ふと、首筋を撫でていった風がずいぶんかわいて涼やかだったので、つい立ち尽くした。
タオルの山盛りになったかごを持ったまま、仰いだ空が高い。開け放った体育館の扉から漏れる明かりが、床に平行四辺形に伸びている。暗くなるのがはやくなったな、と思った。いま何時だろう。
さらさらと中庭の樹たちがそよぐのが心地よく、また、立ち止まってしまったことで一足早く「終わり」の充足感がやってきてしまった。
今日もよく働いたなぁ。まだはきはきと声を出しながら練習に励むチームメイトたちがすぐそこであせみずくになっているというのに、こういうところは役得だよね、と夕暮れを待つ空をながめる。

「まだ蝉が鳴いてるね」
「うわっえっ?!赤司くん!」
「驚かせたか、悪かった。ご苦労様」
「あ、ううん…ごめんね、ちょっとさぼっちゃってた」
「そういうつもりで声をかけたわけじゃないんだが」

顔を洗っていたみたいで、タオルで顎を拭いながら外から現れた赤司くんはきりりとやさしく尖った目尻を眉と一緒にちょっと下げた。赤い前髪が束になって、滴がぽたぽた垂れている。
もう全体練習は終わって個人の居残りに入っているけれど、一年生の時と比べたらぜんぜんしんどそうな様子を見せなくなった。背も少し伸びたかな、と隣に並んだ赤司くんの目線を記憶と照らし合わせる。きっとまだまだ伸びるんだろう。男の子って、ある時突然あっという間に成長してしまう。
終わりかけた夏にしがみつくように羽擦れを響かせる蝉たちの合奏に耳を傾けていると、ふとそこに混じる澄んだ音に、赤司くんとわたしは同時に首を捻った。

「こおろぎも鳴いてる…秋が来るんだねえ」
「まだ夏休みも明けていないのに、早いものだ」
「そろそろ帰りのアイスもちょっと辛い時期になってくるなー」
「寄り道は感心しないね桃井」
「…っと。気を付けます」
「ふふ、これからの季節は一人で帰す方が心配かな。黙認しておく」

じいじい、じわじわ、かなかなかな。ひよよ、ひよひよひよ、ひよひよひよひよ。
夜までの短い間にやさしくせめぎあう夏と秋は、淡く発光する紺色に溶けていく。
赤司くんも今度一緒にアイス食べない?
ちょっとだけ試しにそう言ってみると、赤司くんはきょとんと赤い輝石みたいな目を丸くして、それからかなしいくらい大人の速度でそっと伏せた。ボディーガードは十分足りているだろうからね、遠慮しておくよ。

「もう。べつにそういうんじゃないってば」

からかわれたことに腹をたててみせたけれど、それよりも本当は残念だった。赤司くんはいつも、どこか馴染みきらず、混じりきらずにいて、みっちゃんは孤高の王子様だとかなんとか言ってカッコイイと頬をピンクにさせたりするのだけど、わたしはなんだか寂しかった。孤高だなんて。
しとしとと水滴を拭いながら隣に立ったまま外へ目を向けている(なにを見ているんだろう)、この人に恋心を抱く女の子はきっと少なくないと思う。
素敵な人だ。頼れてやさしくて、完璧すぎるくらい完璧な、王子様みたいな人。
じいじい、じわじわ、かなかなかな。ひよよひよよ、ひよひよひよ。ひよひよひよひよ。

「…蝉とか、こおろぎとか、お嫁さんを探して鳴いてるんだよね。確か」
「ああ、そういう種もいる」
「みんな、ちゃんと恋が出来たらいいのにね」
「…、」

あ、いや、ごめんね、変なこと言っちゃった。
かさかさと老いた葉が宵待ち風に揺れて、かすかな寂しさを増幅して掻き立てる。夏の終わりって、どうしてこんなに寂しくなるんだろう。
持ったままだった洗濯かごが急に重たく感じた。仕事に戻れば紛れると、辞して立ち去ろうとするわたしを、赤司くんが呼び止めた。桃井は。

「恋をしてるのか」
「…え、えっ?」
「桃井は優しいね」
「赤司くん!からかわないでよ」

くすくすと、笑いながら言うので、居たたまれなくなってつい咎めるみたいな口調になってしまう。動揺して赤くなったかもしれないわたしの顔色なんて、けれど赤司くんは全然気にもとめないで、またきょとんとした。

「まさか。可愛いなと思ったんだ。本当だよ」

俺は先に戻るよ。遅くまで大変だと思うけれど、体を冷やさないようにな。
つい絶句したわたしを尻目に、王子様は最後までそんな気配りを忘れず、お疲れ様、と言って体育館を突っ切っていった。
返し損ねた挨拶がしどろもどろに絡まり、ぽかんとしたままその後ろ姿を見えなくなるまで追う。きっとコーチたちと細かなミーティングとか、メニューの見直しとかがあるんだろう、赤司くんはあまり皆と居残り練習だとかをしない。
明日にはまた今までのデータのまとめとか、対戦校についてだとか、用事を言いつけられたりするのかもしれないな。ぼーっとそこまで考えて、はっとした。仕事の途中だった。山盛りのタオルを洗濯してしまわなくちゃ。
慌てて小走りに駆け出したわたしの背中で、さやさやと秋の風がまた木々を揺らす。

赤司くん、赤司くんは好きな人はいないの。
ほんのちょっとした好奇心だ。何をどうするのでもないけれど、無駄話が許されるときに、ふとそういうのを聞いてみたいなと思う。友達なら、べつに変なことじゃないはずだ。
わたしはさっき、もしかしたら千載一遇とも言えるチャンスを逃したのだろうと思う。
赤司くん、たとえばありもしないあなたの恋の成就をささやかに願っても、赤司くんはわたしに優しいねって言ったかな。
恋と赤司くんとは、どんなに素敵に優しくされても結び付かない。王子様には運命の恋をするお姫様がいて、いつか結ばれるはずなのに、赤司くんを見ていたら、百年の恋に恋するどんな女の子だって、いつか自分はお姫様じゃないって気がついてしまうだろう。
赤司くんはちっとも、ぜんぜん王子様なんかじゃない。











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