チョコレートは添えるだけ



 数日前にバレンタインが終わった。
 バレンタインの経済効果が遂にハロウィンに抜かれそうだと報道され、「義理チョコをやめよう」なんていうセンセーショナルな謳い文句で日本のバレンタインの在り方を根底から考え直すような局面に立たされているこの行事だが、1月の後半から2月の半ばまではどこを歩いてもチョコレートショップがそこらかしこに出展しており、各地のデパートでは普段は日本にない限定ショップがこぞって出店し、それのどこもかしこも若い女性で溢れかえっているというのだから、まだまだ廃れたとは言えない文化である。
 身体の半分は日本の血を流していると言っても生まれてからの多くの時間を日本以外で過ごした赤井にとっては、日本のバレンタインの熱気はとても奇妙なものに映ったらしい。男が花束を女性に贈る、なんて気障なことを平然とやってのけそうなこの男にとって、女性から当然のようにプレゼントを貰うというのは初めての体験で驚いたと言っていたのをよく覚えている。

「女性からの貢ぎ物になんて慣れているのかと思えば、そうでもないんですね。」
「そうだな…何かをねだられることの方が多かったかもしれないな…、不思議な気分だ。」
「あー…まぁ、それも分からなくはないですね。」
 
 そう言って、困ったように紙袋いっぱいにチョコレートを持って帰って来た赤井を笑ったのは、2年前の話だっただろうか。
 
 そして、今年もついこの間までチョコレートショップが並んでいた場所はすっかり大人しくなり、すでにホワイトデーにむけての陳列がされているのだから日本は節操がないも言われても仕方がないなと思ってしまう。
 バレンタインの熱気がすっかり覚めて、ピンクの派手な看板で彩られていた街が少しだけ落ち着きを取り戻しているのを横目で見ながら、俺は赤井の家に足を向けていた。お互いにタイミングが合わず、およそ2週間ぶりに会うことができるということで、せっせと定時にあがれるように3日前から頑張っていたのだ。明日も休みをとったし、少しぐらい恋人とゆっくり過ごしたからと言ってバチは当たらないだろう。
 アイツの好きなバーボンとスコッチ、そして、少し前から気に入って食べている豚のパテの缶詰を調達してから向かうそこには、既に赤井が待っているはずだ。簡単な夕飯を作って待っていると言っていたので、おそらくまた肉じゃがでも作っているのだろう。
 俺が一度「美味しい」と誉めたものを律儀に作り続けることに愛を感じればいいのが、それとも馬鹿の1つ覚えみたいに同じもんばっかり作りやがってと呆れればいいのが難しいところだ。
 
 
 
「お疲れ様。早くに仕事が終わったんだな。」
「ええ、それなりに頑張りましたからね。これ、お土産です。」
「おお…!ありがとう。今日の晩酌はこれで決まりだな。」
「それで?」
「ん?」
「頑張って、しかもお土産まで買ってきた俺に食べさせてくれる料理は何なんですか?」
「ああ、君が気に入ってくれている肉じゃがだよ。」
「そうですか、それは楽しみだ。」
 
 手を洗ってきます、とお土産とコートをリビングに置いて洗面台に向かう俺は、一体いつから俺は赤井の肉じゃがを気に入っていたんだっけな?と考えるが、まぁ旨いのは確かだし、なんだか赤井も誉めてくれと言わんばかりにどことなく自慢気だったので折角の逢瀬にわざわざ水をさすこともないかとニッコリと笑顔を向けて誤魔化しておいた。
 冷たい水で手を洗っていると、温め直しているのであろうソレの甘くいい香りが漂ってきたものだから、グゥと俺の腹の虫が情けない声で鳴いた。まぁ、正直に言って、腹がすいた時は何を食べても旨いし、それが恋人の手料理ならどんなものでも言うことなしに最高の食事になるのだった。
 

 
 そして、肉じゃがと味噌汁、塩鮭、それと最近覚えたと言うほうれん草のおひたしを美味しく食べ終わった俺の目の前には5つのチョコレートが並んでいた。
 俺の買ってきた酒とツマミと一緒に持ってこられたそれを、平然とシェアして食べようとしている目の前の男に思わずため息がこぼれる。お前にデレカシーと言うものはないのか。
 1つはチロルチョコの詰め合わせ。1つは明らかに手作りのそれ。1つはスーパーなどで売られている大手メーカーのもの。そして、あとの2つは数粒でうん千円はするであろう高級な海外メーカーのもので、考えるまでもなくド本命だ。恋人の俺に本命チョコを食べさせることと言い、これを渡してくれた相手に対しても、どちらに対しても失礼極まりない。
 
「貴方…流石にこれは…。」
「バーボンと合うだろうと思ってな。チロルチョコは子供達からで、この手作りのは真純、こっちはボウヤからだ。」
「で、問題のあとの2つは?」
「おたくの受付嬢と、取引先のご令嬢。」
「なるほど。貴方の死因が女に刺された、なんてマヌケなものにならないことを祈ります。」
 
 まぁそう言うなよ、と赤井がビリビリと全く有り難みもなく包装紙を破り捨て箱を開くと、キラキラとしたチョコレートが大切そうに2つ並んでいた。旨そうだ、なんて呑気に鼻唄混じりにもう1つのチョコも乱雑に開けているが、これが一体一粒でいくらくらいするかコイツは知っているのだろうか。
 グラスに酒を注ぎ、先ずは真純さんの手作りのトリュフをお互いに口に入れる。いかにも手作りと言った味で、きっと蘭さんや園子さんと悪戦苦闘しながら作ったのだろう。歪で、サイズもバラバラだが、とてもじゃないが酒で流し込もうと言う気にはなれなかった。
 そして、例のチョコレートに手を出すと、口に入れた瞬間にじわっと溶け出す食感は流石の一言だ。甘さは控えめで、ほろ苦く心地の良い後味が最高。バーボンの甘味とよく合っていた。もしかすると、酒のツマミに、なんて言って売り出されていたものかもしれないな、なんてぼんやりと考える。
 目の前の男を見ると、これを送ってくれた女性達のことなんて全く何も考えていないことが一目見て分かる食べ方をしていた。ぽいぽいっとチョコを口に放り込み、酒で流し込み、そして、気に入りの豚のパテをじっくり味わう。ほろ酔いで上機嫌にはしているが、もはや女性達に同情する気持ちすら沸いてくる程だ。
 
 もう1つのチョコも口にいれると、今度はじんわりと口の中にビターな香りが広がった。舌がピリッとするよつなキツイ苦味が残り、ぐっと酒を入れる。
 
 赤井も、このチョコレートを送ってくれたような普通の女とレンアイしていれば、よくよくは普通に結婚して、普通に子供なんかも生まれて、普通に幸せになれただろうに…馬鹿な男だ、と思う。
 俺なんかに捕まってしまったから、妹さんにも恋人の存在を大っぴらにできないだろうし、万が一結婚するという形をとったとしても子供なんか絶望的だ。もしかすると、この男の普通の幸せをすべて奪って、俺は今ここにいるのかもしれない。

「降谷くん。」
「ん?なんですか?」
「…君も馬鹿な男だな。難しく考えすぎなんじゃないか?」
 
 じっと前を見ると、いつの間にかグラスもツマミもテーブルに置いていた赤井が、呆れたような顔で俺のことを見つめていた。俺の考えていることなんてなんでもお見通しだ、とでも言わんばかりの目線に、少しだけ居心地の悪さを感じた。が、
 
「難しく考えてるのは貴方の方でしょう?」
「なに…?」
 
 ぐいっとグラスの中のものを飲み干して、俺も赤井に向き直る。さっきとはうって変わって、眉間にシワを寄せて訝しげにする赤井に今度は俺の方が呆れた笑みを見せる。
 
「赤井も馬鹿だなーって。こんな美味しいチョコをくれる可愛い女性を無下にして、俺なんかにと一緒にいるんだから、と思っただけですよ。」
「…それはこっちの台詞だろう。肉じゃがくらいしかまともに料理できない愛想の悪い男より、料理上手な可愛い女性くらい君の周りには沢山いるだろう。」
「……なんだ、気づいてたんですか?」
「覚えておくといい、君は自分が思っているよりも感情が顔に出やすい。」
 
 そう言われて、思わず頬を撫でるが、自分が今どういう顔をしているかはよく分からなかった。ペタペタと顔を触る俺がマヌケに見えたのか、赤井は、まるで幼い子供に向けるような慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、
 
「俺はどんなに魅力的な女性といるより、君とこうして一緒に酒を飲む方がよっぽど贅沢な時間に思うよ。」 
 
 と言った。甘い笑顔とその言葉は、そこらの女が受けると蕩けきって 一気にこの男に夢中にさせられてしまうのだろう。
 だが、俺は違う。
 
「やっぱり、貴方の方が何か勘違いしているようですよ。」
「なに…?」
「俺は、貴方に普通の幸せを与えることができなくても、最高の幸せを与える自信があります。貴方が死ぬ時には俺を選んだ人生を誇り、僕の腕の中で笑いながら逝くんだって決まってますから。」
 
 甘い笑みから一転してキョトンとした顔をした赤井に、今日は随分と表情豊かだな、なんて場違いなことを考えながら、高圧的にニヤリと口角を上げた。
 
「肉じゃがしか作れない、人相が悪くてデレカシーもないゴツい男のお前を俺は選んだんだ。素直に幸せにされとけ。」
 
 じわじわと赤井の顔が真っ赤に染まる理由を酒のせいにされる前に、まずは俺からチョコレートなんかより甘くて旨いキスでもくれてやろうか。

2018-02-18
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テーマ「人外ファンタジー」
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