嘘つき達の騙し合い



「またいるのか…」

 雨が降っているかどうか確認する為に工藤邸の大きな窓から外を覗きこむと、すっかり見慣れた白のRX-7を見つけてしまった。朝の天気予報ではお昼頃から雨が降ってくると言っていたので、降られないうちに買い物を済ませてしまおうと思っていたが、どうやらそれは叶いそうにない。
 彼はあそこにずっと張り込むことで一体何を期待しているのだろうか。ずっと見張っていれば俺がボロを出すだろうとでも思っているのかもしれないが、それはそれで心外だ。俺だって鬼籍とは言え現役のビュロウ。間違っても首元を晒して庭の水やりをすることもなければ、ましてや沖矢昴の格好でライフルを天日干しする日もやってくることはない。
まあ、彼の目的が俺が赤井秀一である証拠を掴む為と言うのではなく、単純に俺に対してプレッシャーをかけているだけとでも言うのならば彼のこの行動も効果があると言ってもいいだろうが…。隣家を監視している俺が言えたものではないことを百も承知で言わせてもらうと、こう毎日のように監視されていると言うのは決して気分のいいものではない。

 チラリ、ともう一度窓の外を覗くと、幸いなことに雨はまだ降っていないようだった。しかし、このまま外に出たら間違いなく安室君に呼び止められ何だかんだと絡まれ、雨が降りだしてきてしまうに違いない。きっと彼は、雨が降ったら好都合だと言わんばかりに「買い物なら送っていきますよ。そうだ、僕もついでに買い物を済ませちゃうんでご一緒させてください。」とでも言って俺に着いてくるのだろう。
 単純にスーパーまでの足になってくれるのなら歓迎してもいいが、あれやこれやと仕掛けてくる彼をあしらうのは、難しくもないが簡単でもない。困ると言う程でもないが面倒くさい。
 つまり、今にも雨が降り出しそうなこの中途半端な天気で、俺の機嫌はまあまあよろしくないのだ。
 正直言って彼にかまう元気もなければ本当は買い物にだっていきたくはない。この家に食料は無いが一日くらい食べなくても死なないだろう。酒と煙草はまだ十分ある、だから別に買い物に行かなくても今日くらいなんとでもなるのだ。
 ただ、朝の天気予報ではこうも言っていた「今日の昼頃から降りだした雨は徐々に激しさを増し、明日は雨を伴った春の嵐になるでしょう」と。だから、今日買い物に行かないとなると明日行かなくてはならないと言うことで、そうなるとわざわざ天気の悪い時に出かけなければならないと言うことで……そこまで考えて、赤井はハァ〜とため息を吐いた。
 結局は今買い物に行かなくても面倒なことになるし、今行っても面倒なことになる、と言うことだ。こんなことなら非常食用のラーメンでもなんでも買っておけばよかった。と後悔をするが、後悔をしたところで事態が好転するはずもない。

 ハァ、行くしかない。か。

 そして、キッチンに置きっぱなしにしてある財布とエコバックを引っ掴むと、最後に洗面所に寄り化粧の乱れがないか簡単に確認して、重い足をひきずりながら玄関の扉を開けるのだった。
 傘を持って行こうかと一瞬考えたが、やめた。もう今こうして家を出ようとしていることが面倒なのだ、ここまできたら彼の車に乗り込むことになろうと、彼と一緒にスーパーに行くことになろうと同じようなものだろう。



「おや、沖矢さん、お出かけですか?」
「はい、雨が降る前に買い物に行こうと思いまして。安室さんはまたここで仮眠をとっていたんですか?」
「ええ、そうですね…やはりここは、ゾクゾクするほど寝心地がいいので…。」
「…運転中に度々眠くなることが私は問題だと思いますけどね。仮眠ではなく家に帰ってゆっくり休まれることをオススメします。」
「ご配慮痛み入ります。」

 そう言ってニッコリと笑った彼の顔には、なんと言われようとここを動かないぞと書いてあった。よくもまあそんな調子で探り屋なんて出来ているなと思う程に本心を晒す彼に、こんなことなら明日、嵐の中出かけた方がまだマシだったかもしれないとすら思えてきた。今からでもいいから帰ってやろうか。

「では、私は買い物に行ってきますので、ご無理なさらないでくださいね。」
「ああ、いえ、僕も丁度もう出ようと思っていたところなんですよ。よかったら送っていきましょうか?ここの近くのスーパーなら、あの角を曲がってしばらく行ったところですか?」
「ええ、そのつもりでしたが申し訳ないので結構ですよ。お忙しいのでしょう。」
「いえ、僕も丁度夕飯の材料を買わないといけないところだったので一緒に買い物も済ませてしまいますから、ついでですよ。」
「はぁ。」
「それに、のんびりしていて雨が降って来ても困るでしょう。貴方、雨に降られて濡れると色々と困るでしょう。」
「…ええ、確かに。春先とは言えまだまだ冷えますからね。風邪でもひいたら大変だ。」
「……そうですね。」

 でも、友人のよしみで風邪をひいたら看病くらいしに来てあげますよ。なんていけしゃあしゃあと言ってのける安室君に、思わず舌打ちをしてしまいそうになるのを堪える。なにが「しに来てあげますよ」だ。看病と称して何をされるか分かったものではない。

「さあ、乗ってください。雨が降る前に帰ってこれなくなりますよ。」
「それでは、お言葉に甘えて。」

 そうして彼の車の助手席に乗り込んだ俺は、隣から浴びせられる痛いくらいの視線を無視してカチャリとシートベルトを締めた。それを確認した彼はキーを回しエンジンをかけ、ゆっくりと車を前に進める。
 だが、彼の運転は予想外にゆっくりした安全運転で、なんだか拍子抜けしてしまう。

「…どうかしました?」
「いえ、思ったより安全運転だな、と。」
「…さすがに住宅地ではこの速度以上だせませんよ…それとも何か。いきなり飛ばされてどこかに連れ込まれるとでも思いました?」
「そういうわけではないのですが、」
「冗談ですよ。きっちりスーパーまで連れて行ってあげますから、安心してください。」
「はあ。」

 左へウインカーを出した彼は、まるで教習車のように徐々に車を左へ寄せてキープレフトの位置をとり、一時停止して左右を確認し、ゆっくりと左にハンドルをきった。遠くに目的地のスーパーの大きな緑色の看板が見える広いその道に入っても、彼の運転は荒くなることはなく法定速度きっちりの優等生のままだ。
 バーボンとして俺と組んでいたときから彼の色々な顔を見てきたと自負しているが、俺の中で「運転が丁寧な彼」と言うのは今まで出会ったことがなかったので、とても新鮮だ。彼の新しい一面を見て、何故だが先ほどまでイライラしていた気持ちがふよふよと浮き上がってくるのを感じた。

 ここに来て漸く彼の車を少し観察する余裕も出てきたので、キョロキョロと車内を見渡してみる。

「本当にどうしたんですか?何か物珍しいものでもあります?」
「いえ…このように丁寧に運転したらさぞかし女性にもおもてになるだろうと思いまして。心なしか車内もいい香りですし、どんな物を置いているのかなと思いまして。」
「普通ですよ。車の中にあるのなんて、せいぜいスマホの充電器くらいじゃないですか?」
「ほぉー。」

 そんなことを話しているうちにスーパーに到着した。安室君は本当に買い物まで付き合うらしく、流石にナマモノは買えないとは言っていたが、この野菜は安いだの、この調味料は見たことがないだのと随分楽しそうに買い物をしていた。いつもは来ないスーパーに来ると言うのは新しい発見があって楽しいらしい。
 まあ、俺もついさっき彼の新しい一面を発見して少し楽しい気分になったので、その気持ちは分からなくもない。が、俺には野菜が安いだのなんだので楽しい気持ちになるような日は一生来ないような気もした。

「沖矢さん、このキャベツは買い時ですよ。最近こんな値段で売ってる店なんてありません。」
「はぁ、そうなんですか?」
「そうですよ。買っておいたほうがいいです。」
「でも、キャベツをあまり使うことが無くて…」
「こんなの千切りにすればサラダになるし、味噌汁に入れることもできるし、野菜炒めにでも焼きそばにでもできるし、あればどうにでもなりますよ。」
「…では、半玉だけ。」
「ええ、それがいいと思います。あっ、玉ねぎも、もう新玉ねぎが出てるんですね!これも買いですよ!」
「ええー…」

 そんなこんなで、彼に勧められるものを片っ端から買った為にスーパーを出る頃には予想外の荷物になってしまっていた。彼の「帰りも送っていくので買った方がいい」の一言に負けて千切れそうな程の荷物が入った買い物袋をドンと彼の車に詰め込むと、また車に乗り込む。
 まぁ、明日は嵐で買い物には行かない予定だったし、これだけ色々あれば当分は食うに困ることもないだろう。むしろ腐らせないようにするため何か調理法を調べた方がいいかもしれない。

 そんなことを考えながら助手席で車に揺られていると、この時になって自分が彼との買い物を意外と楽しんでいたことに気がついた。彼ももっと喧嘩腰でくると思って身がまえていたのだが、むしろ車に乗り込むまでが最高潮でその後は目立って探りを入れられることもなかった。
 こうなると、何故彼が工藤邸を毎日見張っているのか益々疑問なところではあるが(まさか本当に睡魔に襲われていると言う訳でもあるまい)、ポツポツとフロントガラスを濡らし始めた雨粒を見て、今日の所は彼がいて良かったと言わざるを得ないなと、ほぉっと息を吐く。

「今日はありがとうございました。車を出してもらうような形になってしまって、」
「いえ、僕の方からお誘いしたので。こちらこそ買い物、色々口を出してしまってすみませんでした。」
「勉強になりました。」
「はは、沖矢さんにそう言ってもらえると良かったです。」

 工藤邸の前、最初にこの車が停まっていた場所に帰ってきて、別れの挨拶をしながらシートベルトを外す。本当に何もなく終わった買い出しだったが、まあ、そんな日もあると思うしかない。
 今ならまだ小雨なので、傘がなくても車を降りてから家までに大して濡れることもないだろう。変声機が濡れるとどんな不都合を起こすか分からない。隣の博士なら壊れたと言ってもすぐに直してくれるだろうが、ただでさえ色々とお世話になっている身分なので、余計な手間は増やしたくはない。

「それでは、本当にありがとうございました。」
「ええ、濡れないうちに家に入ってください。」
「はい、どうも。」

そう言って、足元に置いていた重い買い物袋を持ち上げてドアに手をかけた時、「ああ」と後ろから声が聞こえた。何か忘れ物でもしただろうか、そう思い振り向こうとしたその瞬間、振り向くより先に買い物袋を持っていた右腕をグイッと引っ張られる。
荷物を持っていたこともあり容易く体制を崩した俺は、ドアを開けようとしていた腕を呆気なく離し倒れないようにダッシュボードを支えにして踏みとどまる。なんとか体制を整えた俺は、急に引っ張ってきた安室君に文句の一つでも言ってやろうと眉間に皺を寄せながら彼の方を向き直ると、予想外に彼の顔が近くにあって思わずギョッとして身体を引いてしまう。だが、狭い車内ではそう遠くに離れることもできず、相変わらずに鼻と鼻が今にも触れてしまいそうな距離にある彼の顔がニコッと笑顔に変わる。

「…なんですか急に、危な」
「言い忘れたことがありまして。」
「はい?」
「先ほど沖矢さんが僕の運転を女性にもてそうだと褒めてくださいましたが、残念ながら女性を助手席に乗せることは滅多にないんです。」
「はぁ。」
「だけど、今日は漸く気になる相手に車に乗ってもらうことに成功しましてね。しかも、その相手から運転を褒められて気分もいいんです。」
「…はぁ。」

「沖矢さん、僕の運転する車に乗って、僕に惚れちゃいそうでしたか?」

「……はい?」
「そういうことです。今日はありがとうございました。お引き留めして申し訳なかったです。雨、酷くなる前に家に入ってくださいね?」


 そうして、バタンと玄関の扉を閉めた後で外からは車が動くエンジン音がかすかに聞こえてきて、今日の買い物は終わりを告げた。買ってきたものを冷蔵庫に詰めながら俺が考えることは1つ。

「…まさかハニトラとはな…。」

 その後、キャベツの袋に堂々と付けられていたシール型盗聴器を水没させながら、ベルモットを始めとして探偵業の依頼人などの女性を平然と助手席に乗せている安室透に思い至った赤井は、「あの大嘘つき野郎が」と呟くことになるのだが、甘い言葉をかけられて満更でもなかった自分に気付くことはなかったのだった。

2018.4.10
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