君だから



「つっかれた……」

 その日降谷が帰宅したのは深夜一時だった。本来ならば三日間フリーで、久しぶりにのんびりポアロに顔が出せるな、なんて油断していたら、突如入った電話によってその目論見は露と化した。
 バーボンとして動き、それをゼロに報告し、そして、組織の動きを潰す。…怒涛の、とんでもなく自作自演な三日間だった。
 まあ、それが自分の仕事だと言ってしまえばそれまでなのだが、最終的に潰されると分かっているものを寝る間も惜しんでセッティングするというのは、何度やっても慣れはしないものだ。

 疲れた。腹が減った。風呂に入りたい。そして、なによりも今すぐ寝たい。

 数年前までは三徹なんて普通にやれていたというのに、もう年かな…なんて、爺くさいことを考えながら水でも飲もうと冷蔵庫に向かう。腹は減ったが今から何かを作る気にはとてもなれないし、何を差し置いても一刻も早く眠りたい。
 さっさと寝てしまえば空腹も忘れることができるだろう。そう思い冷蔵庫の扉を開けると―――。

「やっちまった。」

 そう、俺は三日間フリーのつもりだったのだ。三日間は久しぶりに自炊でもしてみようと思っていたのだ。つまり…俺の目に映ったのは大量の食材だった。
 ほうれん草、人参、キャベツ、きゅうり、セロリ、大根、パプリカ、鶏肉、豚肉ブロック、鰤、鰯…。ふと、冷蔵庫の隣をみると、大量の玉ねぎとじゃがいもも箱に入っていた。
 もはや当時の自分が何を作ろうとしていたかも思い出せないが、よほど気合をいれて料理をしようと思っていたことだけは明確に思い出せる。
 野菜は、まあまだしばらくは大丈夫なものが多いだろう。肉は、賞味期限は今日(正確に言うと昨日)までだが、冷凍庫にぶち込んでおけば何とかなるはずだ。だが、若干しなびてきているキュウリと魚…これは今日がリミットだろう。
 キュウリを一本取り出して、さっと水で洗うとそのままガリッとかじりついた。ガリッと、と言ったが、少しだけふにゃりとした歯ごたえで、どうして買ってすぐに新聞紙に包んで保存しておかなかったのかと少し後悔する。
 そしてまた冷蔵庫の中を見ると、当然だがそこには鰤と鰯が悠然と一番下の段で料理されるのを待ちわびていた。だが、本当に、本気で、何がなんでも今の俺にはこいつらを料理してやれるほどの気力が無い。だが、このまま朝になって痛んで捨ててしまうのも忍びない。いや、でももう俺は眠いのだ。寝ないと死ぬ、今すぐ寝ないと死ぬ病にかかっている。

 そして、俺は冷蔵庫を開けたその手でそのままスマホのアドレス帳を開いた。アドレス帳の一番上、ゼロや公安のやつらの個人情報を一つも入れていないこの携帯に本名で登録しているのは、俺なりの嫌味だ。もし俺に何かあってこのスマホから情報が抜かれた時にはアイツも道連れにしてやるという意思をもって少し前に登録したそれを迷わずタップし、電話をかける。

「赤井、死にそうだ。すぐに来い。」

 嘘はついていない。なんせ、俺は今すぐ寝ないと死ぬ病にかかっているのだから。

 ***

「…で、俺はなんで呼ばれたのかな?」

 夜中だというのにいつも通りのシャツとジャケットをきちんと着て、おまけにライフルまで背負ってきた赤井が俺の家に来るまでにそう時間はかからなかった。こんな時間に真っ黒な服を着て、おまけにこんなに物騒な物を持った銃刀法違反男を、未だに日本警察は捕まえることができないらしい。問答無用で職質をかけたら一発アウトだというのに、警察は一体なにをやっているんだ。情けない。

「降谷君…聞いているか。俺は君が命の危険があるというから」
「あります、命の危険。」
「とてもそうには見えん。」
「冷蔵庫の中を見てください。」
「…冷蔵庫?」

 まさか君、だれか殺してバラしたのか。と真剣な顔をして言う赤井に、とにかく冷蔵庫を見ろともう一度言う。万が一俺が死体を解体していたとしても、自分の家の冷蔵庫に保存しておくほど間抜けだと思われているのはなかなかに心外だ。俺だったらもっと、自分の足がつかないように上手くやる。
 恐る恐る俺の家の冷蔵庫に近づいて行き、まるで爆弾を持ち上げるかのような慎重さで扉に手をかける赤井を見て、少し笑いそうになる。まったく、この男は俺のことをなんだと思っているというのか。
 そして、とうとう(という表現が正しいか分からないが、俺にはそう見えた)赤井が冷蔵庫の扉を開き、上から下まで目線が一往復する。しばらくポカンとした顔をしていたと思ったら、次の瞬間にはヒクリと口角が引きつった。

「降谷君…一応聞くが、これは。」
「そこにいるでしょう。命の危険がある鰤と鰯が。」
「…」
「なんかに料理してください。他の食材も適当に使っていいんで。」
「おいおい、まさか俺はその為にこんなクソ遅い時間に突然呼び出されたわけか?」
「そうですね。」
「帰る。」
「残念ですね、今帰ったらつい先ほど黒ずくめの不審な男がウロウロしていると通報を受けた警察官からの職質は免れません。背中のそれをどう説明するつもりで?」
「…」
「助けてください赤井、その鰤と鰯を助けられるのは貴方だけなんです。と言う訳で、俺は風呂に入ってくるからその間に宜しくお願いしますね。」

 流石に赤井を家に呼ぶだけ呼んでさっさと寝るほど非常識なつもりはないので、着替えをもって風呂場に向かう。後ろで、ハァー…と大きなため息が聞こえた気がするが、まぁ、気のせいだろう。

 ***

 熱いシャワーのおかげで少し目が覚めた。ほかほかと湯気の立つ身体に緩いスエットを着て、タオルと首から下げて洗面所から出ると、ジュウという音と共に甘辛いいい香りがした。
 黒いシャツを腕まくりして、菜箸を持ってコンロに向かう赤井を後ろから眺めると、自分で呼びつけておきながら不思議な気持ちだ。なんでこいつはこんな時間に俺の家で料理をしているのだろうか。

「この匂い、蒲焼にしたんですか?」

 ヒョイっと赤井の後からフライパンを覗きこむと、鰯が6切れ、茶色いタレに絡められながらこんがりと焼かれていた。

「鰯なんてあまり料理したことがなかったからな。このタレに絡めておけばなんとかなるだろう。」
「まあそうですね。…ちなみにその鍋は何が入ってるんですか?」
「ぶり大根。」
「は?こんな時間から煮込み料理とか馬鹿なんですか?」
「…君はよほど俺を怒らせたいみたいだ。」
「いやいや…いや、まあ別にいいんですけどね。」

 圧力鍋なんて気の効いたものがないこの部屋で、ぶり大根を作るには一体どれほどの時間がかかるものなのだろうか。

「本当に、煮込み料理好きですよね。」
「なんのことかな。」
「沖矢さんの肉じゃががおいしい、ってコナン君言ってましたもん。」
「沖矢?さて、誰かな。」
「ほんとよく言うよ。」

 ジュワッと音をたてて鰯の蒲焼をタッパーに移すと、ホカホカと湯気をあげながらクタリと鰯が積み上げられた。そのままフライパンを流し場に持っていこうとする赤井の手から菜箸を抜き取り、一口食べる。

「あつっ…うん、うん、旨い。」
「それは良かった。」
「旨い旨い、白米が欲しい。」
「そこまで面倒はみきれん。」

 チンするご飯あったかなァ、と言いながら菜箸を咥えて棚を覗きこむと、一つだけあるのを発見する。躊躇わずそれの封をあけ、レンジにぶち込んで二分セットする。

「あ、赤井は食べます?」
「俺はいらん。」
「ですよね、貴方の分の米はないです。」
「…何で聞いたんだ。」
「一応聞かないと悪いかなと。」
「ほー、少しは悪いという気持ちはあるのか。」
「俺一人で食べることに関していは。人が食べてるの見てたら自分も食べたくなりません?」
「ならん。」
「貴方とはつくづく話が合いませんね。」

 ピー、という電子音がして米を取り出すと、適当な丼にそれを全て移して先ほどの鰯を上に乗せた。椅子にも座らず立ったままガツガツとそれをかき込んでいるいると、赤井が断りもなく煙草に火をつけた。
 禁煙、と一瞬考えなくもなかったが、まあコイツのおかげて今飯にありつけていると考えると一本くらいはいいだろう。

「では、俺はもう帰るからな。そっちの煮物は適当に火を止めておいてくれ。明日には食べごろになるだろう。」
「は?帰るんですか?」
「は?」
「いいじゃないですか、泊まっていけば。明日の朝にはお返しに旨い朝食作ってやりますよ。」
「…ちょっと待て、意味が分からん。君は俺と一晩一緒にいて何も思わないのか?殺したいと思っているのだろう。」
「そうですね、でも今はとりあえずは協力関係を築いているんですから寝首をかいたりはしませんよ。」
「いや、そうではなく…」
「それに、まだ今もそとは警察官が見回り強化してると思いますよ?どうするんですか?」
「……一晩だけ世話になろう。」

 そうして俺は、明日の朝赤井に食べさせる朝食のメニューを考えながら深夜に食べるには少し味の濃い鰯丼を食べる。なぜ今日赤井を呼んだのか、そしてコイツの為に朝食を作ることになったのかはあまりよく分からないが、なんとなく、悪くは無い。
 コイツが俺の為に料理をつくり、コイツの食べるものを俺が作るというのは、なんというか、なんだろう…眠い。

「あー、赤井、じゃあ俺は寝るわ。」
「ちょっと待て、鍋の火は」
「お前が作り出したんだからお前が最後まで面倒みろよ。」
「…無茶苦茶だな」
「皿まで洗っとけとは言わないけど、洗ってたら明日の朝褒めてやろう。」
「…」
「じゃあ、おやすみ。あ、お前の布団とかはないから適当な所で寝てくれな。それに関してはスマン。」
「…おやすみ、君かなり疲れているんだ。早く寝たほうがいい。」
「ああ、じゃあまた明日。」

 布団に潜り込むと、シュッとマッチを擦る音と、換気扇の回るゴーっと言う音、そして、赤井がうろうろと歩く足音やシンクの中で皿を洗っている水温や食器同士がぶつかり合うカチャカチャとした音が色々聞こえてきた。
 それは、まったくうるさいとは思わず、むしろ―――――。

 その日は、なぜか夢も見ない程にぐっすりと眠った。よほど疲れていたのだろうか。

2018.6.7
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