花束   仗露



 例の小道から彼女が消えて随分経った。
 もっともその小道自体、今の自分たちには見つける事が出来なくなっている。最初は康一や億泰とコンビニのついでに寄っていたりもしたけれど、秋が近づくにつれて話題にも上がらなくなった。

 それでも時折、小さい花束が目立たない様に隠れる様に、そっと壁際に置かれているのを見かける事があった。



 目の前を歩くのが岸辺露伴だとすぐ気付いた。奇抜な格好でスケッチブックを肩から下げている男なんて、この町では少なくともこの漫画家ただ一人しか居ない。
 一瞬、近づいて声を掛けようかと思う。けれどすぐやめた。知り合いだと言っても嫌われているのは骨身に染みて理解している。好意を蔑ろにされて平気でいるほど人間は出来ていなかった。だからむしろ、追い付かない様に自分の歩幅を緩めて後ろを歩いて行く。顔さえ合わせなければ喧嘩にもならないだろうと諦観すらしている。そんな気も知らず前を行く露伴の足取りは、どこか重たく見えた。
 何となしに目で追っている内に、何か胸元に抱えているらしいと後姿からでもわかった。何だろうかと想像しながらも本人に訊く気は起きない。その内道の角を曲がる時にでもチラリとくらい見えるかもしれないとぼんやり眺めていた。けれどその時、微かに風が吹いて漂ってきた香りがあった。それでハッと気付いてしまう。それは明らかに、生花の香りだった。勿論香りだけで何の花か、なんて自分にはわからない。けれど彼が花を持っているその理由は想像できてしまった。きっとあの小道の傍に置かれている、あの花束の送り主はこの男なんだろう。彼と自分の進んでいる道路の先にはもう、例のコンビニが見えてきていた。
 もはや緩めるまでも無く、自分の足取りも露伴と同じ様にどこか重くなっていくのを感じた。きっと露伴はこんなところ、誰にも見られたくなかっただろう。それをよりにもよって自分が見てしまった。彼の姿を見た瞬間に道を変えるぐらいすれば良かったろうに、付かず離れずの距離をつい吸い寄せられる様にここまで来てしまった。いっそ彼が気付く前に元の道を戻った方が賢明かもしれない。そう思って立ち止まっている内、露伴の方もコンビニの傍で立ち止まってしまったのが見えた。
 やはり、しゃがんだ彼が地面に置いたのは花束だったのが遠目からでもわかる。今の内に立ち去ろうと思いつつ、手でも合わせるんだろうかと余計な事を想像して結局動き出せずに居た。露伴は特に悼む風もなく、むしろゴミ袋を出して、何をするのかと思っていると先に置かれていたまた別の花束の方を無造作にそのまま押し込んだ。何て事を、と一歩踏み出しかけて、すぐ露伴自身が以前置いた花束だったんだろうと思い至った。

 落ちた花びらまで片づける、露伴の丸まった背中が余計に細く小さく見える気がした。杉本鈴美との別れ際に「さみしい」と認めた、あの時と同じ悲しみが、見ているだけで伝わってくる様だった。
 その姿を見ながら自然と数歩、近づいているのにはたと気付く。どんな労わりもあの男には意味がないとすら思っている。それなのに自分は今、ただ彼の近くに居て、そして慰めてあげたい、と。そう、感じていた。

 一度息を吸って吐いて、ようやく決心し歩き出す。近づきながら何と声を掛けるべきか頭の中でグルグル考えている内、露伴がスッと立ち上がった。思わずビクッとしてまた立ち止まってしまう。ほんの数秒花束を見つめていた露伴が振り返ったところで、ばっちりと目が合ってしまった。
「仗助、お前、何で」
 想像していたよりもずっと驚いた顔の露伴が後ずさった、その時踵が触れて壁に立て掛けた花束がコテンと横に倒れた。それにすぐ気付いた露伴が、動揺したまま花束とおれの顔とを交互に見やる。その眼が、よく見ると充血しているのに気付いた。
「先生、アンタもしかして」
 泣いていたんスか、と。訊きかけて、どう考えても野暮だというのが自分でもわかった。けれどもうほとんど指摘した様なもので、露伴は一瞬カッとなった風に眉を顰めた。
「ほっといてくれよ!」
 そう乱暴に言って横を通り過ぎようとした、露伴の腕を思わず反射的につかんでしまう。また真正面から目が合った、その瞬間、露伴の瞳の中の景色がじわっと潤んで、そして零れた。
「露伴」
 ああ泣かせてしまったと、後悔するよりも何よりも早く、兎に角隠さなくちゃと何故だか思って露伴を抱きしめた。抱きしめてから何でこんな事をと自分でも酷く戸惑った。腕の中の露伴が全く抵抗しないままでいるせいで、更に混乱した。

 風が傍を通り過ぎて、また微かに花の香りがする。
 それだけの事なのに、何でこんなにもつらいんだろうと思う。

「悲しいんスか」
 無理矢理声を出しながら、漠然とした苦しさで自分も涙が滲みそうになるのを感じる。
「……好きだったんスか?」
 けれど自分が泣くのは何だか違う気がして、我慢した。

 こんな問いに何と答えられようとどうのしようもない、むしろ答え自体期待していなかった。けれどどこか鼻声で、露伴が自分の腕の中に埋まったまま「そんなんじゃない」と、ポツリと呟いたのが耳に届く。

 露伴が言葉を探す、その間にも風は吹き、何度も花の匂いを足元から立ち上らせた。
「ただ……大切だった」

 痛ましいくらいの彼のさみしさを、まるで自分に知らせるかの様に。



 2014/06/01 


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