雨風   承露



 まさに濡れ鼠と言うべき状態だったと思う。勿論、自分の事ではないが。

「ああ、承太郎さんこんにちは」
 露伴は全身ずぶ濡れながらも快活に挨拶してこちらに近寄ってくる。自身がまさに今この時雨風に打たれている、というのをまるで感じさせない様な調子だった。
「傘はどうした」
 訊ねてから、ようやく自分がさしていた傘を思い出した。慌てて傘の下に入る様促したが、やんわり身を引いて何故か固辞された。戸惑っている間にも、雨は降り続いているというのに。
「生憎、今日は持って出るのを忘れちゃいまして」
 確かに朝方は曇っているだけで、まだ雨は降り始めていなかった。見ると、スケッチブックや荷物には厚手のビニールがしっかりとかけられている。そんな部分は用意周到なくせにどうして傘一本を忘れたのかやはり不思議だった。
「一応急いで帰ろうとしてたんですけど、途中からもう良いかと思って」
 雨の中を堂々歩くのも悪くないですよ、と、雨の中で露伴が一回転して見せた。水たまりに足を突っ込んでももう気にも留めていない。
「風邪引くぞ」
 もう一度傘を彼の方に傾けて見せたが、何が楽しいのか、露伴は笑ったまま片手を掲げてそれを制止する。仕方なく肩に傘の柄を乗せて溜息吐く、その間も柔和な目をしてこちらを見ていた。
「今日は蒸し暑い位だから大丈夫ですよ」
 そう言いながら手をヒラヒラさせた。と、思った途端、くしゃみをした。一瞬驚きつつこちらが笑うと、露伴も少しバツが悪そうに「あ、いや、歩くの止めたらちょっと肌寒いかも」と言い訳をしはじめた。
「大丈夫か?」
 自分自身を抱く様に両の二の腕を擦って見せる、そうしている間さえ露伴は雨に打たれたままだ。風も強く吹いている。傘を再度差し出すか迷って、三度も断られるのは堪える気がして結局止めた。
「もう後は家に帰るだけなので」
 案の定、気を使うなと言いた気に露伴が手をヒラヒラさせる。それを見てまた、言うか言わざるべきか躊躇した。

「ここからなら」
 けれど結局、言わずにおくのが悪い気がして言葉が先に出てしまう。
「はい?」
「……ホテルの方が近い」
 それなのに一瞬言いよどんでしまう辺り、自分の意志薄弱さが恨めしい。

 驚きに満ちた目を僅かに見開いたと思うと、露伴はすぐまた例の笑顔を作って見せた。
「嬉しいなぁ」
 やもするとスキップしそうな程、弾んだ調子で露伴が荷物を肩に掛け直す。今度こそ、と傘を傾けたが、先に歩き出した露伴は結局隣に収まってくれなかった。

「まさか貴方から誘ってくれるだなんて」
 肩越しに振り向いた露伴の一言に面喰らって、言葉が返せないまま、自分も歩きはじめる。けれどホテルに足を向けた途端、雨が弱まった気がする。なんなら今すぐにでも止みそうだ。

「……そういう意味じゃない」
 後を追いながら何を言っても露伴は笑ったままでいる。
「本当ですかねぇ」
 ああ、風まで凪いでしまった。

 これじゃ彼の言う通り、おれから誘いを掛けた様なものだ。 



 2014/07/08 


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