対岸   仗露



「そういえば由花子さんも露伴先生も、苗字に岸の字が入ってるね」
 普段は人一倍気の回る康一も、恋人と並んでいる時は気が緩むらしい。隣に座ったままよくもまあ、そんな二人を刺激しそうなことを言えたものだと気を揉んだ。

「康一くん……そんなのちっとも嬉しくないわ」
 想像通り、由花子の方はいかにも気に食わないと言いた気に露伴の方を睨んだ。敵意剥き出しなのは康一に関わる人間全てに対して同じ調子だが、親友だなんだと絡む露伴に対してはよりそれが顕著に見えた。
「良いじゃあないか」
 けれど露伴の方は平然とした顔のまま、嫌味を返そうとする素振りすらなかった。
「君、近い将来『広瀬由花子』になるんだろ?」
 露伴の言葉で由花子も康一も一気に赤くなった。自分は露伴の言葉が予想外過ぎて、思わずギョッとしてしまう。

「そうなればもう関係ないさ。……ほら康一くん、約束の雑誌だ」
「あっ、ありがとうございます」
 康一はまだ少し動揺した様子で露伴が差し出した雑誌を受け取って鞄の中にしまった。由花子の方は口を噤んではいるが、見るからに上機嫌になっているのがわかる。
「それじゃあ用事だけで申し訳ないですけど、そろそろぼくら、お暇しますね」
 チラリと二人が目配せした。露伴の家まで珍しく由花子もついて来た、その理由は放課後デートの約束があったかららしい。
「次はもっとゆっくりして行きなよ」
 露伴はさも残念そうに言ったが引き留めはせず、一応、とでもいう風に由花子くんもね、と声を掛けていた。
「あはは。じゃあ、仗助くんもまた明日」
「おう」
 康一の言葉に、自分は席も立たずに手を掲げて挨拶する。露伴は玄関まで二人を見送って、帰ってくるとまた平然とした表情で、正面の椅子に腰を下ろした。

「露伴センセ、結構大人でしたねェ〜」
 てっきり由花子を逆上させる文句の一つも出るだろうと思っていたが、露伴の対応は普段のものと違いやけに穏やかだった。自分と言えば起こるかもしれない喧嘩に巻き込まれるのが嫌で、思わず沈黙を守ってしまっていたのに。
「そりゃ事実大人だからな」
 フン、と露伴が鼻で笑う。
「無駄な喧嘩を売るほど暇じゃあないんだ」
 その笑いは由花子と康一を茶化した時とは違い、より角の立ったいつも通りの笑い方に見えた。
「おれには腐るほど売ってるじゃねぇっスか……」
 むかっ腹が立ったわけではないが、態度の違いぶりに少し呆れてしまう。眉を顰めて抗議すると、露伴の方が癪に障ったらしくムッと表情を変えた。
「売りつけてるのはおまえの方だろッ」
 人差し指を突き付けられて、テーブルを挟んでいるのに思わず仰け反ってしまう。けれどやっぱり、露伴の態度が先ほどの二人と全く違うのがこちらも気に障った。
「ほら、また!」
 これで怯んでたまるかと、噛みつく様に身を乗り出す。今度は露伴の方が少し驚いた顔をして、口を噤んだ。

「由花子相手でも猫被ったクセに、どーしておれだとそうなるんスかねェ」
 付き合ってるにも関わらず、と付け加えるとまた露伴の機嫌を損ねそうなので止めておく。露伴は口を開きかけたがまた黙って、少しの間を置いた。
「……説明しないとわからないのかい?」
 テーブルの表面を指先でトントンと叩きながら、露伴はさも見下した様に白けた目でこちらを見つめてくる。
「その顔止めてくれよぉ」
 丁度このテーブルが火事の後に買い替えたものだと聞いたばかりだったので、思わず背中に変な汗をかいてしまった。

「良いッスよ、おれに対して露伴が特別対応ってことにしとくっス」
 誤魔化す様にニカッと笑って言うと、露伴は虐め甲斐がないと言いた気に目を細めて、テーブルに肘をついた。
「そう思うのは君の勝手だけどね」
 そのままそっぽを向いてしまう露伴の、テーブルの下に隠れた足に優しく膝の先で触れる。即座に蹴り返されて、そのまま引っ込めた。
「……康一くらい優しくしてくれても良いんスよ?」
 唇を尖らせてまた抗議する。露伴はいつもの意地の悪い顔で笑った。
「ハッ、そしたら特別でも何でもなくなるんじゃあないのか」

 ひでぇなぁと、自分もいつもの通りに返そうと思ったところで、今言われたことをもう一度頭の中で反芻した。
「……」
 じゃあやっぱり特別なんスね、なんて言ったら、やっぱり機嫌を損ねるだろうか。
「……黙るなよ」
 露伴は失敗したとでも言う風に、眉を顰めて見せた。

「うん、やっぱ冷てぇまんまで良いよ、おれ」
 してやったり、と内心で思ってるのが顔にどうしても出てしまう。おれのニヤケ顔を見て、露伴が眉間の皺を深めた。
「悪趣味な奴だな」
 またそっぽを向く露伴にテーブルの下の足をのばす。
「露伴のせいっスよ、ほぼ」
 再度蹴られながらも、今度はその足を引っ込める気が起きはしなかった。



 2013/07/12


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