新しい思い出   承露



 今生の別れとばかりに大恋愛を終えたつもりでいたら、案外早い再会をした。

「……承太郎さん」
 人ごみの中でも彼は酷く目立っていた。
「露伴?」
 彼はぼくの声に驚いたように目を見開いて振り向いた。地下鉄のホームの中、周囲の雑踏を無視して立ち止まった彼は、当たり前ではあるけれど、別れた数か月前と特に変化も見受けられなかった。

「日本にいらしてたんですね」
 財団の支部が目黒にあると以前聞いたことがあった。そうでなくても東京は彼の育った場所だ。居て可笑しいことなんて、何もない。
「……ああ」
 何か続けようとした風に見えたけれど、丁度電車が入ってきた。風に少し目を細めて、そのまま彼は口を噤んだ。
「東京でお会いするなんて思わなかったなぁ。ぼくも今日、仕事の打ち合わせで来てて」
 肩から下げた重い鞄を叩く。中には打ち合わせに使ったラフや資料が詰まっていた。
 普段の週刊誌連載とは違うが、別に自分から赴く必要はなかった。久しぶりに東京に行くのも良いかもなんて気が向いたので、たまたまこの場に居たのだ。
 だからって、運命みたいだなんて口走る気は勿論ない。承太郎さんは相槌を打つ代わりに、またほんの少しだけ目を細めた。

 乗るはずだった電車がホームを出て行くのを背後に感じる。
「承太郎さん、あっちですか」
 その反対側のホームを指差した。S市なら何分も待たなければ次の電車は入って来ないだろうけれど、東京ではそうはいかない。
「ああ」
 前の駅を電車が通過したと、もうアナウンスが聞こえはじめた。
「久しぶりに顔が見れて良かったです」
 長話をしている暇はないだろうと思って、とりあえずの笑顔を作って見せる。たった数か月なのに、どんな顔で彼に接していたのか上手く思い出せなかった。
「……そうか?」
 それが伝わったわけでもないだろうが、承太郎さんは不思議そうな顔で小首を傾げた。それは戸惑いと疑いを合わせた様な表情で、けれどどこか浮足立った、喜びの色が透けて見える気がした。
「何です?」
 訝しんで覗き込む。自分の声の調子も何故か弾んだ気がして、少し驚いた。
「いや」
 頭を振った彼の、口の端にも微笑がひらめく。本当にたった数か月だというのに、その控えめな笑い方が酷く懐かしく感じられた。

「おまえが……あの時、もう顔も見たくないと」
 真っ直ぐ見つめてくる承太郎さんの瞳の色が優し過ぎて、一瞬息が詰まった。
「……そんなことぼく、言いましたか?」
 内心慌てて記憶を探ったけれど、自分が別れの日に何を言ったのかなんてほとんど覚えていない。
「言った」
 また、言いながら承太郎さんは微笑んだ。

 あの日の彼は笑うこともなくただ辛そうに淡々と話していた。自分のことはもう忘れたのに、彼のあの表情だけは、まだ鮮明に脳裏に焼き付いてた。
「……すみません」
「いや、良いんだ」
 何だか本当に彼に悪い気がして俯いてしまう。また彼が微笑んだ様な柔らかい空気が伝わってきた。
「きっと、思い出になったんだ」
 思わず顔を上げるとやはり彼の表情は柔らかい。微かに笑っているのに、その声はどこか寂しげだった。

 彼の背後に電車が入る。人ごみが動き出して、承太郎さんはようやく気付いた様に、身体を半分傾けた。
「またどこかで」
 雑踏やベルの音に紛れる様に、その表情や声音の意味がもう読み取れなかった。
「ええ」
 そう答えておいて、やっぱりもう顔は見たくない気がした。また、彼に悪い気がしてしまう。

 閉まったドアの向こうでも彼の長身は酷く目立つ。小さく手を振って走り出した電車を見送った。
「……承太郎さん、お元気で」

 できることならこの再会も、はやく思い出になってしまいますように。 



 2013/07/20 


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