陸の海 承露 天気予報を見忘れたから、なんて言ったとしても彼は訝しがるだけだろう。 「承太郎さん、お帰りなさい」 こちらが何か言う前に露伴の方から声をかけてくれて、正直助かった。 ただいま、と一応口に出してみるが何となく違和感がある。直前まで戻って来た言い訳を考えていた、そのせいもあるかもしれない。 「今日はそのままホテルに戻るのかと思ってました」 想像していた様に訝しげな表情をしながらも、露伴はテキパキと洗濯物を干していく。広げられた真っ白なシーツからは湿った質感が見て取れた。 「そのつもりだったんだが」 天気予報ならそれこそホテルに戻って見れば良いだけの話だ。わざわざ引きかえして来た理由が自分でもよく解らない。早朝立ち去っておきながら午前中の内に戻って来るなんて、相手からしても全く持って理解できない神経だろうと思う。 「……自然とこっちに足が向いた」 結局自分でも納得しないまま素直に言うと、露伴はほんの一瞬だけシーツを叩く手を止めた気がした。もっとも、本当に気のせいだったのかもしれないが。 足元に置かれたカゴの中を覗くと、いくつか洗濯したての衣類が詰まっていた。昨日露伴が着ていた服も混じっている。きっと自分が出て行ってすぐ洗濯をはじめたんだろう。彼の生活感溢れる場面を見る機会が滅多になかった事に今更ながら気付いた。全部、おれの居ない時に済ませていたんだろうか。 じっと眺めていると、視線を感じるのか露伴が少し恥ずかしそうにこっちを睨んだ。 「見てないで手伝ってくださいよ」 身体の隅々まで見せておきながら何を今更、なんて言って、怒らせるわけにもいかない。 「あ、やっぱり良いです。海行ってきたんでしょ?」 けれど近づこうとした瞬間にすぐ手のひらを向けられ制止させられた。潮の匂いがつくと困ると言われてつい袖口を嗅ぐと、確かに少し海の匂いがした。そういえば今朝出て行く時に、海に行くと言った気もする。 その場でまたぼんやり眺めていると風になびいてシーツがブワッと波立った。その様が一瞬で目に焼き付く。 青空の元であるのも相まって、はためくシーツは白波の様に美しく、目に映えた。 陸にも海はあるようだと、もし口に出しても露伴はまた訝しげに眉を顰めるだけだろう。悟られない様に煙草を取り出して火を点けると、また露伴が手を止めてチラリとこちらの方を向いた。 「タバコ吸うのは良いけど、風向きくらい考えてください」 言われて、確かにシーツに煙草の煙が向かっているのに気付いた。位置取りを変えると、丁度彼の背後に回る形になる。居心地が悪そうに少し背中が丸まった。 真後ろから見ているとまた違う情景にも見える。まっさらなキャンバスに露伴一人の人物画、だろうか。いや、それよりやはり波打ち際に立つ彼の姿の方が脳裏に描きやすい。 ふと、このシーツは昨晩彼のベッドを覆っていた物なのを思い出した。昨日の、まだ自分が訪ねて行く前の時点で、このシーツを敷いている姿を想像すると何故だか妙にそそる気がした。二人で乱すと知りながら、わざわざ丁寧に整えたのだろう、と思うと……。 「中に入ってて良いですよ」 テレビでも見ていてください、と。こちらの邪な考えが伝わったのかもしれないしまた照れているのかもしれない。シーツの皺を綺麗に伸ばしながら、今度は振り向きもしなかった。 「いや」 なら本当に天気予報でも見ておこうかと思って、すぐに打ち消す。 「もう少し、見ていたい」 彼がこうしてシーツを干すならきっと、今日は一日晴れるんだろう。 2014/06/13 |