猫と未来と♀



 昔、まだ俺たちがバーボンやライと呼ばれていた頃、任務のため数人で北国へ行ったことがあった。任務は長く見積もっても2週間。順調にいけば4日で終わるであろう内容で、組織はその間、俺たちに1つのセーフハウスを与えた。
 ライ以外にも女は数人いたが、そんなことはお構い無しに与えられたプレハブのような小さなそこは、辛うじて寒さと雨風が凌げる程度のお粗末な拠点だった。とても人が住める場所じゃないと大不評で、当然のように俺やライも一刻も早く任務を終わらせる為に必死になって働いた。
 とにかく早く帰りたい。積もった雪が溶ける前にまた次の雪が降ってくるような場所で、慣れない雪に翻弄されていた俺達の願いはその一言に尽きた。
 
 朝起きてまず最初に雪かきをしなければ1日が始まらない、そんな場所に一匹の猫が来るようになったのはいつからだっただろうか。
 
 その猫は随分と年をとっているのか、動きの1つ1つがのそのそと重く、撫でに近づいても逃げるそぶりもなくただ黙ってじっとそこにいた。
 俺たちの住む場所の軒先で雪を凌いでいるのを見かけたのが始まりだったが、誰がそうしたのか、気付いたときには家の中の一番暖かい場所にソイツ専用の小さな座布団が置かれており、そこに寝そべっていた。
 幸い、トイレは自分で外に出て勝手に済ましてくれていたし、1日中ほとんど動きがないので悪さをされて困るということもなかった。名前も分からないソイツは、本当にただ、そこにいるだけだった。
 最初は物珍しかったのか、組織のメンバーも餌を差し出したり可愛い可愛いと撫で回していたのだが、なんにせよ反応が薄い。差し出した餌はチラリと目を向けるだけで口をつけようともしないし、触られてもなんのリアクションもせずじっとしている。
 ソイツが来て1日もすると、皆仕事の忙しさに追われて、相手をしなくなっていった。
 
 ただ、ライだけはいつもそいつを見ていた。
 
 餌を与えることも、撫でに行くこともなかったが、遠くからじーっとソイツを眺め、常に行動に目を光らせているようだった。
 その姿を見て、この可愛いげのない女でも猫が好きなのだろうか、生物を愛でるという感情があったのか。なんて考えていたが、可愛がるとはまた違う、どちらかと言うと、興味があるから観察している、という感じに見えた。
 
「猫、好きなんですか?」
「別に。」
「でもずっと見てるじゃないですか?…もしかして苦手なんですか?」
「別に…。」
「…貴女、俺と会話する気あります??」
 
 別に、別に。と馬鹿みたいに繰り返すだけのライにイラッとしながら、やはりこんな女に小動物を愛でるなんていう可愛いげのある心は無いんだと結論を出した。
 …でも流石に美味そうだと思って、とかは言い出さないよな?いや、この女なら…。
 
「…ただ、羨ましいと思って。」
「羨ましい?」
 
 知られたら猛烈な一発でもお見舞いされそうな失礼なことを考えていると、聞き取れるかどうか怪しい程に小さな声でライはそう呟いた。
 
「ずっと寝てるのがですか?」
「いや、猫の生き方は高潔だと思って。誰にも媚も売らず、自由だろ?」
「僕は、貴女が誰かに媚びを売ってるのも想像できませんし、なにより人間社会の中の於いて貴女ほど自由にやってる人もいないですよ…。」
 
 そう言うと、キョトンとした顔をしたあと、憎たらしい笑みを浮かべて「それなら私も少しは猫のように高潔に生きられているのかな」なんて言うもんだから、俺は「ちょっとくらいは人間らしく社会の中で生きてください」と返すしかなかったのだった。
 
 そして、結局その猫は4日ほど俺達と共に過ごした後にどこかに姿を消してしまった。
 あれだけ猫を気にかけていたライは、ソイツがいなくなったからと言って探す素振りもなく、たまにソイツがいた座布団をチラリと見る程度で、いつもと変わらない態度で任務を遂行したのだった。
 
 
 
 そして今、追っていた組織が壊滅してようやく俺達は降谷零と赤井秀一として生活することができるのうになった。
  バーボンとライであったり、安室透と沖矢昴であったり、色々な名前で対峙してきたが、本当の名前でこうして向き合うというものは、なんだか今までとは違う印象を受ける。本名を呼ぶというだけで、仮面のない、赤井秀一という1人の女をありのまま見ているような気になって少しだけ恥ずかしいような気持ちだ。
 
 今日は、3か月ぶりにアメリカから来日した赤井を空港まで迎えにきていた。崩壊したからと言っても、あれだけ巨大な組織だ。捜査に関わった各国の機関が定期的に現状報告をすることで、第2第3の組織の台頭を予防しているのだ。
 いつもなら皆警察庁まで自分の足で来るのだか、今日は東都は数十年に一度の大雪。交通機関は完全にマヒしているということで、俺の車を出して迎えに行くこととなったのだ。
 
「こんな雪の日にすまないな。助かるよ。」
「いえ、赤井こそこんな日に災難でしたね。車もノロノロしか進まないでしょうが、いつ動くかも分からない電車を待つよりはましだと思って我慢してください。」
「十分だ。」
 
 車は案の定ノロノロで、歩いた方が速いかもしれないとすら思うスピードでしか動かなかった。お互いの近況報告等を話てはいたが、流石にこうも時間があるとネタも尽きてしまう。
 そこでふと俺は、あの猫のことを思い出した。
 
「ねえ赤井、組織の仕事で1週間ほど北に飛ばされたの覚えてます?」
「ん?…ああ、あの最低な小屋のやつか。」
「そうそう。そこで、貴女猫が羨ましいって言ってたじゃないですか。」
「…よく覚えているな。」
「なんだか印象的で。」
 
 そういうと、赤井は窓の外をぐるりと見渡した。雪で真っ白になった道は車道と歩道の境すら分からず、車のタイヤの跡以外は、柔らかそうな雪で覆われている。

「あの猫がいなくなった時、なんとなく死にに行ったのだと思ったよ。」
 
 窓の外を見たまま赤井が口を開く。
 
「あの小屋にいる間、あの猫は誰からの食事も口にいれず、誰とも馴れ合うことなく過ごし、そして誰に何も言わず去っていった。なんとなく、格好いいと思ってな。アイツはきっと自分の命の期限を知っていて、その運命に抗うことなく死を受け入れたんだろうと思ったんだ。」
「まぁ…かなり年はいってたみたいですし、そうかもしれませんね。」
「私もアイツみたいに、命の使いどころで充分に命を燃やして、死ぬときには誰にも弱る姿をみせず1人で綺麗に死ねたらな、なんて思うんだよ。」
 
 まぁ、死にたいわけではないんだがね。と苦笑いを溢しながら話したその内容は、確かに綺麗な死の形の1つかもしれない。でも、
 
「似合いませんね。」
「…なに?」
 
 俺にはそれが`赤井秀一´の死とは思うことができなかった。
 
「貴女、どうして1人で死ねると思ってるんですか?どっかで貴女がうっかり死んだって聞いても、俺はそれでも貴女を追いますよ。知ってるでしょう?俺のしつこさは。」
「ああ…あの時は大変だった。」
「絶対に1人で綺麗になんて死ねませんよ。貴女は、年くってよぼよぼになって、布団から起き上がれなくなって情けない姿晒したとしても、子供や孫に囲まれてわんわん泣泣かれながら看取られるのがお似合いなんですから。」
 
 そう言うと、ようやく前の車が進みだしたので自分もアクセルを踏み込む。
 赤井が今どんな顔をしてさっきの言葉を聞いたのかは確認できないが、俺の方はなんだかストンと納得した気分でスッキリしていた。赤井秀一に猫のような生き方は似合わない。
 
「まったくそんな自分が想像できない…。」
「そうですか?俺は結構想像できますよ。」
「君にそう言われると、…本当に私の死まで看取られるような気がするな。」
「まぁそうですね、看取ることになるのかなぁ。」
「…は?」
「いや、だって貴女の方が少しとは言え年上だし、酒も煙草も好き放題で明らかに俺より不健康な生活してるから、先に死ぬのは貴女だと…」
「ちょ、ちょっと待ってくれ…なんで君が私の死を看取ることが前提で話が進んでいるんだ。」
 
 そう言われて初めて、当然のように赤井秀一を看取る自分の未来を想像していることに気がついた。たが、
 
「なんででしょう…やっぱりこの目で死ぬのを確かめないと嫌なんでしょうかね?」
「君の執念深さには恐れ入ったよ…。」
 
 この時の俺は、まだ自分の本当の気持ちには気づけていなかったのだった。

2018-02-24
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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