人通りの少ない廊下を小走りで駆け抜け、少々遠回りにはなってしまうが武官がいつも立っている廊下へと出た。きょろ、と辺りを見渡して人影があることにほっと息をついてから書簡を抱えなおす。吏部と刑部へ行くのに一番安全な道のりを脳裏に思い浮かべながら、ひとまずは工部から近い刑部の方向へと足を向けた。

すっかり顔なじみとなってしまった、廊下に立っている武官の方を見つけたので小さく頭を下げると、彼は「お疲れ様です」と苦笑を零した。それはわざわざ私が遠回りまでしてこの廊下を使っていることに対してか、抱えている書簡の量に対してかは分からない。私も苦笑を返しながらその場を通り過ぎると、しばらく歩いたところでふと違和感を感じて足を止めた。

気配を探り、唇を噛んで彼を迎え撃つ準備をする。一気に距離を詰めてきたのを感じてとっさに振り返ると、そこにいたのはやはり想像していた人物だった。思いのほか近くにいたことに驚いて少し後ずさりながら、睨むように彼の眼を見つめる。

「よぉ、また会ったな結官吏」
「…あなたが来るんでしょう、萩瑜さん」

萩瑜さんはいつものようににやりと笑みを零して、とん、と壁に背中を預ける。それは私が向かおうとしていた方角で、今すぐこの場を立ち去りたいのは山々であったが、彼の瞳がそれを許してはいなかった。通らせるかよ。そう、嘲るような萩瑜さんの幻聴が聞こえる。

私がわざわざ遠回りをしてまで人通りの多い廊下を使ったり、食事にやたらと気を使っていたりしていたのは、すべてこの男が原因だった。会わないように、弱みを握られないように、揚げ足を取られないように。けれどやはり、それらは私の無駄な努力だったらしい。私なんかが彼になんてかないっこないと分かってはいるものの、こうも簡単に掴まってしまった自分が腹立たしかった。

「ついに過ぎるな?」
「……」
「まぁ、俺は寛大で優しいからな、猶予があるうちは見逃しといてやってもいいぜ。ただ、期日が来たら覚悟しとけ」
「……」
「あーあ、折角官吏になれたのになぁ?希望の種をこんなことで摘むのは惜しいぜ、まったく」
「……」
「…おい、なんか言え」
「呆れてます、もう、呆れてなにも言えない。ばっかみたい。…失礼します」

目上の人に対する略式の礼を取り、書簡を抱えなおすと萩瑜さんの目前を走り去った。本当に、ばかみたい。惨めな気持ちがじわじわとのし上がってきて唇を噛み締めた。本当に、なにを、私はなにをやっているんだか。

(…父様、)

この事態を作った張本人が頭に浮かんで、やるせなさにじわりと視界が滲んだ。書簡を抱えながら慌ててぐいと袖で目元を荒く拭うと、きょろきょろと辺りを見回して誰にも見られていないかを確かめる。こんな姿、知り合いにでも見られたらたまったものではない。人影がないのを確かめると、ほっと息をついて前を見据えた。

この男ばかりの朝廷でいつも思っていることがある。つよく、在ること。女の武器を出さないこと。泣くもんか。泣いたってどうにもならない。私のやることは他にもたくさんあるのだから、そう依然として心で強く思いながら足を刑部へと踏み出した。






121006/