ワクワク温泉旅行♀



 実は温泉というものに行ったことがないんだ。なんとなく、大勢の前で裸になるというのに抵抗があってね。
 
 テレビの温泉宿特集を観て赤井がポツリと溢したこの言葉に、俺はすかさず温泉旅行の提案をした。
 案の定渋る赤井に対して、温泉に行くということはただお湯に浸かるだけではない、宿でのんびりした時間を過ごすことや、部屋でゆっくりと美味しいご飯と酒を楽しむこと、温泉街をブラブラ歩いて現地のお土産を買ったり色々食べ歩いたりすること。そういうことを全部含めて温泉旅行というものが成り立つのであって、裸を見せたくないなら最悪部屋のシャワーで済ませばいい。なんて言って、あの手この手で赤井の説得にあたった。
 そして、それでもなお良い顔をしない赤井に対しては、最終奥義の「…赤井と温泉、行きたいなぁ。」と伏し目がちで寂しげに呟くという技を駆使することで、なんとか2週間後に一泊二日の温泉旅行の約束を取り付けることに成功した。ちなみに、この最終奥義を使って赤井をほだせなかったことは1度足りともない。百発百中の必殺技だ。
 
 赤井にはああ言ったものの、温泉に行って湯に浸からないという選択肢は与えるつもりがない。だからと言って、大浴場で赤井の裸体を皆に披露させるつもりもなければ、湯上がりの色っぽい赤井を俺以外の男に見せるつもりなんて毛頭ない。
 つまり、俺のプランはこうだ。二人で温泉宿に着く→そのまま温泉街をぶらぶら→部屋食で赤井2人で蟹と酒を満喫する→部屋についている露天風呂に一緒にのんびり入る(のんびりできない可能性もあるが、そこは俺の我慢次第だ)→赤井に浴衣を着せる、勿論髪はアップで→風呂上がりの一杯を楽しむ→赤井を美味しく頂く。そんな所だ。
 そもそも、男に温泉旅行に誘われた時点で相手は多少なりともムフフな展開を期待していることなんて言うのは当然であって、知らなかったでは済まされないことなのだ。そう、無知こそ罪であって、下心満載で誘った俺には罪はない。
 
 
 この温泉旅行の約束をしてからと言うもの、俺は分かりやすく浮き足だった。旅の情報誌は2冊も買い、それらは付箋とラインペンであっという間に埋め尽くされた。ネットも駆使して、その辺りの美味しい店や景色の良いスポットのクチコミもすべて読み込んだし、実家がそこに近いという部下からも事細かに地理や道が混み合う時間などを聞き出した(何かの捜査で必要だとでも思ったのか丁寧に報告書にまとめて説明してくれたのだが、流石に申し訳なさすぎて完全なプライベートで行くとは言えなかった) 。
 
 こうして、毎日ワクワクとした時間が過ぎていき、いよいよ旅行が明後日に迫ってきた日、俺は旅行に向けての買い出しに来ていた。温泉旅行は道中の車内からもうスタートしているのだ。向こうについてからも支障なく楽しめる程度の小腹満たしのお菓子や飲み物、それに夜に無くてはならない例のアレ。
 もうスキップでもしそうなほどに毎日が楽しい。楽しみすぎて今日から眠れる気がしない。顔のにやけも止められない!
満面の笑みでニコニコしながら会計を済ませ、ガサリと袋を持ち上げた時に、俺のプライベート用のスマホが着信を告げた。相手は赤井だ。

「はい。なんですか?貴女から電話なんて珍しいですね。」
「やあ降谷君お疲れ様。いや、そうだな。確かに私からはなかなか連絡しなくて申し訳ないといつも思っているんだがな、あの、なかなか」
「いやまぁそれはいいんですけど、どうしたんですか?何か用事があったのでは?」
「用事…用事と言えば用事だが、…あの、」
「なんですか、歯切れが悪い…。あっ、貴女この前桃の味がする炭酸飲んで随分気に入ってたやつあるでしょう。あれ、明後日の車で飲めばいいかなってさっき買ってきたんですけど、良かったですか?」
「あ、ああ。ありがとう。」
「それと、貴女が好きなビスケットも一緒に。あんまり食べると向こうでお腹一杯になっちゃってもいけませんから、今回はあんまりお菓子買ってないんですけ」
「降谷君!」
「あ、はい。すみません…それで貴女の用事ってなんだったんでしたっけ。」
「…非常に言いにくいのだが、やっぱり温泉は行きたくないんだ。今さら申し訳ないのだが、どこか別のところに…」
「はい?」
 
 な ん で す と ???
 
 
 そこからの俺の行動は早かった。さっき買った袋を乱暴に後部座席に投げ込み、運転席に座るとシートベルトをさっと締めてハンドルとギアを握りしめアクセルを踏み込んだ。そして、普段なら15分はかかるであろう道をもうスピードで駆け抜けた結果、10分後には赤井の部屋のインターフォンを連打していたのだった。
 
 
 ガチャリと扉を開けて出てきた赤井は、眉をハの字にして、いかにも申し訳なさそうな顔をしていた。だが、大切なのは赤井の気持ちではない。温泉に行かないと言い出した理由だ。
 リビングに通してもらい、インスタントのコーヒーを入れてもらった俺は、掴みかかりたい気持ちをこらえて、怯えさせないように慎重に、笑顔を絶やさず赤井に話を促す。
 
「どうして今になって嫌になってしまったんですか?行くと決まってからは、楽しみにしててくれていたと思っていたのですが…。」
「いや、君との旅行は楽しみだよ?でもやっぱり温泉と言うのがだな、」
「裸を見られるってやつですか?」
「いや、そうではなく。」
「じゃあ何でですか?赤井がこんなに直前で嫌と言い出すからには、なにか大きな理由があるんでしょう?」
 
 物わかりのいいフリをして赤井が理由を話すのを待つが、心の底ではどんな理由を話されても絶対に言いくるめて温泉に連れていこうと決めていた。赤井は意外と口下手だ。俺の話術で丸め込む自信はある。
 さあ来い。どんな理由が来ても絶対に負けはしない。負けられない戦いがここにある。
 顔では笑顔をうかべ、心の中ではフンと鼻息荒く赤井の次の一言を待つ。そこで、目線をうろうろと迷わせ、困ったようにうつ向く赤井がある一点を見たのを俺は見逃さなかった。
 
「これは、蘭さん達がずっと読んでた雑誌ですね。買ったんですか?」
「あっ、」
 
 手に取ったのは、蘭さんと園子さんが好んで読んでいた女性誌だった。流行りのファッションからコスメの紹介、有名人のコラムなどが載ったものだが、赤井が読むには少しだけ対象年齢が若いようにも思うものだ。
 
「降谷君と旅行すると行ったら真純がくれたんだ。流行りの服装くらい調べて行くといいと言って。」
「なるほど。」
 
 真純さんもあまりこういうのを読まない中で、姉のために友人に聞いてこれを買ってきたのだろう。姉妹仲が良くて本当に羨ましいことだ。
 しかし、どうやらこの雑誌に赤井が態度を急変させた理由がありそうだと見込みをつけ、ページをめくっていく。目の前で赤井が縮こまっていくのが視界に入ったが、気づかないふりをして読み進める。
 いつもの赤井なら絶対に着ないであろう流行りの服装、靴、スカートの着回しコーデ、最新コスメ、メイク術…ペラペラと読み進めていくと、雑誌の後半、カラーページが終わって読者の体験談が載るコーナーになったところで、『彼氏との旅行での失敗談』と大きく書かれたページを見つけた。
 旅行先で大喧嘩した!や、汗でメイクがとれて大惨事!など、色々な見出しで書き出されたその記事の中で一際大きく書かれていた文字に、俺は納得のため息をついた。そこには『楽しみにしていた温泉旅行!でも、彼氏との時間が少なくなって大失敗!!』とデカデカと書いてあったからだ。
 
「…赤井。」
「い、いやっ。あの、そこに、温泉旅行に行っても風呂に入ってる時間は男女別々に過ごすことになるし、お風呂に入る時間が長いとか短いとかで喧嘩になりやすいって書いてあってだな…それで、」
「赤井。」
「…すまない降谷君。君はすごく楽しみにしていたというのに…怒った、かな?」
「赤井は、俺との時間が少なくなると思ったから急に嫌だって言ったんですか?」
「うっ…まぁ、…そういうことだ。」
 
 真っ赤になって完全にうつ向いてしまった目のこの女…この可愛らしい赤井秀一という女が俺の彼女だということを世界中に自慢して回りたい。
 俺が怒っていると思い込んで泣きそうになっているところ申し訳ないが、俺だって泣きそうだ。感動のあまり。
 
 
 その後、その場で抱き潰したい気持ちを抑えて部屋に風呂がついてあるからずっと一緒にいれることを説明して温泉に行くことに納得してもらうまではいいが、実は…と部屋のクローゼットにさっき見た雑誌に載っていた流行りの服がかけられており「楽しみすぎて買ってしまったんだ」なんて可愛い言われたところで俺の我慢が限界を迎えたことは言うまでもない。
 そして、旅行当日。ふっきれた赤井がどうせなら大きな風呂も入りたいと言い出したはいいが、先日俺が赤井の身体中においたをしてしまったことで、とてもじゃないが人前で脱げる状態ではなく赤井が機嫌を損ねてしまうのだが、それをこの時はまだ知らないのだった。
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