乙女心とチョコレート♀



「そんな、市販のチョコレートをただ溶かして固め直しただけのものを、手作りと言っていいのか?」
 
 その何気ない赤井秀一の言葉は、うら若き乙女の、恋に恋する可愛らしい心を木っ端微塵に砕いた。
 そして、泣き出してしまった歩美ちゃんを必死で宥めようとする志保と博士の姿を見て、今更ながらに赤井は「やっちまった」と後悔するのだが、書いて字のごとく、後で悔やむから後悔。つまりは、後悔したところで、一度口から出てしまったソレはもう遅い。撤回しようもなく、少女の心を傷つけてしまったのだから。
 
 
 
「最低。」
「返す言葉もない。」
 
 泣く歩美ちゃんをなんとか宥めて博士が家まで送り届けることになり、家に残された灰原と赤井に待つのは、志保のお説教タイムだった。
 ゴミでも見るかのような冷たい表情に、ただでさえ後悔していた赤井の心はミシミシと押し潰される気持ちだった。
 
「小学1年生の女の子に、よくあんな酷いことを言えたものね。」
「まったくだ。」
 
 言われる言葉全てがブスブスと胸に突き刺さり、否定のしようもない。今なら、人間のクズね、くらいのことを言われても同意してしまうかもしれない。
 志保の怒りはなかなか収まらず、赤井への攻撃も止まらない。あんなに泣いてかわいそうに、江戸川君にあげるんだって朝から張り切っていたのに、と歩美ちゃんが手作りチョコを作る意気込みを話して聞かされると、ますます立つ瀬がない。
 
「彼女、何週間も前から今日を楽しみにしていたのに、可哀想に。」
「本当に申し訳ない。」
「…ねえ、さっきから本当に反省してるの?」
 
 心の底から謝罪の気持ちで溢れているというのに、彼女の言葉に同意しかしない赤井の姿は、反省が足りないように志保の目には映ったようだった。
 …なら一体どう言えば良いんだ、と開き直りたい気持ちは山々だったが、それを言ってしまうと余計に志保の怒りを増幅するだけだというのは馬鹿でも分かる。赤井は、ぐっと黙り込むしかなかった。
 
「ねえ。本当に反省してるの?」
「している。」
「なら、今年のバレンタイン、貴女もチョコ作りなさいよ。」
「それはいいが…歩美ちゃんに謝罪の言葉と共に渡せばいいのか?」
「は?何言ってるのよ。貴女が渡す相手なんて、降谷さんしかいないでしょう。」
「…すまん、もう一回言ってくれ。」
「だから、降谷さんに手作りチョコ渡せって言ってるの。」
「なんで、彼に…」
「なんで???それは貴女が一番分かっているはずでしょう。」
 
 降谷零、赤井とは色々な因縁があったが、今となってはよき友人の1人となった男の名前だ。
 実は赤井秀一、降谷のことが少しだけ男として気になっている。安室透やバーボンとして自分を苛烈に追い続けてくれた姿、そして、現在降谷として気軽に声をかけて笑いかけてくれる姿。彼と一緒に過ごす時間は、常に刺激的で、ときめきに満ちたものだったのだ。
 
 だがしかし、赤井は降谷とどうこうなろうなんて言う考えは持ったことがなかった。
 
 一時は本気で憎まれ、命を狙われていたのだ。流石にそんな女と多少仲良くなったからと言って、恋人にするわけもないだろう。
 それに、降谷と赤井は国籍も違う。仕事柄、お互い簡単に気を許していい相手でもない。つまり、降谷が自分と付き合うことにデメリットはあれど、メリットなんてどこを探してもないのだ。
 だから赤井は、この恋心は自分の中でこっそり隠し持ち、数年をかけてゆっくり消化して消し去るつもりだった。それなのに、
 
「彼にバレンタインチョコを?しかも手作りで??」
「ええ。」
「冗談だろう?」
「私、冗談ってあんまり好きじゃないの。」
「なんで…」
「恋する女の子の気持ちを踏みにじったのは、その気持ちが分かってないからよ。だから貴女も、恋する人の為にちょっとは努力でもしたら、いたーいくらいに今日泣いたあの子の気持ちでも分かるんじゃない?」
 
 そう言われてしまえば、なんで君が私の気持ちを知っているんだとか、どうしてよりによって料理上手の彼に私の手作りなんて、とか、言いたいことは山のようにあったが、そんなものは全て飲み込んで了承の返事をする以外に選択肢はなかった。
 
 
 
 そして今、赤井は自室のキッチンで大量のチョコレートと向かい合っていた。
 甘い香りで充満されたこの部屋には、既に「ついさっきまで美味しいチョコレートだったもの」の残骸がそこらかしこに飛び散っていた。
 誰だ、溶かして固めるだけなんて簡単に言って捨てた奴は…私だ。というやり取りを心の中で10回はしている。
 湯煎で溶かすのも、焦って沸き立った熱湯でしたらチョコが焦げ付いてしまい、次はぬるま湯でしてら全く溶けずにそのままボールに張り付いて固まってしまった。やっと上手に溶けたと思っても、型に流し込むのにあっちにこぼれこっちにこぼれ…。心はとっくの昔に折れていた。
 
 そもそも私は彼とどうこうなるなるつもりはないのだ。そして、チョコレートというものは各お菓子メーカーが最適な調合で最高の仕上げをして売り出しているものなのだから、そのまま食べるのが一番美味しいように作られているのだ。それをわざわざ溶かして風味や食感を損ねさせてまた固めるというのは、ナンセンスにも程がある。だから、そんなものを降谷君に送るということは、逆に失礼にあたるのではないだろうか。と言うか、友達としか思ってない女に急にチョコを差し出されるということ自体が失礼なことではないか。
 そんなことをグルグル考えながらも、手は次の板チョコを溶かすべくお湯を用意していた。
 志保との約束だから仕方なく…と言い訳しながらも、万が一にでも降谷がこれを受け取ってくれるかもしれないし、という邪な心が全くないとは言えないのだ。
 
 溶かして、固めて、また溶かして、固める。
 
 ボウルの中でトロトロと溶けていく茶色くて甘いチョコレートに、自分のこの気持ちも少しでも一緒に溶けていくような気がして、随分と乙女チックな自分の考えに思わず笑ってしまった。これが、志保の言う恋する乙女の気持ちというものであろうか。
 
 彼との未来は望まない。ただ、自分の長い人生に於けるたった少しの時間を鮮やかに彩ってくれるだけの人でいいと思っていた。自分も彼も年をとって「実はあの時君のことが好きだったんだよ」なんて、笑い話にできる関係。そんなものでいいと思っていた。
 ただ、チョコレートをトロトロと型に流し込みながら思う。それで本当に耐えられるのか、と。
 彼と離れ、たまに日本に帰って来た時に彼の隣には自分の知らない女が立っているのだ。「主人がお世話になっております」なんて、さも降谷君が自分のものかのような言葉を投げかけられ、彼の子種を腹に注がれ、彼の子を産む。一生を彼と添い遂げ、彼の人生の終末に付き添う女。
 
 いやだ。
 
 型に流し込んでいたチョコレートはいつの間にか溢れてこぼれていた。
 私を追っていたあの熱い瞳で私以外の女を見つめるのか、私に笑いかけてくれたあの優しい瞳で私以外の女を蕩けさせるのか。そう思うと、とてもじゃないが耐えられない気がした。
 
 溶かして、固めて、また溶かして、固める。
 
 何枚目かもわからないチョコで、型にぴったり流し込めたその時に、赤井の気持ちは固まった。
 彼の隣に私以外の女が立っていいはずがないではないか。と。
 
 志保と歩美ちゃんには感謝しなければ、と彼女たちには少しだけ高級なチョコレートをプレゼントすることに決め、作ったチョコレートを丁寧に箱に詰めた。
 市販のチョコレートをただ溶かして固め直しただけのもので、風味も食感も全て悪くした、最低に美味しくない仕上がりになっているだろう。ただ、これには私の決意が溶けて混じっている。
 どんなデメリットもはね除け、彼と共に歩む覚悟が入った、世界で唯一のチョコレートだ。
 バレンタイン当日は花束でも沿えてこれを彼に渡してみようか。彼が私の覚悟を受けとるまで続く戦いのスタートとして、チョコと花束があれば十分だろうから。

2018-02-10
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