人の肌身   承露



「魚は」
 ぼくの商売道具に頬を擦りつけながら、明日には海の向こうに帰ってしまう承太郎さんが唐突に口を開いた。
「はい?」
 されるがままに右腕を差し出して、ぼくは馬鹿みたいに呆けた声でそれに答える。
「魚は、人の体温でも火傷することがある」
 薄暗い室内で、彼の声は響いているのに酷く密やかに聞こえた。聞かせるつもりが本当にあるのか伝わらないその呟きを頭の中で反芻する。承太郎さんはぼくの低い体温と質感を確かめるみたいに、またぼくの右腕に頬を寄せた。
「ああ、聞いたことありますよ」
 彼がどうこうではなく、単純にぼくが彼に対して集中していないだけだ。ただでさえ暑くて頭がぼんやりしているのに、承太郎さんの肌はそれにも増して熱く感じられた。

「ぼくが人間で良かったですね」
 食む様に肘から指先まで、承太郎さんの唇が伝って行く。くすぐったくてクスクス笑いながらそう言うと、承太郎さんは顔をこちらに向けて一緒に微笑んだ。
「こういう夏場には良いな」
 抱き留められて、更に彼の体温が身を焼く様に伝わってくる。きっと彼にはぼくの低い体温がぬるいままに伝わっているんだろう。何で同じ人間なのに、こうも違うんだろうか。
「死人みたいって言われたことありますよ」
 自分で言いながら、随分失礼なことを言われたはずなのに、言ってきた相手のことは顔も名前も思い出せなかった。肌を触れ合うほどの相手だったはずだろうに、我ながら薄情だ。

 密着したまま、お互いの汗と匂いが体温と共に馴染んで混ざる。不快な気もする。人間の誰もが行う営みに沿った混成のはずなのに、同性同士であるが故に何一つ有益ではない。けれどこの無駄こそが、人間の真髄にも思えた。
「これは知らないだろうが」
 正真正銘の生の匂いだ、なんて思って内心笑っていると、承太郎さんが真面目な目つきでぼくの瞳を見据えた。蛇に睨まれた蛙の気持ちが少しわかる。彼の視線は真っ直ぐに突き刺さるのが常で、ゾワリと血が煮える様な、それでいて背筋が凍る様な、相反する感覚をいつもぼくに押し付けた。
「吸血鬼の身体ってのは、……先生よりも随分冷たかったぜ」
 承太郎さんは遠い記憶に思いを馳せる風に、そう呟くと目を細めた。

「……ふぅん」
 気のない返事を返しながら、どういう意味か必死に頭の中でぐるぐる考えを巡らせる。彼の過去をほんの少し聞きかじったことはあった。だから何となく推測もつく。ぼくが彼の気付かない内に本にして読んでいないか、カマでもかけているのだろうか。それともぼくの肌は件の人外に近いのか、もしかしてそっちが恋しいのか。

「……ねえ承太郎さん」
 考えるだけ無駄だと早々に自分に言い聞かせて、素知らぬふりで承太郎さんを見つめ返す。ずるい人だと責めたところで多分彼は意にも介さないんだから、躱した方が賢明に違いない。
「冬になったらまた来て下さいよ。……口実なんて、いくらでも作れるでしょ」

 首元に腕を回して甘えた声を出すと、承太郎さんが少し驚いた様に目を見開いた。怖いけど綺麗な瞳だ。
「……そう自由な身でもないが」
 彼が思案する様にしばらく間を置くのが、また憎らしい。
「あんたがそう言うなら、来ようか」
 実際には来れない口実を作るつもりかもしれないけれど。嘘でもそう言ってくれるのが嬉しくて悲しくて、笑ってしまう。
 けれど今この瞬間に口実を作ろうとしているのはぼくの方だ。

「その時にさ、今度は承太郎さんをカイロ代わりにさせてよ」



 2013/07/10 


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