「稀世ちゃん、おやつあげるよ。おいでおいで」 「え、やった!ありがとうございますっ!」
嬉しそうな顔をしながら手招きをしている工部下官の机へとぴょこぴょこ寄って行く結官吏の姿はそう珍しくなかった。このような行為はこの官吏に限ったことではなく、結官吏はよくいろんな工部官に手招きをされてはぴょこぴょこと近寄っている。それは今日のようにおやつであることが大半なのだが、高齢の官吏の方の中には「娘のお下がりで申し訳ないが」と簪や装飾を贈る者もいた。
どうやら結官吏のご実家は貧しいらしく、彼女はいつも嬉しそうな顔をしてそれらを受けとっている。聞いたところによるとこの国試受験の費用もぎりぎりなんとかなった程度らしい。あまり言いたくはないが、紅秀麗といい彼女といい、官吏を目指す女性というものは貧しいからなのだろうかと思わざるを得なかった。紅秀麗はさておき、結官吏はまんざらでもない様子だったが。
「あ、これ黄区で評判のお団子じゃないですか!いいんですか?」 「うん、稀世ちゃんへのご褒美。いつもあの侍郎の下でご苦労さま」 「…琉官吏、聞こえてますよ」 「侍郎に聞こえるように言ってますから」
明るい髪色をした彼、琉官吏は結官吏と同じく私直属の部下である。私の次に、あるいは私よりも結官吏の世話を焼いている彼は彼女を“稀世ちゃん”と呼んで可愛がっていた。仕事中だと何度か窘めたものの、直る気配がないのでもう放っておくことにしている。
琉官吏はにこやかに笑いながら私にも団子を差し出し、侍郎もお疲れ様ですと告げる。こういうところは抜かりがないというか、憎めないというか。ただ黄区で評判だという団子の噂は聞いていたのでありかたく受け取ることにした。味に興味はあるのだ。
「じゃあ、休憩にしましょう。お茶いれます」 「あ、稀世ちゃん、俺やるよ」 「い、いいえ…先輩は座って待っててください。ね?」 「そう?じゃあよろしく」
琉官吏があっさりと結官吏にお茶を託すと、結官吏はぱたぱたと小走りで侍郎室を去っていく。隣の小部屋からかちゃかちゃと茶器のぶつかる音が聞こえて、淡く笑みを浮かべながら机の上の書類を適当にまとめて上に重しを乗せた。見計らったのかどうかは分からないが、琉官吏が窓を開けると涼しい風が部屋を掻き混ぜては抜けていく。いい天気だ。
「侍郎ー」 「なんです」 「最近の稀世ちゃん、なんかおかしいですよね」 「……」
天気はよくても、こちらはそうもいかないらしい。相変わらず飄々とした表情で話しはじめた琉官吏の表情は、私に背を向けて窓の外を見ていたため分からない。是とも否とも返さずにいると、琉官吏はカタ、と窓を鳴らしながら少しだけこちらを振り返った。
「知ってます?最近、彼女家に帰ってないこと」 「は?…いつも定時には、支度をして出ていくじゃないですか」 「出てはいますよ。その後、どこに向かっているかが問題です」 「…どこです?」 「俺が後を追った日には吏部に向かってましたね。そして府庫の仮眠室で一晩…あ、そこまで見張ってたわけじゃないですからね俺!李侍郎と邵可様からの情報ですから!」
必死に言い訳をしている琉官吏に怪しい視線を送りつつ、指先を口元に当てて少し考える。いや、考えなくてもわかることなのだが、それはあまりにも信じたくない事実だった。それはつまり。
「…あの子は、何を調べてるんです?何に自ら首突っ込んでんですか?」 「さぁ、そこまでは俺には分かりませんよ。ただ、平穏なことではないんでしょうねぇ」
あくまでものんびりとした琉官吏の声が聞こえる。分かりきっているのだ、そんなことは。何もできない自分が歯痒くて悔しくて、ひっそりと唇を噛んだ。分からない。結官吏が、分からない。
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