一年半   仗露



 案外、長く続いた方じゃないだろうか。

「一年と……半年ぐらい?」
 ボストンバッグを肩に掛けながら、仗助がふと考える様に天井を仰いだ。
「それぐらいだな」
 付き合い始めたのは冬の終わりからで、そこから丸々一年とこの夏の頭まで。日数は数えていないけれど、大体一年半ぐらいだろう。
 リビングをぐるりと見回す、その顔はいかにも見納めだからと言いた気で、瞬きも止まっている。その横顔を見つめるぼくの方も、何となく瞬きする間が勿体ない気がした。

 君はこれから大事な時期なんだよな、と。
 そう切り出した時、既に仗助の目は一種の覚悟を決めている様に見えた。いつから覚悟していたんだろう。最初からか、最初よりもずっと前から分かり切っていたのか。あるいは自分はその予兆を、気付かぬ内に見せてしまっていたんだろうか。
 仗助は進路の事も学業の事も、意識して話す事はしなかった。それでも、ぼくの存在でいくらか道が狭まりそうだというのは理解していた。だからこそ話題に出さないんだろう、とも。
 もし本当にそんな事を気に掛けるなら、高校二年生の一年を丸々ぼくで浪費させる前に別れていたはずだろうに。
 高校生最後の夏に差し掛かってようやく切り出せた別れ話を、それでも仗助は静かな覚悟を微笑にのせて、受け入れた。

 付き合っている内に増えた仗助の私物が、今度は日を置いて少しずつ減っていった。最後の今日になると後はもう細々とした小物ばかりで、ボストンバッグ一つにしまい切れる程度しか残っていなかった。
「鍵も返さなくっちゃいけないっスね」
 さも今思い出したという風に、仗助がポケットから家の合鍵を取り出した。本当はちゃんと覚えていたんだろう。普段は合鍵を使うまでもなく大抵在宅中に訊ねて来ていたし、二人で外出する時もぼくの方の鍵で出入りしていた。
 仗助は拙い指先でつけていたキーホルダーを外そうとする。そのキーホルダーには自分も見覚えがあった。
「それ」
「え?」
 つい指差してしまい、仗助も手を止め顔を上げる。一瞬間が空いた。
「いや、別に。何でもない」
 けれど言うほどの事でもないと思って、続きを促した。
 たしかあのキーホルダー、随分前に旅行先で買わされた奴だ。しかも、お揃いで。

 随分前と言ったって、ここ一年半の間の事のはずなのに妙に懐かしい気がする。観光地の妙なキャラクターのマスコットで、自分の分は結局どうしたんだったろうか。多分捨ててはいないはずだ。大方どこかの引き出しの中に、袋から出される事もなく紛れ込んでいるのだろう。
「お世話になりましたーって事で」
 少し経ってようやくキーホルダーが外れた。片手で少し掲げる風に差し出された鍵を受け取るのと同時に、マスコットの方は自然に仗助のポケットに戻された。帰って捨てるんだろうか、それとも取っておくんだろうか。わざわざ訊ねてみる気は起きない。
 ほんの数回しか使われなかった合鍵は、磨いた様な光沢がまだ残っていた。

 廊下を歩く二人分の足音が妙に静かな中で響いていて、最後だと思うとやけにその距離が短く思えた。きっと錯覚だ。ぼくの方から別れる話を出したクセに名残惜しく感じるだなんて、自分の脳みそながら随分と気ままなものだと思う。それでも時は止まらないし、戻らない。
「そんじゃあ、まぁ、どうせ町中でも会うだろうけど」
 靴を履く仗助の方からはそんな気配が微塵も感じられない。落ち着き払っている、というならぼくだってそう見せかけているんだから、やもすると仗助の方も平気なフリをしているのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どっちにしたってぼくにはもう知る由がない。
「それもお前のだろ」
 ふと思い出して、仗助が棚に片付けようとしたスリッパを指差す。付き合い始めた初めの頃自分用にするからと、市内の雑貨屋で選ぶのにわざわざ付き合わされた覚えがあった。
「露伴が使うなら使っても良いっスよ」
 しまおうとする手を止めて一瞬仗助は迷った風だったが、あげようか、と、首を傾げてこちらにスリッパの先を向けた。
「……君のじゃあ、大き過ぎる」
 本当はサイズ云々の話ではなくて、もうこの家には君の物なんて何一つ、ないんだから。
「あ、そっか」
 皆まで言わずとも仗助は素直に納得して、ボストンバッグの隙間にスリッパを押し込んだ。

「他に忘れ物あったら捨てて良いんで」
 今度は目も見ずそう言ってドアノブに手を掛ける。
「別に見送りとかいらねぇって」
 思わず自分も靴を履きかけると、少し苦笑する様に仗助がこっちを向いた。

「それじゃあ、お元気で」
 ドアを開けると、クーラーの効いた部屋に熱された空気がドッと押し寄せてくる。境界線の真ん中に居るみたいだ。一歩踏み出た仗助の身体が太陽に照らされてまぶしく眼に映える。嗚呼、成るほど。本当にこれで、お終いなんだろう。
「君も、な」


 ドアが閉まる直前のはにかむ笑顔が、パタンという割合大きな音と共にしっかり記憶に刻まれる。それから一瞬立ち止まって、それからすぐに歩き出し、遠ざかり始める足音と気配も。
 嗚呼、成るほど。


 ぼくは案外、君の事が好きだったんだな。



 2014/07/26


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