なんか、最近いくら食べてもおなかいっぱいにならないんだよね。
紫原はしれっと、しかしほかの誰の気にも留まらないような、絶妙なトーンでそう打ち明けてきたので、俺は思わず、そうか、と言った。
しゃがんで靴紐をいじる、丸められた背中を2秒だけ見つめた。体質だとか、成長期だからとか、紫原はそういうことを言っているのではない。
紫原はうそをつくことさえ面倒がっており、そのためうそをつくのがあまり上手くなかった。紫原は恐らく、思うままに出てくるままに、本当を話しているだけなのだ。
そうか、俺もだ。
紫原はこちらを向かなかった。
それで確信した。たぶん、俺達二人とも。同時に。
どうやらそういうことのようだった。


「赤ちん、そんだけしか食べないの」
「お前こそ、そんなに食べるのか」
「時間の許す限り食べるよ〜。だってお昼やすみだし」

正論だった。
元々よく食べる人間だというイメージが染み付いている紫原の、少々度が過ぎた大食を、不審に思う者は今のところいないらしい。
弁当はもう食べ終えたのか、学食のトレイいっぱいに丼ものとサンドイッチとオレンジジュースを乗せて、紫原は俺の手元を見下ろして「こんなん小鳥のエサくらいしかないじゃん」と言った。
満腹感が得られないかわりに、どうしようもない飢餓も訪れないようだと気付いたことを告げると、紫原はそうなんだよねと肩を落とす。

「すっごいおなかへってるときにたべるごはんがおいしいのに」

がたつく食堂の椅子に、窮屈そうに腰かけた紫原はさも残念そうに、しかしその声色にそぐわない旺盛さで箸を割り、丼の蓋を開ける。
まったく唖然とするほどの食べっぷりだ。
隣にならべた自分のトレイに乗ったものを眺める。食べ物にも見えなくなってきていた。
食べないとへんに思われるよ。米粒を頬にいっぱい詰め込んで、紫原はまたしても正論を吐く。
のろのろと箸を取った。面倒だった。

「お前の性格がうつったみたいだよ」
「オレ、ごはん食べるのはべつにめんどくないんですけど」


満腹にならないということは、いくらでも食べられるということだ。紫原はそう捉えたようで、食べたいものを好き放題にやたらと食べるようになった。
よく食べるな、と、統計何度目かのせりふを吐いた俺に、紫原は何度目かの同じせりふを返した。だっておいしいもんはおいしいし。
ずーっと食べてても、寝て起きて食べてもおいしいから。おいしいのはなんかいいよね。

「前向きなことだ」
「赤ちんはなんでそんなにひかんてきなの」
「難しいことばを知ってるね」
「え〜。赤ちんと一緒にいるからじゃない?」

昼時の食堂は騒がしい。ごった返した様々な料理のにおい。食器が立てる落ち着かない音たち。上滑りしていく。好ましい光景とは映らず、不思議にすら思える。
ごちそうさまでした、いただきまーす。
紫原は箸を置いてサンドイッチの包みを破き始めた。トレイを押しやる。

「たべないの」
「食べてどうなる」
「おいしいよ」
「そう思える者が食べたほうが料理もうれしいだろう」
「赤ちん」

くちもとに二等辺三角形のパン切れが差し出される。マヨネーズとマスタードの匂いが微かにする。二日前の練習試合の昼休憩で食べたきり、まともな食事をした覚えがないにも関わらずなんの感慨も湧かなかった。
どーしたの赤ちん。紫原はさもふしぎそうに首だけをゆっくりと横へ倒す。髪がさらりと空になった丼の数センチ上に垂れた。

「たべないの?」

数秒のあいだ無言の押し問答があった。受け取ろうとしてみると引っ込められて、手を下ろすとまた目の前にやってくる。
観念するほかないようで、仕方なしに口をひらいて噛みちぎる。挟まっているレタスの芯がざくりと裂けた。
ほらぁ、ね〜。紫原はなんの感慨もなく、感慨深げに瞬く。
咀嚼する。飲み込む。食べたくない、は違う。けれど食べたいも違う。理性を持って、摂取しようとしなければならない。食事は俺達にとってそういうものに成り下がった。

「おいしいでしょ」
「そうだな」

欲したものを得るよろこびを失った。満腹の満足感はある種の快楽に違いなく、それは飢餓ありきの対極のものであり、どちらとも今やうすぼんやりと麻痺している。
残された味覚の与えるものを、紫原は最大限に楽しみ、俺は半ば放棄した。
紫原は眠たそうな二重で笑った。

「もっと食べなよ」
「もう十分だ。美味しかったよ」
「いーから付き合ってよ。これさあ赤ちんとしか共有できないんだもん、しょうがないじゃん」

急かすように欠けたサンドイッチが上下に揺らされる。今度は手を伸ばしても逃げていかないようだったので、受けとる。食べないわけにはいかなくなった。
本能のひとつを失ったかわりに、紫原は俺を、俺は紫原を手に入れた。













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