やがて花開く



 すべてが終わった。
 この国を害する組織は崩壊し、それに伴い少しばかり調子に乗りすぎた議員や金持ちが芋づる式に捕まった。怪しげな薬はすべて国の研究機関に移され、組織の被害者であり優秀な科学者数人はそこで引き続き薬の研究をすることができるようになった。
 仮の姿を強いられていた者達は本来の姿を取り戻し、日本にあってはならない武器の輸入ルートも明日には特定できる。
 そして――。

「あかい」

 俺もすべてを終わらせる為に今日ここに来た。
 組織は崩壊し、皆が幸せな結末を迎えた。だから俺も、そろそろこの男を解放してやらねばいけない。

「赤井、今日は貴方に、謝りに来たんです」

 この男に謝らなければならないことなんて、山のようにある。日本警察を引き連れて殺しに行ったことは序の口で、本気で引き金をひこうと人様の家の玄関先で銃を突きつけたこともあった。無駄に喧嘩を売ったことも数えきれず、こいつがまだライと呼ばれていた頃にだって一度本気で敵本陣の真ん中で放置して帰ったことだってあった。
 けれど、一番謝りたいことはそのことではない。
 じっと、目の前に立つ男を見つめる。機能性しか重視していないであろう黒いニット帽に、代わり映えのしない黒いジャケット、濃紺のシャツ、黒いズボン、長い足…不健康そうなタバコの香り。
 あまりに俺が真剣な顔をしていたからか、赤井は今まで吸っていた煙草を携帯灰皿に放り込むと、俺の言葉の続きを待つように俺を見つめ返してきた。ポケットに手を突っ込んだまま、少しだけ高い位置から俺を見つめるその瞳は、なんだかいつも以上に深い緑色に見えた。まるで、底が見えない川のようなその色は、不思議と俺の心をかき乱す。

「君に謝られることか。心当たりがありすぎてどれのことやら全く予想がつかないな」
「ええそうでしょうね。でも、その中でもとびっきりのやつです」
「ほぉー、それは楽しみだ」

 赤井の左腕がのっそりと上がり、手持無沙汰な様子でその親指が嫌味に吊り上がった薄い唇をするりと撫でる。煙草を消してほんの数秒と言うのに、口寂しいとでもいうつもりなら俺はコイツを病院にぶち込まなければいけなくなるが、今はそれよりも、することがある。
 
 謝罪。
 
 本当はもっと前にすべきことだった。
 でも、俺が逃げていた。
 組織が崩壊し、皆が幸せになるために足を進めだした。
 それなら、俺だって――俺たちだって、そろそろ腹をくくるべきなのだ。

「――スコッ」
 ポンッ!
「…は? 」

 そうして俺の目の前で、赤井はピンポン玉サイズの小さなボールになった。


 ∞


 一体俺はどうしてしまったのだろうか。
 降谷は自宅の食卓テーブルで、ころりと手の中で小さな塊を転がした。
 そう、降谷は家に帰ってきているのだ。赤井に謝罪するために向かったあの場所から、特になにをするでもなく帰ってきてしまった。

「スコッチのことなんですけーー」

 くらいまで言ったか。いや、もしかしたら「スコッ」くらいまでしか言っていなかったかもしれない。
 とにかく、降谷が言いたいことの一割も言っていないところで、赤井はあの場所から突如としていなくなってしまったのだ。
 全く意味がわからない。

 ポンッ!

 と、不思議な音がしたと思ったら赤井がいたはずの場所には誰もいなくなっていたのだ。
 そうして、降谷は突然姿を消してしまった赤井を探すでもなんでもなく、そのまま自宅へ戻ることになってしまった。だって、赤井に謝るためだけに行ったその場所で赤井がいなくなってしまうということは、何の目的も無くなってしまったと同義だったのだ。
 降谷は夢でも見ていたような心地でふわふわと帰路についた。赤井の立っていた場所に転がっていた、ボールを持って。





 赤井はあの場所で小さなボールに変わって(?)から、すぐに風に吹かれて降谷の足元にコロコロと転がってきた。降谷は自分の口に当たったソレを、避けることも拾うこともなくしばらくじっと見下ろした。
 最初にボールだと思ったソレは、よく見るとチューリップかなにかの球根のようにも見えた。観察すればするほどそれは球根で、どうしてここにそんなものがあるのだろうかと考えてみても、いくら考えても有意義な結論をだせる気がしなかった。
 自分の靴に寄り添うようにして転がるソレが無性に気味が悪く感じて、降谷は思わずペッと軽く蹴り飛ばす。すると、ソレはまたコロコロと地面を転がり、ほんの1mと少し遠のいた辺りで静かに止まった。
「赤井、そんなに軟弱で大丈夫か? 」
 自分がその台詞を口にした直後に、大丈夫じゃないのは俺かもしれない、と思う。何が「赤井」だ。どう考えても目の前のコレはヒトなんかじゃない。

 そうだ、コレはどう考えてもヒトなんかじゃない。
 ちょっと待て、じゃあ赤井はどこにいったのだ。

 今更ながらにキョロキョロと辺りを見回してみるが、赤井の姿は影も形も見当たらない。強いて言えば煙草の残り香はあるような気がしたが、そんなものは一瞬のうちに感じ取ることができなくなってしまい、赤井秀一という男の痕跡は完全に無くなっていた。
「あかい…? 」

 コロリ、と食卓テーブルの上で転がしたソレは、やはりどう見ても球根だった。
 全体的に少し赤みがかったソレは、ツルツルともザラザラともしていない、なんとも形容しにくい触感をしていた。触れると不快だ、と言ったような触感ではないが、「赤井」なんてコレに呼び掛けてしまった手前もあり、気持ち的には少々…いや、かなり気味が悪い。
 赤井だと思ってコレを見ると、その赤っぽい色味までなんだか気に食わない気がしてきて、降谷は少々荒っぽくそれを握り締めてみる。
 触った感じはやはり植物で、少しの弾力を持って指が沈み込んだあとに、内から押し戻されるような力を感じて、自分の握力だけでは粉砕されることはできなさそうだと考える。
 ゴロゴロとテーブルの上に押し付けるように転がしてみたり、持ち上げて光に透かして見てみたり、お手玉のようにポンポンと投げてみたり色々したが、ソレは特に変化することなく、じっとそこに転がっていた。
 二十数分程、降谷はソレを手の中で弄って観察してみた。結論として、降谷はソレの正体を暴くことはできなかった。しかし――降谷は、これが「赤井秀一」であるという確信を持っていた。
「ライの次は沖矢昴、そして今度は球根になるなんてお前も節操のないやつだな…」
 人差し指でコツンと突いたそれは、テーブルの上で一度だけコロンと転がった。降谷は、ふん、と一度だけ鼻を鳴らすと、椅子から立ち上がり夕食の準備をすべくキッチンに向かう。

 俺の指先一本でいい様にされるとは、無様だな、赤井秀一。

 その後、降谷は赤井(便宜的にこの不思議なものを赤井と呼ぶことにする)をテーブルの上に転がしながら、最高ランクの和牛のステーキを食べた。どこぞのお偉い様が俺に送り付けてきてからしばらく冷凍庫で眠っていたのだが、食べるとしたら今日しかないと思ったのだ。
 焼き加減は花丸満点で、付け合わせのジャガイモもかつてないほど最高のほくほく加減だ。上に乗せたバターがじゅわりと溶けて芋の奥にみるみる染み込んでいく様子を満足げに見つめながら肉を切り、かぶりつく。
 程よい歯ごたえは食べ応え抜群で、ステーキソースは炊き立ての米が良く進む。降谷は、男らしく豪快にひたすら肉を食べ、デザートには真っ赤に熟れたイチゴとコーヒーまで用意した。
 テーブルの上が空になり、ふぅ、と降谷が満足気に息をついたところで、皿の横に転がっている赤井をちらりと見る。どうだ、うらやましかろう。
 確か、赤井は和牛よりは赤身の多い固めの肉が好きだった。一度組織関連で和牛のすき焼きを食べた時に、俺とスコッチが旨い旨いと食べているものに対して「こんな薄っぺらい肉、食べた気がせん」と言っていたことはよぉく覚えている。なんだこいつ、と思ったからだ。
 今日の肉は和牛ではあったが、おそらくお前好みだったぞ。可哀そうに、そんな姿になりさえしなければ一口くらいは食べられたかもしれないのに。そこまで考えて、やはり赤井がヒトの姿をしていてもこの家でこの肉がコイツの口に入ることはなかったなと考え直し、そう思うと赤井がヒトであろうと球根であろうと大した問題ではない気がしてきた。


 ∞


 翌日降谷が目覚めると、驚くべきことに赤井の頭のてっぺんからは緑の新芽が数センチ飛び出してきていた。
 無造作にテーブルの上に転がしたまま寝室で眠っていたのだが、自分の部屋の真ん中で赤井が勝手に生命活動を継続していると言うことをまざまざと見せつけられた気がして、なんとも薄気味悪い感じがした。俺の家で勝手に新しい命を生み出すんじゃない。
 赤井を横目にリビングを横切ると、洗面所で歯ブラシにたっぷりと歯磨き粉をつけてソレをくわえてから、降谷はリビングに戻ってきた。
 しゃかしゃかと歯を磨きながら緑の芽を伸ばしている赤井を見下ろすと、昨日はどこが上でどこが下だとか深く考えなかったが、お前の頭はそっちだったんだな、なんてことを考える。芽が伸びてきた重さでコロリと転がったのか、元々そこから伸びてきたのかは分からないが、不思議なバランスを保ちながら斜めになっている赤井を見て、降谷は下の奥歯(つまり歯磨きもあと少しで終わりだ)を念入りに磨く。
 いつも歯医者では「力を入れすぎだ」と注意されてしまうのだが、固めの歯ブラシで思い切り歯を磨かないとどうにもスッキリしないのだ。いよいよ口の中に泡が溢れてきそうになったので洗面所に戻ろうかと思った時、ふと、降谷は気付いてしまった。
 赤井が賢明に芽を伸ばしている先には、カーテンの隙間から差し込むわずかな光がることに。
 降谷は危うく口の中の泡を噴きだすところだったが、咄嗟に口元を手で覆うことで大惨事は免れた。零さないうちに洗面所に駆け込む降谷の口元は抑えられない程にゆるんでいた。勝手にニヤリと上がる口角からは泡のような唾液のようなものがツゥと垂れてしまうが、どうしても口を閉ざすことができない。
 ペッ、と洗面所で泡を吐き出した降谷が顔を上げると、鏡には自分で言うのもアレだが、いかにも意地の悪い顔をした自分が映っていた。

 ああっ! 赤井秀一!
 そんな哀れな姿になってまで、まだ光を求めるか!
 しかもあんな、今にも消えてなくなりそうな弱弱しい陽を求めて、必死で身体をよじらせて!

 降谷は愉快で仕方がなかった。そして、やっぱり赤井はどんな姿になっても赤井だなと笑った。
 惨めだ。とても惨めだ赤井秀一。
 だが、お前のそんな惨めな姿を知っているのが自分だけだと思うと、とんでもなく最高の気持ちだ。

 降谷は歯を磨いて顔を洗って念入りに髭を剃ったあとで、キッチンでしばらく使っていなかったガラスのコップを手に取った。そして、水道水を適当な量入れてそれをリビングに運ぶと、ポイッと赤井をその中に投げ込んだ。投げられた衝撃で赤井は何度かゆらゆらと水面を波立たせてゆたっていたが、しばらくすると落ち着いて真っ直ぐ上を向いて落ち着いたようだった。
 光だけで青々とした立派な芽をだしたその心意気に免じて、特別大サービスで水をめぐんでやった自分は、なんとお優しい心の持ち主だろうか。泣いて礼を言っていいんだぞ、赤井。


 ∞


 それから、俺は律儀にも毎日大切に赤井の水を替え続け、通常のスピードではありえない程にぐんぐん成長する赤井を見守った。
 途中からはもう面白くなってきて、いつまで経っても成長期な赤井がだんだんやんちゃ坊主に見えてきて、食べ盛りに水ばっかりというのも可哀そうだと気まぐれに栄養剤なんかを買ってきたりもした。だが、よく考えなくても赤井がこんな栄養剤なんかをもらって喜ぶとも思えないので、赤井が良く吸っていた煙草を買ってきて前に供えてやることにした。
 目の前に好物を置かれているというのに、文字通り手も足も出ずぷかぷかと水に浮かぶことしかできない赤井が面白くて、まったく好みではない煙草を目の前でふかした。
 まずい。
 よくもまあ、こんなにも不味くて、健康に悪そうなものをぷかぷかと吸っていたなと思うが、よく考えなくても赤井は目の前で浮かぶ球根なのだ。人間ではないのだ。分かり合えるわけがない。
 そう考えると、今まで赤井のことを気に食わないやつだと、まったくもって理解しがたい男だと思っていたことが妙に納得がいった。そりゃあ仕方がない。ああ、仕方がないのだ。だって俺と赤井はそもそもが違う生き物だったのだから。
 しかし、そう思いながらも日々光に向かって芽を伸ばし続ける赤井を、降谷はどこか愛おしく感じるようにもなっていた。
 結局この男は今となっては男なのかも分かりはしないが、最後の最後まで光を求めて止まないのだ。
 孤独に俺の家で水に浮かんでいようと、暗闇の中で仮の姿を強いられようと、月夜の闇に紛れて一人地面を這いつくばろうと、この男の根底には光を求める意志がある。闇の中で孤独に生きて孤独に死ねるような男ではないのだ。

 ああ、赤井秀一。俺はそんなお前が憐れで、愛おしいよ。

 いつの間にやら赤井は小さな実をつけていた。降谷は、まるでいつぞや見た深い緑色のそれを躊躇いなく引きちぎると、親指と人差し指で挟んでぐしゃりと潰してみた。
中からはまるで血が滴っているような鮮やかな赤が出てきて、赤井が生きていることを見せつけられているようでますます気持ちが悪い。

 赤井。
 お前が真実を知りたくないと球根に閉じ籠ったことも、それでもなお光を求めつづけることも、俺は全部丸ごと愛してやるよ。
 スコッチのことも、もう俺は何も言わない。だって俺は、何も 知らなかった のだから。
 ああ、赤井。
 お前のその弱さも情けなさも哀れさも、俺がすべて受け入れてやろう。俺がお前のすべてを許そう。

 がぶり

 降谷は小さな実にかぶりついた。咀嚼するまでもなく喉の奥に滑り込んでいった赤井は、青臭くて、決して上手くはない。
 なぁ赤井。見た目も匂いも味もどこを見ても人間ではないけど、お前は本当に、どうしようもなく人間だよ。
「早くこっちに来いよ、赤井」
 ひょろりと長く芽を伸ばして転がる球根に降谷は語りかけた。お前が見たくない現実には俺も目を閉じててやる、お前が光を求めるなら俺が光になってやる。その代わり、もうお前は俺が与える水が無ければ生きられないのだ。

2020.4.20
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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