当惑   仗露



 自分の『ヘブンズ・ドアー』が効かない相手くらい、いくらでもいるんだろう。掛かりやすさに相性がある事は最初からわかっていた。
 だから別に、件の男が特別なわけではないはずだ。



 ドサリ、と。人一人が倒れるだけでも重たい音は路地に響いて、土煙が僅かに舞うのが見えた。
「……何人目だったかな、これで」
 今日最初に仕掛けた相手から順番に頭の中で思い出そうかと考えて、すぐにそれを放棄した。数えきれないほど、とまでは言わないが、少なくとも両手の指の数は越えていただろうか。
 目の前に本となって倒れ込んだ背広の男は、読むまでもなく一般的なサラリーマンだろうと推測できる。隅々まで読んでも良かったが、最初の数ページを捲って結局止めた。今起こった事を忘れる様に書き込んで、すぐ立たせて先に路地を出て行かせた。

 本来なら自分のスタンドは『読む事』が目的の物だが、今日はそれ以前に『本にする事』自体の実験の為に町に出た。退院したてで本調子ではないだろうからと、連載の仕事をしばらく休まされた事は腹立たしい。けれど、スタンドを使う練習には短いくらいかもしれない。使えば使うほど、自分のスタンドが強化されていくのがわかった。
 最初は描いた原稿を、それも最初に目にした者に対してのみ、『ヘブンズ・ドアー』は作用した。もっとも大抵最初に原稿を読むのは編集者で、他にはたまたま訪れた新聞勧誘員にくらいしか試した相手はいなかった。使いこなすには練習する対象が少ないと不満を覚えていた所にファンだと言う広瀬康一と間田敏和がやって来た、あの時の高揚感は今でもありありと思い浮かべる事が出来る。
 特に広瀬康一は二度目に本になった時、たった一コマを見ただけで効果が発動された。口惜しい事にその後は入院する事になったが、自分はあれで自信を持った。『ヘブンズ・ドアー』はまだまだ成長できる、と。実際それは期待した通りで、今日スタンドを仕掛けた相手は程度に違いはあれど、全員本にする事が出来た。紙に描いた漫画だけでなく、宙に指を滑らせ絵を形作る事ですら効果は発揮された。

 路地からチラリと顔を覗かせて見ると、まだ先ほど本にした男が不思議そうに立ちすくんでいた。一応は立ち去るまで待とうと、再び路地の影に身を隠した。

 この調子なら、例えば触れるだけで、あるいは広瀬康一たちの様にスタンド像を発現させて『ヘブンズ・ドアー』を扱える様になるかもしれない。そう思うと胸が弾んだ。
 しかしだからこそ、ただ一人の男を本に出来なかった、という経験が、自分にはどうしても許しがたい事に思えた。

 漫画の原稿を読ませずともスタンドを使えるようになったおかげで、こうして町中でも気軽に試せるようになった。ただ自分の能力は余りに堂々と行うと人目に付きやすい。目撃者が増え手におえない可能性や、広瀬康一たちに露見する可能性があった。コソコソするのは不本意だが、路地裏や人が少ない場所に誘い込んで練習するよう心掛けていた。まだ成長が見込める今は、少なくともあの男、東方仗助にだけは手の内を見せるわけにはいかなかった。
「……今に見てろよ」
 入院や休載の件は自分に原因があったと素直に受け入れているつもりだ。しかし、あの男にはスタンドが効かなかった。その事実は生まれた自信を簡単にどん底にまで追いやってしまう。自分はそれが不愉快でたまらない。『ヘブンズ・ドアー』が成長し揺るがないものになった時、必ずあの男を本にしてやると。内心自分は燃えていた。

「岸辺、露伴?」
 そう考え込んでいた所で名前を呼ばれて、ようやく路地に人の影が差した事に気付いた。

「……君、なんでここに」
 驚き過ぎて声が上ずった。声を掛けてきた相手は逆光で顔が見づらいが、特徴のあるリーゼントと改造した学生服。
 この狭い町で、そんな格好しているのは件の東方仗助以外に居なかった。

「ふら付いてるおっさんがこっから出て来たから、てっきり」
 困惑した表情なのはお互い様だろうか。仗助はいかにもしどろもどろに、呟く様な喋り方に聞こえた。新手のスタンド使いの仕業かと気にかかって覗きに来たのだろう、と、容易に想像できた。
「テメェ、また何かやらかしたんじゃねぇだろうな」
 やがて仗助は落ち着きを取り戻したらしく、今度は訝しがるようにこちらを睨みつけた。ジリッ、と少し間合いを詰められて、思わず自分は半歩後ろに身を引いた。
「言いがかりはやめろ!」
 実際言いがかりなどではないが、ほとんど実害は出していないはずなので、なるべくたじろいだのを悟られない様に強気で返す。仗助は腑に落ちない様だったが、問い詰める気は無かったらしく、斜に構えたまま少しだけ緊張を解いた風に見えた。
「……ぼくだってこの町に住んでるんだ。どこで何してたって、君には関係ないだろ」
 けれどもう半歩下がって目を逸らしながら言うと、我ながらいかにも言い訳染みている気がした。
「全然今まで見かけた事ねぇけどなぁ」
 仗助はどう感じたのかわからないが、やはりどうも、態度が軟化して思えた。

 あの日からは確かに暫く経っている。滅茶苦茶にキレていた時の事は自分だってあまり思い出したくないが、仗助の方はまるで無かった事の様にすら思っているのかもしれない。そう思うと安心な気もしたし、一方で腹立たしい事にも思えた。
「あれだけ殴っといて、避けられないとでも思ってるのかい?」
「あれは……アンタの自業自得じゃん」
 言いながら睨むと、仗助もムッとしながらどこか申し訳なさそうに首を傾げて見せた。やはり仗助の中では、あの件は案外どうでも良い部類に既になっているのだろう。まるで子供の駄々をいなす様な仗助の態度が、どうしても自分は気に食わなかった。

 黙っていると、また仗助が困った様な顔をして、首を傾げる向きを変えた。
「まあ一応、殴り過ぎたのは悪かったなーとは思ってるんスよ。どっか怪我残ってたりする?」
 それから気を取り直した様に、スッと、こちらに手を伸ばそうとした。

「やめろッ!」
 反射的に、腕を振り払って背後に逃げてしまった。無意識だったせいで驚いた。仗助も同じ様に驚いた顔をしたのがわかった。触れようとした手が弾かれて空を切り、ようやく拒絶されたと理解したらしい仗助の表情が、どこか寂しげになった所まで。狭い路地の薄暗さに目が慣れきっていた自分には、全てがはっきり、見て取れた。

「もしかしてアンタ、おれの事怖いんスか?」
 仗助の声はやはりどこか寂しげで、そして震えて聞こえた。
「……そんなわけないだろう」
 思わず顔を逸らしながら、自分も声が震えるのを押さえられなかった。

 東方仗助。この男に何故『ヘブンズ・ドアー』が効かなかったのか。怒りで何も見えていない状態だったから、という結論はあの時点で出ている。それでも、どうしても自分にはこの男を完膚なきまでに叩きのめすビジョンが作れなかった。それは結局、仗助の事を怖れていたからなのだろう。今までは、認めるのがただ悔しかったのだ。

 それなのに、その怖れていた男は、怖がられた事にまるで傷ついた様に、自分の前で声を震わせたのだ。

「ホントに?」
 仗助がどんな顔をしてこんな不思議そうな、そしてどこか切羽詰まった様な声を出すのか。

 当惑しきっている自分には、それを見る勇気がどうしてもなかった。



 2014/01/11   →疑惑


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