どうしようもない!



 ふと、「会いたいな」と思う人がいる。
 青い空を見ては会いたいなぁと思うし、目玉焼きが上手く焼けたら会いたいなぁと思うし、眠る前にベッドで寝がえりを打っては会いたいなぁと思う。
「こんな俺を、女々しいと思うか。降谷君」
 そう、俺に訪ねてきた男に、俺は何も言い返すことができなかった。

 ここでお前を女々しいなんて言ってしまえば、俺は一体どうなるんだ。バカヤロー。

 ・

 珍しく昔の夢をみた。
 組織を潰したその日の夜に、土煙舞う地獄のような光景を前にして赤井は、夜空を見上げながら呟いた。その時の夢だ。
最初は、独り言なのだろうと思った。アイツの声はあまりにも小さくて、とてもじゃないと誰かに伝えようとしているとは思えない声量だったからだ。しかし、優秀な俺の耳は、鳴り響くサイレンと飛び交う怒号の中でも、アイツの声をはっきりと捉えた。
聞いたことも無い弱弱しい声に驚いて赤井を見ると、アイツはまるで一人で違う世界にいるかのような顔をして空を仰いでいた。
その日の空は雲一つなくて、この明るい街からでも眩しいくらいに星がしっかり見えたのをよく覚えている。それこそ、夢に見る程よく覚えている。
空に向かって呟いた赤井は、最後に俺がその言葉を聞いているのを知っていたと言わんばかりにゆっくりと俺に向き直り、「女々しいか」と尋ねてくるのだ。

そんなの、卑怯だろう。

俺は、この夜空を見た時だって、ベルモットにやられたこの頬の傷が痛む時だって、朝このスーツに腕を通した時だって、お前を思い出しているよ、なんて。とてもじゃないけど俺はそう言えなくて。
「――そんなの、知りませんよ」
 そう応えるのが精いっぱいだったのだ。

 ・

 むくりとベッドから起き上がって、うん、と大きく伸びをする。未だかつてないほどに気分の悪い朝だ。
 ベッドでまどろむ気持ちにもなれず布団から出ると、ひんやりとした空気に思わず上着を羽織った。日中はまだ暑い時もあるというのに、朝晩はすっかり冷えてしまった。もう夏が終わったのだ。
 季節が一つ巡った。それは俺にとっては十分すぎるほどに会いたいと思う理由であったが、どうにも女々しいと言われるのは癪なので気づかなかったふりをする。
 リビングに向かい、カーテンを開けると外はもうぼんやりと明るくなっていた。しかし、少し前まではこの時間でもうすっかり太陽が昇っていたことを考えるとやはりもう秋だな…と、いや、もうこの話はやめよう。

「おはよう」
「おはようございます。今日は随分と早いですね」
「早いんじゃないさ。さっき帰ってきたばかりだ」
「また僕の日本で無茶してるんじゃないでしょうね」
「まさか」

 リビングでは、いつもの真っ黒な服を着た赤井が、嫌味な程に長い足を組みながら朝刊を読んでいた。どうしてこの男はいつもカーテンを開けないのだろうか。

「コーヒー、ありますか? 」
「ああ。ついさっき淹れたばかりのものが。用意しよう」
「ありがたいです」
「オマケにトーストはいかがかな? 」
「いただきます」

 では君はそこに座っているといい。そう言ってポン、と俺の頭に手を置いた赤井がキッチンへ消えていくのを見て、目玉焼きもリクエストしようかと思ってやめた。家に卵がなかったからだ。
 トーストにはおそらくバターとジャムを塗ってくれるのだろう。作ってくれるのはいいが、俺的にはもっときっちり隅々までバターを塗ってほしいし、べったりジャムを塗ってパン本来の味を全て打ち消すあれをどうにかしてほしいと毎回思うのだが、今更言い出すものどうかと思ってしまって俺はずっとゲロゲロに甘いパンを食べるはめになるのだ。
 赤井がキッチンでごそごそしているのを横目に、さっきまで赤井が座っていたソファに腰掛けてさっきまで赤井が読んでいた新聞を読む。リコール対象の車がどうだとか、先日の通信会社の大規模なシステムトラブルの影響で重役が辞任するだとか、そんなニュースに挟まれて小さく東都の犯罪検挙数が過去最低を記録したという記事が載っていた。
 その記事を、犯罪を未然に防止できているとみるか、それとも検挙できない犯罪が増えているとみるべきか…とそこまで考えて、キッチンから漂ってきたパンの焼けるいい匂いに気を反らす。
 チン、とトースターがなると同時にごそごそとしだした赤井の気配を背中に感じつつ、テレビの電源を入れた。
朝のニュースでは、お天気お姉さんが「今日は雨の心配はないでしょう!元気にいってらっしゃい!」なんて言ってガッツポーズをしていた。彼女は確かに若くて美しくて、ついでに言うと脚も綺麗な美人だが、朝のこの時間から仕事に行く人間の何割程が彼女の一言で元気になれるものか。なんて、少し意地の悪いことを考えてみる。

「おまたせ」
「ありがとうございます」

 コーヒーとトーストを持ってキッチンから帰ってきた赤井は、俺の前にそれを置くと自分はダイニングテーブルの方に腰かけた。そして、さっきから飲んでいた自分のコーヒーをズッとすすり、俺と同じようにテレビをぼんやりと見た。
 俺はと言うと、予想通りに真っ赤に染まったパンを見て、ただ量を塗ればいいってもんじゃねぇぞと思いながらも豪快にパンをかじった。その頃には、テレビではまた違う女性が昨日あったラグビーの試合について「白熱したすごい戦いでしたね! 」と興奮を隠しもせずニコニコ喋っていて、勝手ながらもこの女は昨日都内のスポーツバーで日本代表のフニフォームを着て頬に日の丸のペイントをしていたんだろうなと思った。まあ、簡単に言うと俺はこの人よりもお天気お姉さんの方が好みだという話だ。
 そして、後ろにいた赤井をじっと振り返って、なんともペイントしにくそうな不健康そうにこけた頬をみてハァとため息をついた。

「人の顔を見てため息とは酷いな」
「僕がジャムそんなに好きじゃないのにずっとこんなパンを出してくる貴方にだけは言われたくありません」
「郷に入っては郷に従えという言葉があるだろう」
「知ってますよ。ちなみに言いますが、ここは僕の守る国の日本で、この家は僕の家です」
「? そんなの知っているが」
「もういいですトーストありがとうございましたコーヒー淹れるの上手くなりましたね」

 俺がそう言った途端に「そう思うか! 実は俺も今日のコーヒーはな…」と、花を飛ばしながら語りだした赤井を無視して俺はまた甘ったるいトーストを齧った。


 どうして俺はこんな男と一緒に住んでいるのだろう。


 何がどうあってこんなことになったのか、よく分からない。よく分からない、が、俺はどうやらこの男がどうしようもなく好きで、そして恋人同士になった今俺たちは同棲することになったのだ。
 なんでこいつなんだろう、といつも考える。
 俺が嫌がっているのを知りながらもトーストにジャムを大量に塗ってくるし、いくら言っても油物を食べた皿をすぐに水につけない。たまにこっそり家の中で煙草を吸っているのも知っているし、まあこれは仕事柄仕方がないことではあるしお互い様でもあるのだが何の予告も無しに帰ってこないなんて日常茶飯事だ。
 抱きしめたって筋肉質な身体は柔らかさの欠片もないし、たまに同じベッドで眠ってもアイツの長い足は邪魔以外の何物でもない。体温だって低いからこれからの季節は明らかに俺に引っ付いてきて暖をとっているし、ついこの間までは少し近づこうもんなら「暑い」と眉をひそめてくる。恋人に対する態度ではない。

 それなのに、俺はアイツがどうにも好きで好きで仕方がないのだ。しかも、俺以外のものを見てほしくないと思うほどには独占欲だってある。

 秋になったら一緒に夏用の布団を片付けて少し厚めの布団を出したいと思うし、旨いもんを見つけたら一緒に食べたいと思う。綺麗な空を見たら写真を送って共有したいと思うし、眠る前にはおやすみと言いたいし目が覚めるとおはようと言いたい。そして、俺の教えた通りのコーヒーの淹れ方ができるようになってきたらどうしようもない気持ちで満たされる。
 もう俺は、「会いたい」なんて可愛い気持ちではアイツのことをみれないのだ。俺がアイツに向ける気持ちは、そんな甘っちょろくて生ぬるいものではない。
 どうしてアイツなんだろう。
国籍だって違うし、日本の法律では一緒になることもできない。当然だが俺が日本から出ていくという考えはないし、アイツにこっちにきてほしいと思っているわけでもない。でもアイツとはいつも一緒にいたいし、俺のことだけを考えておいてほしいのだ。

「…また、どうしてこの男となって一緒に住んでいるんだろう、とでも考えているのか? 」
「よくわかりましたね」
「君は一日に一回必ずその話をするからな」
「そうでしたっけ…」

 零れ落ちたジャムがべっとりついたお皿は空になり、俺は甘さを流し込むように少し冷めたコーヒーをぐいぐいと飲んだ。
 この男の「俺はなんでもお見通しだ」というこの態度なんて死ねばいいのにと思うくらいに腹が立つし、呆れたように俺をみるこの顔だって大嫌いだ。だいっきらいだ。なんだその顔はぶっとばすぞ。

「なあ」
「なんですかトーストご馳走様でしたありがとうございます」
「そのコーヒー、旨いだろう」
「…は? 」
「旨い、とさっき言っただろう? 」
「……はい。美味しいです」
「それでいいだろう」
「…はい? 」

 眉間に皺を寄せながら困ったように笑うと言う器用な表情をしながら、赤井は椅子から立ち上がって俺の方へ向かってきた。そして、空になったトーストの入っていた皿を持つと、じっと俺の顔を覗き込んできた。
 全世界で数パーセントしかいないという緑の瞳が俺を貫き――。

「俺の淹れるコーヒーが旨いから一緒に住んでいる。そう言うことにしておこう」

 そう言って、まるで駄々をこねる子供をなだめるかのようなキスを俺の前髪にしてキッチンへと去っていった。
 コーヒーが旨いから、の前はトイレットペーパーを新しいものに替えてくれていたから、その前は燃えるゴミの日に生ごみを忘れず出してくれるから、だったか。
 どうして俺がこいつと住んでいるのだろうと考えるたびに、どうでもいいような、どうでもよくないような理由をコイツは定時してくる。――が、まあ、正直言って、コーヒーは俺が入れる方がまだ旨いし、トイレットペーパーだって新しいものを買ってくるのは結局俺だし、燃えるゴミだって一つにまとめておかないと絶対に捨て忘れるものがあるのは分かっているからまとめているのは俺だ。
 だから、そんなどうでもいい理由付けなんて、きっとどうでもいいのだ。それが本当の理由なんかじゃないのだ。
 それでも、俺は毎回赤井が提示してくるその理由を聞くと、なんとも納得してそれでいいや、と思ってしまうのだ。

 ・

「じゃあ、俺は今から寝るよ。君は仕事か? いってらっしゃい」
「ええ。おやすみなさい」

 そうして、二人してすっかり朝食も食べ終えてた後であくびを噛み殺しながら寝室へ向かおうとする赤井の背中はどうしようもなく小さく見えた。外で見る赤井秀一という男はあんなにも完全無欠なのに、流石に眠る前というのはどんな人間でも頼りなくふよふよとしているように見えるものらしい。
 よく考えなくても徹夜で仕事をしてきてやっと帰ってきているのだから疲れているのだろう。そう思いながらも、俺は赤井が眠ってしまう前に一言だけ声をかける。

「もう朝は冷えますから、布団をしっかりかぶってくださいね」
「そうか。でも今からの時間ならだんだん温かくなってくるんじゃないか? 」
「もうすっかり秋だと言うことです」
「そうか」

 バタン、と閉められた寝室のドアをみて、俺はにんまりと吊り上がる口角を止めることはしなかった。


「そうか、もう秋か。それならまた君の好きな栗ご飯を作ろう」


 寝ぼけながらそう言った赤井は、秋になったら俺の好きな栗ご飯を作ってくれるらしい。そうか、秋になったら、俺の為に飯をつくってくれるのか。そうか。
 俺がいつから栗ご飯が好きなのかはちょっとよく分からないが、重要なのは秋になったら赤井が俺の為に俺の好物を作ろうとしてくれていると言うことだ。

「こんな俺を、女々しいと思うか。降谷君」
 夢で聞いたセリフが頭の中に響いた。

 俺がアイツと住む理由は、きっとこれなんだろう。赤井秀一。お前はとんでもないやつに捕まったな。可哀そうに。
 季節が変わった時、美しい景色を見た時――俺以外の誰かに会いたいなんて。そんなことすら考えられないように、なんて。


 本当に面倒で、タチが悪い。

2019年10月14日
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -