凝り性   仗露


 凝り性な男なのだと思う。
「待て、仗助、動くなって」
 くすぐったさでピクピク跳ねる肩を思い切りガシリと掴まれた。どんなに押さえつけられても、筆が動く度に勝手に反応してしまうのだから仕方ない。
「いい加減にしてくださいよ、センセー」
 首を捻って後ろを向いても露伴は視線を動かさず、ただおれの頭を片手でグリッと捻って前を向かせた。文句を言わせる気もないらしい。
「これくらい我慢しろ」
 露伴の方もいかにも不満をぶつける様な口調だ。集中しているのに邪魔する方が悪い、と、この男なら本気で思っていそうな所がタチが悪い。

 夏休みの真っただ中、一日中冷房の効いた露伴の家は快適そのものだ。今日も朝から勝手に入り込んでダラダラしていた時、宅急便で荷物が届いた。受け取った露伴が喜々として段ボールを開くので何かと思って覗いて見ると、中には画材が詰まっている。その中のいくつかを取り出して「ボディペインティング用の絵具だ」と露伴が嬉しそうに見せつけてきた。
 この人、絶対におれに描く気だ。
 そう察した瞬間に「今日はお暇します」とUターンしようとした、その首根っこを掴まれてしまったのが運の尽きだった。
 抵抗を試みて、使うなら自分に描けば良いじゃないかと提案もした。すると渋々筆の用意をしはじめたので安心しかけた所、何故かこちらに筆を渡され腕まくりした手を差し出された。「ならお前が描け」と言う、露伴の目が明らかに笑っていた。おれの美術の成績を知っていてそんな事言うのだ。筆を持ったまま固まっていると絵具が乾くとせっつかれ、プルプル震えた筆先で露伴の手の甲に花の絵を描いた。そのたった5分程度の時間で、自分は嫌な汗をかいてしまった。
 結局そのひしゃげた花の絵一つで力尽き、もう勘弁してよと露伴に筆を返すと「じゃあ今度はぼくの番だな」と涼しい顔でまた首根っこを押さえつけられた。涼しい顔、と言いつつやはり目は笑っていたと思う。もう抵抗する気も起きずに観念しましたと座り込んで両手を上げると、そのままTシャツをひん剥かれて唖然とする。唖然としている隙に露伴は背中側に回り、早速筆を動かし始めた。なるほどはじめから背中に描く気でいたんだな、と納得しつつ、一瞬本気で邪推しかけたのを恥じた。

「物には限度ってモンがあるんスよぉ」
 丸め込まれる形で描かれはじめたせいもあって、時間が経てば経つほどふつふつ文句が沸いて出た。描いている露伴の方は良いだろうけれど、描かれる側だと暇な上にくすぐったい。時計も見えなければ暇をつぶす道具も手元にない。脱がされたTシャツをさっきから握ったり伸ばしたりぐらいしかやる事がなかった。
「五月蠅いなぁ、どうせ今日も明日も暇なんだろ?」
 せめてお喋り出来れば気が紛れるだろうに、露伴はそれさえ描く邪魔になるから鬱陶しいと感じているらしい。やはり自分は悪くないと思っていそうな調子に聞こえる。
「そりゃあ、そうじゃなきゃこんな毎日通わねェっスけど……」
 確かに今日も明日も明後日も暇そのものだけれど。アンタに会いに来ているんだ、と言っても、この男は全く良い反応を示してくれそうにない。実際に口に出したわけでもないのに何故だか自分の方が気恥ずかしくなって口を噤んでいると、露伴も気分良さそうに黙ったまま、ひたすら筆を進めた。

 露伴の筆の動きに意識を向けると余計くすぐったい気がしてくる。なるべく動かない様に、と思いつつも筋肉が勝手に反応してしまう。その度、肩に添えられた露伴の左手に力が込められた。
 それでも、実際に見ていなくても、流れる様な動きだと思う。いつもなら原稿用紙に向けられる熱心な視線を想像すると、途端に気持ちが高揚してしまう。きっと今も真剣な顔だ。おれの背中をキャンバスにして、無駄のない動きで絵を描く。ひたむきで真っ直ぐな露伴の目。その右手には、おれの描いた歪な花の絵が添えられている。

 何だかたまらないなぁと、想像だけで少しグッときた。
「よし、出来たぞ」
 その感覚が、急に露伴が手を離した事で立ち消える。もう動いていいぞと促して、早速筆を洗いに行ってしまう露伴は後ろ髪引かれる様子が微塵もない。
 少し拗ねつつ立ち上がると、思っていたよりも長時間座りっぱなしだったらしくふら付いた。慣らす様に伸びをしかけて、まだ絵具が乾いていないかもと慌てて姿勢を正した。筆の感覚があったのは肩から背骨沿いだから、まあ腕や下半身は動かしても問題ないだろう。そこまで考えて、なんで描かれたこっちが気を使わないといけないのかと思い直す。腕をぐるぐる、それでも控えめに回した。
 一度どれくらい描かれているのか確認したい、それに喉も乾いた。キッチンに先に行くか迷い、けれど部屋を出てすぐに全身鏡があったのを思い出してそちらに足を向ける。正面からだと半裸の見慣れた自分の身体に見えるが、くるりと反転して見て、驚かされた。

「うわー……」
 思わず見入ったまま、小さく声を漏らしてしまう。
「何だいそれ。もっと感想とか、何かないのかい?」
 気付くと、いつの間にか露伴が傍に立っていた。少し不満げな声だ。
「いや、多分呆気に取られるってこういう事言うんスよ」
 そう呟いてみせると、すぐに満足げな顔になった。まじまじ、また鏡で自分の背中を見つめる。描かれている、という表現よりも咲いている、という表現の方がしっくりくる。確かにそこには花が咲いていた。
 この一流漫画家が絵が上手いという事ぐらい知っているつもりだったが、ただでさえ彼の漫画を読まない自分には、ここまで繊細な絵が自分の背中に描かれているという事実がどうにも信じ難く思えた。何の花かは知らない。おれが露伴の右手に描いた物とは比べ物にならない。そうか、花ってこういう風なものなんだぁと驚かされるばかりだった。
「ついでに写真撮っとくか」
 露伴はこっちが呆然としているのを知ってか知らずか、平然と肉眼でおれの背中を見回している。多分本人は毎日描いているからそういう驚きがなくて当然なんだろう。それでも一つ完成させた満足感はあるらしい、と、口の端に浮かんだ微笑で察する事が出来た。

「露伴が撮ってくれんの?」
 鏡越しなのが何となく惜しいと思いつつ、写真に残れば自分も正面から見れるなぁとぼんやり想像する。自分の背中の写真なんて普通なら面白味も何もあったもんじゃあないけれど。
「ぼく以外に誰が撮るって言うんだい」
 やはり平然と言ったと思うと、もう集中する矛先を切り替えたのだろう。今度はライトがどうだのレフ板がどうだの呟いて、せわしなく部屋から部屋を歩き回り機器を集めはじめた。その手際にまた呆気に取られている内に「おい、背中向けろ」とカメラを構えられた。案外、本気でおれの背中に描いた絵を気に入っているのかもしれない。

 何度も背中越しに聞こえてくるシャッター音と指示に、つい笑ってしまう。
 つくづく、本当に凝り性な男だと思う。



 2014/07/14 


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