女神の話 承露 戻ってみると静を抱いた岸辺露伴の姿があった。 「ああ、承太郎さん。どうも」 空いている椅子に荷物を置き、自分も席に着く。 「たまたま通りかかりまして」 何と声を掛けるか思案している間に彼はこちらに気付き、先にそう説明してくれた。 「ジジイは?」 ほとんど意味もなく、周囲を見渡す。買い出しで歩き回らせるのも酷だと思い、静を任せて喫茶店に置いて行ったはずだった。 「お手洗いに」 「預かってくれたのか」 自分ならたまたま通りかかっただけで赤子を預けられるのは、想像しただけでも正直気が滅入る。それほど買い物に時間を掛けたつもりはなかったが、これならジジイごとホテルに置いてきた方が良かっただろう。 「迷惑かけた」 「良いんですよ。この子、あまりぐずらないし」 そう言われると、ジジイ以外が静を抱いて居てこんなに穏やかなのは初めて見たかもしれない。自分や仗助が抱き上げても、よっぽど機嫌が良い時でないと静はすぐ泣いてしまうような繊細な子供だった。 なんと言っても勝利の女神だしな、と。小声で呟いて、露伴が指先で静の頬を撫でた。上機嫌な静がきゃあきゃあ、嬉しそうな声を上げたので、一瞬何と言ったのか理解しかねた。 「ん?」 どうやら露伴の方も無意識の内に言ったことだったらしい。 「ああ……いや、大したことじゃあないので。忘れてください」 少し照れたような表情が珍しいと思った。そこでようやく、この男とまともに会話をするのは今日が初めてだと気付く。 「承太郎さん」 露伴が少し腕を伸ばす仕草をしたので、躊躇しつつ、静を受け取った。 赤子の身体と言うのは酷く重い。命の重さだと、祖父が時折か細い声で呟くのがいつも脳裏に浮かんだ。 案の定、承太郎の腕の中に移った途端静はぐずり出した。 「そんなおっかなびっくり抱くから、伝わるんですよ」 露伴が笑って、静を撫でて落ち着かせようとしてくれる。それでも泣き止まないので、すぐにまた腕から取り上げてあやし始める。 「娘さんを抱っこしたりしないんですか?」 露伴の腕に収まると、ピタリと静はぐずるのを止めた。これでは面目が立たない。 「……うちのはそこまで繊細じゃあなかった」 どちらかというと乱雑に扱った方が徐倫はきゃっきゃと喜んでいた。それをよく、妻に咎められた。 「はは、多分それ、親似ですね」 小さく笑いながら、穏やかな顔で露伴は静を抱いていた。 思わずまじまじと見つめていると、露伴はそれに気づいて少し怪訝な顔をして見せる。 「何です?」 「いや、あんたもそういう顔をするのかと思って」 言いながら随分失礼なことを言ったな、と思う。 「まあそうですね、あんまりしないかも」 怒るかと思ったが、あっさりと彼は肯定した。 「仗助から聞いた限りでは、もっと取っつき難そうかと思っていたが」 二人は犬猿の仲らしく、仗助の愚痴の中に出るこの青年は酷く嫌味な性格として語られていた。 「あいつが何か言ってたんですか?」 反射的にだろうか。今度は一瞬で嫌そうに顔を顰めた。こちらも少し驚いた顔になったのだろう、すぐにハッと気付いたようでその表情を崩した。 問おうかと思ったが、その時丁度ジジイが戻って来た。 自分よりはよっぽどジジイの方と親しいらしく、愛想良くいくらか言葉を交わした後、ジジイに静を手渡した。勿論静はぐずらない。やはり面目が立たない。 「それじゃ、ぼくはこれで」 席を立ちながら、ようやく最後にこちらを向いた。 「……今度仗助が何吹き込んだか教えてくださいね」 ジジイに聞こえないように顔を寄せてそう、言った。 「……あんたも。女神の話を聞かせてくれ」 聞こえてるじゃないですか、と。笑う彼の顔はやはり、想像していたよりも随分柔らかかった。 2013/05/02 |