その唇   仗露



 ソファーに座って視線を彷徨わせていると、隣に座っている仗助と目が合う。
「先生、ソワソワしてる」
 カワイー、なんて言うその顔が妙にニヤけていて癪に障った。近づいてきた顔を手のひらで押し返してもう一度視線を彷徨わす。
 掃除が行き届いて小ざっぱりとしているが生活感はしっかりと感じられる。それでも他人の家というのはやはり、どこか落ち着かなかった。

「別に初めてじゃねェじゃん」
 確かに今までも数度、仗助の家を訪れたことはあった。
「いつもは母親が居るだろう」
 しかしそれは大抵、仗助の母親である東方朋子が在宅している時に限っていた。たまたま寄って食事に招かれることはあったが数時間程度の訪問に留まっていたし、今日の様に泊まるつもりで訪れたことはない。
「それに、おまえの部屋じゃないし……」
 リビングにも確かに、仗助の香水や整髪料の匂いは漂っている。けれど普段通されていた仗助の部屋程に充満してるわけでもない。決して嫌なものではないが、この家独特の生活臭が他人である自分には良く嗅ぎ取れる。確かにそこで普段生活しているはずの仗助の母親の存在を、どうにもチラつかされている気になった。
「んー」
 仗助が唸って首を捻る。少し緊張している自分とは違って、リラックスした風にソファーの上で胡坐をかいた。
「おれも初めてセンセーの寝室入った時、超ドキドキしたっスよ」
 ニカッと笑ってみせる仗助につられて、思わず自分も笑ってしまう。力を抜いてソファーの背に身を沈めると、仗助がそろりと覗き込んでくる。今度は押し返さずに、降ってくるキスを受け止めた。

 頬や鼻先に触れるだけでも仗助の唇の柔らかさが心地いい。その心地よさで少し緊張が解れたが、それを仗助に感づかれるのはやはり癪に障る気がした。
「……あの時は、童貞丸出しだったね」
 言いながらニヤッと笑うと、仗助が虚を突かれた様に目を丸くして顔を上げた。
「ひでぇ」
 尖らせた唇がまたやけに厚ぼったく柔そうに見えてきたので、つい頬を撫でるふりをしながら、親指でぐにぐにと触れてみた。漏れる息が少しこそばゆくて、妙に楽しくなってくる。
「今日だっておまえ……」
 言いかけて、折角良い雰囲気になってきたのに挑発するのもどうかと、自分にしては珍しく折れる気になった。いつもと違う場所であるのが少しは関係があるかもしれないと、頭の片隅で何となしにそう思った。
「いや、何でもない」
 しかしこうして言葉を切る方が余計だったかなと、言ってから気付く。
「えっ何スか、何っスか!」
 案の定、殆ど覆いかぶさる様に覗き込んできていた仗助が、這わせていた手を止めて食いついてきた。
「……おまえの誘い方がな」
 口に出すと笑いが止まりそうにないので皆まで言わずに置いたが、仗助は思い出した様でうっ、と少し身を引いた。
「ぼくは生娘にでも口説かれてるか?って思ったね」
 『今日は家、親が居ねェんで』と服の裾をちょんと摘ままれて言われた時、自分はどんな顔をしていたのだろうか。
 一瞬目を丸くしたが、仗助も堪えきれずにか、んはっ、と妙な吹き出し方をした。
「おれがぁ?」
 食われたのはどっちっスか、なんてニヤッと笑いかけられてそのまま転がされる。満更でもないからさてね、なんて答えて、わざと頭を反らして首元を露わにした。

「そう言えば、ぼくんちに泊まる時も最初は友達の家、とか言ってたんだろ」
 首に甘噛みされて余計仰け反りながら、ふと思い出したのでこの際ついでに言ってしまう。さっきのが男を連れ込む常套句なら、こっちは連れ込まれる外泊理由の常套句だ。
「今はもう露伴の家っつってるっスよォ」
 少しバツが悪そうに、仗助が首元で笑う。息がかかってまたくすぐったいが、そういえば今居る場所が親子二人で普段生活している空間だったんだと、つい思い出してしまう。
「君の母親がどう思ってるか、一度読んでおいた方が良いかもね」
 後ろに流す様に固められた髪に、右手の指を這わせる。視線を合わせてきた仗助の、その瞳は少し戸惑った様に揺れていた。

「……それはやめて欲しいっス」
 絞り出すような声で仗助がそう、言った。勿論母親にスタンドを使われるのが仗助にとって許しがたい行為なのは理解していた。
「わかった」
 けれどそれ以上に、たった二人の家族だと言うのに、どうも孫の顔を見せることができそうにない、という罪悪感が仗助にあるのも、理解している。
 それはぼく自身も同じで、少なからず彼女への後ろめたさがある。だからこそ彼女と仗助が普段過ごすこの場所にぼくが平然と居座っているのは、少し気が咎めたのだ。

「君が大人になって」
 泣きそうな仗助の顔にもう一度手を添える。
「親を泣かせる覚悟が出来たら……その時は、読まずに直接訊ねることになるね」
 むに、と唇に触れる。その柔らかさを心地いいと思える。罪悪感を持ちながらもこの関係が間違いであるはずがないと、ぼくも仗助も信じていた。

「……もーちょい、待ってね」
 おふくろを安心させられるくらい立派になったら、その時は。
 そう言って顔を埋める様に伏せた、仗助の息が首に掛かってやはりくすぐったかった。

「フン、それまでにお互い飽きてないと良いんだけどね」
 わざとからかう様に口調を変えると、仗助はちょっと眉根を寄せながらも、顔を上げて笑いかけてくる。
「捨てないでねセンセー」
 拗ねた時の様に唇をツンと尖らせて可愛い子ぶる仗助を、憎からず感じることができる。この幸福感はやはり、間違いなんかじゃないはずだ。

 おまえこそとまでは言わずに、黙って微笑んで、またその唇に手を伸ばした。



 2013/05/30 


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