終わりと始まり
「どうしても、2月3日は一緒に過ごしたい。」
俺達が付き合ってから、初めて赤井が俺にしたおねだりがコレだった。
2月3日。一体なんの日だろう、何かその日に記念日があっただろうか。そう考えても、付き合って一周年はまだまだだし、○ヵ月記念日なんてものでもない。一応計算してみたが、付き合って100日とか200日なんてものでもないし、お互いの誕生日でもない。ライとバーボンとして初めて会った日は暑い夏の日だったし…どう考えても俺達にとって2月3日は特別な日ではなかった。
敢えて思い付くとしたら節分だが、よりにもよって節分に俺達が会わなければならない理由もない。
なぜ赤井がその日にこだわるのだろう。それは勿論疑問だったが、なんにせよ、可愛い恋人からの初めてのおねだりに俺が断る理由はなく、
「勿論いいですよ。」
俺は二つ返事で了承した。
そして、当日の2月3日。
仕事終わりに赤井の家に行く約束をしていた俺は、なんとなしにスーパーで豆まき用の豆と恵方巻、それと鰯と柊を買って行くことにした。大の大人が2人で豆まきなんてなかなかシュールな絵面になるかもしれないが、折角節分に会うなら、雰囲気だけでも行事を楽しむのもいいかと思ったのだ。
恵方巻は元々関西のものであまり俺には馴染みない文化だったが、スーパーに寄ったときに山積みになった海苔巻きを見ると、無性に食べたくなってしまい、ついつい手に取ってしまった。まぁ、こうして仕事帰りに赤井の家に行く約束をしている時は大抵俺がなにか夕飯を作ることになっていたので、ここで恵方巻を買ってしまえば、あとは味噌汁かうどんでも作るだけでいいかな、という打算もあったりする。
いつも使っている駐車場に車を停めて、3分ほど歩いた所が赤井のマンションだ。向かう途中で風に吹かれてスーパーの袋がガサガサと音をたてると、中の柊で袋が破れないか少しだけ不安になってしまったが、まあ大丈夫だろうと真っ直ぐ足を進める。
赤井が何を思って今日会いたいと言ってくれたかは分からなかったが、あの赤井が俺に「会いたい」と思ってくれているのだ。歩くスピードが少しだけ速くなるのも仕方がないだろう。
ぴんぽーーーん。
マンションに着き部屋番号を押してインターフォンを鳴らすと、すぐに自動ドアが開いた。
赤井の部屋は9階。慣れた道のりをエレベーターまで歩くも、どこの家も玄関先に柊や鰯を飾っている所はなかった。さすがにこれはやりすぎたかなぁ、豆と恵方巻くらいにしていれば良かったと少し後悔する。
ガサガサと音をたてる袋の中身に、なんだか自分が誰よりも節分を満喫するつもりだったかのような気がして、少しだけ気恥ずかしく思ったのだ。
…まあ、買ってきたものは仕方がない。わざわざ玄関に飾らなくたって、鰯だって焼いて食べてしまえばいいし、柊も適当なコップにでも入れておけばいい。どうにでもなるだろう。
頭の中では、なぜだか柊と鰯を買ってきた言い訳ばかりを考えて、あくまで自分は節分を楽しみにしていた訳じゃないことをアピールしなければと、使命感のようなものまで感じだしていた。
エレベーターが9階に着き、ホールを左に曲がった先が赤井の部屋だ。
ゆっくりとエレベーターの扉が開き、目の前の壁にも間違いなく『9』と書いてあるのを確認し、左へ曲がる。
「えっ」
すると、目的地である赤井の部屋の前、そこの玄関にだけ、しっかりと柊と焼いた鰯が刺さっているのが見えた。もう一度振り返って確認するも、やっぱりここは9階だし、前を見たそこは赤井の部屋だ。
近くまで行ってよく見ても、やっぱりそれは柊と鰯で、何がなんだかよく分からないながらも、俺の左手はピンポーンと部屋のインターフォンを押していた。
「いらっしゃい、待っていたよ。」
「…お邪魔します。」
部屋だというのに、いつも通りの黒いシャツにスラックスを着た赤井が玄関の扉を開けて出迎えてくれると、赤井はすぐに俺の持つ袋の中身に気がついた。
「おっと…しまった。君も買ってきてくれていたのか。用意していると言えば良かったな。」
「いや、まあそれはいいんですけど…貴方がこんなに日本の行事に精通しているたは思いませんでした。玄関にあんなものまで飾って…」
「ああ、あれはな…」
節分について調べたらそうするものだと書いてあったから、クリスマスリーフみたいに皆がするものだと思ったんだが、意外としないものだったんだな。と気恥ずかしそうに言う赤井の後ろを追ってリビングまで行くと、食卓テーブルの上には、俺が適当にスーパーで買ったものなんかよりよっぽど立派な海苔巻きと、紙コップに入った大豆、おまけに鬼のお面までしっかり用意されていた。
そして、ここに来て初めて、俺は当初から抱いていた疑問を口に出した。
「貴方…もしかして、本当に俺と節分を楽しみたくてこの日に会いたいって言ったのか…??」
なんの記念日でもない、日本人ですらそれほど気合いを入れない「節分」なんていう行事を俺としたいが為に会いたいと言ってくれたのか。
別に悪くはない、悪くはないが…一体なぜ。
ポカンとした顔をしていたのだろうか。そう尋ねた俺の顔を見た赤井は、ポッと顔を赤く染めて、口をモゴモゴと動かし、なにやら言葉を探しているようだった。
子供のようだと笑うか?とでも言われるのだろうか。なんでも歯に衣着せずバッサリ言う赤井が珍しく口ごもるのを見て、なんと言われても別に笑ったりなんかしないのに、なんて考えていると、意を決したようにバッと俺の顔を見つめながら、ようやく赤井は口を開いた。
「最初は、節分の恵方巻について調べてみたんだ。」
「ええ。福を巻く、とかそういうことでしたよね?」
「ああ。それで、その時に節分か季節の変わり目だっていうことも知ったんだ。立春の前日。冬の終わり。冬の終わりに鬼を払って福を呼び込むことで、翌日に春を迎え入れる、と。」
「まぁ、確かに元々はそういう意味ですよね。」
「あー…つまり、なんというか。」
「?」
「正月はアメリカと日本にいたから会えなかっただろう?だから、新年の始まりは君と過ごせなかったけど、せめて今日、冬の終わりを君と過ごしたかったんだ。そして、二人で春の始まりを迎えたかった…なんて言ったら笑うかい?」
ポリポリと頬をかきながらそういう赤井には申し訳ないが、俺は笑ってしまった。
ああ、なんて愛しい。
「あかい。」
「…なんだい?」
「豆まいて、恵方巻食べましょ?そうしたら、きっと僕達にとって最高に幸せな春が始まる気がします。」
明日から春が始まり、夏になり秋になり冬になる。願うならば、これから先ずっと、赤井と共に四季を巡ることができますように。
今日と言う日に赤井に会えて良かった。今日は、間違いなく俺の人生に於いても、寒い冬の終わりを告げる1日となったのだから。
2018-02-03