揺れる   承露



 写真を撮る音と彼の足元で跳ねる水音が重なってぼくの耳に届く。
 パシャ、だとか、カシャ、だとか。連続して聞こえる内にどっちがどっちの音なのか、いまいち自信がなくなってくる。

「真っ白ですね」
 辺りは真っ暗だ。家を出る時は道を照らしていた白い満月も、今は分厚い雲に隠されてしまっている。海と陸の境界線も、自分の立つ場所からでは中々判別しづらい。フラッシュをたく一瞬だけ、彼が立つ場所がどうやら波打ち際らしいとわかった。
「何か言ったか、先生」
 ぼくの呟きはきっと、強く吹く風で遮られたんだろう。承太郎さんは少し遅れて振り向いた。

 海に近づくと彼の方も少しだけこちらに歩みを寄せた。それでもまだ、足元は波にさらされているんだろう。波が彼の踵にぶつかって砕ける音が僅かに聞こえた。
「承太郎さん、後ろから眺めてたらそこだけ白くぽっかりくり貫かれたみたいに見えるんですよ」
 フラッシュをたいて、カメラのシャッターを切る。その度にほんの一瞬だけ、彼の白いコートが風に揺れるのを見て取る事が出来た。
「まるで、幽霊みたいで」
 生暖かい風でバタバタと音を立てて、あてもなく白い彼のコートがあおられる。何枚撮っても良い写真にはなりそうもない。カメラを構えたまま連続してシャッターを切り続ける内、白と黒のコントラストに目が眩んできた。少しずつ近づく彼が段々に右にずれていくと、まるで古い映画のコマ送りみたいで変な気分になってくる。
「……杉本鈴美は真っ白だったか?」
 隣に立ってもう一度海の方を向く、彼の表情は暗闇に紛れて判別がつかない。けれど声音で少し茶化す風なのが伝わってきた。あはは、と、僅かに乾いた笑い声が自分の喉の奥から勝手に漏れ出した。
「イメージですよ、イメージ」
 そう言えば彼女は向こうの通りが透けて見える事はあっても、全部が全部真っ白なわけじゃない。本物の幽霊を知っているくせに、紛れもない生者に幽霊みたい、だなんて、随分馬鹿げた台詞に思えてきた。

「心霊写真は撮れたか」
 ようやく構えていたカメラを降ろすと、承太郎さんがまた声音に優しい微笑を含ませて、ゆったり呟く。何故だか楽しそうなのだ。海がよっぽど好きなのか、それとも喜ばしい何かがあったのだろうか。
「前に撮った鈴美のならいくらでもありますけど」
 自分も笑顔を作って茶化して返す。きっと彼もぼくの顔なんて見えていないだろう。それでも隣からは視線を感じる。真っ暗闇の中、フラッシュがなければ彼の白いコートも浮かび上がってこない。まるで暗闇そのものから微笑みを向けられる様で、空恐ろしい心地がする。

「死んでも」
 ポツリと呟く彼の声は小さいのにやけにはっきりと聞こえる。
「死んでも、化けて出る気は起きねぇな」
 疲れちまった、と、また笑って呟くその声も滑らかだ。良く通る、良い声なんだろうと思う。

「ぼくに未練を残してくれても良いんですよ?」
 風に吹かれて流れていく雲の隙間から、時折月の光が差す。点灯するスポットライトの様に海面を照らしては、また雲で遮られ、元の真っ暗闇に戻る。
「今、ちょっと揺らいだ」
 その短い間、月に照らされた彼の瞳がほんの僅かに丸く見開かれたのを、見逃さなかった。

「ちょっとかぁ」
 残念だなぁ、と、呟いて海の方に向き直る。フラッシュや月光の明かりのせいで未だに暗闇に目が慣れない。このままいつの間にか朝が来るんじゃないだろうか。


 本当に残念だなぁ、と、笑いながら呟く声が擦れてしまう。
 ぼくはそれを隠したくてまた、フラッシュの届きそうもない沖に向けてシャッターを切った。



 2014/07/31 


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