My story with you♀



 柄にもなく赤い薔薇なんてものを買って、クローゼットの奥から引っ張り出した一張羅を着て向かったのはあまりにも「いかにも」なレストランだった。普段は数か月先まで予約がとれないらしいが、丁度キャンセルが出たばかりだということで奇跡的に前日に手配できたそこは、上質なワインと落ち着いた雰囲気と夜景が売りで、コスパは少々悪目の店だ。
 流石に場所が場所だからか、何も言わずとも待ち合わせもしていた相手もいつもより心持ち上等な装いをしてきたようだった。そんな相手を見て口角をキュッと吊り上げると、相手もにこりと笑みを返してきたので二人で腕を組んで店に入る。
 どこからどう見ても「いかにも」な店に、よくお似合いの男女二人が入っていくのは、あまりにも自然で違和感など何もなかっただろう。上等な絨毯が引きつめられた床はハイヒールの足音までも優しく包み込んでしまって少しだけ残念に思ったが、まあ今に限ってはそんなことはどうでもいい。カツカツと鳴るあの音が好きだと思うのは自分だけで、この店にいる大半の奴らはどこの誰だか分からない女の靴の音より、特に有名ではないであろう小綺麗な女が奏でるピアノ演奏が聞きたいに違いないのだから。
 
 席まで案内されると、流石に前日予約ということで窓側の席ではなかったようだ。店員が引いてくれた椅子にゆっくりと腰を下ろして前を見ると、一足早く腰を落ち着けていた彼―降谷君―と改めて目が合った。
「貴女がこんな洒落た店を予約しろなんて珍しいと思いましたが、まさか花まで買ってきてるとは思いませんでしたよ」
「いつも居酒屋で満足する女と思われるのも癪だからな。ま、今日はお互い楽しもうじゃないか」
 そんなことを言っているうちに店員がファーストドリンクのオーダーを取りにきたのでおすすめのシャンパンを二つ頼む。いつもの居酒屋なら「とりあえずビール」だが、こういった店では「とりあえずシャンパン」になるのだ。
 そして、品のいい笑顔で去っていった店員の後姿を見届けることなく、私は鞄から頭だけちょんと出ていた赤い薔薇を取り出した。
「君にやろう」
「ありがとうございます。女性から薔薇をもらうのは初めてです」
「それは良かった、ま、そうではないと少し困るが」
「なんですかそれ…もしかして、妬いてる、とか? 貴女らしくない、一体ど」
「いや、そうでなく。今から君にプロポーズをするからな。初めてだと思うくらい印象深いものが一つくらいないと困る」
「は? 」
 お待たせしました、と、遠慮がちに声をかけられてシャンパングラスがテーブルに置かれる。彼の髪と同じゴールドのそれがグラスの中でパチパチと弾けて美しい。想像通りの「いかにも」なそれににこりと笑みを一つ零すと、その向こうで全くこの店の雰囲気に合っていない間抜け面をした彼が視界に入ってきた。
 彼の開きっぱなしの口から覗く真っ白な歯に思わずむっと口を尖らせる。
「こんな場所でそんな顔をしないでくれ。もっと『らしい』顔をしてくれ」
「いや、貴女さっき何って」
「大丈夫、君なら口を閉じてとりあえず前を向いてさえいればそれっぽい顔になるから。それじゃあ、乾杯し」
「いや! さっきのは一体何なんですか!? まず説明してください! 」
 流石に大声で叫ぶ、なんて無粋な真似はしなかったが、声を張り上げてこちらを睨みつける彼を見て私はシャンパングラスに伸ばしかけた手を一度膝の上に落ち着けた。そして、彼に聞こえるようにわざとらしく大きくため息を一つついた。
「そんなに気になるなら先に言ってしまおうか。結婚してくれ、私と」
「…」
「呆れたな、そんな上等な服まできて髪までしっかりセットしてこんな店に来ておきながら、君はプロポーズされる可能性を欠片も考えていなかったのか」

 店の店員の方がよほど察していたようだが、探り屋はもう廃業したのかな? バーボン。

 最後の言葉は彼に聞こえるかどうかという程の声量で呟いたものであったが、彼は私の言葉を正確に聞き取ったようで、ぽけっと開いていた口をぎゅっと引き締めた。
 そして、少し冷静になったのであろう顔をしながら彼がようやくシャンパングラスに手を伸ばしたので、自分も一緒に改めてグラスに手を伸ばす。少しだけぬるくなってしまったのか、グラスの表面には露のような玉が滲みキラキラと光っていた。
「……とりあえず、乾杯しましょう」
「そうしよう。待ちくたびれたよ」
「申し訳ありませんね」
 乾杯。
チンと鳴らされたグラスの音はやっぱり「いかにも」で、先ほどまで少し下を向いていた自分の機嫌がみるみる上向きに修正されているのを感じて、赤井の気分はなかなかにいい感じだった。口に流し入れたそれも、申し分ない喉越しで胃に流れ込んでいった。この際、ちょっと温いかなという気持ちに関しては気付かないふりをした。

 そして、どうにも味わっているのか味なんて分かっていないのかよく分からない顔をして目の前に座っている彼についても、深く考えないことにして料理を楽しむことにした。
 前菜・パン・スープ・魚料理・口直しのソルベ・肉料理・サラダ・チーズ…料理は最高に旨いし、皿が変わる度に持ってきてくれるオススメのワインもいい感じだ。特に今日の魚料理だったスズキのソテーは最高だった。それだけでももう一度食べに来たいようなきもするが、それだけ食べに来るには少々この店はハードルが高すぎる。
 そして、デザートに運ばれてきたクレームブリュレの周りに宝石のように散りばめられた果物に思わずほぅとため息をついた頃、彼が意を決したように口を開いた。
「結婚の話ですけど」
「ああ」
「どうして俺と結婚しようと思ったんですか? 」
「ああ」
 クレームブリュレのカラメルにコツンとスプーンをぶつけながら彼の質問に対して返事をする。ああ、旨そうだ、早く一口これを口に含みたい。きっと甘くて幸せな気持ちになれるのだろう。
 しかし、生憎私だって今ここでデザートを食べることを優先するほど男心が分からない女ではない(つもりだ)。名残惜しいが持っていたスプーンを一度皿の上に置いて、真っ直ぐ降谷君に向きなおる。
 彼の後ろには、彼の守る国が広がっている。この夜景の美しい光の下には、彼が守るべき国民がいて、その一人一人に彼らの生活があるのだろう。そして、私が愛す目の前の男は、今だけは自分の国に背を向けて、私を真っすぐ見つめ返している。うん、悪くはない。
 彼の横の椅子に置かれた赤い薔薇に一度視線を落とし、そして彼の瞳を改めて見つめ返す。少し暗い店内でも分かる程に真っ直ぐ私を見つめる青い目は、納得のいく答えを引き出さない限り私から反らされないのだろう。
 …まあ、私からのプロポーズに対して「納得のいく答え」を求められるというのも、何とも言えない気持ちではあるが…。
「君と結婚したいと思った理由だが、それは私が君を愛しているから、というのでは納得できないのかな? 」
「むしろ貴女は、僕がその理由で納得すると思ったんですか? 」
「これで納得されたら、君が何を考えているのか逆に私が疑わないといけないところだ」
「…妙な言葉遊びはいいんで、はっきり言ってください。何が目的ですか」
 何が目的か、ときたか。これには流石の私だって苦笑いを返してしまう。
 間違いなく付き合っている恋人にプロポーズをして目的を聞かれるこの状況、普通の女ならとっくの昔に心が折れているだろう。まあ、あまりにも想定内な事態ではあるが。

 ただ愛しているというだけなら、結婚にこだわる必要なんてない。
 お互いに仕事が好きで仕事を辞める気なんてないのは分かっている。ずっと一緒にいられるわけではないし、最悪、数年会わないうちにどちらかが殉職、なんてことだってあり得る。
 特に結婚を急いてくる親戚なんてものもお互いにいない。
 彼の仕事上、ただの結婚ならまだしも、国際結婚なんてデメリットしかない。
 
そんなことを全て理解した上で、なぜ私がプロポーズしたのか。

「君に」
「僕に? 」
「…君が当然のように諦めるであろう幸せを、私が君にプレゼントしたかったからだ」
「……僕が、貴女に幸せにしてもらわないといけない程頼りない男に見えた、と? 」
「まったく…君はどうしてそうひねくれているんだ」

 そうだな。例えば、君がこのまま老衰で死ぬまで普通に生き続けるとしよう。
 そうしたら、きっと君は当然のように結婚というものを自分の人生プランに組み込まないだろう。ああ、異論があるなら最後にまとめて聞くからちょっと黙って聞いていてくれよ?
 私と今こうして交際しているように、気まぐれに女を作ることはあるだろう。だが、君はきっと結婚には踏み込まない、君の仕事の性質と君の性格を考えると、結婚というのははっきり言って面倒なことだろうからな。
 だから、君は当然のように諦めるんだ。今日みたいに「いかにも」なレストランで「いかにも」なプロポーズをすることだって。「いかにも」なタキシードで結婚式を挙げることだって、「いかにも」な新婚生活を送って温かい夕飯が用意してある家に帰ることだって、君は諦めるんだ。
 だから、私は君に「いかにも」な幸せを与える女になりたい。まあ、仕事を辞めるわけではないからずっと一緒に住むのは無理でも、一緒にいる時だけは良い妻でいられるようにしよう。君の好みの夕飯を作って家で待つのだっていいし、ああでもないこうでもないなんて言いながら新居の家具を買いに行ったりしようか。子供…に関しては授かりものだから何とも言えないが、君がどうしても欲しいなら犬でも飼えばいい。養子をとってもいいが。
 そんな、君が諦める幸せを私が救い上げて君に与えたい。そのための手段が結婚だ。
 どうだ? これで納得がいったかな?

 そこまで言い切った私は、話は終わったと言わんばかりに再び皿に置いていたスプーンに手を伸ばした。ああ、お待たせ。やっと君を食べることができると思うと、今すでに幸せだ。
 先ほどはヒビすら入れられなかったクレームブリュレのカラメルをもう一度コツンと叩いてスプーンの先をめり込ませる。カラカラとした気持ちのいい音が聞こえて、その甘さへの期待が最高潮になる。さあ、ようやく――。

「その話」
「ん? 」
「貴女の言いたいことは分かりました。そして、貴女が想像したとおり、少なくとも今の僕には今後誰かと結婚する人生プランは思い描いていませんでした」
「ああ、だろうな」
「だから貴女の言いたいことは分かりました。プロポーズの理由も納得しました。でも、一つだけ分からないことがある」
「なにが分からないんだ? 」

 お楽しみのクレームブリュレはもうすでにスプーンの上にあるというのに、なかなか口に入れることができない。近くて遠いもどかしい距離は、次の彼の質問に答えたらなくなってくれるだろうか。
 スプーンから視線を上げて、ゴクリ、と彼が息を飲む姿を見届けた。さっき懇切丁寧に全て説明してやったというのに、彼は一体何が分からないというのだろうか。彼ともあろうものが理解できないなんて、私の感情はそれほどに難解なものではないはずなのだが。

「僕と結婚することは、貴女にとって何のメリットがあるんですか」
「なんだ、そんなことか」

 まったく、無粋な男だ。自分にプロボーズしてきた女に、自分との結婚のメリットを尋ねるなんて聞いたことがない。
 呆れ切ったのを察したのか、彼がむっとしながら口をひらく。
「だって、貴女のさっきの話では僕の幸せにしか言及していないじゃないですか。僕が諦めた幸せを本当に貴女が救い上げてくれるとして、なるほどそうしたら僕は幸せになるでしょう。でも、そうしたら貴女の幸せはどこにあるんですか」
「あるじゃないか」
「だから、どこに」

「惚れた男を自分がこの手で幸せにできるなんて、そんなの、私にとって幸せでしかないだろう」

 一体君は何を言っているんだ。
 結婚しようと言ったはいいが私はたまに彼が分からない。惚れた男が自分のモノになることのどこに幸せ要素がないというのか、まったく彼は分からない。だが、今この場所で一つだけ確実なのは、今度こそ本当に、私は今手に持っているクレームブリュレを食べてもいいということだろう。
 スプーンをゆっくりと口に引き寄せて、パクリ、と口に含む。
 ほろ苦さと甘さが混じりあったそれは想像以上に幸せの味だ。旨い、とても旨い。デザートワインをもう一杯頼みたくなる最高の旨さだ。ああ、美味しい。
 目の前でまたぽけっと口を開けている男のことは、今日はもう放っておくことにしよう。どうせ今日返事をもらえるとはもともと思ってはいない。明後日から私もアメリカへ帰るし、次に会うのは早くて三か月後程か。その時に答えが貰えればいい。
 もし最悪彼に断られたとしても、次に会うまでのその期間、彼の頭を私で一杯にできたと思うとそれはそれで気分がいいし、断られたとしても元より諦める気もない。

 ぱきり、と二口のカラメルが破れる音がする。
 私はこれを食べると幸せの味がすることを知っているが、さて、君は一体どうするかな? 降谷君。

2020年6月7日
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