拍子抜けするくらい、水っぽく曇った青空はなんだか味気ない。桜なんか咲いていない並木道。いつもの公園、いつものコンビニ。
あーあ、朝練はないのになんだかすごくすごく眠くて、いちいちさよならなんか言ってられない。



「赤ちーん。…あれ」
「紫原くん、どしたの」
「あー、おはよー。赤ちんしらない?」
「赤司くん?一回鞄置きにはきたけど…部活のことで呼ばれたのかなー」
「え〜…」
「ね、それなに?かわいい」
「これねーさっきつんで来たの」
「あはは、似合うよ」
「ありがとー」
「卒業式だねー」
「ん〜」


よくわかんないや、とは言えなかった。
たまたま気づいて声をかけてきた赤ちんのクラスの女の子。アルバムとデジカメを持って、友達とひとつの机に集まって寄せ書きを書いてたその子にひらひら手を振って、へんにうきうきそわそわしている廊下を赤ちんを探して歩く。
そういえば、あの子の名前しらないなぁと思った。オレが教室の後ろのドアからばっかり覗くから、廊下側の一番後ろの席のその子はしょっちゅう赤ちんを呼んでくれたっけ。
あの子とは、もしかしたら二度と会うことはないのかもしれない、なんて考えてみたけど、やっぱりちっとも実感なんて沸いてこない。
そこらじゅうで交わされている会話は小6の卒業式のときとよく似ていて、でもどこか決定的に違う。きっとみんな、ばらばらに散らばっていくんだろう、オレ達みたいに。
でも、オレ達はさらに、もっと違う。うまく言えないけど、違う。
鼻がむずむずしてくるような、春のにおいがする。


「赤ちーんやっと見つけたし」
「…敦。もう式が始まるだろう。何をしている」
「赤ちんこそなにしてんの」
「職員室に行った帰りだ。答辞の件で」
「ふ〜ん…」

やっと見つけた赤ちんの手には、数時間後壇上で読まれるための、じゃばらに折り畳まれた答辞の原稿がある。
さっと奪って、紙飛行機にして窓から飛ばしたら、赤ちんは怒るかな。うーん、きっと紙はかたちだけで、内容は暗記してたりするんだろう。だからそんな真似をしても無意味だぞと笑うんだろう。それか、原稿なんか無視して、前を見据えて全校生徒を見渡して、すらすらと赤ちんらしい答辞を述べるだろう。こないだアニメで観た、反乱軍の決起集会みたいに。
赤ちんはいつだって、模範で、異端で、代表だった。いつだって。
職員室まえの廊下はあまり人がいない。みんな自分のクラスのことで手一杯で、こんなふうにさいごまで一人で役目をこなす赤ちんがこんなとこを歩いていることなんか、気にもとめないんだ。

「赤ちん、これあげる」

胸ポケットに入れていた、そのへんにあった輪ゴムでまとめた花を差し出す。コバルトブルーのちいさな花。赤ちんはすぐに受け取らず、だまってオレをみた。受け取るのに納得がいく理由を待っている、赤ちんのその頑固さをオレはちょっと好きだった。

「来るときいっぱい咲いてたから。輪ゴムは、お菓子の袋とめてたやつが鞄に入ってたの。名前はしんないけど、あげるよ」
「…見たことがある。雑草だな」
「うん。雑草」

赤ちんはこのあと、さいごの大事なしごとが控えている。学舎に別れを、友に餞を。
赤ちんはそうゆう人だ。そうゆうのを背負う人だ。でも、そうじゃない赤ちんだって赤ちんだ。

「下級生にさあ、花つけてもらうじゃん。ピンクの、造花?卒業おめでとうみたいなやつ」
「ああ」
「あれの代わりに、ポケットんとこに、これ入れといてくんない?」
「分かっていると思うが、俺は証書授与だけじゃなく壇上でこれを読まなきゃならない」
「うん。わかってるよ」
「最後の最後に、俺に全職員、全校生徒の前でふざけて見せろと言うんだな。敦」
「うん、そー」

そーだよ。赤ちん。
赤ちんのこういうものの言い方も、そうか、もう最後なのかな。オレが怯まないのを知ってて、叱るふりをする赤ちん。オレはごめんって言うけど、何回もおんなじことで怒られて、そんなの当たり前だったのに。いつものことだったのに。
赤ちんはだまってオレをみた。一度、オレのつくったしょぼくれた花束をみて、しょうがないな、っておしまいに許してくれるときの溜め息をつく。赤ちんは願いだってかなえてくれる。赤ちん。
まえに突き出したまんまの腕がちょっと痛くなってきていたとき、赤ちんの指が自然にのびてきて、名前もわからない雑草をそうっとさらっていった。

「面白いかもしれないな。もらうよ」

オレは自分の手をぼんやり眺めながら赤ちんの返事を待っていて、だから花がさらわれていくのははっきりと見ていたけれど、赤ちんがどんな表情をしているのかがふと気になった。
目だけ動かせばたいていのものは見える便利な視界。真ん中に映した赤ちんは笑っていた。オレをまっすぐ見ていた。ぞくっとして、高い天井の下で歓声とか罵声とかをさんざん受けたあの体育館に立って、これから試合が始まるみたいだった。
オレが、オレ達がいちばん赤ちんだと思ってきた赤ちんらしい、ばかみたいだけど、絶対を絶対にする、不敵な笑いがお。
眠くってだるくって、いい加減うんざりだった学校生活のさいごの日、オレはその顔を頭の中に懸命に焼き付けた。




「あ〜黒ちんだ」
「…紫原君。お疲れ様です」
「おつかれ〜。なんか久しぶり?」
「ええ、まあ。…あ、見ましたか、さっき。赤司君の左胸」
「んー…遠くてよく分かんなかったけど。うん」
「意外でした。赤司君でもああいうこと、するんですね」
「…黒ちん、赤ちんのことなんか勘違いしてんじゃない?」
「え?」
「だって、文化祭で道場破りするような人だよ?」
「…、ああ…はい。そうでした」

そうでしたね。
ざわざわがやがや、式もHRも終わって、それなのに一向に人の減らない三年の廊下で、見かけた黒ちんはそう言って面白そうに笑った。
みんな変だ。学校なんか眠くてだるくて、行きたくねーめんどくせーって思ってたはずなのに、帰るのがさびしいなんて。
ねー黒ちん、あれなんて花?知ってる?
しらんぷりしたまま聞いてみたら、実は本を読むのが好きでいろんな雑学を知ってる黒ちんははい、と頷いた。

「おおいぬのふぐり、っていう花だったと思います」
「…マジで知ってるとはねー」
「君が聞いてきたんじゃないですか。確か、瑠璃唐草という別名もありますね。僕はこっちの方が好きです」

るりからくさ。

「合ってたよね」
「はい?」
「ピンクとかより、あっちのが似合ってたよ。ぜったい」
「はい」

それじゃ、僕もう行きますね。ぺこんと下げられたつむじ。

「あ、黒ちん」
「なんですか?」
「…あー。うーん」

その日初めて、オレはさよならを言う。ばいばい黒ちん。
黒ちんは立ち止まって、オレをじっと見る。ちょっと考えて、ああわかったって顔をした。
言われたことの意味を探るようにじっと見る、そのやりかたは、実は赤ちんと黒ちんはよく似ていたんだなと思った。

「さよなら、紫原君。元気で」




証書の入った筒の、蓋を開けたりしめたりしてぽこんぽこん鳴らしてみる。
赤ちんをもう探さない。一人の帰り道、コンビニに寄ろうか考えながら、いつもの横断歩道のところで立ち止まる。ぽこんぽこん。
勢いをつけすぎた蓋が手からこぼれて転がる。拾おうとして屈んだら、コバルトブルーがちかちか、植え込みの足元に咲いていた。
るりからくさ。

突然泣きたくなった。ものすごく泣きたかった。泣きたい。泣きたい。あまりの泣きたさに当たり散らしたくなる。
でもオレにはわかる。オレは、たぶんぜったい泣かない。絶対。


家に帰りついたあと、おかーさんの目を盗んでカウンターからライターをこっそり取って、ポケットに入れて制服のままベランダに出た。
胸についていた、ちゃちなピンクの造花をむしる。へびの舌みたいに先が分かれたりぼんに、「卒業おめでとう」と書いてある。
おめでとう。おめでとうだって。

ライターを取り出して、摘まんだりぼんの下にかざした。風のない、鼻のつんとするような春のにおいがする午後。化学繊維のりぼんはみるみる燃えてちぢれて、手が熱くなってきて、指からはなす。
焼け焦げてぐにゃぐにゃおかしなかたちになったそれを、ゴムサンダルで踏み潰した。















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