「何を買うんだ?」
「スマートフォンケースだ。生憎オレの携帯はまだガラケーなのでな、持ち合わせがなかった」
「急ぎだからここで間に合わせる、ということだな」
「ああ」
「…しかし、こんなところに売ってるものなのか?」
「下調べは完璧なのだよ。行くぞ」


その日、学校から2駅隣のアーケード街にある比較的規模の大きな100円ショップを訪れた。目的は先述の通りだ。明日のラッキーアイテムを確保すべく、徒労も出費も惜しまないつもりではあるのだが、電気屋や携帯ショップをあたるには練習が終わってからでは少し遠すぎ、間に合わない計算になるためやむなくこういった選択を迫られた。
季節は梅雨の入口、むっとするような湿度が息をするだけで、歩くだけで肌に感じられ、日の長くなりだす頃だった。
帰り道とは違うホームで赤司と会った。同じく2駅隣の本屋で注文した本を取りに行くのだという。目的地を問われて答えると、赤司はやたらと興味を示した。


「本は良かったのか」
「ああ。取り置き期間はまだある」


こういった具合に、なぜだか赤司はついてきた。
平日夜間の100円ショップは閑散として、自動ドアをくぐるなりずらっと並ぶ蛍光灯と妙に明るい店内BGMの歓待が少々空々しい。閉店間際のためだろう、店員はレジで閉め作業の下準備に忙しく、新たな来客への声がけもなおざりだ。
天井から下がった売り場案内のプレートをさっと確かめて、迅速な行動を心がける。スマートフォンケース。それもクリアタイプのものが望ましいだろう。たどり着いた売り場には思った以上の数が取り揃えられていて、透けた素材の色や模様の違うものがいくつもあり、100円ショップも侮れないものだと舌を巻きながら自分なりの最善を尽くすことに没頭した。
数分後、完全に透明なシンプルなものに狙いを定めて一息つく。これで明日の運勢補正も問題はあるまい。オレは今日も人事を尽くした。
満ち足りた気持ちでレジへ向かおうと踏み出しかけ、そこでようやく連れがいたことを思い出した。そういえば、道を知らなかった赤司はオレの少し後ろを歩いており、この店に入る瞬間から姿を確認した覚えがなかった。
広めの通路に出て見渡してみるが、棚と棚の間にいるらしく、普段はあんなにも目にとまる赤い髪はちらりとも見えない。
インテリアや生活雑貨のコーナーの隅でしゃがみこんでいる水色のシャツを見つけたのは、そこから更に数分後だった。


「…、こんなところにいたのか」
「ああ、探させたか。悪い。邪魔をしてはいけないかと思ってね、ぶらぶら眺めていたんだが」
「…それはなんだ?」
「なんだろう。ガーデニング用品みたいだが、ただの飾り物かもしれない。こんな小さな如雨露、使えるものなのか?」


振り向いた赤司はしかしすぐには立ち上がらず、つまんでいたてのひらにおさまるほどのサイズのブリキの如雨露を振ってみせ、笑い声をたてた。このトーンは知っているな、と思った。部活中に、あるいはその後や、皆で昼食をとっている時に、「面白いこと」が起きた時のそれに近かった。
来るのは初めてか、と、あえて聞くまでもない。目についたものをひとつひとつ眺めていたのだろう、この売り場は入り口からさほど奥まっていない。
なあ緑間。


「どれも全部100円なのかな?」
「そういう店だからな」
「そうか。すごいな。つくりは確かに、どれも少し粗雑だが、これだけあらゆるものが揃っていると圧巻だ」
「お前の家にあるようなものと比べているなら間違ってるのだよ」
「いや、そういうつもりはない。俺が一人で暮らすとしたら、ここでなんでも揃ってしまいそうだなと思って見ていたよ」


それなりに広い店内に、それでもところ狭しと並べられた商品たちへぐるりと視線を回して、赤司ははしゃいでいるのか、らしくもなく現実味のないことを上機嫌の滲む声で言って如雨露をことりと棚へ戻した。
はしゃいでいる?そうなのだろうか。
店内BGMは相変わらず、陽気な流行りの邦楽が終わる気配はない。元々まばらだった他の客はもう殆どいない。
空々しい蛍光灯が照らす、ちゃちな、けれど無いものなどないほどにちりばめられたたくさんの雑貨や、食品や、食器たち。


「赤司お前、財布は持ってるな」
「ああ、本を取りにいくつもりだったからね。どうしてだ?」
「勿論、自由になる金も多少はあるな」
「あるよ。足りないのか?」
「違うのだよバカめ」
「それじゃあ、なんだい」


壁にかけられた時計を見る。7時45分。
レジの店員は退屈そうに、閉店を待つばかりといった風情でぼんやりと立っている。


「おそらく閉店は8時だ。なにか欲しいものを買ってみればいいのだよ」


赤司はこちらを見上げたまま2度瞬いた。何を言っているのか反芻し理解につとめて逡巡する時間だった。2度瞬いたあと、赤司はふいと笑って「なるほど」と言った。楽しそうな声だった。


「なるほど。無駄遣い、というやつだな」



するりと、立ち上がった赤司のそのあとの行動は急くでもなく、しかし的確だった。最初にオレがしたように売り場案内のプレートを見渡し、範囲を絞ってさっさと歩き出す。入り口からすぐの、さっきまでいたインテリアやガーデニング用品等の一角を端から素早く品定めしていく。入り口から近かったから見ていたというだけではなく、このあたりの商品が赤司のなかでは物珍しく、気に入ったのだろうなと考えながら後をついて歩いた。


「実はさっき、これが気になっていたんだ」


赤司の立ち止まったのは、小振りの金魚鉢のような商品の前だった。
金魚鉢。まさしく用途が限られている。側にはいかにも造花の枝や葉のようなぺらぺらの水草、それにガラスの赤い金魚が並べられていた。金魚を飼うなら金魚の飾り物など不要ではないかと思うのだが、あろうことか赤司は迷いなく金魚鉢と、そのいびつなガラス細工を手に取る。
かちゃり、と鉢の底に金魚を置いて、赤司はやはりふつふつと静かに、しかしはしゃいだ様子で肩を軽く揺らす。


「緑間、お前なら、こんなにせものの金魚は必要ないと思うだろう?」
「…む…」
「そして、鉢があるなら本物の金魚を入れようと思う。お前が鉢を買ったのではなくてもだ。そうあるべきだと考える。お祭りや、ペットショップできちんと金魚を調達してここへ住まわせる。
そのうち、数が種類が増えて、こんな小さな鉢では手狭になって、空気を送り込む部品や、モーターや、砂利や水草や、大きな水槽が必要になる。小さな金魚鉢は、そのうちにアロワナがゆうゆうと泳ぎ回れるような巨大な水槽になってしまう。お前はこだわり始めると止まらないからな。
きっとそうなんだ。そんなことを考えていたら、なんだか面白くて」


ふふ、
言いたいだけ言い終えて、文句を言おうにもいまいちはっきりと言い返せなかったオレを笑い終えて、だからこれを買うよ、と赤司は言った。


「俺は金魚は飼わない。だからいらないものだ。
でも、部室に置こう。金魚をつれてきて入れてもいいし、欲しい者がいれば持っていけばいい」
「その発想こそ、無駄遣いをしがちな人間の言い分だと思うがな」
「だからこのにせものの金魚も買うんだ。飾っておくだけで存在理由はある」
「それでも無駄きわまりないのだよ」
「生活空間に、観葉植物は必ずしも必要ではない。インテリアなんてそんなものだ。それに緑間、お前がそうやって買い集めるラッキーアイテム、一度も使わずただのインテリアになっているもの、あるんじゃないか?」
「……」


否定は出来ない。
現に、今買おうとしているスマートフォンケースはどうだ。明日はラッキーアイテムという役割があるが、オレの身内にスマートフォンを使用している人間はいない。日付が変われば赤司のいう「ただのインテリア」に成り下がるだろう。
役割はひとつではない、ということだろうか。これ以上無駄かどうかを論じる意味はないと感じて息をつき眼鏡に利き手の中指をかけると、赤司のまた笑う気配がした。



閉店間際の白々しく閑散としたレジで会計を終え、覇気のない店員の声を聞きながら自動ドアをくぐり外へ出る。空腹と、睡魔を覚えた。練習は言うまでもなく過酷で、二度目の全中まであと1ヶ月もない。
じっとりと湿った空気は夏を予感させた。
そういえば、来月は夏祭りがあるな、と安いビニール袋を手に提げた赤司が呟いた。


「桃井が行きたいと溢していた。緑間、行ったことは?」
「…小学生の頃に」
「そうか。今年は俺もちょっと用事があるからね、行くつもりなんだ。浴衣を着るのは久しぶりだな」
「時期的に、そんなことをして浮かれている場合ではないのだがな」
「息抜きは重要だぞ。いいじゃないか」
「ふん」


夏祭り、
そこで、その祭りに行くと決めている部員のうちのだれかが、飼う準備もないのについ浮かれて金魚すくいをして、何匹かとってくる。赤司が今しがた買った小さな金魚鉢に、にせもののガラスの金魚が沈むその鉢のなかに数匹、少し息苦しそうにだれかがとった金魚が住まう。これでは手狭だなとだれかが言って―おそらく、一軍レギュラーの誰かだ―それは相応の大きさに買い換えられ、また誰かが名前をつけ、区別がつかずに適当に呼んで。
部室の、日の当たる机のすみに置かれた水槽の中で、夏の化身がくるくると泳いでいる。
そういう想像を、した。
しかし少々癪にさわり、口に出すことはなかった。
どうした、黙りこんで。駅へ向かう途中、赤司がそう茶化してほのかに笑った。何でもないのだよ、と、返した。

赤司の買った金魚鉢は、翌日から部室のすみに置かれ、日当たりのいいその一角で涼しげに光を集めていた。しかし、ほんものの金魚が住まうことも、そのおもちゃじみた鉢が本格的な水槽にかわることもないまま、いつしかオレはそのことを忘れ去った。

それなりの感慨にふけり、目に焼き付けることになるのだろうかと、思っていたあの部室を、卒業の日、オレは見ることもなく学校を後にした。

あの金魚鉢は、ガラスの金魚は、今どこにあるのだろうか。捨てただろうか。埃をかぶって仕舞われているだろうか。
それはなぜか、桜の蕾が色濃く膨らむのを見ないふりをしながら、頭のすみにちらりと浮かび、けれどオレはため息と、眼鏡を利き手の中指で少しふれることで容易に掻き消し去った。
昔の話だった。












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