指先   仗露



 徹夜明けで眠気に負けそうな露伴の、ヘアバンドをずり下げた手元に目が留まった。

「センセー、爪伸びてる」
「そうか?」
 露伴は気の抜けた様な声を出して、薄目で自分の爪を見つめた。指先を伸ばして手の甲から眺めた後、ギュッと手のひらを握る。覗き込むと、開いた内側には三日月型の爪の跡がくっきり残っていた。
「あんた手使う仕事してんだから、ちゃんと大切にしろよ」
 自分のスタンドを発動して治す程の物ではない。けれど目の前の岸辺露伴と言う男は兎に角痛みや怪我に関して、常人よりも耐性が強かった。原稿を描き終わった高揚感と眠気でほとんど頭が働いていない今の様な状態では、ふと皮膚に爪を引っ掛けて傷を作っても気付きそうにない。

「なんだ。吉良のマネか?」
 両手の爪の跡を指で撫でると、露伴が眠たげな視線のままからかう様に笑った。
「縁起でもねーこと言うなって」
 よく笑ってあの嫌な思い出を茶化せるものだと、つくづく露伴の性質の悪さを感じる。吉良吉影は手に異常な執着を見せる殺人鬼だった。

「……爪」
 そして同時に、自分の切った爪を収集する変態でもあった。露伴はあの爪のコレクションを見た場には居なかったはずだと、何となしに思い出した。
「ね、これ、おれが切ってあげるっスよ」
「おまえが?」
「嫌?」
 露伴はまた、眠い目でピントを合わせる様に薄目になって一言、嫌じゃないと呟いた。
 自分の相手をする必要がなければ今にも眠りに落ちてしまいたいところだろうに、露伴はそれを言わない。気分が良いという理由だけではきっとないはずだと、そう思えた。

「露伴爪磨きとか持ってねーの?」
 勝手知ったる風に引き出しの中を物色する。木工用ボンドやらスティックのりに混じって、爪切りはすぐ見つかった。
「……ない」
 少し間を置いて露伴が答える。だろうと思ったと返して、椅子に放り投げていた自分の鞄を手繰り寄せる。未使用の爪磨きを、買ったまま入れっぱなしにしていたのを先ほど思い出していた。

 絨毯の床に新聞紙を敷いた。最初正面から切ろうとして、違和感に少し戸惑った。
「露伴。おれ、自分のしか切り慣れてねぇからさ、背中預けてよ」
 膝を叩きながらそう言うと、露伴は最初こそ睨んだが、意外に素直に立ち上がって、そのまま腕の中に収まってきた。
「そんなに眠い?」
 上から覗き込むと、嫌そうに手をヒラヒラして顔をどけさせてくる。その手を掴んで腕を回し、身体を抱きかかえたまま爪切りを構える。
「なら、目つぶってうとうとしててよ先生。すぐ終わるから」
 パチン、と音が響くと、露伴の息も聞こえる距離なのに何故だか酷く静かに感じた。
 
「仗助。おまえは何と言うか……」
 パチン、パチンと良い音が鳴る。
「ん?」
 きっと高い爪切りだから切れ味が良いんだろうなと、答えながら勝手に想像した。
「フェミニンなところがあるな」
 パチン、と、ほんの数十秒で右手の方の爪が全部切り終わった。

「っスかねぇ」
 左手をそのままに爪磨きに持ち替えて、先ほどよりも露伴の手の質感を指先で感じ取りながら磨きはじめる。露伴は薄目のままそれを眺めていた。
「先生は結構、男!って感じっスよね」
 手の大きさはすでに自分の方が勝っている。それでも血管や筋の浮き方やそれこそ爪の感じに、やはりほんの数年のはずの年齢の差を感じる。
「そうかな」
 何よりも異なっているのはペンダコの存在だろうか。漫画家の証拠と言わんばかりに硬くなったそれが、痛々しい気もするし、どこか誇らしげにも思えた。
「変に神経質だけど、こういうとこガサツだし」
 言いながら、グッ、と、わざとペンダコを親指で押さえる。自分なら治せるかもしれないけれど、それはきっと許されないんだろう。

「……誰が神経質でガサツだよ」
 露伴が薄目のまま首をそらしておれの顔を睨んでくる。手を振り払われそうになって、思わず今までよりも力強く握ってしまった。
「もー、暴れんなって」
 不服そうなまま、顔の向きを戻す露伴に和まされる。頭に顎を乗せるとまた不服そうに、今度は小さく唸った。
「おれがフェミニンっていうのは何となく当たってるかも」
 磨く内、爪に光沢が出てきて、キュッ、キュと良い音が鳴る。安物で使い捨ての爪磨きなのにな、なんて、製品会社に失礼なことを想像する。
「今おれ、駄目な男に惚れる女の人の心理何となくわかるっスもん」
「……ぼくが駄目な男って言いたいのかい?」
 また機嫌を損なっている露伴が、けれど磨かれた爪の感触を指先で楽しんでいるのを見て思わず笑ってしまった。
「おれがお袋似って言いてぇの」
 やっぱり神経質だと付け加えるのは、とりあえず我慢しておいた。



 2013/07/06 


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