肺を焼くような水気にとりこまれてしまいそうな夏だった。
中庭では用務員が水を撒いていて、ホースから滴り、たちどころに蒸気にかわりのぼっていく水たちは風景を揺らめかせている。終わった紫陽花の葉は垂れて、それはとても夏めいていた。
赤司は窓枠に背中をもたせかけて腕を組み、それらへ鼻先を向けている。一方オレはミーティングの最中に堂々と余所見をされていることに多少なり面白くないものを感じていて、あまり機嫌がよいとは言えない。
おい、聞いているのか、手元のプリントを読み上げるのをやめて語気を強める。ああ、聞いてるよ。俺が上の空じゃないことくらい分かっているだろう、緑間。赤司はかるき臭い水にぬれそぼり、非情な午後の太陽を跳ね返す草木たちを眺めて言う。珍しく将棋盤から離れたと思えばこういった調子で、しかし赤司の言うことはもっともであったので、オレは憤懣やる方なく吐息をこぼす。いくつかを同時にこなすことを赤司は好むようで、面と向かって会話をしているのに、彼の手には文庫本や部誌や駒が常にあり、そしてすべてに手を抜かないのが常だった。
やる気を殺がれて机にプリントを落とす。そうことを急ぐなよ。赤司はいろの薄いくちびるを振り子のようにゆたり歪めてほほえみ、そこに蝶がいるだろう、と言った。蝶の飛びかたというのは、なんの確かさもないと思わないか。法則性がまるで見当たらない、あまりの暑さに狂ってしまったみたいだ。
十六時の灼熱は部屋中に逆光のうすら暗さだけをもたらし、赤司の輪郭はむっとするような不快指数にふわりとぼやけている。用務員の立ち去った中庭には確かにびろうどのように深くきらめく烏揚羽が一匹ひらひらと飛んでいた。酩酊してよろめく、あるいは絶え絶えにオアシスを求めるさまを連想させるそのはためきはじっと見守っていると吐き気をおぼえるほどに息が詰まり、オレの機嫌は益々下降する。
真白いシャツの袖口が透けている。青く灰みがかった影はしかし消え入るような頼りなさをもって赤司をひどくあやふやに見せた。七月をどこにもまとわず、けれどきまじめに夏服をまとった赤司の鮮やかなひとみは烏揚羽ごと、水蒸気に不安定にゆらめく中庭を写しつづける。かげろうを背負う横顔に嵌まった緋色の丸い珠のなかで、夏に狂った蝶が飛んでいる。
顎をひき、知らず知らずに深く鼻から呼吸をした。夏が肺を満たす。息苦しさは少しも楽にならず、肺はただ夏に焼けていくだけだ。
衣擦れに机に落としていた視界を持ち上げる。組んだ腕をほどき、顔をかすかにこちらへ向けた赤司がかわききった葛の粉に似た声で言った。暑いな。襟足をじとりと汗が濡らすのを感じる。
それは焦げ付くような、深い水底のような夏だった。













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