罠に落ちたのは♀



「シュウ、いい加減髪切るか結ぶかくらいしたら??」
 
 組織が崩壊し、安室透の名を捨ててから数年。あれ以来交流が出来た日本警察とFBIは、何度か合同捜査を行っていた。悪しき慣習であった公安の隠蔽体質も少しずつ改善され、流石に仕事柄全てをオープンにとはいかないまでも他部署と連携をとることも出てきていた。そして今や、降谷零という名は今や警察庁、警視庁ともに知り渡ることとなっている。
 そこで話は最初に戻るが、つい先日から始まったFBIと公安の合同捜査における会議が終わった直後に、スターリング捜査官が赤井にそう話しかける声が耳に入ってきた。
 確かに、今回来日した赤井を見て最初に思ったのは、随分とまあやぼったくなったな、ということだった。ライであった時に近い程に髪が伸びているのはいいとして、問題はその伸ばし方だ。見慣れたニット帽に髪を収めているにも関わらず、バサバサと傷んだ毛先に、肩の辺りでは所々跳ねてあちらこちら自由な方向を向いてしまっている。帽子で抑えてこれなのだから、脱いだ時にはもっと酷い状態であることは火を見るよりも明らかだ。
 
「貴女、この前髪を切ったのはいつ?」
「覚えていないな…1年は切っていないんじゃないか?」
「伸ばすなら伸ばすでいいけど、折角の綺麗な黒髪が勿体ないわ。日本に行く前に整えようか、なんて言ってたのはどの口?」
「忙しくて暇がなかった。」
 
 ライの時は長い髪も綺麗に手入れされていたように思ったが、赤井秀一という女は、意外とずぼらで自分のことには無頓着なのかもしれない。
 まぁ俺には関係のないことだけれど、確かに鬱陶しい髪でぼさっとされていたら作戦の士気に関わる。風紀も乱れる。
 スターリング捜査官がこのまま赤井に髪を切りに行かせる説得に成功することを祈りつつ、会議の資料をまとめて部屋を出ようとした、その時。
 
「そんなに鬱陶しいなら切ろう。なあ、ハサミ持ってるか?」
「…一応聞くけど、ハサミ貸したらどうする気?」
「トイレで切ってくる。」
 
 そして、スターリング捜査官からハサミを奪った赤井は、資料ひとつ持たずにスタスタと会議室から出て行き、廊下の角の女子トイレに入ろうと…って、
 
「赤井!!こんなところでお前の髪なんか切ったら迷惑だ!ちょっと待て!!」
 
 思わず腕を引いて止めた俺は、間違っていないはずだ。
 
 
 
 そしてその日の終業後、なぜか俺は赤井の髪を切ることになった。
 コイツに任せてたら絶対に適当な店で適当な注文をつけて済ませてしまうか、先程のように自分でばっさり切り捨てるだけだと思った俺はここから近くてそれなりに腕のいい美容院を紹介した。しかし、「行く時間がない。そもそも予約がとれない。」などと言って行く様子もなく、案の定「要は見た目がスッキリすればいいんだろう」とか言い出す始末。辛抱溜まらず自分が切るなんて言ってしまったが、まさか早速今日ここで切ることになろうとは…。
 
「君が、鬱陶しいからさっさとどうにかしろと言ったんじゃないか。」
「まぁ確かに言いましたけど…」
「なら切ってくれ。スッキリするならどれだけ切ってくれてもかまわない。」
 
 そう言って新聞紙を敷き詰めた上にポツンと置いたパイプ椅子に座る赤井は、ハサミを俺に渡して「それじゃあ頼む」なんて言って背中を向けてしまった。
 つい数年前まで殺してやると本気で思っていた女の後ろで刃物を持って立つことになろうとは、想像もしていなかった。今となっては無防備につむじ晒す赤井をどうこうしようなんて思うはずもないが…俺も30代になって随分と丸くなったのかもしれない。
 
 ニット帽を被っていたにも関わらず、赤井の髪は潰れることなくふわりと空気をまとっていた。根本の方に指を通すと、柔らかくて、でもしっかりと芯のある触り心地の良い髪が俺の指先で踊った。ちきんと手入れさえすれば、美しい黒髪なのだろう。
 髪全体にクシを通し…と言っても、備品にあったホテルの安いプラスチックのクシだが、それを使ってまずは髪を整える。肩甲骨の下くらいまで伸びている髪だが、肩を越えるか越えないかの辺り案の定でクシがギシギシと嫌な音をたててひっかかり、無理に通すと短い髪が切れ切れになって床に落ちた。
 
「貴女本当に髪のケアなにもしてなかったんですね。」
「ああ、どうも面倒で。」
「昔は綺麗に伸ばしてたのに勿体ない。」
「あれは半分くらい明美がやってくれていたからな。」
 
 宮野明美。ヘルエンジェルのお嬢さんで、志保さんの姉。赤井が過去に仲良くしており、今もなお彼女の心に住み続ける女性ー…。
 随分と懐かしい名前を聞いたと思うと同時に、組織に潜入していた時のひりついた日々を思い出してブルリと寒気が走る。明日死ぬとも限らない毎日の中で、俺とコイツは常に競い合い、蹴落とし合い、高めあった。
 人生で初めて、今まで誰にも負けないと自負していた体術でも頭脳でも敵わないと思わされた女。
 
 そんな女の髪を、俺は今から切ろうとしているーー。
 
「赤井。」
「なんだ?かなり切りそうか?」
「いや…」
 
 肩の長さまでスッパリと切ってしまうのが一番簡単だし、傷んだ箇所も全て処理できて効果的だろう。だか、なんとなく切るのが勿体ない気がして。髪であったとしても、赤井秀一の一部を切り取るという行為がとんでもなく惜しいような気がして。
 
「時間はかかるかもしれませんが、傷んだ所だけ最小限に切っていこうと思いますが、それで大丈夫ですか?」
「ああ、任せよう。」
 
 そして俺は、チョキンと慎重に赤井の髪にハサミをいれたのだった。
 
 
 その日以降、赤井の髪を触るのは俺の仕事になった。髪を切った翌日には薬局で買い揃えたヘアケアのグッズを渡し、使うシャンプーからトリートメント、おまけに髪の洗い方だって事細かに指定した。
 シャンプーをする前にはしっかりと髪を湿らせること。シャンプーは根本を洗い、トリートメントは毛先だけにつけること。タオルドライはガシガシ拭かずにそっと叩き込むこと等々…。
 折角俺が切ってやった髪なのだ。それをいい加減に扱うことは、例えば本人であっても許されることではない。切った俺への礼儀として、その髪を綺麗に保つ努力をすることは義務と言ってもいいだろう。なんて言いながら。
 そう言って世話を焼く俺を、最初はどこか戸惑ったように見ていた赤井だったが、素直に言うことを聞いてくれるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
 
 毎日出会うわけでもなかったが、俺は赤井と顔を合わせた時には必ず頭を撫で、毛先まで指を滑らせて感触を確認した。そして、ちょっとでもケアをサボった形跡があればむすっと怒ってみせたし、水分が足りないかもと思ったら新しいシャンプーを買い与えた。
 
「赤井、また少し前髪伸びましたね。今日切りましょうか?」
「ああ、確かに目に入ってチカチカしてきたところたわったんだ。頼むよ。」
「ではまた夜にでも、例の部屋で。」
 
 そう言って日中に別れると、仕事終わりに最初に髪を切ったあの場所で床に新聞紙を敷き詰める赤井と顔を合わせることになる。
 刃物を持って赤井の前に立つことにだってすっかり慣れた。さらりと前髪を掬い上げると、赤井が少し顎を上げて目を閉じる。バサバサと長いまつ毛に、なんの化粧もしていない瞼が不釣り合いで、なんとなしにアンバランスなように感じた。高い鼻筋に、こけた頬、薄い唇。女性らしい丸みなんてこれっぽっちもないが、この女はどこもかしこも色気が溢れている。
 チョキンと前髪にハサミを入れると、短い毛が顔に降り落ちた。白い頬に黒髪が散って、それをそっと手ではらいのける。
 チョキン、チョキンと慎重に切り、顔をはらうことを繰り返していると、最後に1つハサミを入れた時に、髪の欠片がまぶたの上にポツリと落ちた。すると、くすぐったかったのかまつ毛がふるりと震え、唇からほおっと息が漏れーーー…。

「降谷君?終わったか??」
 
 ぼうっとしていたら、いつの間にか赤井のグリーンの瞳が俺を写していた。バクバクと音をたてる心臓を抑えて、切り終わったことを伝えて鏡を手渡すと、俺はさっとさと床の新聞紙を広い集めた。
 
 
 
 それから1週間、合同で追っていたテロ集団を無事に捕らえることに成功し、FBIはアメリカに撤退することになった。
 公安の責任者として帰国する面々を空港まで見送りにきた俺は、ジェイムス氏と硬い握手を交わす。
 
「君のお陰で日本で動きやすくなった。感謝しているよMr,フルヤ。」
「いえ、こちらこそ情報提供感謝しています。日本で大きなテロを未然に防ぐことができました。何かあれば、是非、また。」
 
 そう挨拶をしている時も、彼の後方でいつも通りの仏頂面で暑苦しいジャケットのポケットに手を突っ込んで立つ赤井が目に入る。
 こちらに来たときとはうって変わって、艶のある黒髪がさらりと風に舞っていた。トレードマークのニット帽も今日はかぶっていないため、頭頂部には天使の輪がクルリと輝いている。
 あの髪の触り心地を知っているのも、ふわりと香る華の香りを知っているのも、今この場では俺だけだ。だが、
 
「降谷君、色々世話になったな。」
「まったくですよ…向こうに帰ってもしっかり髪の手入れサボらないでくださいね。あと、…もうちょっとこまめに髪も切りに行ってくださいね。」
 
 赤井の髪に思わず手が延びそうになるのを抑えつけて留める。ここで触れたらいけない気がする。もう取り返しのつかないことになる、そんな確信だ。
 向こうでは俺以外の奴がこの髪に触れるのかと思うと、沸々と込み上げてくる激情をが口から叫び声になって溢れてきそうだった。
 
 じっと赤井の返事を待つ俺をキョトリと見返す赤井を、早く来いとスターリング捜査官が呼ぶ声が聞こえる。別れの時だ。
 すると、
 
「おや。」

 と心底不思議そうな声を出した赤井は、見せつけるようにゆっくりと自分の黒髪をすくい上げて、滑らかなそれを口元まで運んだ。チッという軽く、それでいてとびっきり厭らしいリップ音をたててそこに唇を落とすと、
 
「もうこの髪は君以外に触れさせるつもりはないよ。」
 
 そう言って、不適に唇をつり上げ笑った赤井は、颯爽と身を翻して出国カウンターに長い足でさっさと歩いて行った。
 
 その後ろ姿を呆然と見つめた後、重心を落としてその腕を捕まえるべく駆け出したのだが、フライトまではもう少しだけ余裕がある。アイツを捕まえて薄い唇を食らうのには充分すぎる時間だ。

2018-01-27
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