嫁にこい♀



 暖かな日差しが差し込むリビング、ふと気付くと、ついさっきまで響いていたキャッキャという楽しげな声が静まり、パタパタという可愛い足音も聞こえなくなっていた。
「シュウー? 」
 テレビを見ていた務武がキョロキョロと辺りを見回し、腰を上げようとすると、クククと隠しきれない笑い声が聞こえてきた。その声の持ち主は、どうやら庭に出る窓のレースカーテンの裏に隠れているようだ。
 この前俺が買ってやった、赤い靴を履いているようにプリントされているお気に入りの靴下がヒラヒラと風に煽られるカーテンの隙間からは丸見えで、それどころか薄いレースの向こうで必死に声を出さないように小さな両手で口を覆っている姿までが見えているというのに、本人は本気で隠れているつもりらしい。
「シュウ?シュー?…弱ったなあ、一体どこにいってしまったのかな? 」
「…ふふっ……、」
「おや? 声が聞こえた気がしたが…うーん、どうしたものだろう。シュウの姿が見えないとパパは寂しくて死んでしまいそうだ…」
「……パパっ! 」
 キョロキョロと部屋中を見まわしていた俺が声の主に目線を向けると、光を背負い、レースのカーテンからチラリと顔を出す愛しい愛しい我が娘の姿が見えて――。
「バァ! 」
「おお! 驚いた! そんなところにいたのか」
「ふふっ」
 カーテンに絡まれながら、トテトテと可愛い足音を立てながらコチラに向かって走ってくるその姿は、まるで――花嫁だ。純白のベールを頭に纏い、明るい光に照らされたその姿は愛しい以外の感情ではあらわすことができない。
「おお…可愛い可愛い俺のプリンセス……俺の目の届かない場所にはいかないでおくれよ」
 一生嫁にやらねぇ。そう思わない父親なんて、この世界には存在しないだろう。

 □

「―――は? 」
「だからな、」
 降谷は、愕然とした。長きに渡る因縁を経て、いつの間にか恋をしていた女性に、一世一代の告白をしよう。そう決めてから数カ月、練りに練った作戦だったのだ。
 何気なくディナーに誘い、少しだけ人気のあるフレンチを一緒に食べに行った。カジュアルすぎず、かしこまり過ぎず、値段だって安からず高からずなそこは、大学生がデートに使うと言ってもおかしくはないような店だ。
 しかしその店ではデザートを食べずに降谷は赤井を連れ出した。「急用が」と言った降谷に、少し驚いた顔をしながらも「仕方がない」と言って残念そうに席を立った赤井の手を引いて連れてきたのは、店の前に手配していたリムジンだ。
「え…降谷、君」
「いいから黙ってついて来てください」
 そうして、都内の一等地。一流ホテルの最上階、夜景の綺麗なバ―にそのまま赤井を連れてきて、最高の酒と最高のデザート一緒に差し出したのは、キラリと輝く宝石が美しい一つのリングだった。そして――。
「結婚を前提に、お付き合いしてください」
 おいおい、まだ付き合ってもないのにまるでプロポーズじゃねえか。と脳内で生意気な高校生探偵(おっと今はもう大学生か)が呆れたように頬を書いたが、生憎ながら僕と赤井はそれなりの大人なのだ。単純に男女交際を楽しむ程に若くなく、結婚、出産等のライフプランを考えると「結婚を前提に」という言葉を使って交際を申し込むくらい、別に特別なことじゃない。
 それに、俺は赤井とだったら――いや、赤井とだからこそ、一緒に将来を、結婚をして家庭を築きたいと思っているのだ。
「降谷君――」
 そうして、僕の差し出したリングを見てほんのりと頬を染めた赤井がグリーンの瞳を真っすぐに俺に向けてきた。リングで輝くその宝石よりも、この場所から見える夜景の全ての光よりも、なによりもその瞳は美しい。なんて言ったら、格好付けすぎだろうか。
「赤井、返事は…? 」
「降谷君―――実は、」
「――は? 」

「私は、父親が認めるような相手じゃないと結婚できないんだ」

 その口から出た言葉は、僕の予想の斜め上をいくものだった。

 □

 赤井の父親が認めるような相手とは一体。そう考えて、降谷は己のデスクで深いため息を吐いた。そのため息を聞いて、部下の数人がピクリと肩を震わせたのを確認して、働きにくい環境にして悪いな、と思うと同時に俺に知られて困ることでもあるのかあとでアイツ等は面談だな、と考える。
赤井の言う意味は分かる。結婚するなら両親に認めてもらえるような男でないと、うん、その気持ちは良く分かる。だが――。
「それって一体どんなやつだよ」
 お前の父親死んでるんだから確認の仕様もないだろうが。心の中で呪詛を吐く。
「――あの、降谷さん」
 頭を抱えて唸っていると、目の前に見慣れたスーツの男、俺がここで一番信頼をおく風見が申し訳なさそうに立っていた。
「お疲れのところ申し訳ないのですが、この書類に判を」
 この男の結婚式に出席したのはもう何年前のことだっただろうか。そしてつい数カ月前に長女の出産祝いを渡したのは――。
「なあ。風見」
「何か不備でも」
「いや、お前の娘をさ、嫁にだすならどんな相手がいい? 」
「は? 」
 間の抜けた顔をした部下に、俺は真剣なまなざしを向ける。そう、俺は真剣に聞いているのだ。
「――娘はまだ首も座っていないのですが、気が早すぎでは」
「いいから、どんな男なら嫁にだせる。」
「―――出せま」
「上司命令だ。どんな男なら嫁にだせる? 」
「…」
 俺と風見の会話をすぐ近くで聞いていた部下が気の抜けたような声を出すのを聞きながら、俺と風見は真剣な顔をして睨みあっていた。
「そ、そんなことまだ考えられません」
「じゃあいつになったら考えられる? 娘が歩きだしたら? 喋り出したら? それとも幼稚園に入園したら?? 」
「そ、そんな」
「いいか風見。これは娘を授かったお前がいつかは考えなくてはいけないことなんだ。それなら今ここで考えろ。」
「…」
「現実から目を背けるな、風見」
「うっ! 」
 胸を抑えて膝から崩れ落ちそうな部下を目の前に、非常な指示をしている自覚はある。自覚はある、が、この質問は俺の明るい未来の為にも今すぐ応えを出してもらわなければ困る話なのだ。
「ま、まずは経済力ですね。娘を養えないような男では困ります」
「ほぉーー」
 経済力。それは問題ない話だろう。警察官として若干(?)危険な任務があるとはいえ、国家公務員としての安定もある。もし俺になにかあったとしても保障も万全だ。
「次」
「つ、次ですか…そうですね、娘を守られるくらい強くないと駄目ですね」
「ほお」
 強い男。これも大丈夫だろう。武器を持っている相手からだったとしてもアイツを守られる自信もある。そう、例え人工衛星がこの世界に降ってきたとしても。
「次」
「まだですか!? 」
 そうして、俺の明るい未来の為の尋問は続いた――。

 □

「赤井」
 仕事帰りの赤井を捕まえて、俺は自慢の愛車に彼女を連れ込んでいた。父親が認める相手じゃないと結婚はできない。そう言われてから初めての逢瀬だ。
「赤井、僕の話を聞いてくれますか? 」
「――ああ」
 仕事帰り、呑気に某コーヒーチェ―ン店の新作をご機嫌で飲みながら歩いていた赤井を無理やり車に連れ込んでおきながら「話をきけ」と言うのも今更の話ではあるが、ちゃんと前置きをしてから俺は話だした。
「赤井はこの前言いましたよね。『結婚するなら、父親が認めるような相手じゃないと』って」
「確かに言ったな」
「…でもね、僕、思うんですよ。貴女のお父さんに認められるような男であることは確かに大切だと思います。けど、一番大切なのは、貴女の気持ちじゃないですか? 」
「私の、気持ち…」
「大切な娘が選んだ相手なら、娘が幸せになれるなら。そう考えるのが父親ってもんじゃないですかね? 」
 ――多分。という言葉は言わなかった。
 結局、あの日風見に詰め寄り(決してパワハラではない)出した結論は、これだった。現に一人の娘を実際にもっている風見だって言っていた。「娘が選んだ相手なら、信じます」と。唇をかみしめ、涙を流して言っていた。
「ねえ、赤井はどう思うんですか。僕のこと。僕は、赤井とこれからずっと一緒にいたいと思いますよ。困ったことがあったら助けてやりたいし、悲しいことがあったら笑顔にしてやりたい。親御さんが、そうですね、もし万が一介護が必要な状況になったら僕だって協力して介護もするし一緒に看取りもします。いい医者を探しておきましょう。それに、」
「…ふ」
「赤井? 」
「いや、交際を申し込まれた時に親の看取りまで話をしてくる相手は初めてだ、と」
 クスクスと口に手をあてて笑う赤井に若干ムッとする。
「僕は、貴女が両親に認められるような男じゃないと、って言うから真剣に」
「分かっているさ。分かっているが、結婚の挨拶をしに私の家に行った時にその話をすると、君は私の母に一発くらいは殴られそうだな、と思ってな」
「なにをっ………い、今なんて言いました? 」
「母に殴られ」
「その前! 」

「そこまで覚悟があるんだ。結婚の挨拶くらい、しに来てくれるんだろう? 」

 そうして、俺と赤井は結婚することになった。頭のなかで高校生(今は大学生)探偵が「色々とふっ飛ばしすぎだろ!? 」と頭を抱えていたが、大人とは色々あるのだ。そういうこともある。

 □

「で、結局赤井さんはそれでよかったのかよ」
 純白の衣装に身を包む赤井にそう声をかけたのは、すっかり大きく、頼りになる男になった大学生探偵だった。
「どうしてそんなことを? 」
「いや、やっぱり何回二人のいきさつを聞いても、赤井さんが押し切られたようにしか思えなくてさ…」
 降谷さんには悪いけど、と話をする新一に、私は「そんなことより花婿より先に私の花嫁姿を見た、と言った方が彼は怒りそうだが」と言う言葉を飲み込んだ。
「ふふ」
「…なんだよ…俺は純粋に赤井さんの心配をさ」
「新一、後学の為に一つ教えておいてやろう」

「女はな、何も思っていない男と二人で食事に行ったり、車で二人きりにはならない
ものなんだよ」

 じゃあ最初からノロケ話かよコノヤロ―。そんな彼の呟きは聞こえなかったふりをして、赤井は真っ白なハイヒールを鳴らして歩き出した。
 扉の向こうには、私の夫になる男がいる。

2018年12月5日
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