きれいだな。
桃井の差し出してみせた携帯の画面を覗き、何気なくそう言ったと思う。
部活前、まだ各々好き勝手にざわめいていておかしくない。
その一言は妙に混ざりきらず、宙に浮いたままで、喉のかすかな引っ掛かりのように、ざわめきを、なにか白々しいものへと変えてしまった。
お前星なんか興味あんのかよ、桃井に散々熱弁をふるわれ辟易していたらしい青峰が耳に小指を突っ込みながらうんざりとした調子で聞いてきた。
きれいなものはきれいだろう、なあ、緑間。右肩の後ろに緑間が立っているのを知っていたのでそう会話の矛先を向けてやった。
下らないと吐き捨てるはずの緑間は、その時なぜか素直に「そうだな」と言った。



緑間が往来のなかから俺を呼び止めるとき、緑間はけしてその上背を使って遠くまで声を届かせようとはしない。手を伸ばせばふれられる位置まで、きちんとした足取りで近付いてくる、そして、けして肩を叩いて注意を引いたりもしない。
そうしてこれまでしてきたような緑間らしい手順で俺の傍らに立った緑間は、明日の夜時間はとれるかと尋ねてきた。明日はオフだし、予定も特にないが、と返す。なぜ夜なのだろう。
少し遅くなるから、出来れば家族に許可を取っておくこと、可能な限りの厚着を推奨すること等、緑間は淡々と要点をまとめたいくつかの注意事項を述べ、「詳しいことは追ってメールする」という若者の常套句で締めくくった。
不明瞭なことや、意図のわからないことは嫌いではない。緑間ならば、所謂「オチのない」真似はしないという確信から了承を告げる。緑間はほっとした様子を見せるでもなく頷き、きびきびと歩き去った。

部活を終えて帰宅し、母に明日の旨を話す。母は快諾した。「天体観測でもするのかしら」とからかいと微笑ましさ混じりに言われ、曖昧に濁しながらも、緑間の口にした内容を大まかに思い返すとどこか腑に落ちた。

風呂から出て、テーブルに起きっぱなしの携帯がふと光ったのが目のすみに引っ掛かり、開いてみる。緑間が約束を違えたことはない。
メールを読んですこし笑った。21時に駅に集合。



「…、寒いな」
「防寒はしっかりしてこいと言ったはずだが。風邪など引かれては困るのだよ」
「わかっているさ。顔や手や、寒いものは寒いだろう」
「オマエが倒れては部員に示しがつかん」

待ち合わせ場所につくなり、小言めいたことを言いながらさっさと歩き始めた緑間の肩には普段見慣れたものに比べて小さめのバッグ、想像していたような荷物は見当たらない。
電車に乗るのかと思ったが、緑間は駅を出て外へ向かっていく。
触れたら裂けそうなつめたい空気は、けれど夜の間は存外やさしいと思う。かわいて澄んだ清浄。
見失いようもないすっきりと伸びた背中を、追うことはやめて隣に足を進めた。

「どこまで行くんだ?」
「自然公園があるだろう」
「ああ。俺の家とは逆方向だから、よく知らないが」
「あの公園の、丘のあたりは外灯が少ない」
「詳しいね」
「黄瀬からの聞きかじりだ」
「なるほど」

白い息をはきながら、どちらに合わせるでもなく歩く。それとも緑間は、それと知らず俺の歩調に合わせて歩を緩めていただろうか。緑間と並んで歩くとき、俺は一度も不都合を感じたことがない。
足音はやけに響いた。駅を離れれば離れるほど、俺と緑間の靴音は重なり、ずれて、また重なるのがよくわかる。けして歩幅は同じではないことを興味深く思った。時おりすれ違う自転車や自動車。遠ざかり歪むエンジン音。

公園に踏み入る。どこぞの天文部だとかが陣取っていそうなものだが、駅に近いわりに穴場らしく、園内に人影はみとめられない。
公園とは言っても、ぽつりぽつり東屋やベンチとさまざまな花や樹木が植えてあるだけで、遊具等はない。緑間の足取りにはすこしも躊躇いがなく、目的地へ向けてゆるやかな勾配を辛抱強く進んでいく。マフラーを外し、適当に畳んで腕にかけた。

「俺は正直、お前が望遠鏡でも背負ってくるんじゃないかと思ってたよ」
「持ってないのだよそんなもの。…それに、望遠鏡は恐らく必要ないからな」
「へえ。今夜のメインは何なんだ?」
「流星群だ」

けむる呼気をまとう、鼻筋が頭上を指すように空へ向けられる。真似して見上げた、光源の少ない丘からの眺めは、確かに乏しい記憶のなかにあるどれよりも鮮明で美しく見えた。あれが冬の大三角、あそこにはオリオン座がある。資料集を広げた教師のように淀みなく講釈を垂れる、緑間の声は大気にとけてきえていく。冷気にさらされる頬、あご、内側からもえる体。温度差に目眩がする。
ああきれいだ、と、素直に思った。
静かに丁寧に正しく、星空を紐解く緑間の声が遠くなる。

遮ったのは流星だった。
まばたきを惜しみ、息をのむ、そういう星空を見上げた誰しもがしてきただろうありふれた反応を、する器官があったのだなと、おかしくなる。俺も、緑間にも。
きんとつめたい夜空。目を凝らせば星光は遠のき、注視することをやめると途端にちかちかとまたたいた。

「…双子座流星群は、三大流星群のひとつなんだそうだ。毎年かなりの観測例が報告される、肉眼での観測が比較的容易な流星群と言われている」

空に目をうばわれたまま、緑間がするするとまた語り出す。ひどく熱中しているように感じて、星を待つことをやめて、その横顔をまっすぐ見つめても、緑間は気付く気配はない。
空しかうつさない、緑間の立つさまはそれだけでたとえようもなく誠実で、俺は星に魅入られた緑間をみていることこそ星空を見るのと似ていると思う。
なぜ緑間とここでこうしているのか、ごく自然に疑問に思った。ふと。
講釈を聞き流し、空から目もそらした俺をほったらかして熱心にきらめきを見つめる緑間の視界を塞ぐことは、けれどけしてするわけにはいかなかった。
どうでもよかったんだ、緑間。本当は天体観測なんて。
その思いは今夜どこまでも俺をやさしく在らしめる気がした。
永遠に分かち合うことのない記憶。

寒さに滲み出した涙が目のきわをじりじりと暖める。立ち尽くしていればたちどころに冷えた体が熱を求めて訴えてくる。
外していたマフラーを巻き直していると、湿ったもやが頬を掠めた。誰といても変わることのない仏頂面が、差し出していたのは魔法瓶の蓋で、「これだけは持たされた」とぼやく緑間の左手から受け取ったのは熱い紅茶だった。
暫く掌に包んだそれから伝わる熱を指先にとどめる。緑間の計画に手を貸した、緑間の母親を思う。深夜の外出を告げたとき、微笑ましげに頬をほころばせた母のやわらかい声音。
マフラーを引っ張られる気配がして、目をあげると緑間が結び目を申し訳程度に整えていた。当たり前だ、他にここには誰もいない。誰も。
寒いか、と緑間は言う。「迷惑だったなら謝る」
俺は持てるかぎりの慈しみ、いとおしさをもってこの誠実に応えなければならない。いいや、緑間のするくらい丁寧に短いことばにきちんと重みをのせていくことが、できただろうか。
いいや違うよ緑間、そうじゃない。そうじゃないんだ。
ほんの数十センチさきにある緑間の顔、眼鏡のおくの、硬質さに邪魔をされないこまかな睫毛。厚着にかくれない肩の線、巡る血液の熱さをやどした瞼いっぱいに映した星空にまた流星が燃え、消えた。
















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