流れる   承露



 昔話を語りながら、唇ばかりが乾いた。
 朝には曇っていた空から日が差しじわりと汗が肌に浮かぶ。沖からの風が正面に吹き込んで、その汗を冷ましていった。

「つまらなかったか?」
 エジプトの話を聞きたがったのは露伴の方だった。決して良い記憶ばかりではない。それでも話している内に、自分でも良く覚えていたと思える程些細な出来事まで芋蔓の様に思い起こせた。常に心に留まっていた記憶ではなく、話している内にまさしく思い出した、という事だろうか。自分が珍しく饒舌になっていたのにようやく気付いた。
「まさか。さっきから想像するので忙しいくらいです」
 隣に顔を向けると、彼も答えながらこちらの方を向いた。丁度太陽は自分の真後ろにあるらしい。露伴は眩しそうに目を細めて一度、顔の前に手を翳したかと思うと、そのまま空いていた左手を砂の上に乗せて、緩く身体を沈ませた。
「こんな砂で一面埋め尽くされてる、エジプトの砂漠に貴方の血が落ちて、染みて、地の底に流れて……」
 そういう想像をするのは楽しい、と。露伴の左手に掬い取られた砂が、潮風に吹かれ飛ばされ、背後に流れて行く。この海辺とあの砂漠とを結びつかせて考えるのが、自分にはどうも難しかった。
「別にエジプトに限った話じゃない」
 少し笑って言いながら、靴の踵を砂浜に押し付ける。
「インドだの、パキスタンだの……怪我しない事の方が少なかった」
 体重を掛ければ簡単に沈んでしまう、その頼りなさは確かにあの砂漠に似ているかもしれない。それでも海の匂いと音と風、全部があの砂漠への連想を邪魔していた。

 こちらの話を聞いていたのか、何も言わないままゴロリ、と露伴が砂浜に転がった。顔を隠す様に腕で覆って眩しさから逃れようとしていたが、その内隙間からこちらにチラリと視線を向けてくる。
「もう戦わない事って、出来ないのかな」
 ひと際大きい波の砕ける音が海岸に響いた。そのせいにして、今のを聞かなかった事にしてしまえないか。そんな狡い考えが一瞬脳裏を過ぎった。
「だって承太郎さんはもう、十分に血を流してきたじゃないか」
 風も強く吹いていた。それでも露伴は寝転んだまま酷く真面目な表情をし、そしてそれを恥じる様に腕で隠しながらも、瞳はこちらを見つめていた。
「……無理、だろうな」
 露伴の顔に、落胆の色が浮かんだのがわかる。すぐに今度こそ、腕で覆って全て隠された。

 自分が戦うのを止めた所で、現状では他の誰かが代わりに戦う事になるだけだ。露伴はその、代わりの者に全て任せてしまえと言いたいんだろう。仗助や、康一くんや、あるいは露伴自身に。確かに杜王町の事件だけなら彼等に任せても解決出来るのかもしれない。けれどこの町の外にだって、自分には未だ多く敵が居るのだ。

 しばらく黙っていると、やがて勢いをつけて露伴が起き上がった。
「ここでも沢山、血を流したでしょう」
 背中に付いた砂を払う、その露伴の表情は暗く見える。俯いて陰になっているせいだけでは勿論ないが、そう思ってしまいたいとも思う。自分は狡い。
「仗助が居ると助かるな」
 また少し笑顔を作りながら覗き込むと、露伴も顔を上げて弱く微笑み返してくる。
「……アメリカでは?」
 その微笑がふと、何かを思いついた様に掻き消えた。

「あっちではそんな機会滅多にない」
 緩く首を振りながら、もう一度口元に笑みを作る。実際、数年を向こうで過ごしてきたにも関わらず大した戦いは起こらなかった。勿論この先どうなるか自分にもわからないが、安心させるつもりでそう言った。
「でも、血は流れてる」
 けれど露伴は変わらない表情のまま、自分を見据えていた。
「何?」
「あんたの娘に」
 間髪入れず答えた露伴の、その声にはまた邪魔する様に波の音が割って入った。それでも自分の耳はしっかり彼の言葉を聞き取っている。
 そう答えるつもりでいたんだろうに、露伴の方も言った事を後悔する様に開けた口をゆっくり閉じていき、またほんの少しだけ、俯いてしまった。

「……ごめんなさい。皮肉にもならない事言って」
 ポツリ、と零す様に呟いた露伴が、また砂の上に手をついた。その手の上に落ちた自分の影の薄さで、いつの間にか日が陰りはじめたのに気付く。
「……笑い飛ばして欲しかったんですよ」
 やがて顔を上げた、露伴の眼はどこか恨めしげに見える。

「わかってる」
 言いながら漸く、風が凪いだ。
「すまない」
 静かになった浜辺に響く、自分の声は酷くか細く頼り無かった。

 どんなに望まれたとしても自分には、それを笑い飛ばしてしまう事がきっと、永遠に出来ない。



 2014/02/10 


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