対話 承露 先生、と呼ばれてつい足が止まった。 「今、話せるか」 立ち止まってしまった以上聞こえなかったふりを今更する事は出来ないだろう。嫌々声の主を探すと、反対側の歩道に承太郎さんの姿を見つけた。 「しつこい男は嫌われますよ」 こうして彼に呼び止められるのは何度目だろうか。少し大きな声で呼びかけても彼は答える事なく、車を何台かやり過ごし道路を横断しはじめた。近づいてくるのを見守りながら今の内にさっさと逃げてしまえば良かったのに、と遅れて思いついた。 「あんたは嫌わないだろ」 それを実行出来ない内に、承太郎さんはぼくの隣りに辿り着いた。 「大した自信ですねぇ」 さっぱりとした口調で堂々と言い切るのが何とも憎たらしい。呆れ半分に感心すらしてしまって、つい茶化す様な口調になる。 「今話しててわかるんだから仕方ないだろう?」 けれど、彼の表情が真面目そのもので思わず息を飲む。何も答えられずに黙ったまま踵を返すと、承太郎さんもあとをついて一緒に歩きはじめたのがわかった。 最初に彼から口説かれた時は耳を疑った。 何かの冗談に違いない、とも思った。けれどその時の承太郎さんの表情はいかにも真剣で、そしてどんなに自分が笑って流そうとしても決して撤回する素振りを見せなかった。勿論自分にその気がないなら突っぱねるのはもっと容易なんだろう。けれど残念な事に、自分は空条承太郎と言う男に魅力を感じている。それを彼にも完全に見透かされている。こちらが完全に拒絶しない限り諦める気はないらしい。 断る度に気が重くなるのは彼を嫌っているからではなく、拒絶し切れずにいる自分に嫌気が差しているからだ。 「どうしても、駄目か」 背後からの声はやはり酷く生真面目で、ふざけて躱す隙なんてどこにもない。 「……あなた、奥さんどころか子供まで居るんでしょ?」 言いながら、また足が止まりそうになるのを我慢する。振り返るべきじゃないんだと思う。 「そういう状態で付き合うの、今のぼくには無理です」 多分目が合ってしまえば伝わってしまう。自分がどんな顔をしてこんな事を喋っているのか、彼に見せるわけにはいかないはずだ。 「それだけが理由か?」 それでも相変わらず、背後から聞こえてくる彼の声は真面目で真剣で迷いがなく、余計にぼくの心を責め立てる。 「……承太郎さんが思ってくれてるほど、ぼくは強い人間じゃないんですよ」 対して自分の声はやけに切羽詰まっている風に枯れていた。こうして彼の勘違いにしてしまうのはきっと酷く、狡い事なんだろう。 もし彼が独身だったとしても、自分はきっと別の理由を持ち出していた。 「男同士だとか既婚だとか子持ちだとか」 理由を探して逃げる、自分は弱い人間だと思う。 「諦める理由が山ほどあって、……ぼくは正直、安心したんです」 けれど、弱くて良かったとすら思っていた。 「どうしたって、ぼくとあなたじゃ合わないですよ」 「……あんたはそれで諦められるのか」 背後に留まった彼の声はやはり酷く真面目で真剣で、もしもう一度立ち止まって振り返っていたら、きっと痛いほど真っ直ぐな視線に晒されていたんだろうと想像できる。真正面から受け止めてしまったら、自分はきっと耐え切れないと思う。 「おれは、諦め切れない」 自分もそうだと認められればきっと楽だろう、なんて、想像する事すら彼に悪い気がする。 今の自分に出来るのはただ逃げる様に足を速めて、今度こそ彼の声には聞こえないふりをする事だけだ。 2014/02/26 |