミックスで最高のコーディネートとなった。ああ、これを着た赤井と水族館にデートに行きたい。そんなことを考えながらデート前の女子並みに部屋に服を並べ立てたこの降谷零29歳独身、悲しいかな赤井秀一とは付き合っているどころかお友達と言っていいかも分からない程遠い関係であることを明記しておく。





 その日もいつもの通りウインドーショッピングを楽しんだ。買うまではいかなかったがなかなかに好みなコーディネートをしているマネキンを見つけて、家に帰ったらあれとそれを合わせてみよう、あの服なら一緒に温泉デートとかにいいのではないか、なんて考えながらホクホクと家路を急いでいた。
 もうあと5分も歩かないうちに家に着くと言った辺りだろうか、天気予報通りに雨が降ってきた。降谷は持っていた折り畳み傘を開いて対応したが、折りたたみ傘というものは使っても大した雨も防げないし、なによりちょっとした距離の為だけに使うには干して乾かして、またしっかりと折りたたむことが面倒だからあまり好きではない。ただ、濡れて帰ればいいやと思える程の小雨でもなく、おろしたてのこのスーツを雨ざらしにすることを考えると使わないという選択肢はなかった。
 ウロウロせずにもう少し早めに帰ってくれば良かったと舌打ちしそうになる気持ちを抑えながら足を進めていると、目の前から誰かが歩いてくる。その人は傘を持っていなかったようで、なかなかに身体がビッショリ濡れているようだが、急ぐ様子もなくゆっくりと、大きな荷物を抱えながら歩いているのだ。うわあ、あんなに濡れてたらタクシーも止まってくれないし、電車にもうかつに乗れないぞと見ず知らずの人に対して同情的な気持ちを持つのも仕方ない程にその人は散々な様子だった。…というか、

「え?赤井??」

 見ず知らずの人ではなかった。よく知っている相手だった。

「ああ、降谷君。仕事帰りか?」
「ええそうですけど…というか貴女その格好…。」
「いや、仕事で7時間くらい待機していたんだが、その間に雨には降られるし結局出番は無かったしでなかなか散々だったよ。」
「えっと…家はここから近いんですか?」
「うーん。まあ1時間も歩けば着くだろう。」

 呑気に笑って顔に張り付いた髪を書きあげながら話す赤井を、自宅に招いたのは下心なんかじゃない。単純に風邪をひかないか心配をした純度100%の親切心だ。





 家に連れてきた赤井をバスルームに押し込み、びしょびしょだった赤井の服を洗濯乾燥機に放りこむ。流石に2人分の食事が用意できるほど家に食材のストックはなかったが、温かいスープくらいなら出せるだろう。インスタントだが。
 さて、問題は赤井が風呂上がりに着る服だ。正直に言って、赤井が着れる服なら有り余るほどある。むしろ、あのクローゼットの3分の2は赤井の服だと言っても過言ではない。しかし、それを赤井に出すのはいかがなものだろう。「なぜこんなものを持っているんだ。」と言われるに決まっている、むしろ言われない未来が見えない。だが、ここにある服はすべて赤井に似合うだろうと思って赤井の為に買ったものなのだ。正直に言って、心の底から着て欲しい。シャワー貸したお礼に10着くらい試着してもらいたいくらい着て欲しい。ウズウズと降谷の心はうずいた。現実的に考えてファッションショーはしてくれなくても、真っ当な理由で赤井にこの服を着せられる理由ができたのだ。秘密のクローゼットを全開にしてウキウキ考える。そうだな、どれを着てもらおうか。この状況でデート用のスカートを渡すのは明らかにおかしいので、前に買った「女子会用ピクニックルック」がいいだろうか、いやでも、どうせなら赤井の脚が見たい(俺も男だ、許してくれ)。それなら、この「子供達と魚釣りルック」にして…、

「降谷君、何でもいいから服を貸してくれないか。」

 タオル1つを身にまとった赤井が真後ろに立っていることに気付けなかったのは、降谷零一生の不覚であった。

「ああああな貴方、そんな格好でウロウロするなFBI!!お前にはじっ、恥じらいというものはないのか!!」
「いやだって着てきた服は洗濯してもらっているし、タオルは置いてあるが服がなかったんだ、何度か呼んでも応答がないし、なにかあったのかと。」
「なにもない!というか早く何か着てくれ!!」
「では申し訳ないがなにか貸してくれ。」
「なにかって、なにを、なにが」
「不快でなければ君の服でいいのだが…ん?」
「あ、」
「…すまない、君、彼女と同棲していたのか。そんな考えに至らずノコノコ上がりこんで申し訳ない。」
「いや。そうじゃな」
「彼女になにか誤解されるようなことがあれば私から説明するから、とりあえず何か着るものを貸してくれないか。また洗って返」
「違う!!これは姉のです!!!もうコレでいいからとにかく早く服を着てください!!!!」

 そうして、コナンもビックリのお粗末な嘘を叫びなら、彼氏とお泊りデートルックのジェラァトピッケを投げつけた降谷の顔は真っ赤だった。





 赤井が僕の家でフワモコを着ている。その事実に降谷は叫んで回りたい程に浮かれていた。やっぱり似合う!思った通りだ!赤井にはキャミソールタイプの部屋着よりもシンプルなTシャツに大きめのパーカーの方がいいと思ったんだ!心の中では小躍りしていた。しかし、それを表に出さなかったのは、目の前でチビチビとスープを飲みながら(かわいい)、

「いやあ、君に姉がいるとは知らなかったよ。」

と笑う赤井がいたからだ。

「え、ええ。」
「しかし、なんでお姉さんの服が君の部屋にあるんだ?それもあんなに沢山。」
「浪費癖というかなんというか…すぐ物を買っては収納スペースに困って僕の家に持ち込むんです。困ったものです。」
「ほー、ずいぶん仲がいいんだなぁ。だが、お姉さんはかなりセンスがいいというか、私の好みの服を持っていらっしゃるようだ。」
「え!?」
「ちらっとしか見えなかったが、中に入っていたコートや靴は私好みのものが多かったように思うよ。」
「そうですか!!」

 そりゃそうだ、なんたって赤井の為に用意した服なのだから赤井に似合わないわけがない。それをまた赤井に好みだなんて言ってもらえて降谷は天にも昇る気持ちだ。姉のだなんて適当に言ったけれど、好みなら何着か着てもらえないかな。いや、邪魔だからって理由で何着かプレゼントしてしまおうか。こう見えて律義だからきっと着てくれるはずだ。

「あの赤井」
「一度君のお姉さんに会ってみたいな。普段どこで服を買っているんだろう。」
「え!?あ、じゃあ聞いておきましょうか?」
「いやいや、好みが一緒の人と買い物をするというのが楽しいんじゃないか。是非ご一緒したいものだ…。図々しいお願いだが、連絡はとれないだろうか。」
「え!?は!?」
「是非仲良くなりたい。」

 どうしたものか、存在しない姉を赤井はどうやら気にいってしまったようだ。しかし、要はこの服を買った相手と一緒に買い物をしたいということだろう。そうだ、それなら俺と一緒に買い物に行けばいいんじゃないか。それなら、試着だってさせ放題だし、俺好みの服も着せ放題だ。よしじゃあ俺と行こう、いや駄目だ、そしたら今の状況が説明できなくなってしまう。いやでもそれ買ったの俺なんだよ、一緒に買い物とか…魅力的なお誘い過ぎるだろう!

「お姉さんは忙しい人かな?」
「いえ、まあすぐには無理かもしれませんが連絡をとっておきますよ。姉もショッピングが好きなので、きっと貴女のその申し出は嬉しいはずです。」
「本当か!それは楽しみだなあ。」

 そして、赤井とショッピングという欲に完敗した降谷は、赤井の服が乾くまでの時間で姉への連絡用と称して連絡先をゲットし、まだ雨が降っているからと赤井を自宅に送り届けた帰りの車の中である人物に連絡をとった。

「もしもしベルモット?折り入ってお願いが…。」





「はじめまして。」
「はじめまして。いつも弟がお世話になっているようで。」

 あの日から、秘密裏にベルモットと連絡をとり、降谷零の姉「降谷葵」が誕生した。目が青いから葵というのは、まさしくこの女を生み出したベルモットに決められた名前だ。零とは違い少し癖のある金の髪が肩まで伸びており、兄弟ということで目はあまりいじっていないが、顔の輪郭や身体は少し丸みを帯びている。男らしいゴツゴツとした身体を隠すためにフワリとした少し大きめの服を着ているにも関わらず、どこか品があるコーディネートになっているのは流石ベルモットだ。

「私、すごく今日を楽しみにしていたんです。弟から私と凄く好みが会う人がいるって紹介されて。今まで、そういった方に会えたことがなかったので。」
「私もです。今日はよろしくお願いします。…えっと、苗字だと弟さんと同じになってしまいますね。なんとお呼びすれば?」
「葵で結構ですよ。」
「では葵さん、と。」

 2人で待ち合わせをした駅前で、いつもの赤井とはまた違った赤井と喋る。もうこの時点で楽しい。今日の赤井はいつもの真っ黒なパンツスタイルではなく、黒いワンピースに黒いコートを着ている。似合っている、可愛い。だが今日は赤井に黒以外の服も着せられると思うと昨日から楽しみで寝られなかった。

「葵さん、ですか。」
「はい?」

 赤井が、ぐっと近づいてきて上目使いで見つめられる。え、なに可愛い。

「なるほど、弟さんと一緒で、綺麗なブルーの瞳ですね。」
「え、ええ。自分の瞳も名前も気に入っているの。さあ、立ち話もなんだし、さっさと行きましょう!!」

 び、びびったぁ…。





 赤井とのショッピングは最高に楽しいとしか表現の仕様がなかった。流石に馴染みの店に行くわけにはいかなかったので同じブランドの他店舗に行ったが、ずっと赤井に着せたかった服をあれもこれもと試着させることができたのだ。「こんなもの、私には若すぎはしないだろうか」と恥ずかしながらフレアスカートを着たときなんて最高過ぎて倒れるかと思ったし、スリットの入ったタイトスカートを着せたときはもう映画のヒロインじゃないかと思う程美しくて思わず見とれてしまった。
 「葵さんは何も買わないんですか?」という問いかけに対しては、この前また大量に買ってしまったので持ち合わせがないという言い訳で乗り切った。出会う日を23日に設定したのも、一般的なOL(設定)が給料日前で一番お金が無いという理屈を通すためだったのだ。

「私は今日は赤井さんのスタイリストのつもりで来たから!」
「そんな…申し訳ないですよ。」
「申し訳ないと思うなら、これも着てみてくれない?これ、絶対に赤井さんに似合うと思うわ!!」

 あー…マジで楽しい。
 降谷は浮かれきっていた。あれもこれもと着せ替え人形が如く赤井を着替えさせて、「買わずとも試着だけでもしてみたらどうか」という至極まっとうな赤井の問いかけに対しても「実は今日あの日なんです」という魔法のワードで乗り切った。ベルモットからの入れ知恵だ。赤井は納得した様子ですんなり引き下がってくれたので、また色々と服を渡して試着室に押し込めた。
 給料日前で、という言い訳をしてしまったので実行はできなかったが、赤井が買わなかったアレやコレを本当はプレゼントでもしたい気持ちだったし、こっそりと店員に次回買いに来るからと取り置きを頼んだくらいだった。

「今日は結局私ばっかり色々買ってしまってすみませんでした。」
「いえ!本当に赤井さんと一緒にショッピングできたのが楽しくって、私こそ色々試着させちゃってお疲れになったんじゃないかしら…。なんでも似合うから調子にのっちゃって。」
「葵さんのチョイスがいいからですよ。」

 楽しい時間はあっという間で、赤井と別れる頃には辺りは真っ暗だった。普通なら食事でも一緒に、となるところではあるが、あまり一緒にいてボロが出てはいけないと思い早めに切り上げさせてもらったのだ。

「葵さんさえよければ、またお付き合いしていただけますか?」
「っ、勿論!!」
「良かった。あっ、それとコレ、受け取ってくれませんか?やっぱり私ばかり買いものしてたのが気になってしまって、今日のお礼だと思って。」

 そうして赤井は小さな紙袋を渡してきた。一体いつ買ったのだろうか、まったく気付かなかったが了承を得てその場で開けさせてもらうとシンプルなゴールドのブレスレットだった。

「葵さんに似合うと思って。是非、受け取ってください。」





 それから、ベルモットに協力を仰ぎながら何度も赤井と葵はショッピングを行った。変装技術もより高度なものとなって、いまなら試着して一瞬肌を見せる程度であれば男だと分からないほどになっていた。一度、赤井からショッピングだけじゃなく少し遠出して美味しいものでも食べに行かないかという提案もあったが、やはりそれは色々とバレてしまうリスクを考えて了承できなかった。非常に惜しいお誘いではあったが、涙を飲んで断った。辛かった。

 最近、降谷は赤井とのショッピングを楽しみつつ、自分のクローゼットにある服をどうしたら赤井に着てもらえるかを考えるようになっていた。赤井とのショッピングは楽しい。しかし、自分がコツコツと赤井の為に選んだこの服も着て欲しい。明日はまた赤井と葵の約束の日だが、いくらなんでもこの量の服をプレゼントとはおかしな話だし受け取ってもらえないだろう。しかし今なら自分と赤井の間には服をプレゼントするという関係性ができつつある。これを買い始めた頃の自分達との関係とは劇的に変わってきている。
 引っ越して手狭になるからあげる、いや、それなら弟の家に服を置いている理由が説明がつかない。私からの気持ちだと思って…いや、一般人がこうも大量の新品の服を一気にプレゼントするのは不自然…。そうだ、いっそ俺から、「仕事柄、家の姉さんの服をどうしても処分しなくちゃいけなくなって相談したら、姉がもう要らないから赤井にあげてって言ってたから」と言うのはどうだろう。いや、そんな要らないものを赤井に押しつけるみたいな形になるのは嫌だ。だってこれは、心をこめて赤井の為に選んだ服なのだ。
 ううーん、と悩んでふと本棚の上を見ると、あの日赤井にもらったブレスレットがキラキラと光っていた。降谷の宝物だ。いつかは葵からではなく降谷零として赤井が身につけるジュエリーを送りたい、そう思いながらふとした時にずっと見てしまう。はぁ、大きく息をついて、今はとにかくこの服は置いておいて明日の服を選ぶことに決めた。またベルモットに連絡しなくては。
 
 そうしてクローゼットを閉めようとした丁度その時、葵のスマホが着信を告げた。このスマホに電話をしてくる相手は赤井しかいない。スマホにはあらかじめ変声機がとりつけてあるので、そのまま電話に出る。滅多に電話などないのに、一体なんだろう。もしかしたら明日の約束がキャンセルになったのかもしれない。

「はい、葵です。」
「もしもし、赤井です。お時間よろしいでしょうか。」
「ええ。」
「あの、以前弟さんの家でお見かけした靴についてなんですが…」

 赤井からの電話は、俺の家で見た靴で実は気にいったものがあったので明日はそのブランドの店に連れて行ってほしいという可愛いお願いだった。どこのメーカーのものですかと聞かれ、開けっぱなしにしてあったクローゼットの下に置いてある靴をガサガサと探る。赤井が気にいったのは、俺も一目ぼれをして買った真っ赤なローヒールのパンプスだったようだ。いちいち店までいかなくても、欲しいなら全部お前にやるのにと思いながらも、靴の入っていた箱を見つけ出してブランド名を読み上げる。

「ああ。このお店だったら明日行こうと思っていた場所の近くにも支店があるから大丈夫ですよ。」
「それは良かった。ところで、今葵さんは弟さんの家にいらっしゃるんですか?靴が手元にあったようですが。」
「いえ、少し前に使おうと思って弟の家から運んでいたんです。」
「なんだ、そうだったんですか。」

 ものすごく残念な様子で赤井がため息をついた。それが、どうにも演技がかっているようで、少し引っ掛かった。

「実は、今から弟さんの家に伺おうと思っていたのでもしかしたら会えるかななんて思ったんですが、残念です。」
「え!え、弟の家に行くんですか?」
「ええ、前に借りた服を返しに行こうと思って。ほら、この前お話した雨の時に借りてしまった葵さんの服ですよ。」

 や、やばいやばいやばいやばい!今来られるのはやばい!さっきの靴が手元にあるくだりもそうだが、もらったブレスレットに以前赤井と買った服にと、前回よりも見られるとまずいものが増えすぎている。

「弟…家にいるかしら?あの子ほら、仕事が忙しいからもしかしたらいないかも。」
「いえ、彼の部下から彼の在宅は確認がとれています。」
「あ、あらそうなの?でもどうかしら、弟のことだからどこかに遊びに行ってしまっているかも。」
「どうでしょうね、あっ、到着しました。」

 ピンポーン…と間抜けなインターフォンが響き渡る。ここのマンションはセキュリティもしっかりしている新築なのに、なぜかインターフォンの音だけは昔ながらのこの音なんだよなぁ、と一瞬意識が飛ぶ。

「おや、電話越しにインターフォンが聞こえましたが、葵さんもお客さんじゃないですか?」
「え?あ、そうね。」
「では電話を切りましょうか。おかしいな、弟さん出ませんね。もう一回鳴らしてみようかなァ。」
「あっ!ほんとだお客さんだわ!!では赤井さん、また明日を楽しみにしているわね!!」
「ええ、私も。」

 焦って通話を切った直後にもう一度インターフォンが響いた。居留守を使おうかと思ったが、赤井は俺の在宅を確信していたのでそれは難しいだろう。それにアイツのことだ。最悪俺が出なくても、俺の帰りを待つという名目でいつまでも家の前で待つことだろう。
 どうしようどうしようどうしよう。そう考えているうちに3回目が鳴らされた。もう、こうなったら死ぬ気で色々誤魔化すしかない。とりあえず、クローゼットは絶対に開けない。アイツにもらったブレスレットは大切に引き出しの奥にしまう。これでなんとか、なんとかするしかない。そうだ、もういっそ服だけ受け取って帰ってもらおう。
 4回目が鳴らされる前に、意を決して通話ボタンを押す。玄関を映すカメラには、いつもの真っ黒なジャケットを着た赤井が映し出されていた。元より凶悪な顔をしているが、心なしか今日はいつにも増して人相が悪い気がする。

「はい降谷です。」
「宅配便です。」

 あ、俺詰んだわ。



「宅配便です。」

 そう言って俺の家を訪ねてきた赤井は、その日、驚くほどすんなり帰った。まあ、俺としても見られるとまずいものが山のようにある部屋にはあげるつもりはなかった。どれだけ引き下がられようと、部屋の前で服だけ受け取って帰すつもりだったし、今から外出するところだったとか何とか言って、赤井を家まで送り届けようと画策していたのだ。
 なのに、

「この服、返すのが遅くなってしまってすまなかったな。葵さんにはコチラからも礼を言ってはいるが、君からもまた言っておいてくれ。真純が美味しいと言っていたチーズケーキを一緒に入れているから、君の冷蔵庫に入れておいてもらえるか?賞味期限は2週間、その間に葵さんに渡せるか?」
「はぁ…。」

 そんな会話をして、そのまま赤井は部屋に入れろと言うこともなく帰っていった。正直に言って拍子抜けだったし、だったら「宅配便です」という言葉は一体なんだったのだろうか。

「って、弟がずいぶん不思議がってましたよ?なぜ宅配便だったんですか?」
「そんな風にとられていたんですね。私としては、服と言うよりもケーキを運んできた、という意味で使っただけだったのですが。」
「あら、赤井さんって意外とお茶目なんですね。」
「お茶目、ですか…。」

 あからさまに苦笑いをする赤井を前にして、グレーのネイルを完璧に仕上げた指先でちょこんとカップを持ち、ふうふう冷ましながら紅茶を一口飲む。その手首にはキラリとゴールドのブレスレットが輝いている。
今日も今日とて約束通り葵と赤井はショッピングを楽しみ、今は休憩として喫茶店でのんびりした時間を過ごしていた。冬にしては暖かい日和で、さすがにテラス席の営業は4月からだと断られたが、綺麗に手入れしてあるプランターの花を眺めて外の風にあたりながらお茶を楽しみたかったくらいだ。暖かい陽気に、のどかに鳥の鳴き声が響く中で無害そうに平然と話す赤井を前にして、俺の第六感は告げている。「赤井秀一はそんなに可愛らしい女ではない」と。
 この女、頭の中では一体何を考えているか分かったものではない。確かに、今日買ったニットもパンプスも最高に似合っていた。赤井のスタイルを隠すことなく、だからと言って露出しすぎることもなく、抜群に赤井秀一という女をひきたてるものを選んだと自信を持って言える。だが、それとこれとは別の話だ。

「赤井さんは、あと今日なにか買いたいものとかありますか?」
「いえ、今日はパンプスを買うのが一番の目的だったようなものなので。葵さんは何か?」
「ええ、服ではないのだけど、昨日赤井さんが持って来てくれたケーキに合うコーヒー豆を調達したくて。少し歩いたところにいい豆屋さんがあるから、お付き合いしてくれるかしら?」
「ええ、勿論。」
「それで、もしよかったら今度は私の家に遊びに来てくれない?」
「え?」
「弟に写真を送ってもらったけど、とても1人じゃ食べきれないわ。だから、一緒に食べましょう?」

 そう言って口角を極限まで上げてにっこりとほほ笑んだ俺は、もう引き返せないところまで来ているのだ。最初はその場しのぎでついた軽い嘘だったかもしれない。降谷零の姉という架空の人物を作り出し、簡単な変装をして赤井を欺いていた。しかし、俺を誰だと思っている。架空の人物を作り出すことなんて朝飯前。かつてトリプルフェイスを使いこなし国際的な犯罪組織を壊滅に追いやった俺にかかれば、完璧に葵を演じきることなんて容易いものだ。
 見てろよ赤井秀一、お前が何を思って俺の目の前で呑気にコーヒーを飲んでいるかは知らないが、降谷葵は一生、それこそお前が死ぬまでお前の友達としてこの世に存在してやる。

 そう、降谷零という男にとって、「赤井秀一に負けたくない」とい思いの前には己の恋心ですら些細なものなのだ。今や、降谷の頭には自宅の服をどうやって赤井に着せるかなんて問題はどうでもよくなっていた。





 そして、チーズケーキの賞味期限があと5日となった日に、降谷は赤井を家に招いた。一般的なアラサ―のOLが1人暮らしをするには少しだけ広い部屋。内装の多くはディスカウントショップで揃えたが、ソファだけはブランドにこだわって鮮やかな青いものを用意した。クローゼットの中には赤井と一緒に買った服に、俺の家のものを一部持ち込んで収納したが、いくつかは収まりきらずに部屋の隅の収納ケースにおさまっている。
 今や、降谷葵には戸籍もある。働いている職場は新宿のベンチャー企業で、そこで課長相当の地位についていた。勿論、実在する企業だ。以前、警察関係者と付き合っていた期間があるが、すれ違い生活のため破局。ここ3年は浮いた話はないが、国内旅行が趣味で様々な所に1人旅をしている。そうして、この1週間で、降谷葵は間違いなく社会的にこの日本国に存在する人物となり得ていた。

「お邪魔します。」
「どうぞ。」

 赤井は青いソファに座ると、控え目にきょろきょろと部屋を見渡してから、キッチンで飲み物の用意をする俺をグリーンの瞳に映した。

「とても、葵さんらしい部屋ですね。」
「私らしい?」
「ええ、イメージ通りと言いますか、この場所にいるだけで落ち着くような…思わずくつろいでしまいそうです。」
「ふふ、なんならそのソファでひと眠りしていただいてもいいですよ?」
「いやいや。」

 なんてことはない無駄話をしているように見えるかもしれないが、潜入中というのは1秒1秒が命のやり取りだ。どこから綻びが出るか分からないし、自分では万全の態勢だと思っていても、相手はあの赤井秀一。一瞬たりとも油断はできない。
 しかも今は、自分の部屋に赤井を招くと言う…言わば最もボロが出やすい場所にあえて敵を招いているのだ。しかし俺は怯んだりはしない。むしろ、今日はコイツに、嫌ってほど降谷葵の存在を刻みつけてやる。

「すこし苦めに入れたのだけど、どうかしら?」
「ケーキと合って丁度いいです。美味しい…。」
「それは良かった。このケーキは妹さんオススメのものと聞いたけれど?」
「どうも、友達と一緒に食べて美味しかったようで。あまりにも幸せそうにその話をするものだから私も気になってしまって。」
「あら、ではやっぱりお誘いして正解でしたね。」

 赤井の持ってきたケーキは噂にたがわずとても美味しく、中からベリーの甘酸っぱいソースが出てくるのがまた後味も良くしていた。ホクホクとしてケーキを食べる赤井も本当に幸せそうで、今度はショッピングだけでなく美味しいものを一緒に食べに行くのもいいかもしれないなんて気持ちにさせられる。
 ケーキを食べ、コーヒーもおかわりし、その間にも赤井と葵の他愛無い話は続く。ケーキの話、職場の同僚の話、昨日うっかりうどんを茹ですぎたという話、この前買ったパンプスが好評だった話…疑ってかかっている俺が1人で馬鹿みたいな気持ちにすらさせられる程に楽しい時間だ。赤井も本当に穏やかに笑っているが、相手を探っているとは気取られないように探りをいれる。捜査の基本中の基本だ。コイツが俺の部下だったとしたら、花丸満点でどこかに潜り込ませるだろう。

「最近葵さんとお話するのが、本当に楽しいです。」
「この美味しいケーキがあるから、じゃなくて?」
「いえ、ただ葵さんと一緒にいる時間が好きなんです。恥ずかしながら、こんなにも何でも話せる友人というものがいなかったのかもしれません。」
「…」
「これからも、私といい友人でいてくださいね。」
「…勿論よ。」

 ニコッと目を細め赤井を見やる。…今、俺は動揺なく笑えているだろうか。これは、降谷葵としてでも、降谷零としてでも、赤井から言われるには少し辛い言葉だ。
 降谷零はお前のことが好きだし、友人以上の存在になりたいと思っている。葵としてはいい友人のままでいられるだろうが、これから一生葵として傍にいるのは難しい。そもそも葵は、程良いタイミングでスイスに転勤する計画がたっているのだ。
 いっそ言ってしまおうか、とは思わない。俺は葵としてコイツと最後まで関わると決めたし、それが俺が作りだした姉への礼儀だ。どこかズキズキと痛む心に蓋をして、俺は葵を演じる。バーボンだった時にはなかったこの胸の痛みの理由も明確だが、それは俺が受け入れるべき痛みだ。己が愛する女を騙すというのは、こういうことなのだろう。

 そろそろケーキが食べ終わると言う頃、赤井の携帯が鳴った。いつもはマナーモードにしているはずだが、音が出るようにしているとは珍しい。
 着信に対して、申し訳なさそうに俺の顔を見る赤井に対して、アイコンタクトで出てもいいことを示す。もし仕事ならば、無視できるようなものでもないだろう。おずおずとソファを立ち、廊下に向かう赤井を見送って、自分は自分で食器の片付けをする。恐らく、電話を終えたら赤井は帰っていく。
 案の定、2分程度で通話を終えてリビングへ戻ってきた赤井は、眉をハの字にして帰らなくてはいけなくなったことを話してきた。残念ではあるが、十分にティータイムは楽しんだことだし、最後まで赤井から葵に対して言及もなかったので、これ以上お喋りをしても特に進展もなかっただろう。
この埋め合わせは必ず、と言って以前一緒に買ったショートコートを羽織る赤井の為にタクシーを呼び、マンションの前まで送ると申し出る。本当は送っていこうかと提案したかったが、流石に葵の車を用意する程手は回っていなかった。
 タクシーが来るまで数分かかるとのことだったので暫く家の中で待つことも提案したが、このマンションのエントランスは十分に空調も効いていることと、タクシーが来たらすぐに帰らないといけないということでエントランスで待つことにした。タクシーが来るまでの時間も、赤井はこのマンションは綺麗で防犯もしっかりしているだとか、ゴミ捨て場が屋内からいける場所にあるのは便利だなどと言って、葵を退屈させることはなかった。むしろ、掲示板を見ては地域のイベントについて言及したり、管理人が用意したであろう観葉植物を褒めたりして、エントランスをくるくる回り楽しそうに話す姿は、まるで普通の女だった。
 今更ながら、今日の服装もクリーム色のショートコートに紺色のAラインワンピースでとても似合っている。このワンピースの特徴は、裾の長さが前から後ろにかけてなめらかに長くなっていることで、長い赤井の脚を更に魅力的に見せており、動きに合わせてふわりと動く様子には誰もが目を奪われこと間違いないだろう。この服装のままどこに行くかは分からないが、できるならば他の男には見せて欲しくはない。葵の家に来るために赤井が選んだこの服は、俺だけが見ればいい。

「あっ。」

 ふと赤井が声を上げたので、タクシーが来たのかと思って顔を上げるが、まだその姿は見えない。何を見つけたのかと、再度隣の赤井の顔を見ると、フワリと笑って外に向かって手を振って…一体何に向かって手を…。

「…は?」

 そこには、朗らかな笑顔で赤井に手を振り返す沖矢昴がいた。相変わらずのハイネックにロングスカートで、なにやら大層な荷物を持っている沖矢昴が赤井を見つけて口をパクパクさせて何かを伝えている。

「……えっと、どちらさまで?」
「ああ、ちょっとした知り合いなんです。…すみません、何か呼んでいるようなので行ってきていいですか?」
「ああ、はあ、いや、……俺もご一緒していいですか?」





「沖矢さん。どうされました?」
「赤井さん、以前借りていた本をお返ししようと思ってずっと持ち歩いていたのですが、偶然お姿が目に入ったもので思わず…すみません、何かお邪魔してしまったでしょうか。」
「いえ、丁度帰る為のタクシーを待っていたところだったんですよ。」
「すみません、出先で…。」
「いえいえ、こちらことずっと本を持ち歩かせてしまって申し訳ないです。」

 なんだ、これは。
 俺の目の前で一体何が行われているというのだろう。赤井秀一は赤井秀一で、沖矢昴も赤井秀一だろう?は?

「紹介します。友人の葵さんです。」
「…初めまして葵です。」
「沖矢昴です。」

 そうして、自己紹介が終わった頃にタクシーが来て、赤井は帰って行った。
 すると、沖矢昴ももうここには用は無いと言わんばかりに別れの挨拶をして、また何が入っているのかと思う程の大荷物を引きずりながら去って行こうとした。が、ここで慌てて連絡先を聞いたことは言うまでもないだろう。
 

 …そうか、お前がそういう気ならコッチにも考えがある。
 上等だよ赤井秀一…覚悟しやがれ…。





 その日から、葵は時に赤井とショッピングを楽しみ、時に沖矢昴とメールのやり取りをした。自分でも何をやっているのだろうと思わなくはないが、こうなったら沖矢昴の化けの皮を剥がしてから降谷葵としてスイスへ高跳びしてやろう。
 目指すは完全勝利。その他の業務との兼ね合いで、スイスまでは最大であと3週間だ。

「今日は沖矢さんもランチにお誘いしたのですが、残念ながら断られてしまったんですよ。」
「おや、いつの間に葵さんは沖矢さんとそんなに仲がよくなったんですか?」
「ええ、この前の時に連絡先を教えてもらったんですが、赤井さんと同じように随分知識が豊富な方でお喋りしていると楽しくって。」
「そうだったんですか…。」
「?」
「いえっ、私が言うことじゃないんですけど…。」
「なんでしょう?」
「あー、いや、なんというか、今までは私だけの葵さんだったのが、沖矢さんに取られるかと思うと少し妬けてしまって。すみません、子供のようなことを言ってしまって。」
「ふふ。」

 照れたように笑いながらサーモンのソテーを切り分ける赤井に、どの口がそんなこと言ってんだこの女狐が、と言いたい気持ちを堪えて副菜のアスパラガスを飲みこむ。うん、美味い。

「もうあと少しでスイスに行かれてしまうんですよね…。なんだか寂しいです。」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。でも、アチラでの仕事は夢だったのよね。」
「弟さんも寂しがってませんか?」
「弟?アイツなんて、私がいなくなって清々するとでも思ってるかもしれないわよ。もう部屋に服を持ち込まれなくて済む、ってね。」
「そんなものですかね。」
「ええ、そんなものよ。」

 ここで、ふと気がつく。赤井から葵の弟、つまり俺の話が振られるのは初めてのことだった。今まで、故意に話題にしていなかったのか、偶然かは分からないが、2人の唯一の共通の知人である降谷零の話題をここまで出さないというのも不思議な話な気がする。

「弟と赤井さんは、お仕事の関係で知り合ったんでしたよね?」
「ええ。」
「それにしては、家に行ったりして仲がいいのね。」
「ああ、いえ、最初は本当に偶然で。弟さんは優しいので、雨でずぶ濡れだった私を放っておけなかったんでしょう。」
「でも、弟の性格上、それだけで自分の家に女性をあげるとは思えないわ。雨で濡れていたのが赤井さんだったから、部屋にあげたのかもしれないわよ。」
「ふふ、まさか。」
「まさか?」
「私は彼に、嫌われていますから。」

 ちょっと待て。それは誰の、いつの話だ。

「嫌われて?」
「ええ、取り返しのつかないことをしてしまいました。だから、彼が私に特別な感情を抱くことなんて、ない。」





 どうなっているんだ、どういうことだ。あの件に関して確かに改めて話を出したわけではないが、例の組織だって日本とアメリカ、世界各国が協力して壊滅に追い込んだ。間違いなくその作戦で第一線に立ってたのは俺と赤井だ。それからだって、会議だなんだと同じ時間を過ごすうちに普通に話せるようになって、時には一緒に昼飯なんて食いに行ったりもしたじゃないか。コンビニで買って来た新商品が美味いだ不味いだと騒いでみたり、組織のこと以外でもアイツの頭脳が日本のテロ組織を追い込んだことだってあった。
 アイツにとって、俺との記憶はずっとスコッチのことで止まっていたとでも言うのか。そんな酷いことはない。それ以降に俺達が育んできた絆は無かったことになっているのか。俺のこのお前に対する気持ちすらお前に否定されるのか。

 その日家に帰って、俺はクローゼットの中のものを全てゴミ袋に詰めた。酷く裏切られた気持ちだったし、こんな、赤井の為に選んだ服なんてむなしいだけだ。残念ながら燃えるゴミは今日だったので、明明後日までこれの回収はない。でも、もういい。明日と明後日は適当な理由でもつけて職場に泊まり込めばいい。葵も…もう演じる必要がない。赤井には予定が早まったとか言って連絡をして、もう二度と会わなければいいだけの話だ。
 そこで、葵の携帯が着信を告げる。メールか。どうせ赤井からならば、折り返しでついでに別れの連絡をしてしまおう。
 ゴミ袋に埋め尽くされた寝室をあとにしてリビングの携帯を確認すると、赤井からではなく沖矢の方からの連絡だった。今日のランチを断ってしまったことに対する謝罪と、よければ明日、改めてお茶などできないだろうかというお誘いだった。…どこまで俺をコケにして、無様な気持ちにさせれば気が済むのだろう。

 もう、これで最後だ。そう思いながら、俺は了承の返事を送った。





「昨日はすみませんでした。ここのコーヒー、私の一押しなんですよ。お詫びになるか分かりませんが。」
「いえ、沖矢さんも忙しいのに、お誘いありがとうございます。本当に、美味しい。」
「気にいっていただけて良かった。…まあ、弟さんのコーヒーには劣るかもしれませんが。」
「おとうと…。」

 胡散臭い笑顔を振りまきコーヒーを飲む沖矢昴の喉元は、見えない。俺も最後の葵として、全力で相手をする。
 沖矢昴の服装は、ハイネックのセーターに重たそうなロングスカート、足元もやぼったいムートンブーツだった。まったく似合っていない。赤井秀一のいいところを全て覆い隠している。沖矢昴が腕を動かしてコーヒーカップを口元まで運ぶたびに、だぼついた袖元がだらしなく揺れる。ああ、似合っていない。
 葵と沖矢はメール同様に他愛無い話をして、そして、

「弟さんはお元気ですか?以前はやたらとよく会っていたのですが、最近めっきり会わなくて。」
「ああ。喫茶店のバイトもやめて探偵一本でやれるようになったと言っていたので、忙しいのでしょう。」
「そうですか…彼のコーヒーが飲めなくなったのは残念ですが、きっと探偵としてもご活躍されているのでしょうね。」
「どうかしら。」

 沖矢昴はやたらと安室透の話を出した。そのたびに、むかむかした気持ちが更に増幅していく。むかむか、むかむか。もう吐きそうだ。
 
「弟さんは、」
「沖矢さん。」
「はい?」
「実は私、スイス勤務になったんです。明日にはもう日本を発ちます。」
「明日…それは随分急ですね。」
「急?いえ、前から決まってはいたんです。ただ、少し早まっただけで。」
「そうですか。…赤井さんはそれを知っているのですか?」
「いえ、バタバタしてまだ連絡はしていないのですが、今晩にはお伝えしようかと。」
「それは、きっと彼女、悲しみますね。」
「そうでしょうか?」
「…葵さん?」
「沖矢さん、出ましょう。」
「え、ええ。」

 この前赤井と出会った時は暖かかったのに、今日はいつ雨が降り出してもおかしくないほどに暗い空をしている。急に席を立った葵に慌てて着いてきた沖矢は、一定の距離を保ったまま俺を追ってきているが、近づいてくることもなければ、話しかけてくることもない。…ああ、駄目だよ赤井。こんな、明らかに不審な動きをする相手に対しては何かしら話しかけないと、自分の方にやましいことがあると言っているようなものだ。やっぱりお前が俺の部下ならとてもじゃないが潜入は行かせられない。
 スタスタと歩いていた足を止め、クルリと振り返る。そこには、相変わらず食えない表情をした沖矢昴がいる。

「沖矢さん、今から私の家に来ませんか?」
「はい?」
「ほら、転勤になったって言ったじゃないですか。それで、実は処分に困っている衣服が沢山ありまして。使っていない新品同然のものもあるので、もし沖矢さんの好みのものがあれば引き取ってもらえると助かるのですが…。」
「そんな、いいんですか?」
「ええ、沖矢さんが必要なければ捨てるだけのものですので。」
「…それなら、是非。」

 そして、葵は沖矢を部屋に招いた。ゴミ袋まみれの零の自宅に、だ。





「ここが葵さんの部屋、ですか?」
「ええ、ゴミ袋にまとめてしまっていて申し訳ないですけど…ほら、この赤いパンプスとか、貴方が欲しがっていたやつですよ?」
「葵さん…?」
「沖矢昴、もうこんな茶番は終わりにしましょう。」

 葵の仮面がもう保てない。葵という女は、普通の、ちょっと浪費癖のあるOLで、ベンチャー企業に勤めていて、警察官関係者と付き合ってたけど3年前に分かれて、国内の1人旅が好きでああああ。いや、もうそうじゃない。
 沖矢昴を前にして今ここに立ってるのは、赤井秀一のことが好きで、無様にも赤井に似合いそうだなんてとんでもない理由で使う予定もない服を買い漁って、それがばれそうになったからと言って架空の姉を作りだした馬鹿な男だけだ。
 ゴミ袋の山の中で呆然と立ってこちらを見ている沖矢昴は、いつも以上に何を考えているのか分からない。だが、その姿を見て俺の苛立ちが臨界点を超えたのだけは確かだった。

「赤井秀一、俺は、お前が好きなんだよ。」

 そう言って、着ていたジャケットを脱いでそのまま床に落とす。そのままシャツのボタンも1つずつ外して、色気のないブラジャーを露出する。そして、パットもろともに下着も脱ぎ捨て、上半身は男のそれになる。

「その服だって、お前に似合うと思って勝手に買い集めたんだ。気持ち悪いか?そりゃあ気持ち悪いよな。付き合っても、ましてや自分のこと嫌ってると思ってる相手に勝手に服なんて買われてたんだもんな。」

 輪郭を丸く見せていたメイクをバリバリと剥がし、手で思いっきり擦って目もとのメイクを落とす。付けまつげがボトリと音をたてて落ちた。メイクを剥がすと同時に、その中に仕込んでいた変声機も一緒に取れた。

「好きなんだ、赤井。俺の気持ちを否定するな。」

 そして、沖矢昴との間にあった5歩分の距離を詰めていく。1歩1歩ゆっくり歩くが、ストッキングをはいた足ではフローリングに踏ん張りがきかず空滑りする。ああ、わずらわしい。
 訳のわからない、腹立たしい沖矢昴の顔を剥がそうと、ゆっくりと首元に手をのばす。あと数pで襟元に届く、そんな時に、沖矢の左手が俺の腕を掴んだ。コイツ…この後に及んで…!

「あかいっ…!」
「その言葉が聞きたかったんだよ。降谷零君。」

 自信満々に俺を読んだその声は、俺の好きな相手の声だった。





 それから、「ちょっと待ってくれ」と言った沖矢昴は俺を置いてスタスタと洗面所に入っていった。そして、2分もかかっていないだろうかという時間ですっかり赤井の顔になって戻ってきた。するとまた「もうちょっと待ってくれ」と言って、ゴミ袋から数枚服を出して、それを持って再び洗面所に行ったと思ったら、今度は1分もかからないうちにその服を着て戻ってきた。
 そして、リビングのソファに腰をかけ、長い足を組み、あれからずっとその場に立っていた俺を見上げて一言。

「コーヒーを入れてくれないか。話が長くなる。あと、そろそろ着替えることをお勧めするよ。」







「それでさ、アイツなんて言ったと思う?新一君。」
「…さあ、なんでしょう…」

 久しぶりに話がある、と言って降谷さんに呼び出された時から嫌な予感はしていたが、この人が断るという選択肢を用意しているわけもなく、決定打の「夕飯、焼き肉、神戸牛」という台詞にまんまとつられてやって来たわけだが…帰りたい。だが、肉は美味い。
 仕事だと言ってあっさりアメリカに帰った全ての元凶である赤井さんを恨めしく思いながらただ肉を食うことに集中する。すげぇ、やわらかい、美味い。少し前に赤井さんと食べた蟹と張る美味さだ。

「新一君。君にはこの話を真剣に聞く義務があると思うけど、どうかな。」
「…ナンノコトカナー。」

 こりゃ、前に沖矢昴の格好してたのが俺だってばれてるな。

 そもそも、赤井秀一は最初から全て分かっていた。そう、最初から。
 まず降谷零の存在が露呈したあの時点で、簡単な家族構成程度は調べられていると何故降谷さんほどの男が考えつかなかったのか不思議に思うが、恋が人を馬鹿にするとはこういうことなのだろう。

「その後着替えてコーヒーを入れた俺に対してさ、そこから30分駄目出しだよ。信じられる?今思っても死にたくなるくらい情けない状況とはいえ、仮にも思い切って告白した男を前にして駄目出し。俺は信じられないよ。葵として初めて会ったときに体型を隠す服を着ていたことがまず駄目だ、クローゼットの中に入っていた服とは好みもチョイスも違いすぎるって。あと、買いものは一緒に行くけど他の誘いには乗らないこもやましいことを隠しているのがバレバレだし、他にもああだこうだ…。ああ、信じられないよ。信じられない。」

 ひたすら肉を食いながら降谷さんの話に相槌をうつ。うんうん、そうだよな。赤井さんも分かっててやるんだからタチ悪いよなうんうん。

「沖矢昴の真似ごとまでして俺を追いつめたくせに、結局その日俺がまとめていたゴミ袋全部指さして、これ私の家に送っておいてくれ。私のなんだろう?全部。とかぬかしやがる。挙句の果てに、その日着ていた沖矢昴の服は俺の家に捨てていくんだから意味がわからない…なめられ過ぎている。あの女、いつか痛い目みせてやる。」

 そう話す降谷さんは、とても自分の想い人のことを考えているとは思えない程に凶悪な顔をしているが、まあ気にしないでおこう。おっ、この肉美味いな。どこの部位だろう。

「ねえ新一君、聞いてる?」
「聞いてますよ。でも結局赤井さんと付き合うことになったんですよね?」
「………………うん。」
「なんでそんなに不本意そうなんですか。」

 ぶすっとむくれながらビールを煽る降谷さんを前に机の下で赤井さんに「アンタの彼氏をどうにかしろ」と連絡を送ると、1分も待たないで「かわいいだろう」と返信がきた。もうこの2人は駄目だ。

 ずーっと酒を片手に受験生相手に管を巻く降谷さんには、赤井さんが降谷さんと付き合うまでに持っていた服を全部捨てた話をするのはやめておこう。俺からのせめてもの仕返しだ。だって、赤井さんが自分の選んだ服しか着てないなんていったら絶対この人調子のるよ。
それに、赤井さんにもこうして愚痴を言う降谷さんの写真を送るのはやめておこう。人でも殺しそうな程凶悪な顔をしているくせに、愛おしくて堪らないという目をするという器用な降谷さんを見たら、またあの人も調子にのるに違いない。
 机の下で、「今度は中華でお願いします。フカヒレ。でっかいやつ。」とメッセージを送信してから、大きく息を吸い込み右手を高く上げて、

「すいませーん!特上カルビ2人前追加お願いしまーす!」
「ちょっ、新一君!?」

 これくらいの良い思いはさせてもらってもいいだろう。2人ののろけ話なんて聞きたくねえわバーカ!!

2018年1月12日
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