手渡し 承露 立春を過ぎても杜王町の冬は余寒と言い難いくらいに厳しい。最近では玄関に出て人を丁寧に出迎えるのすら億劫だった。 「承太郎さん、寒いんですけど」 それは承太郎さん相手でも同じ、どころか他人以上に気心が知れているせいで余計に適当な対応になってしまう。早く閉めろと促すと、玄関の扉が閉まった音が冷たい風と一緒に背中に届く。 暖房のついた居間に入るとそこでやっと人心地着いた気がする。ようやく承太郎さんの方をちゃんと向いて、その手に下げられた紙袋が自分に差し出されているのに気付いた。 「何ですコレ」 思わず受け取って覗き込むと、紙袋の中には包装紙に包まれた箱が見える。その上には丸文字に近い手書きで岸辺露伴先生へ、と書かれたメッセージカードが乗っていた。 「ドアノブに掛かってた」 言いながら承太郎さんは、わざわざ背後の玄関の方を指差した。 バレンタインだなんて特に特別な日とは思わないが、そこそこ女性ファンの多い自分には連載開始以来感想と一緒にチョコレートが添付されてくる行事になった。もっとも目の前の女性にモテる為に生まれてきた様な色男にとっては日常的な事、という意味で、特別な日ではないのかもしれない。 「なんだ、貴方がくれるのかと思ったのに」 机の上に紙袋を投げると案外重たい音がした。拗ねた口調を作った、という体で軽く言ってみたけれど、実際一瞬だけ期待したのは事実なので、がっかりしたのは本当だ。 「ポストにも何個か押し込まれてたぜ」 そのままにしてきた、と。勝手に椅子を引いてドカリと座ったと思うと、承太郎さんは少し茶化すみたいに笑って紙袋の紐に指を掛けて弄ぶ。勝手をされると何となしに気に食わない気がする、けれどそう口に出すのは流石に子供っぽい気もする。 「去年までは編集部に届くだけだったんですけど、今年はここの住所も結構広まってるみたいで」 すました顔で紙袋を奪い返して、自分も彼の正面の席に座る。中を引っ張り出すとどこか歪な包み方で、おそらく手作りチョコレートなんだろうと推測できた。 「受け取ってお礼言うのも面倒で……居留守使ったんですよ」 感想を直接貰うだけなら兎も角一々相手をしていたら原稿を描く時間がなくなるし、とごちゃごちゃ言い訳しながら包装紙を解いていく、その間承太郎さんは感慨もない風に黙ってこっちを見ていた。もしかすると彼も同じ様に面倒がって女性から逃げた日なのかもしれない、と想像すると愉快半分、不愉快半分でいまいち面白くない。 包みの中はやはり手作りらしくて、目に痛いショッキングピンクの箱と形の悪いチョコ色の何かが詰め込まれていた。一気に部屋の中に甘い匂いが広がって、思わず承太郎さんと無言で目を見合わせた。 結局一切手を付けずに蓋を閉めて、適当に机の端に押しやる。再度顔を上げると、承太郎さんはどこか不思議そうな表情をしていた。 「手作りは何入れられてるかわからないでしょ」 生憎、実際に会ってサインをねだられるくらいの時でない限り自分のファンサービスは頗る悪い部類に入る。ファンもいればアンチも居るのはわかっているし、得体の知れない物を無警戒で有難がるほど馬鹿ではない。廃棄する時心が痛むかと言うと、正直あまり痛まない。ファンの声援にはあくまで漫画に誠意を込めて返す、それで十二分だろう。 「まあ、それはわかるが。……案外モテるみたいだな」 余計箱を机の端に押し退けていると、承太郎さんは困った様に眉を下げてまた少し笑った。 「そうでもないですよ」 実際そんな実感はないので自分も素っ気なく返したところで、承太郎さんの目に真剣な色が浮かんだのにようやく、気付いた。 「先生は結婚しないのか」 承太郎さんの言い方は至って気軽な物に聞こえる。 「……そうですねぇ」 だからこそ、勝手にこっちは深読みしてしまうのに。それを多分この人は、良くわかって言っているんだろう。 「……今みたいに遊べなくなるので。しばらくする気は起きません」 見つめ返したまま、自分もなるべく軽い口調で茶化す様に言葉を探した。探したけれど、決して嘘でもない。だから自分が目を逸らしたくなる理由は良く、わからない。 「そうか」 けれど彼はあっさり納得したのかしていないのかわからない返事をして、椅子の背凭れに体重をあずけた。 「まあそもそも相手が居ないんで」 それを見て、どうやら答えを間違ったわけじゃないんだろうと内心胸をなでおろす。更に加えて軽口を叩きかぶりを振ったところで、急に彼が机の上に小さな包みをそっと置いた。 「何ですか?」 見るからに、先ほどと同じ様なこの日特有の贈り物だろう。強いて言うならさっきのよりも小振りだし包装からして市販の物らしい。 「おれから」 悪戯に成功した時の表情で、承太郎さんがニッと笑った。 何で自分でもそうしてしまうのか良くわからないけれど、恐るおそる、彼からのチョコレートに手を伸ばす。 「……さっき出せば良いのに……」 ブツブツ文句を言いながら、自分は用意していないのが何となく申し訳ない気がしてしまう。 「受け取ってもらえるか不安だった」 もっともその申し訳なさも、承太郎さんのとぼけた言い方で帳消しされた。 2014/02/14 |