雨宿りの先に



「雨だ」
 
 安室がポアロから外に出ると、雨が降っていた。予報では夕方から降りだすと言われていたが、少々早まったらしい。
 弱ったな、と頬をポリポリとかくと、ポアロの前に出していた今日のオススメを書いた看板を畳み、今しがた出たばかりの店内に戻る。
 
「あれ、どうしました?」
「いやぁ、雨が」
「えっ!?嘘!もう降り始めちゃいました!?」
 
 やだなぁ…なんて言いながら眉をハの字にした梓さんに同じく苦笑いを返しながら、カウンターの下に看板を片付ける。
 まだ降り始めたばかりの雨は、しとしとと音もたてずに地面を濡らしていた。傘をささずに車まで走るのは簡単だ、だが。
 
「安室さん、傘、貸しましょうか」
「いえ、…傘はいらないですけど、コーヒーを1つ、頂けませんか?」
「え?」
「雨が降ってこのあとの予定はなくなっちゃったんです。少しだけ、のんびりするのもいいかなぁ、と」
 
 そう言って、一番窓際のテーブルに座る。平日の昼過ぎ、お客様はほとんどいない。
 僕の注文にしばらくポカン、とした顔をしていた梓さんも「コーヒー1つですね、かしこまりました」とカウンターに戻って行った。
 予定がなくなったと言うのは嘘だ。そもそも今日は大きな予定なんてなかった。
 ただ、なんとなく、この街に降り注ぐ雨を見て、昔のことを思い出しただけだった。
 
 ○
 
「はぁ!?雨が降ってるから行かない?あんた仕事なめてるんですか?」
「よりによってこんなに条件の悪い日にすることはないだろうと言っているんだ。」
「僕は、この仕事を早く片付けて次の任務に早く行きたいんです!!」
「急いては事を仕損じる。晴耕雨読、雨の日くらいのんびりしてもバチはあたらんさ。」
「そいういことを…っ!!」
 
 俺の言葉なんか聞こえていないかのように窓際のソファに身を沈めてペラリと本を読み出したライに、おれの怒りは頂点だった。
 今思えば焦っていたのだろう。組織に潜り込み、やっとコードネームを与えられ、これからが本番だと1人で突っ走っていた。目の前の男、同じ時期にコードネームをもらったライよりも少しでも上にいきたい、少しでも手柄をあげたい。そう考える俺は、組織に言われるがままに任務をこなし、使える操り人形になろうと必死だった。
 今なら分かる、あの時の俺は目的を見失っていた。組織を崩壊させるにはどうすればいいかではなく、組織で上り詰めるにはどうすればいいか、そればかりを考えていたのだから。
 
「もういいです!貴方が動かないなら僕1人で」
「バーボン。」
「なんですか!なにもしなくても結構ですけど、僕の邪魔だけはしないでくださいよ!」
「君は、なぜ自分がバーボンというコードネームを与えられたか考えたことはあるか?」
「…はい?」
「俺はある、なぜ自分がライなのだろうか、と。」
「そんな、コードネームなんて番号と同じようなものでしょう。そこに意味なんて」
「だが、野球でもフットボールでも背番号というものは大切だろう。それと一緒だ。」

 なにを馬鹿な、と思ったが、普段なにかと隠語が多いこの組織、もしかしたらこれも何かの比喩表現なのかもしれないとふと足を止める。
 自分がバーボンである理由、考えたこともなかった。 
 バーボン…アメリカンウイスキーで、主にトウモロコシを原料に作られたものだ。短い熟成で若く尖った酒と言われることもあるが、クセはなく飲みやすい。比較的安価なものもあり、多くの人に馴染み深く、広く流通している酒。 
 自分がなぜバーボンなのか。探り屋という特性上、甘い顔をして沢山の人の懐に入り込み情報をとってこいという意味か…若くて尖っているという意味でないことは信じたい。
 
「貴方は、なぜ自分がライだと思っているんですか?」
 
 バーボンよりもスパイシーで大人の味だ、とでも言ったらはっ倒してやろうと、相変わらず本に視線を落としているライに尋ねる。
 俺がバーボンと名付けられたのと同様に、コイツがライである理由もきっとあるのだろう。
 
「知らん。」
「は?」
「俺はこんなにもスコッチを愛しているのに…ライと呼ばれる日が来るなんて屈辱だ。」
「………はい?」
 
 パタンと本を閉じて、口をへの字に曲げて窓の外を見るライは、まるで、欲しかったおもちゃを買ってもらえなかった子供そのものだった。
 思わぬ返事にポカンと口を開けた間抜け面でライを見つめてしまったが、次第にじわじわと顔が緩んでくる。なんとまぁ、馬鹿らしい。
 
「ーーーはっ!貴方、そんなことで臍曲げてたんですか!?」
「…」
「信じられない…こんなやつが組織の幹部だなんて」
「とにかく、今日は動かないからな。行きたいなら勝手にやって失敗でもなんでもしてきたらいい」
「ははっ…なんかもう行く気分じゃなくなったので僕も部屋にいることにします。どうです?ライでも買ってきてあげるんで飲んでみます??それとも、バーボンでも?」
「結構だ。ライなんて飲めそうにない。ヘドが出そうだ。」
 
 ニヤニヤとライをからかう俺に、もはや怒りの感情はなくなっていた。
 
 ○
 
 コトリとコーヒーカップをソーサーに置くと、ポアロの外では雨が激しくなっていた。
 激動の潜入だった。だが、間違いなくあの会話をした雨の日、俺は肩の力を抜けるようになったのだ。あの日がなければ、今こうしてのんびりとコーヒーを傾ける日なんて来ていなかっただろう。
 
「そろそろ失礼します。」
「雨、酷くなってますけど傘どうします?」
「結構です、迎えが来たので。」
 
 カランとドアベルを鳴らしながら外に出ると、見慣れた黒い男が傘をさしてコチラに近付いてきた。
 
「FBIは暇なんですね、傘をさしてのんびりお散歩とは。」
「酷い言い種だ。傘がなくて困っているであろう恋人を折角迎えにきたというのに、よほどこの傘、いらないとみた。」
「冗談ですよ。………ねえ赤井、今日は久しぶりに一緒にお酒でも飲みましょうか。」
「珍しいな、いつもは俺が誘っても飲まないのに。」
「気分ですよ、気分。なんのお酒買って帰ります?」
「俺はいつもと同じ、バーボンでかまわんよ。」
「そうですか…じゃあ俺は、ライでも飲もうかな。」
「…懐かしい名だ。なにかあったのか?」
「なんとなくですよ。」
 
 傘を打ち付ける雨は少しだけ鬱陶しいが、雨の中、二人で傘をさして並んで歩くのも、赤井がバーボンばかり飲んでいるのも、まぁ、悪くはない。  

2018.6.3
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