「…桃色の茶器?」
「え?あぁ、それうちの結官吏のやつですよ。彼女の私物です」

いつでも酒の匂いが充満している工部に茶器があること自体が珍しいのだが、その色に眉を寄せれば隣の親友がさらりと答えを返してくれた。予想はしていたのでそうか、と短く返してその茶器を手に取る。渋い陶器の茶器が並ぶ中、一回り小さくちょこんと置いてあったその桃色の茶器はいろんな意味で目立っていた。顔に茶器を近づけてよくよく観察してみると、茶器には流れるような線と小花が白で描かれている。なかなかいい趣味だ。

「割らないように気をつけて扱ってくださいね。前に一度うちの尚書が割ってしまって、大変なことになりましたから」
「大変なこと?」
「…すっごくヘコんだみたいで、あれやこれやと機嫌取りに奔走しましたからね」
「確かに大変そうだが…甘やかしすぎじゃないか?」
「なんだかんだでみんな可愛いがってんですよ、若いし女人だし、なにより頑張り屋さんですから」

じゃあこれはお前が贈ったのかと桃色の茶器を軽く持ち上げて問えば、えぇ、とそっけない返事が返ってきた。女人の部下にほだされている、と言えば語弊があるかもしれないが、実際それに近いものなのだろう。いや、ほだされている、というよりは妹を可愛がる兄のような気分なのだろうか。

どちらでも構わないが、これは彼に限って言えることではなく、工部全体がそうなのだろうということは安易に予想が出来た。表立ってはそうとは分からないし、もし分かってしまったとしたらそれはそれでいろいろ問題だろうが。こういった茶器のようにこっそりと甘やかされて、けれど仕事には容赦がないこの工部という場所は、彼女にとってとてもやりやすい場所のはずだ。この侍郎と尚書だ、彼女の“女人である”という部分を潰さず、だからと言って利用もしないのだろう。全ての成功も失敗も、彼女の力量次第。紅秀麗に続いて生まれた2人目の女人官吏だ、今はまだ上に立つことは無くても、底で埋もれないでいてほしいとは思う。

「工部のお姫様、か」
「…お姫様、ねぇ」
「違うのか?」

憂うような色が篭った親友の呟きに問い返すと、玉は眉根を寄せて渋い表情をしていた。よっぽど彼女が可愛いのだろうか。はたしてそこに部下思い以上の想いがあるのかは、分からなかった。

「…楊修。貴方、結官吏の噂とか、知りません?私が知らなさそうな」
「…彼女、何かあったのか?」
「分からないから、聞いてるんじゃないですか」

玉は腕を組んで溜息をひとつ零した。記憶を探り、覆面官吏仲間や下町などで手に入れる情報を頭の中で手繰るものの、隣の親友でさえも知らないような噂は特にない。というか、そもそも結官吏に対する噂や評判などは大抵が女人であるということに絡んでおり、彼女自身を正当に評価するような噂はほとんどない。

彼女を正当に評価する者がいないわけではないのだ。ただその大抵の者が噂などを好まない大官であり、朝廷内で囁かれないだけで。冗官や下官は下世話な噂話をするものなのだと決めつけるのはよくないかもしれないが、まぁ所詮そんなものなのだ。

「最近食事の前に念入りに箸を拭ったり、自分が持ってきた茶葉でしかお茶を飲まなくなったり、遠回りをしてでも人通りの多い廊下を通るようになったりしたのは、なんででしょうかねぇ」
「…工部のお姫様は、誰かに狙われてるのか?」
「それが洒落になりそうにもないので、こうして貴方に聞いてるんですよ」
「調べたんだろ?彼女のこと。何も分からなかったのか?」
「………御史台に止められました」
「はぁ?そんな厄介人物なのか、彼女」
「知りませんよ!もう、こっちは心配してるっていうのに、彼女も御史台も、なにも掴ませてくれないんですよ」

ぷんすかと腹を立てながらも親友の手は動いており、着実に仕事を片づけている。御史台に止められたのなら、もう手の出しようがない。彼女のことを思って手を出せば、今度は御史台から自分に手が伸ばされる。朝廷の仕組みとはそんなものだ。それが分かりきっているから、親友もこれ以上手が出せないのだろう。

「…気には留めておく。何か情報掴めたら教えよう」
「頼みますよ」

はぁ、と親友の溜息がまた聞こえた。






120911/