イマジナリー出産



 世の中には自分の女の生理周期を把握する男がいると言うが、彼は、それに通ずる気持ち悪さがある。と、たまに思うことがある。
「今日は僕たちの長男が生まれる日ですね」そう言って俺の腹を愛しそうに撫でた男を、呆然と見つめてしまった俺の反応は間違ってないはずだ。目の前の男(一応恋人)が何を言っているのかが何一つ分からない。
 まず俺の腹は生理学的に子を身籠ることはできないし、万が一身籠ったとしても生まれる日があらかじめ分かるはずもない。
「何を言っているんだ」
 俺はストレートに問いかけてみた。
「十月十日前に中出ししたんで、そろそろでしょう」
 意味の分からない答えが返って来た。
「俺に子はできない」
「なんですか、貴方無精子症かなにかですか?」
「いや、性別的に」
「大丈夫です。俺には子はできます」
 なにが大丈夫なのか何一つ分からない。
「…なぜいきなりそんなことを言い出したんだ」
「いきなりじゃないですよ。ずっと指折りこの日を楽しみにしていました」
「君が中に出したのは1度や2度じゃないだろう」
「ええ、でも今までは安全日で、今回は危険日だったので」
「……そうか」
 俺は彼のことをマトモだと思ったことはあまりないが、これは予想以上に彼はマトモではないらしい。「そもそも、危険日って名前がダメですよね。どちらかと言うとチャンスタイムなのに」とぼそぼそ呟く彼を見ながら、そう言えば彼が少し前からやたらと日本の少子化について俺に話をしていたことを思い出す。
「この子の国籍はどうなるんだ」
「そりゃあ日本で生むんですから日本にしてほしいですけど、本人の意思もあるだろうからまだ決めないでおいた方がいいかもしれませんね」
「…そうだな」
 そうして、あらかじめ注文していた誕生日ケーキを受け取りに行くと上機嫌に話す彼の話を聞きながら、俺はそっと自分の腹を撫でた。
「なぁ。この子の名前はどうする?」
 理解できないものほど面白い。そんな性分をしている自分を恨みつつも、これだからこの男といるのも悪くない、そんなことを思いながらケーキはクリームたっぷりのショートケーキが良いな、と考えるのだった。

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「ねえ、何か足りないものはありますか? 」
 先日、意味の分からないことを言い出した男(一応同棲している恋人)からの電話に、家の中をぐるっと見回しながら応える。
「ティッシュもトイレットペーパーもキッチンペーパーも大丈夫だ」
「わかりました。すぐに帰ります」
「夕飯は? 」
「今日はシチューです」
 あの会話以降、彼は特別変わった様子はなかった。トチ狂ったように俺の腹を撫でてくることもなければ、俺が産気ずくのを今か今かと心配そうにしていることもなかった。やはりあれは彼のジョークだったのだろうと思うと、ジョークにしてはしっかり予約してあったホールケーキは若干気持ち悪かったなと思い返してみる。
 あとから調べたら、あれはどこか有名ホテルの予約限定のものだったらしい。しかも、予約三か月待ちだという口コミもあり、彼は本当に俺に中出しした日(ちなみに、彼曰くチャンスタイムでの中出し)から十月十日を指折り数えていたのかもしれないと思うと、結構気持ちが悪い男だなと認識を改めてみる。
 俺は一体なぜこんなにも狂気的で気持ちの悪い男と同棲までして付き合っているのだろうと考えてみたが、まあ、そんな彼のことを「愉快だな」と思う時点で俺もまあまあ狂気的なのだろう。惚れた欲目と言うやつだ。
 そうだ、彼がこんなジョークを言ったくらいなのだし、俺は俺で我が子(仮)の一か月記念日に向けて何かシャンパンでも探しておいてみようか。これで「授乳中なのにアルコールは駄目ですよ」なんて言われたらどうしようか。想像したら凄い、かなり気持ちが悪い。あまりに愉快過ぎるだろう。
「ただいま帰りました」
「ああ、おかえり」
 リビングのソファに座ってあまりにも馬鹿馬鹿しいことを考えていたら、いつの間にか彼が帰ってくる時間になっていた。しまった。シチューの仕込みくらいはしておこうと思ったのに、し損ねてしまった。
 仕事から帰ってきた彼に、夕飯まで全て作らせてしまうのは申し訳がない。まあ、彼はそう言ったことで俺に文句を言ってきた試しはないが、いくら恋人とはいえ、他人と一緒に住む為のマナーと言うやつだろう。俺は、腕まくりをしながらソファから立ち上がり、キッチンの方へ身体を向ける。
 そうして、帰宅してスーツのジャケットを脱いでいる彼に向き直り――。
「シチューの用意を手伝…」
「ああ、ありがとうございます。一応材料は冷蔵庫の中に」
「いや、あの、ちょっと待ってくれ」
「なんですか? 今更シチューは嫌だは流石に無理ですよ」
「いや……その、君何を買って来たんだ? 」
「は? 見たら分かるでしょう? 粉ミルクですけど」
 いつまでも母乳だけじゃ貴方もツライでしょう? このご時世、完全母乳が必ずしもいいものではないのなんて当然ですよ。
 そう言ってレジ袋(有料)の中から見たことも無い粉ミルクを取り出す彼に、はっきり言おう、俺は未だかつてない程に引いた。
 俺の恋人は、予想以上に最高に気持ちが悪い。

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 隣ですやすやと眠る赤井を見下ろして、この男がこんなにも無防備な姿を俺に見せることに、何とも言えない優越感を感じる。この世界でどれだけの人間が、この男が寝る時に少し口を開いて息をすることを知っているのだろうか。
 少しばかり喉が渇いたので、間抜けな顔をしている恋人をベッドに置いて、そっとリビングに出る。ペタペタとスリッパをならしながらキッチンへ向かうと、そこには今日、俺が買って来た粉ミルクの箱が肩身狭そうに置かれていた。
 正直言って、俺が意味の分からない行動をとっていることなんて最初から気付いている。
 十月十日、なんて言ったが、あれも偶然何かの計算をしている時にふと気づいただけのものだったし、あのケーキは、なんというか、部下の一人が彼女に対してサプライズで用意していたものが、彼女と別れて必要なくなったからと譲られたものだった。粉ミルクだって、ふと、薬局で目についたから、これを買って帰ったらアイツがどんな反応をするだろうかと少しの好奇心で買っただけのものだった。

「いつまでも母乳だけじゃ貴方もツライでしょう? このご時世、完全母乳が必ずしもいいものではないのなんて当然ですよ」
「あ、ああ…そうだな」
「ここに置いておくので、無理せず使ってくださいね」
「…ありがとう」

 ただ、俺はあいつが「まだそんなに馬鹿馬鹿しいことをしているのかい」と呆れるでも「君は本当にクレイジーだな! 」と笑い飛ばすでも、どんな反応をするかを見たかっただけだったのだ。それ以外に他意はまったくなかったのだ。
 ただ、予想外だったのが、あの男が、あんなにも――あんなにも、怯えた顔をするなんて――。
 正直言おう、アイツの怯えた顔に興奮した。ゾクゾクした。
 それが、例えアイツが俺のことを頭のおかしいヤバい男だと認識したからという不名誉な思考回路から来ていた表情だとしても「頭のおかしいヤバい男と同棲までして付き合っている気分はどうだ赤井秀一! 」と叫び散らかしたい気分だった。もしかすると俺は本当に頭のおかしいヤバい男なのかもしれない。
 水切りラックに伏せてあったコップを手にとり、水道に備え付けられている浄水器から水を少し入れる。生ぬるい水は決して旨いものではないが、喉の渇きを潤すついでに、少しばかり俺の頭を冷静にさせてくれる気がした。
 そして、俺はまた水道のよこに置かれている粉ミルクの箱を見つめて、ドッドドッドと音を立てる心臓に思わず口角を上げる。
 アイツは哺乳瓶もなにもなく、一体このミルクをどうするつもりなのだろうか。液体ミルクにしなかったのは、ちょっとした嫌がらせみたいなものだ。液体ミルクなら、最悪アイツが下水に全て捨ててしまう可能性があるが、粉ミルクなら少しばかり処理が面倒なので、アイツはこれを見てどうしたものかと頭を悩ませるのだろう。
 今、呑気な顔をしてベッドで寝ている恋人が粉ミルクに向き合いながら困惑するであろう姿を想像して、踊りだしたいほどにワクワクする。
 ああ、俺は本当に頭のおかしいヤバい男なのだろう。だが、俺はお前が自分で選んだ恋人なのだ。ああ、愉快だ、とても愉快だ。

2020.10.11
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