留守番   仗露



 東京で数年、杜王町に越して来て一年と少し。独り暮らしをはじめて随分経った今、「ただいま」と口に出す機会なんて滅多に無くなった。それでも外出から疲れて家に戻った時にはようやく人心地が着いたと、良く実感する。

「……ただいま」
 ドアを開けながらそう呟いてみても勿論返事は返ってこない。数日留守にしただけだと言うのに室内の空気がやけに埃っぽい気がする。換気の為にカーテンと窓を開けると薄暗かった室内が少しだけ明るくなった。そのまま傍の椅子を引いて腰を下ろすと、まるで急に思い出したみたいに疲れが噴き出してきた。
 背凭れに身を委ねたまま、荷物を片づけるか、それとも先にシャワーでも浴びるかぼんやり思案している内、開けっ放しのドアの向こうでチカチカ、留守番電話の赤いランプが点滅しているのに気付いた。誰からだろうか、まさか仕事の話じゃないだろう。なるべく早く聞いておこうと頭の中で考えながら、そこからしばらくは座ったまま動く気力が起きない。結局立ち上がるまで数分掛かった。

『露伴先生?東方仗助っスけど――……』
 再生ボタンを押しても数秒無音で、もしかすると何も録音されないまま切れたのかと想像した所で、不意打ちに仗助の声が流れて一瞬驚いた。驚いている内にまた、今度は何か言い掛けた気配の後無音になる。耳を澄ませている内に結局何も言わないまま録音がブツリと切れて、もう一度驚いた。
 何だったのかわからないままもう一度再生したが内容が変わるわけでもない。東方、とわざわざ苗字から名乗っているのが少し笑えたぐらいだろうか。

「仗助くん、居ますか?」
 用事を推測するのが面倒でそのままリダイヤルすると、予想していたけれど母親の方が出た。自分もわざわざ仗助くん、なんて呼ぶのが本人に言ったわけでもないのに気恥ずかしい。すぐに電話の向こうで階段を降りる様な音がした。

『露伴?』
 ほとんど息切れ混じりに勢いよく名前を呼ばれて、何をそんなに急ぐ必要があるのかと思わずニヤッと笑ってしまう。それを悟られない様に一度目を閉じて、なるべく落ち着いた声音を作った。
「留守電に入れてたの、何か急用か?」
『いや、何か家に居ないみたいだったから、気になって』
 どう訊ねるか自分も少し迷った、それと同じ様に何と言うべきか仗助も少し躊躇しているのが声から伝わってきた。壁に凭れながら、やはり少し笑いそうになる。
『どっか行ってたの?』
 そこでようやく、そう言えば何も言わずに留守にしたんだったと思い出した。
「東京に行ってたんだよ、仕事で」
 普段は打ち合わせも杜王町で済ませているが、今回は既に送っていた原稿にミスがあるから急いで直しに来て欲しいと連絡があった。編集部で泊りがけで作業した後、ついでに次週分や別件の打ち合わせをする内に、その日も結局ホテルをとって東京の方に泊まった。
「その上、今からまた仕事だ」
 自身の疲労感を思い出して溜息混じりに呟くと、仗助が少し笑った気配がした。
 疲れてはいるが、乱れた仕事のペースはなるべく速く戻したい。勿論自分なら一日休んだ所で締切までには余裕だろうが、今日ばかりは滅多にないミスをした後だった事もあって、少し気が急いていた。
『な、疲れてるとこスゲェ悪いんだけど……顔見に行って良い?』
 労わる素振りを見せつつお伺いを立てるのが、ちゃっかりとした仗助らしくてまた笑えた。口ぶりからして仕事の方は気に掛ける気がないらしい。もっともその点には信用があるからだと思えば、悪い気はしない。
「……許可しなくても来る気だろ、どうせ」
 自分も顔が見たくなった、なんて言ってやるのは勿論癪だが、仗助ならこんな言葉でも勝手に都合よく解釈してしまうんだろう。想像通り、嬉しそうな声が電話越しに聞こえた。


「露伴、お帰り」
 ドアを開けた途端に言われて、思わず少し身を引いて驚いてしまう。
「……ただいま」
 普通出迎えてるのはこっちなんだから、と言い掛けて、何となく野暮な気がして止めた。
「久しぶりっスね〜」
 言いながら仗助が抱きつこうとしてくる、それを避けると露骨に唇を尖らせてつまらなさそうな顔になる。
「たった二日だろ?」
「っスよねぇ」
 それがすぐ、今度は照れた様に頬を掻きはじめる。よくもまあこんなにコロコロ表情が変わるものだと感心すらしてしまう。
「おれ、自分で思ってたより……」
 その顔を観察しつつ仗助の言葉を聞いていた。聞いていたけれど、留守電と同じ様に途中で途切れたまま仗助はまた、黙ってしまった。

「……オイ、最後まで言えよ」
 小さくペチペチと頬を叩いても仗助は何も言おうとしない。けれどじっと顔を見ていたせいで、何となく察してしまった。
「……案外寂しがる性質だな、君は」

 これじゃおちおち、留守にも出来ないじゃないか。



 2014/03/04 


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