疑惑   仗露


※『当惑』の続き


 背広の男が呆けた顔で路地から出て来た時、つい近づいて行ったのを今では正直悔やんでいる。
 間田が言った『スタンド使いは引かれ合う』という法則、まさにそれなのかもしれない。あの時の自分はそんな事全く考えもせずに、気になったままにひょっこりとその路地裏に踏み込んでしまった。
 そこに居るのが岸辺露伴その人だ、なんて勿論、想像もしないままに。



「あの人康一の事スゲェ好きだよなぁ」
 さっきまでは飲みかけのグラスを頻りに傾けて遊んでいた億泰が、ふと急に康一の方を向いて妙な事を言い出した。話題の流れからあの人、というのが件の岸辺露伴である事はすぐ推察出来た。
「もしかして……ソッチの人なんじゃねぇの?」
 きっと冗談のつもりなんだろう。カフェの他の客に聞こえない様にか、小声で顔を顰めて億泰が言うのに、間髪入れず康一がそういう言い方は失礼だと嗜めた。
 自分と言えば気にする素振りも見せずに紅茶を口に運んでいたが、内心動揺して取り繕うのに必死だった。億泰の言はまさに、自分の疑っていた事だ。

 本当なら疑うはずもない事なんだろうが、問題はあの路地周辺にあった。康一なんかは善良な方だから知らないかもしれないが、学校の不良の先輩方とわずかながら交流がある自分は、あの場所がいわくつきだという噂を随分前から耳にしていた。
 いわくつき、と言っても心霊の類ではなく、援助交際やクスリの売人と言った、悪い方面の噂だ。東方はなるべく近づかない方が良いと再三忠告されているのは、おれが根っからの不良でないというのが彼らにも理解されている、という事だろう。
 ただでさえ人通りの少ない路地で、そんな噂を鵜呑みにするには十分に雰囲気があった。だからなのか、自分はあの時路地から出て来たふらついた男を見た時、そういう事なんだろうと納得してしまったのだ。あの呆け方の程度ならクスリじゃなくエンコ―の方だろうな、なんて想像までできた。
 僅かにいかがわしい想像している内に、まだ男の出て来た路地の方から人の気配があるのに気付いた。もし売人なら出くわして問題になると困るが、もし援助交際なんかでなく強姦だったりしたら、と、また自分は良からぬ想像をしてしまった。気になって路地裏に踏み込んだのは善意半分、興味半分で、だから勿論、岸辺露伴と遭遇した時は一瞬頭が真っ白になった。

 そう言えば露伴もあの時、酷く驚いた顔をしていた気がする。自分と言えばどうしてこの男がこんな所に、と混乱したまま頭を働かせる内、それが直前まで考えていた援助交際の件とうっかり混ざってしまったのだ。後から冷静になると飛躍した考えだと自分で突っ込めたが、その時は本気でこの男がさっきの男と、という想像を一瞬で巡らして脳みそが更にパニックになった。まさか露伴が?いやありえる、露出の多い奇抜な格好なんてなんだかゲイっぽいし、と、ほんの一秒程度だろうが頭の中で嵐が吹き荒れたのだ。
 当惑が隠せずに自分もやけにしどろもどろな喋り方になったと思う。その後ようやくスタンドを仕掛けた可能性を思い出して、何故だか少しホッとしたのだ。そっちの方が、あの男の様子に納得できる。けれどすぐ、露伴が何の手荷物も持っていないのに気付いてまた内心焦った。確かこの男の能力は漫画を見せて発動させるはずだった、と。

 結局露伴本人が何をやっていたのか吐くはずもなく、その時の疑惑は未だに自分の頭を悩ませている。
 露伴があの背広の男に何かしたのか、自分の考える良からぬ事でないにしても、スタンドを使ったという証拠がない。かと言って本人にアンタはゲイだったりする?と訊ねれば余計あの男はおれの事を嫌うに決まっている。
 疑惑を晴らそうにも手段がないのだからきっと忘れちまうのが得策なんだろう。だろうけれど、どういうわけか、あの時の事が自分はずっと気にかかっているのだ。


「それに露伴先生、年上が好きだとか言ってたと思うけど」
 おれが無駄な妄想を膨らませている間にも億泰は冗談半分に康一にあれこれちょっかい掛けているらしい。あまり話は聞いていなかったが、康一が困った風にこっちを見ているのにはようやく気付いた。
「グレート、そんな話題になる程仲良いのかよ」
 ただ、丁度話していた内容が内容だっただけについ自分も食いついてしまう。食いついた後で、そう言えばあの背広の男も少なくとも露伴よりは年上だろうな、と、また無駄に良からぬ想像を働かせてしまい少しだけ後悔した。
「ち、違うよ!あ、いや、別に違うとかでもないけど……」
 こちらの内心には勿論気付かず、康一は本気で少し照れた様に手をバタバタ左右に振って見せた。けれどすぐ言葉が尻すぼみになり、どういう事だと億泰と一緒に前のめりに覗き込む。こういう馬鹿な話で盛り上がれる時だけは変な想像に意識が及ばなくて随分楽だ。
「由花子さんとの事訊かれて、流れでそういう話になっただけだよ」
 照れたまま誤魔化す様に飲み物を口に運ぶ、康一のその口ぶりを考えればきっと露伴とはそこそこに交流がはぐくまれているんだろう。よくあんな変人と、と思いじっと見ていると、何を勘違いしたのか「仗助くんはまだ仲直りしてないの?」とこちらに話題を振ってきた。
「おれ、あの人に怖がられてるし」
 仲直り、という言葉自体がなんとなくおれとあの男にはそぐわない気がしたが、双方の友人ポジションに居る康一からすれば仲良くしていればそれに越した事はないんだろうとも想像できる。例の路地と背広の男の事を話す気は起きないが、怖がられている事実くらいは話しておかないと後々妙な気を回されそうな気がした。
「怖がられるって?」
「すげぇ殴っちまったからな」
 むしろそれ以外には怖がられる理由も、あるいは嫌われる理由もないはずだ。それに喧嘩慣れして殴られても平気、というタイプには見えそうもなかった。
「あの人怖いモンなしって顔してんのになぁ」
 億泰も不思議そうにしていたが、康一はどことなく納得した風な顔をしていた。
「まあ、仗助くんたちって体格良いから。ぼくも時々、圧倒されちゃうよ」
 そういうものなのだろうかと、怖がられる理由にもまた、更に納得できる要素が増えた。だから余計、件の疑惑が晴れないモヤモヤも堆積するのだけれど。


 その日は康一たちとは途中で別れて公衆電話で居るか確認した後、家ではなくグランドホテルへと足を運んだ。ジョセフ・ジョースターから顔を見せに来るよう、何度も言われていたのを思い出したからだ。ついでに小遣いでもせびる事ができれば、という下心もあるにはあった。
 ただ偶然というのは重なる物らしい。ホテルのフロントに着いた所で、丁度エレベーターから岸辺露伴が降りてくるのが見えたのだ。思わずギョッとしたが、気付いた露伴の方も、驚いた風に目を丸くしたのがわかった。
 承太郎さんは留守だと聞いたから、きっとジジイの所に来たんだろう。今回はしっかりスケッチブックらしい荷物を肩に下げていた。思わず挨拶もしない内に訝しんで睨むと、露伴も警戒する様に僅かに身構えた。
「アンタ、ジジイにスタンドで何かしたんじゃないだろうな」
 先日の赤の他人なら兎も角、身内にまで手を出されて黙っていられる程自分は気が長くない。露伴の方もそういうこちらの性質は知っているんだろう。少しだけマズイ、と言いたげな表情になったのを見逃さなかった。
「……馬鹿言うな、ただの取材に決まってるだろう。いつもそうやって決めつけやがって」
 けれどすぐ、まるでそんな所はおくびにも出さずに睨み返してくる。その様子が、この間と何か違った。ジョセフ・ジョースターへの尊敬の念が何となく言葉に滲んでいる気がしたのだ。スタンドを使っていないというのはきっと本当なんだろう。
「ジジイに何訊く事があるんスか」
 それなら安心だと思って少し気を抜いて言いつつ、言った後から、じゃあスタンドじゃない何かならしたんじゃないかと、またもややましい想像が頭をもたげた。
「君と違ってスリル満点の人生を送ってたよ、ジョースターさんは」
 そんな想像されてるとは気付いていないんだろうが、露伴はわざとらしく嫌味な笑顔を作って言って見せる。それでもやはり、ジジイに対する親愛の度合いが口調から読み取れる気がした。そう言えば勿論あのジジイも年上だ。
 父親だからなのか、それとも単なる嫌悪感なのかわからない。ジジイと露伴が仲良くしているらしいと言うのが、その内容に関わらず妙に腹が立った。嫉妬しているとしたら我ながら驚きだが、良からぬ想像をする自分にもいい加減嫌気が差してきて無意識の内、思わず舌打ちしてしまった。
 その時、露伴がビクッと反応をした。一瞬どうしたのかと思って自然と舌打ちした事に後から気付いた。そこでようやく、自分が怖がられていたのを思い出した。

 誰かに怖がられる度思い出すのは、この町でたった一人のスタンド使いだった頃の事だ。もし何か目の前で治そうものなら、多くの友人たちはそれを酷く不気味がり、そしておれの事を怖がった。その内打ち明ける相手もおらず、ただ一人でこの能力と向き合わされていた頃。それが変わったのは今年になって、身の回りに次々と同じ様なスタンド使いが現れてからだ。
 様々な事件を通して多くのスタンド使いと出会う内、そんな事滅多に口には出さないが自分の能力を怖れない仲間が出来たのが心底嬉しかった。救われたと思ったのだ。
 それなのに、岸辺露伴はおれの事を怖がっている。暴力だけじゃない。おれ自身がどんな人間か、スタンドの事まで知った上でこの男はおれを怖れている。おれはそれが悲しかった。

「……何だい、その猫背」
 黙っていると露伴は不思議そうにしていたが、その内何となく少しだけ警戒が解けた様に見えた。
「いや、おれ、背高くて威圧感あるから怖いんじゃないかって、康一言ってたから」
 言ってから随分馬鹿っぽい発言だなと思う。けれど実際そう思ってやっているんだから、仕方ない。けれど露伴はその言葉に、今までで一番驚いた様に目を見開いた。
「……康一くんに喋ったのか!?」
 服を掴まれ、露伴の剣幕に思わず自分の方が今度は後ずさりしてしまう。
「えっ、いや、違っ!」
 何が違うのか自分でもわからないけれど、弁解しようとモゴモゴ言いつつ、康一の事がそんなに好きなのかよとまた一つ邪推してしまった。それがまた自分で情けなくなる。
 フロントの従業員から見られているのにハッと気付き、露伴はしばらく何か言いたそうにこちらを睨んでいたが、最後には「もう良い!」と叫ぶ様に言ったかと思うと横をすり抜けてホテルを出て行ってしまった。自分はただポカンと口を開けたままその後ろ姿を見送った。
 それから少し経ってようやく、また関係を拗らせてしまったらしいというのを理解する。

 疑惑は、疑惑のまま。



 2014/06/01   当惑← →その内


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